吉田孝行
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名前 | ||||||
愛称 | よっさん、タカさん、タカ | |||||
カタカナ | ヨシダ タカユキ | |||||
ラテン文字 | YOSHIDA Takayuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1977年3月14日(47歳) | |||||
出身地 | 兵庫県川西市 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1989 | 上牧町立上牧中学校 | |||||
1990-1991 | 川西市立東谷中学校 | |||||
1992-1994 | 滝川第二高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1998 | 横浜フリューゲルス | 71 | (9) | |||
1999-2000 | 横浜F・マリノス | 21 | (2) | |||
2000-2005 | 大分トリニータ | 189 | (44) | |||
2006-2007 | 横浜F・マリノス | 49 | (4) | |||
2008-2013 | ヴィッセル神戸 | 140 | (27) | |||
通算 | 470 | (86) | ||||
代表歴 | ||||||
1993-1994 | 日本 U-17 | 3 | (0) | |||
1996-1997 | 日本 U-20 | |||||
監督歴 | ||||||
2017-2018 | ヴィッセル神戸 | |||||
2019 | ヴィッセル神戸 | |||||
2021 | V・ファーレン長崎 | |||||
2022- | ヴィッセル神戸 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
吉田 孝行(よしだ たかゆき、1977年3月14日 - )は、兵庫県川西市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。現在はJリーグ・ヴィッセル神戸の監督を務める。
来歴
[編集]現役時代
[編集]滝川第二高等学校時代には日本で開催された1993 FIFA U-17世界選手権に中田英寿、宮本恒靖、松田直樹と共に出場。高校卒業後、横浜フリューゲルスに入団。当時の横浜F監督であったアントニオ・カルロス・シルバやオタシリオが積極的に若手を起用していたこともあり、1年目から試合出場のチャンスを得る。横浜F時代は95試合に出場し、21得点を挙げた。
1998年に横浜マリノスとの合併によるチーム消滅に伴い、横浜F・マリノスに移籍。なお、横浜F最後の試合となった1999年元日の天皇杯決勝で試合を決める得点を挙げている。横浜FMでは出番に恵まれず、2000年途中に大分トリニータに移籍。J1昇格に貢献し、2005年にはキャプテンに就任した。
大分で中心選手として活躍していたが、古巣の横浜FMからオファーを受け2006年に完全移籍で6年ぶりに復帰。開幕戦では前年まで右サイドのレギュラーだった田中隼磨からスタメンの座を奪った。4月29日の広島戦では、復帰後初ゴールとなる決勝ゴールを後半ロスタイムに決めて勝利に貢献した。その後、田中の復調でベンチスタートに定着したが、運動量と攻撃力を生かし、逆に後半守備を固めるためのスーパーサブとしてチームに貢献した。
2007年は、当初は出場機会は少なかったものの、4-3-3から4-1-3-2へのシステム変更に際し、山瀬幸宏と共にスタメンに定着した。
しかし、若返りを図るチームの方針を受け2007年シーズン最終戦が行なわれた12月1日にチームから正式に戦力外通告を受け退団。12月26日に地元であるヴィッセル神戸への加入が発表された。神戸では当初ほとんど途中出場だったが27節以降は先発として出場し活躍。2009年はシャドーストライカーとしてプレーする機会が多く、8月には3得点を挙げた。2010年はシーズン途中は起用されない時期もあったが、シーズン終盤には欠かせない存在になるまでに復活し、最終節は2得点を挙げ、J1残留に貢献した。
2011年からキャプテンを務め、J1では自己最多9得点を挙げた。生年月日が全く同じであり、親交も深かった松田の死去後初の試合であった第20節の浦和戦では2ゴールを挙げ、喪章を掲げ松田の背番号3を示すポーズを取った[1]。現役最後の試合では、得点を決めた直後に松田の現役時代のトレードマークであった背番号3の入ったヘアバンドを取出し、ゴールを喜んだ[2]。
2013年10月24日にクラブのホームページにて今季限りでの現役引退を発表した。11月24日、ホーム最終戦のロアッソ熊本戦では現役最後となる3点目を決めた。シーズン後、ヴィッセル神戸アンバサダーに就任した[3]。2014年末、Jリーグ功労選手賞を受賞[4]。
引退後
[編集]2015年、神戸のコーチに就任[5]。2016年、ヘッドコーチに昇格。
ヴィッセル神戸監督(第1次)
[編集]2017年8月16日、ネルシーニョの監督解任に伴い監督に就任[6]。当初は暫定的指揮の予定であったが、翌年も引き続き監督を務めることとなった[7]。クラブとしてACL出場圏獲得を目標に掲げた2018年は夏に前FCバルセロナのアンドレス・イニエスタが加入し、一時リーグ戦4位まで浮上を果たしたが、その後は3連敗を喫し第26節終了時点で10勝6分10敗、ACL出場圏内の3位・FC東京と勝ち点6差となっていた[8]。9月17日、コーチングスタッフの配置転換により監督から退いた[9]。一部メディアからは事実上の解任であると報じられた[10][11]。
ヴィッセル神戸監督(第2次)
[編集]2019年4月、家庭の事情で退任したフアン・マヌエル・リージョの後任として暫定的にヴィッセル神戸の監督に復帰[12]。トルステン・フィンクの監督就任に伴い同年6月に退任した[13]。
V・ファーレン長崎監督
[編集]2020年よりV・ファーレン長崎のコーチに就任[14]。2020年12月21日、2021シーズンの監督に就任[15]。同年5月に監督を退任(事実上の解任)、同トップチームのアシスタントコーチへ配置転換される。同年12月、契約満了によりチームを離れた。
2022年1月16日、ヴィッセル神戸の強化部スタッフとして再び神戸に加入[16]。
ヴィッセル神戸監督(第3次)
[編集]2022年6月29日、契約解除されたミゲル・アンヘル・ロティーナの後任として、2019年以来3度目となるヴィッセル神戸の監督に就任[17]。就任したJ1第18節終了時点で2勝5分11敗とJ1残留圏内とも勝ち点8差つくなどダントツの最下位に沈んでいたチームを立て直し、シーズン終盤にはリーグ5連勝を記録するなど怒涛の追い上げで勝ち点を積み上げ、リーグ2試合を残してJ1残留を決めた。
2023年もヴィッセル神戸を指揮。オフに目立った補強がなかったことで下馬評は高くなかったが、「競争と共存」をテーマにかかげ、イニエスタでさえも特別扱いしない徹底した選手起用を貫き、大迫勇也のポストプレーと、強度の高いハイプレスからのショートカウンターを軸とした攻守にバランスの取れたサッカーで序盤から首位を走るなど手腕を発揮し、クラブを初のJ1リーグ優勝に導いた。シーズン終了後には自身初となるJ1優勝監督賞を受賞した。
2024年も続投し、序盤から上位につけ、スタメン組とベンチ組との差が課題とも指摘されていたが、ターンオーバーなどをうまくこなし、その課題を克服。その結果リーグ戦だけでなく、カップ戦でも勝ち進み、天皇杯において神戸に2度目となる優勝をもたらした。その勢いのまま、最終節までもつれたリーグ戦も制し、国内2冠、J1連覇という偉業を成し遂げた。
所属クラブ
[編集]- 上牧町立上牧小学校 (上牧スポーツ少年団)
- 上牧町立上牧中学校
- 1990年 - 1991年 川西市立東谷中学校
- 1992年 - 1994年 滝川第二高等学校
- 1995年 - 1998年 横浜フリューゲルス
- 1999年 - 2000年7月 横浜F・マリノス
- 2000年7月 - 2005年 大分トリニータ
- 2006年 - 2007年 横浜F・マリノス
- 2008年 - 2013年 ヴィッセル神戸
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1995 | 横浜F | - | J | 28 | 3 | - | 2 | 0 | 30 | 3 | |
1996 | 2 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 5 | 1 | |||
1997 | 15 | 21 | 0 | 5 | 0 | 4 | 3 | 30 | 3 | ||
1998 | 9 | 20 | 5 | 1 | 1 | 5 | 7 | 26 | 13 | ||
1999 | 横浜FM | 19 | J1 | 14 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | 20 | 3 |
2000 | 11 | 7 | 1 | 2 | 0 | - | 9 | 1 | |||
大分 | 31 | J2 | 20 | 6 | - | 3 | 3 | 23 | 9 | ||
2001 | 11 | 41 | 15 | 2 | 1 | 3 | 2 | 46 | 18 | ||
2002 | 9 | 41 | 9 | - | 4 | 1 | 45 | 10 | |||
2003 | J1 | 29 | 7 | 2 | 1 | 1 | 0 | 32 | 8 | ||
2004 | 30 | 5 | 6 | 1 | 2 | 0 | 38 | 6 | |||
2005 | 28 | 2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 33 | 2 | |||
2006 | 横浜FM | 17 | 27 | 1 | 10 | 0 | 3 | 0 | 40 | 1 | |
2007 | 22 | 3 | 7 | 0 | 1 | 0 | 30 | 3 | |||
2008 | 神戸 | 30 | 5 | 6 | 1 | 2 | 1 | 38 | 7 | ||
2009 | 29 | 5 | 5 | 0 | 2 | 0 | 36 | 5 | |||
2010 | 21 | 4 | 4 | 2 | 2 | 1 | 27 | 7 | |||
2011 | 29 | 9 | 1 | 1 | 1 | 0 | 31 | 10 | |||
2012 | 19 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 21 | 1 | |||
2013 | J2 | 12 | 3 | - | 1 | 2 | 13 | 5 | |||
通算 | 日本 | J1 | 356 | 53 | 62 | 8 | 28 | 12 | 448 | 74 | |
日本 | J2 | 114 | 33 | 2 | 1 | 11 | 8 | 126 | 42 | ||
総通算 | 470 | 86 | 64 | 9 | 39 | 20 | 575 | 116 |
指導歴
[編集]- 2015年 - 2019年6月 ヴィッセル神戸
- 2015年 コーチ
- 2016年 ヘッドコーチ
- 2017年8月 - 2018年9月 監督
- 2019年4月 - 2019年6月 監督
- 2020年 - 2021年 V・ファーレン長崎
- 2020年 コーチ
- 2021年 - 同年5月 監督
- 2021年5月 - 2021年12月 アシスタントコーチ
- 2022年 - ヴィッセル神戸
- 2022年1月 - 同年6月 強化部スタッフ
- 2022年6月 - 監督
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | 海外大会 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ルヴァン杯 | 天皇杯 | ACL | |||
2017 | 神戸 | J1 | 9位 | 15 | 12 | 4 | 3 | 5 | ベスト8 | ベスト4 | - |
2018 | 8位 | 36 | 26 | 10 | 6 | 10 | PO敗退 | 4回戦 | - | ||
2019 | 13位 | 4 | 7 | 1 | 1 | 5 | GS敗退 | - | - | ||
2021 | 長崎 | J2 | 11位 | 14 | 11 | 4 | 2 | 5 | - | - | - |
2022 | 神戸 | J1 | 13位 | 32 | 16 | 9 | 2 | 5 | - | ベスト8 | ベスト8 |
2023 | 優勝 | 71 | 34 | 21 | 8 | 5 | GS敗退 | ベスト8 | - | ||
2024 | 優勝 | 72 | 38 | 21 | 9 | 8 | 3回戦敗退 | 優勝 | |||
J1通算 | - | - | 116 | 66 | 29 | 38 | - | ||||
J2通算 | - | - | 11 | 4 | 2 | 5 |
- 2017年 - 2022年は指揮期間内(2017年:J1第23節 -シーズン終了、2018年:シーズン開始 - J1第26節、2019年:J1第8節 - J1第14節、2021年:シーズン開始 - J2第11節、2022年:J1第19節 -)の成績
タイトル
[編集]選手時代
[編集]クラブ
[編集]- 横浜フリューゲルス
- 大分トリニータ
個人
[編集]- AFCユース選手権1996 得点王(1996年)
監督時代
[編集]クラブ
[編集]- ヴィッセル神戸
- J1リーグ:2回(2023年、2024年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(2024年)
個人
[編集]- ヴィッセル神戸
- J1リーグ 優勝監督賞:2回(2023年、2024年)
- J1リーグ 月間優秀監督賞:2回(2023年2・3月度、11・12月度)
脚註
[編集]- ^ J1:第20節 浦和 vs 神戸 J`sGoal 2011年8月6日
- ^ 2013 Jリーグ ディビジョン2 第42節 ヴィッセル神戸vsロアッソ熊本 ヴィッセル神戸公式サイト
- ^ 吉田孝行氏 ヴィッセル神戸アンバサダー就任のお知らせ ヴィッセル神戸公式サイト
- ^ 『功労選手賞について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2014年10月22日。オリジナルの2014年10月21日時点におけるアーカイブ 。2014年10月23日閲覧。
- ^ 『吉田孝行アンバサダー トップチームコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2015年1月19日 。2015年1月19日閲覧。
- ^ 吉田孝行ヘッドコーチ 監督就任のお知らせ ヴィッセル神戸 2017年8月16日
- ^ 2018シーズン トップチーム監督およびコーチングスタッフ新体制決定のお知らせ ヴィッセル神戸 2018年1月10日
- ^ “【神戸】吉田孝行監督の解任を発表!暫定体制は決定も新指揮官は誰に?”. サッカーダイジェストWeb (2018年9月17日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ 『ヴィッセル神戸トップチーム 体制変更のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2018年9月17日 。2018年9月20日閲覧。
- ^ “【神戸】吉田監督を解任!イニエスタ加入も成績伸びず、午後の会見で新監督発表へ”. スポーツ報知. (2018年9月17日) 2018年9月20日閲覧。
- ^ ““バルセロナ化”道半ば…事実上の解任 J1神戸・吉田監督”. 神戸新聞. (2018年9月17日) 2018年9月20日閲覧。
- ^ 『ヴィッセル神戸トップチーム新体制のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2019年4月17日 。2019年6月8日閲覧。
- ^ 『吉田孝行監督退任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2019年6月8日 。2019年6月8日閲覧。
- ^ 『吉田 孝行氏 トップチームコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2019年12月27日 。2020年5月5日閲覧。
- ^ 『吉田 孝行新監督就任のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2020年12月21日 。2020年12月21日閲覧。
- ^ 『トップチームコーチ就任、強化部スタッフ加入のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2022年1月16日 。2022年1月16日閲覧。
- ^ 『ヴィッセル神戸トップチーム体制変更のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2022年6月29日 。2022年6月29日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 吉田孝行 - Soccerway.com
- 吉田孝行 - FootballDatabase.eu
- 吉田孝行 - WorldFootball.net
- 吉田孝行 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 吉田孝行 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 吉田孝行 - FIFA主催大会成績
- 吉田孝行 - J.League Data Siteによる選手データ
- 吉田孝行 - J.League Data Siteによる監督データ