コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

長澤徹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長澤 徹
名前
愛称 テツ、テツさん[1][2]
カタカナ ナガサワ テツ
ラテン文字 NAGASAWA Tetsu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-05-28) 1968年5月28日(56歳)
出身地 愛媛県松山市[3]
身長 179cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 右足
ユース
1984-1986 日本の旗 清水東高校
1987-1990 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1994 日本の旗 ヤマハ / ジュビロ磐田 28 (1)
1995-1997 日本の旗 本田技研 53 (2)
通算 81 (3)
監督歴
2006 日本の旗 FC東京U-15深川
2008-2010 日本の旗 FC東京U-15深川
2013 日本の旗 ジュビロ磐田(代行)
2015-2018 日本の旗 ファジアーノ岡山
2019 日本の旗 FC東京U-23
2024- 日本の旗 大宮アルディージャ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

長澤 徹(ながさわ てつ、1968年5月28日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダーミッドフィールダー。2024年シーズンからJリーグ大宮アルディージャの監督を務める。

来歴

[編集]

清水東高校武田修宏の1年後輩)から筑波大学へ進み、筑波大では中山雅史井原正巳の1年後輩。1991年に大学を卒業し、山本昌邦にスカウトされて[4]日本サッカーリーグ1部所属のヤマハ発動機サッカー部に入団、ヤマハからジュビロ磐田への変革期に主に右サイドバックとしてチームを支え、磐田のJリーグ昇格に貢献した。

その後、ジャパンフットボールリーグ本田技研へ移籍。1996年のジャパンフットボールリーグ優勝にも貢献した。1998年より現役を引退して同チームのコーチとなり、指導者としてのキャリアをスタート。

2001年、現役時代から志望していた[5]JリーグFC東京に籍を移し、大熊清監督の下でトップチームコーチに就任[6]。選手一人一人を丁寧に観察し、若手や出場機会を得られない選手を技術面・メンタル面ともにサポート[7][8]。試合出場機会を得られなかった時期に基本的な技術を見つめなおす助言を与えたり、クサりがちになる精神面のケアなど丁寧に話し掛け[9]、真摯に向き合った指導法[注 1]によって、選手[注 2]に大きな影響を与えた。

2006年、FC東京U-15深川監督に就任し[15]、ユース世代の育成担当となったが、同年8月にトップ監督のガーロが解任となり、倉又寿雄新監督就任と共にトップチームヘッドコーチに就任。2008年、深川監督に再任。橋本拳人野沢英之二瓶翼らの活躍により、この年のU-15高円宮杯で優勝を果たした。

2010年5月、S級ライセンスを取得した[16]。同年9月、監督に再任した大熊の要請を受け[5]トップチームのコーチに再任[17]。契約満了により、2011年限りでFC東京を退団[18]

2012年、古巣の磐田より招聘され[19]、共にS級ライセンスを受講した[20]森下仁志の下でトップチームのヘッドコーチを務めた[21]2013年5月、成績不振による森下の監督退任に伴い暫定監督に就任[22]、10節から13節まで指揮を執った。5月19日、関塚隆が監督に就任し、14節以降は再びヘッドコーチに戻った。

2014年からファジアーノ岡山のコーチ[23]2015年からは監督に就任[24]。同年はハードワークと献身性を拠り所に堅実なチーム作りを進め[25]、終盤14試合を5失点の堅守、1敗に抑え浮上の手ごたえを掴んだ[26]。2016年は、当初目標に掲げていた前年比+10の勝ち点・得失点差を[27] ほぼ達成し(勝ち点は54から65、得失点差は+5から+14に上昇)クラブ史上最高成績を残した。J1昇格プレーオフに進出したものの、決勝戦でかつて共闘した因縁の[5]大熊が率いるC大阪に敗れ、J1昇格を逃した。

2018年シーズン終了をもって岡山の監督を退任した[28]

2019年より古巣FC東京に復帰し、トップチームのコーチ兼U-23監督に就任[29]。翌2020年も引き続きU-23チームの監督を務める予定であったが、新型コロナウイルス流行の影響を受けU-23チームの同シーズンJ3参加辞退が決定、自身はトップチームコーチに専任することとなった[30]

2021年、京都サンガF.C.のヘッドコーチに就任[31]

2024年、京都サンガF.C.のヘッドコーチを退任[32]し、大宮アルディージャの監督に就任[33]

大宮では開幕当初から強さを見せ、4月にはJ3の月間最優秀監督賞を受賞する。1年を通して安定した強さを見せ、第32節福島戦で6試合を残して昇格を確定させ、続く第33節今治戦で引き分けJ3優勝を決めた。

エピソード

[編集]
  • 中山雅史によれば、長澤はサッカーを観て研究することが大好きな人物で、ヤマハ在籍時にはセリエAなどのビデオを好んで観て研究していたという。
  • 2002年FIFAワールドカップの準備で日本でキャンプしていたアルゼンチン代表とFC東京が練習試合をする機会があり、その時にアルゼンチン代表の練習法やコーチの指導法を研究していたことを本人が明らかにしている。
  • 攻撃に秀でるデイビッド・ベッカムが守備に奔走しているシーンを集めたVTRを用意して見させ「守備なんて格好良くない」と思っていた馬場憂太梶山陽平らの美意識を変えさせた他[34]福田健二には、エルナン・クレスポがパスを出してくれた選手に感謝しているシーンを見せ、ストライカーも周りがあって活かされていると説いた[12]
  • 選手の躍動感を引き出す指導者でありたいと語り、原博実に連れられて渡西し[35]2000年代前半にデポルティーボ・ラ・コルーニャを率いたハビエル・イルレタ監督と出会って以来、イルレタに傾倒している[3]。謙虚かつ熱心に学ぶ姿勢を持つ指導者の鑑と絶賛し[35]、選手の観察の仕方等イルレタを真似たことも[4]
  • 大熊清とは指導者としてのタイプや性格は真逆で、だからこそ良い関係で仕事が出来たと語る[36]

発言

[編集]
  • 「実生活とサッカーは結びついている。プライベートがうまくいっていない選手はプレーを見ればすぐに判る」[37]
  • 「結婚もプロ選手も1年2年は誰でもできる、10年・20年と勝負できないと」[37]
  • 「プロサッカー選手は30歳過ぎてもやれれば一流。20代で終わったらアルバイト」[38][37]
  • 「本来の意味とは違うけど、情熱っていう言葉は「情けねえ」って思うときに熱が溜まるからそう言うんだって解釈してる。だから悔しい思いをした奴にしか、その熱は出ないんだよ」[39]
  • 「マネジメントの本質は、育成世代にあると思っています。子供たちは、俺たちが本気かどうかしか見ていない。内的モチベーションを常に見られている」[40]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 ヤマハ 27 JSL1部 0 0 - - 0 0
1991-92 14 6 0 0 0
1992 旧JFL1部 0 0 -
1993 磐田 15 1 4 0 0 0 19 1
1994 - J 7 0 2 0 0 0 9 0
1995 本田 4 旧JFL 24 1 - 1 0 25 1
1996 29 1 - 3 0 32 1
1997 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J 7 0
日本 JSL1部 6 0 0 0
日本 旧JFL 68 3
総通算 81 3 6 0

その他公式戦

指導歴

[編集]
  • 1998年 - 2000年 本田技研 コーチ[18]
  • 2001年 - 2011年 FC東京
    • 2001年 - 2005年 トップチーム コーチ[18]
    • 2006年1月 - 8月 U-15深川 監督[18]
    • 2006年8月 - 2007年 トップチーム ヘッドコーチ[18]
    • 2008年 - 2010年9月 U-15深川 監督[18]
    • 2010年9月 - 2011年 トップチーム コーチ[18]
  • 2012年 - 2013年 ジュビロ磐田
    • 2012年 - 2013年 トップチーム ヘッドコーチ[21]
    • 2013年5月 トップチーム 暫定監督[22]
  • 2014年 - 2018年 ファジアーノ岡山
    • 2014年 トップチーム コーチ[23]
    • 2015年 - 2018年 トップチーム 監督[24]
  • 2019年 - 2020年 FC東京
    • 2019年 - 2020年 トップチーム コーチ
      • 2019年 U-23 監督(兼任)
  • 2021年 - 2023年 京都サンガF.C. ヘッドコーチ
  • 2024年 - 大宮アルディージャ 監督

監督成績

[編集]
年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2013 磐田 J1 - 2 4 0 2 2 グループリーグ -
2015 岡山 J2 11位 54 42 12 18 12 - 1回戦
2016 6位 65 42 17 14 11 - 3回戦
2017 13位 55 42 13 16 13 - 3回戦
2018 15位 53 42 14 11 17 - 2回戦
2019 F東23 J3 16位 36 34 9 9 16 - -
2024 大宮 優勝 38 2回戦敗退 2回戦敗退
総通算 - - 206 65 70 71 - -

その他公式戦

タイトル

[編集]

選手時代

[編集]
本田技研

指導者時代

[編集]
FC東京U-15深川
大宮アルディージャ

脚注

[編集]
注釈
  1. ^ 長澤によると、選手との付き合い方において「全然駆け引きしない。正直にコミュニケーションを取る」原博実から学んだところが大きいとのこと[10]
  2. ^ 加地亮佐藤由紀彦[11][9]浅利悟[9]呉章銀[9]福田健二[12][9]李忠成[1][2]鈴木規郎増嶋竜也[13]石川直宏[14][2]など。長澤を拠り所にした選手は少なくない[9]
出典
  1. ^ a b 李 恩返し弾だ 恩師の長沢氏が磐田暫定監督に 東京中日スポーツ (2013年5月5日)
  2. ^ a b c 【J1:第10節 F東京 vs 磐田】プレビュー Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2013年5月5日)
  3. ^ a b ファジアーノ岡山 長澤徹新監督 就任記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2014年12月8日)
  4. ^ a b サッカークリニック2016年11月号』ベースボール・マガジン社、2016年、9-13頁。 
  5. ^ a b c SEVENDAYS FOOTBALLDAY:因縁(岡山・長澤徹監督) ゲキサカ (2016年12月6日)
  6. ^ 2001年 FC東京チーム編成 - ウェイバックマシン(2004年5月13日アーカイブ分) FC東京 (2001年1月30日)
  7. ^ 『FC東京ファンブック2004』毎日新聞社、2004年、84頁。 
  8. ^ トップチームコーチ陣 - ウェイバックマシン(2005年11月24日アーカイブ分) FC東京 (2005年)
  9. ^ a b c d e f 馬場康平『石川直宏 まっすぐに平常心』出版芸術社、2010年、189頁。 
  10. ^ 『FC東京ファンブック2007』毎日新聞社、2007年、78-80頁。 
  11. ^ 小宮良之『アンチ・ドロップアウト』集英社、2010年、125頁。 
  12. ^ a b 『RUN 流浪のストライカー、福田健二の闘い』ダイヤモンド社、2007年、95頁。 
  13. ^ 増嶋竜也のドラマ 京都サンガ選手インタビュー - ウェイバックマシン(2009年4月6日アーカイブ分) 京都サンガF.C.
  14. ^ 【ひかりTV連動企画】J1 6月度MIP受賞インタビュー (archive) J's GOAL (2009年7月30日)
  15. ^ 下部組織2006シーズンの体制について FC東京 (2006年2月1日)
  16. ^ 財団法人 日本サッカー協会 平成22年度 第2回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 (2010年5月20日)
  17. ^ 登録役員 追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ (2010年9月24日)
  18. ^ a b c d e f g 長澤徹 トップチームコーチ 退任のお知らせ FC東京 (2012年1月10日)
  19. ^ 今日発表!来季磐田森下監督、長沢ヘッド 日刊スポーツ (2011年12月7日)
  20. ^ 平成21(2009)年度 公認S級コーチ養成講習会 受講生一覧 (PDF) 日本サッカー協会 (2009年3月12日)
  21. ^ a b 2012年シーズン新体制 (選手&スタッフ) ジュビロ磐田 (2012年1月15日)
  22. ^ a b チーム 森下仁志監督 退任のお知らせ ジュビロ磐田 (2013年5月4日)
  23. ^ a b 長澤徹氏 ファジアーノ岡山 コーチ就任のお知らせ ファジアーノ岡山 (2013年12月24日)
  24. ^ a b ファジアーノ岡山 長澤徹監督就任のお知らせ ファジアーノ岡山 (2014年12月7日)
  25. ^ サッカーダイジェスト 2015Jリーグ総集編 (No.1347)』日本スポーツ企画出版社、2015年、138頁。 
  26. ^ Jリーグサッカーキング 2016年10月号フロムワン、2016年、56頁https://www.soccer-king.jp/media/article/480569.html 
  27. ^ 【2016シーズン始動!】岡山:新体制発表会見での出席者コメント (1) J's GOAL (2016年1月13日)
  28. ^ 長澤徹監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ファジアーノ岡山FC、2018年11月12日https://www.fagiano-okayama.com/news/p1473054407.html2019年11月19日閲覧 
  29. ^ 長澤徹氏 FC東京 トップチームコーチ兼U-23監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)ファジアーノ岡山FC、2019年1月12日https://www.fagiano-okayama.com/news/p1473054529.html2019年11月19日閲覧 
  30. ^ 2020シーズンJ3リーグへの参加辞退について』(プレスリリース)2020年6月5日https://www.fctokyo.co.jp/news/112572020年6月7日閲覧 
  31. ^ トップチームコーチングスタッフ就任について』(プレスリリース)2021年1月5日https://www.sanga-fc.jp/news/p/15595/2021年1月5日閲覧 
  32. ^ 長澤徹ヘッドコーチ 退任のお知らせ』(プレスリリース)2023年12月11日https://www.sanga-fc.jp/news/detail/184492023年12月11日閲覧 
  33. ^ 長澤徹 監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)2023年12月11日https://www.ardija.co.jp/news/?id=416932023年12月11日閲覧 
  34. ^ FC東京の実態 (2/3) スポーツナビ (2005年6月2日)
  35. ^ a b Jリーグサッカーキング 2016年10月号フロムワン、2016年、54頁https://www.soccer-king.jp/media/article/480569.html 
  36. ^ J1昇格プレーオフ決勝 直前! 岡山 監督・選手コメント J's GOAL (2016年12月3日)
  37. ^ a b c 『FC東京ファンブック2003』毎日新聞社、2003年、84頁。 
  38. ^ 石川直宏、プロ10年目の覚醒 ゴール量産を支える“積み上げの美学” スポーツナビ (2009年7月3日)
  39. ^ 週刊サッカーダイジェストNo.1164 2012年4月3日号「ブレイク候補にせまる(2)長谷川アーリアジャスール」
  40. ^ テレビ放送のご案内(J SPORTS「Talking Foot!」/曺貴裁監督) J SPORTS「Talking Foot!」 (2017年1月24日)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]