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有馬賢二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有馬 賢二
名前
カタカナ アリマ ケンジ
ラテン文字 ARIMA Kenji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-11-26) 1972年11月26日(51歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 178cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション FW
ユース
1988-1990 日本の旗 日本大学藤沢高校
1991-1994 日本の旗 日本大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1997 日本の旗 柏レイソル 20 (2)
1998 日本の旗 コンサドーレ札幌 10 (2)
1999-2002 日本の旗 横浜FC 113 (55)
通算 143 (59)
監督歴
2014-2015 日本の旗 Y.S.C.C.横浜
2017-2018 日本の旗 U-15/17日本代表
2019-2021 日本の旗 ファジアーノ岡山
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

有馬 賢二(ありま けんじ、1972年11月26日 - )は、神奈川県横浜市栄区[2]出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴

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選手時代

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5歳の時にサッカーを始める[2]。中学年代は全日空横浜SCジュニアユースおよびクラブが創設されたばかりのY.S.C.C.横浜のジュニアユースでプレーした[3]日本大学藤沢高校では3年次に出場したインターハイでベスト8に入った[1]。1992年に日本大学へ進学。1年次より全日本大学選抜に選出される。

1995年大学を卒業し、Jリーグ参入初年度の柏レイソルに入団したが、メディカルチェックで先天性の頸椎障害が発覚[4][2]。手術及び術後のリハビリによって長期離脱を強いられ、リーグ戦終盤の10月にJリーグ初出場を果たした。完治して以後はスーパーサブとして起用された。1998年コンサドーレ札幌に移籍した。

1999年、同年より日本フットボールリーグ(JFL)に加入した横浜FCへ移籍。同年はリーグ2位の19得点、2000年は24得点を挙げて得点王を獲得すると共に、MVP・ベストイレブンを受賞し、エースストライカー[5]としてチームのリーグ優勝とJ2参入に貢献。180cmに満たない身長ながらヘディングでゴールを量産する姿に「利き足は頭」とも評された[5][6][2]

指導者時代

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現役引退後、2003年よりFC東京に加入し、主に下部組織でコーチを務めた。実績を買われ[7]2009年には同クラブのトップチームのコーチに就いた[1]2013年JFA公認S級ライセンスを取得[8]

2014年、Y.S.C.C.横浜の監督に就任[3]。Jリーグ参入初年度故の戦力差もあって好成績を残せず、2015年限りで契約を満了[9]

2016年よりJFAナショナルトレセンコーチとして指導者養成に携わる[10]。2017年、2019 FIFA U-17ワールドカップを目指すU-15サッカー日本代表の監督に就任[11]

2019年からはファジアーノ岡山の監督に就任[12]。 2021年をもって退任[13]

2022年よりサンフレッチェ広島のコーチを務める[14]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 - J 7 0 - 0 0 7 0
1996 8 2 8 2 2 0 18 4
1997 19 5 0 5 1 0 0 10 1
1998 札幌 11 10 2 3 1 1 0 14 3
1999 横浜FC 15 JFL 24 19 - 3 3 27 22
2000 9 22 24 - 2 3 24 27
2001 J2 42 10 3 0 2 2 47 12
2002 25 2 - 3 1 28 3
通算 日本 J1 30 4 16 4 3 0 49 8
日本 J2 67 12 3 0 5 3 75 15
日本 JFL 46 43 - 5 6 51 49
総通算 143 59 19 4 13 9 175 72

その他の公式戦

出場歴

個人タイトル

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指導歴

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監督成績

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年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 Jリーグ杯 天皇杯
2014 YS横浜 J3 12位 24 33 4 12 17 - 2回戦敗退
2015 13位 27 36 7 6 23 県予選敗退
2019 岡山 J2 9位 65 42 18 11 13 3回戦敗退
2020 17位 50 42 12 14 16 不参加
2021 11位 59 42 15 14 13 3回戦敗退
通算 日本 J2 - - 126 45 39 42 - -
J3 - - 69 11 18 40 - -
総通算 - - 195 56 57 82 - -

脚注

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  1. ^ a b c d e f 2009シーズン トップチームスタッフを発表(2)』(プレスリリース)FC東京、2009年1月23日。オリジナルの2012年7月15日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20120715000150/http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=72232013年12月19日閲覧 
  2. ^ a b c d “今季から新設のJ3で戦うY.S.C.C.の新監督に就任した 有馬賢二さん”. タウンニュース. (2014年2月6日). https://www.townnews.co.jp/0102/2014/02/06/223884.html 2017年4月13日閲覧。 
  3. ^ a b c d e 2014 シーズン TOP チーム監督 有⾺賢⼆⽒就任のお知らせ』(プレスリリース)Y.S.C.C.、2013年12月18日。オリジナルの2013年12月19日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20131219131420/http://www.yscc1986.net/sites/www.yscc1986.net/files/data/131218NEWS_RELEASE.pdf2021年12月29日閲覧 
  4. ^ 『DECADE 柏レイソル10年史』文化工房星雲社、2004年、150頁。 
  5. ^ a b 2002年度登録選手 FW ARIMA kenji”. 横浜FC. 2003年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月19日閲覧。
  6. ^ 21世紀の骨のあるヤツ”. ぴあ (2001年3月20日). 2001年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月9日閲覧。
  7. ^ “【FC東京ニュース】U-18有馬コーチがトップ昇格”. 東京中日スポーツ. (2009年1月8日). オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160304115834/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/200901/CK2009010802000140.html 2021年12月29日閲覧。 
  8. ^ 2013年度 第5回理事会 報告事項 (PDF) 日本サッカー協会 (2013年9月12日)
  9. ^ 有馬賢二監督 退任のお知らせ【TOPチーム】』(プレスリリース)Y.S.C.C.、2015年11月10日https://yscc1986.net/info/top-team/有馬賢二監督%e3%80%80退任のお知らせ【topチーム】/2021年12月29日閲覧 
  10. ^ 2016年度 指導者養成・ダイレクター インストラクター体制 日本サッカー協会 (2016年2月19日)
  11. ^ 2017 ナショナルコーチングスタッフ体制【サッカー男子担当】 (PDF) 日本サッカー協会 (2017年2月16日)
  12. ^ 有馬賢二監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)ファジアーノ岡山、2018年12月11日https://www.fagiano-okayama.com/news/p1473054468.html2019年1月1日閲覧 
  13. ^ 有馬賢二監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ファジアーノ岡山、2021年11月24日https://www.fagiano-okayama.com/news/p1473057107.html2021年12月18日閲覧 
  14. ^ 有馬賢二コーチ 就任のお知らせ』(プレスリリース)サンフレッチェ広島、2021年12月18日https://www.sanfrecce.co.jp/news/team/47752021年12月18日閲覧 
  15. ^ a b 登録選手一覧表”. Jリーグ (2002年12月6日). 2002年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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