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林卓人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林 卓人
名前
愛称 タクト
カタカナ ハヤシ タクト
ラテン文字 HAYASHI Takuto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-08-09) 1982年8月9日(42歳)
出身地 大阪府茨木市
身長 188cm
体重 87kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1989-1994 茨木小学校FC(茨木市立茨木小学校
1995-1997 茨木市立養精中学校
1998-2000 金光大阪高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 サンフレッチェ広島 2 (0)
2005-2009 コンサドーレ札幌 71 (0)
2007-2009 ベガルタ仙台loan 111 (0)
2010-2013 ベガルタ仙台 136 (0)
2014-2023 サンフレッチェ広島 191 (0)
通算 511 (0)
代表歴
2001  日本 U-20
2002-2004  日本 U-23
2012-2013 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

林 卓人(はやし たくと、1982年8月9日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表金光大阪高等学校卒業。

来歴

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プロ入り前

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茨木小学校FC、市立養精中出身。中学までは全国的には無名な存在で、金光大阪高等学校へ進学後頭角を現す[1]。高校の2年先輩に斉藤大介、 1年後輩に中田洋平田中淳也がいる。2000年高校3年時インターハイ出場、同年セレッソ大阪強化指定選手として登録された。

サンフレッチェ広島

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2001年、サンフレッチェ広島とプロ契約する。同期入団に河野淳吾田中マルクス闘莉王西嶋弘之梅田直哉李漢宰がいた[1]。2002年から下田崇の控え、2ndGKとなる。J1最終節対コンサドーレ札幌戦にて相手FW相川進也と接触した下田の負傷により途中出場(なおその後に相川も林と接触し交代している)、これが林のJリーグ初出場となった。この試合は曽田雄志Vゴールを許して敗戦、広島はJ2降格となった(なおこれがJリーグ史上最後のVゴールである)[2]。同年の天皇杯では下田の怪我によりレギュラーとして出場、広島を準決勝まで進出させる原動力となった[3]。2003年、下田が怪我から復帰すると全く出場機会が与えられなかった[4]

一方で林はプロ入り以来、各年代の日本代表に選ばれた。2003年カタール国際親善トーナメントでU-22日本代表に、アテネオリンピック最終予選では全6試合に出場し、日本チームをオリンピック出場へと導いた。しかし2004年アテネ五輪本大会においては、正GKにオーバーエイジ枠として曽ヶ端準が抜擢され、さらに腰痛のため控えの座も黒河貴矢に奪われて選外(補欠)となりベンチ外となった。

コンサドーレ札幌

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2005年、藤ヶ谷陽介ガンバ大阪移籍に伴い正GKを探していたコンサドーレ札幌へ完全移籍した。移籍金8000万円(移籍金#日本国内におけるシステム参照)[5]。移籍直後から正GKの座を獲得したが、2006年終盤に持病の腰痛が悪化、不用意なミスも重なって[6] 正GKを佐藤優也に明け渡した。2007年には高木貴弘の加入もあって、ベンチ入りすらできない状況に陥った。

ベガルタ仙台

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2007年6月、小針清允シュナイダー潤之介の負傷に伴い、GKを探していたベガルタ仙台期限付き移籍[7]。移籍早々から正GKとして起用されるようになり、小針やシュナイダーが戦線復帰を果たした後も正GKの座を譲ることはなかった。期限付き移籍を延長した2008年は、体調不良により欠場した第12節広島戦を除く、41試合に出場し、J1・J2入れ替え戦進出に貢献したが、その入れ替え戦で、ジュビロ磐田松浦拓弥に2試合で3失点を許し、J1昇格を逃した。2009年も期限付き移籍を延長[8]。このシーズンはリーグ戦全51試合にフルタイム出場し、失点をリーグ最少の39に抑え、J2優勝およびJ1昇格に貢献した。札幌の復帰要請を断り[9]、2010年仙台に完全移籍。以降も2013年までリーグ戦をフルタイム出場してチームを支えた。特に、2011年には34試合で25失点に抑え、Jリーグ記録[注釈 1] にはあと一歩及ばなかったものの、最少失点・最多完封 (14完封) の堅守を見せた。2013年には共同主将の一人に起用された。

この仙台での活躍により、林は2012年2月、初のA代表入りを果たした。24日のアイスランドとの親善試合でベンチ入りしたが、出場機会はなく2013年7月の東アジアカップ2013で2度目の代表選出も[10]、またも出場機会なしに終わった(この時は代表23人の中で唯一の不出場であった)。

サンフレッチェ広島(2次)

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2014年、西川周作浦和レッドダイヤモンズ移籍に伴い正GKを探していたサンフレッチェ広島に完全移籍[11]。10年ぶりの古巣復帰となった。同年開幕節の対セレッソ大阪戦(長居)で219試合連続出場を達成し、これまで服部公太が持っていたリーグ戦連続出場記録を更新した[12][注釈 2]。なお、林は同年第18節の対鹿島アントラーズ戦(カシマ)を欠場したため、この記録は235試合で止まっている。また、この記録は同年に鹿島の曽ヶ端準によって破られている[注釈 3]

2015年、J1リーグ優勝に守護神として貢献。平均失点0.88、被シュート成功率6.5パーセントは、ともにリーグナンバー1。シーズン終盤には3本連続PKストップを見せた。

2018年、2・3月月間MVPに選出。この間の5試合での失点はわずかに1点のみだった。同年は2年振りにリーグ戦全試合出場を果たした。

2019年は開幕前に負傷離脱すると、その代役に抜擢された加入2年目の大迫敬介がレギュラーに定着。第1期広島時代を除くと自己最低のリーグ戦4試合の出場にとどまった[13]

2020年も序盤こそは大迫にポジションを譲るもシーズン途中でポジションを奪取し、守護神に返り咲き、結局このシーズンは大迫を上回る19試合に出場した。

2021年の開幕戦は再び大迫に先発を奪われ、控えからのスタートとなったが、夏場以降は大迫の不調もあってシーズン終了までレギュラーとして出場し、11試合に出場した。

2022年は4年ぶりとなる開幕スタメンに抜擢された。しかし、その後は自身が負傷離脱したこともあって再度大迫にポジションを奪われ、同シーズンのルヴァンカップ決勝や天皇杯決勝もメンバー入りすることなく、シーズン終了までレギュラーに復帰することは無かった。

2023年11月20日に、2023シーズンをもって現役を引退することが発表された[14]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 広島 21 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 1 0 0 0 4 0 5 0
2003 J2 1 0 - 0 0 1 0
2004 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2005 札幌 1 J2 33 0 - 0 0 33 0
2006 38 0 - 1 0 39 0
2007 0 0 - - 0 0
仙台 16 19 0 - 0 0 19 0
2008 41 0 - 1 0 42 0
2009 51 0 - 4 0 55 0
2010 J1 34 0 6 0 0 0 40 0
2011 34 0 4 0 2 0 40 0
2012 34 0 7 0 1 0 42 0
2013 34 0 1 0 3 0 38 0
2014 広島 1 31 0 5 0 2 0 38 0
2015 34 0 2 0 3 0 39 0
2016 34 0 2 0 2 0 38 0
2017 19 0 0 0 1 0 20 0
2018 34 0 1 0 3 0 38 0
2019 4 0 2 0 1 0 7 0
2020 19 0 1 0 - 20 0
2021 11 0 6 0 0 0 17 0
2022 5 0 2 0 0 0 7 0
2023 1 0 0 0 0 0 1 0
通算 日本 J1 329 0 40 0 22 0 390 0
日本 J2 183 0 - 6 0 189 0
総通算 512 0 40 0 28 0 577 0
  • 2000年 特別指定選手としての公式戦出場は無し

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2013 仙台 16 6 0 -
2014 広島 1 8 0 -
2015 - 4 0
2016 5 0 -
2019 2 0 -
通算 AFC 21 0 4 0

タイトル

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チーム

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ベガルタ仙台
サンフレッチェ広島

個人

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代表・選抜歴

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脚注

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注釈
  1. ^ J1のシーズン最少失点記録は、2008年に大分トリニータが記録した24。
  2. ^ ただし、Jリーグは同一リーグ内の記録しか認めていないため、J1とJ2にまたがる林・服部の記録はいずれも参考記録扱い。
  3. ^ なお曽ヶ端はすべてJ1での出場であり、正式な記録として残っている
出典
  1. ^ a b 戦う喜び さよなら涙 GK(21) 林 卓人”. 中国新聞 (2001年2月14日). 2014年1月24日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ 完全燃焼 矢折れ力尽く”. 中国新聞 (2002年11月30日). 2014年1月24日閲覧。
  3. ^ 京都に1―2 追い上げ及ばず 天皇杯準決勝”. 中国新聞 (2002年12月28日). 2014年1月24日閲覧。
  4. ^ 下田、全治4ヶ月”. 紫熊倶楽部 (2005年10月17日). 2014年1月24日閲覧。
  5. ^ GK林、札幌移籍”. 中国新聞 (2005年1月7日). 2014年1月24日閲覧。
  6. ^ <1> GK・林卓人(23)”. 北海道新聞 (2006年2月20日). 2014年1月24日閲覧。
  7. ^ GK林 期限付きで獲得 J2仙台”. 河北新報 (2007年6月15日). 2014年1月24日閲覧。
  8. ^ 仙台がGK林の期限付き移籍期間を延長”. ゲキサカ[講談社] (2008年12月23日). 2015年10月11日閲覧。
  9. ^ GK林仙台残留熱望、札幌交渉諦めた”. 日刊スポーツ (2009年10月26日). 2014年1月24日閲覧。
  10. ^ [1]
  11. ^ J1仙台の林、広島に完全移籍”. 河北新報 (2014年1月6日). 2014年1月24日閲覧。
  12. ^ 広島GK林卓人、219試合連続出場を達成…Jリーグ最多記録”. サッカーキング (2014年3月3日). 2014年10月2日閲覧。
  13. ^ 広島の37歳ベテランGK林卓人が契約更新”. SANSPO.COM (2019年12月31日). 2020年6月15日閲覧。
  14. ^ 林卓人選手 現役引退のお知らせ”. サンフレッチェ広島 オフィシャルサイト (2023年11月20日). 2023年11月20日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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