コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

斉藤大介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
斉藤 大介
名前
カタカナ サイトウ ダイスケ
ラテン文字 SAITO Daisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-08-29) 1980年8月29日(44歳)
出身地 大阪府高槻市
身長 179cm[1]
体重 74kg[1]
選手情報
ポジション MF / DF
利き足 右足
ユース
1996-1998 日本の旗 金光第一高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2008 日本の旗 京都サンガF.C.[注 1] 202 (7)
2008-2011 日本の旗 ベガルタ仙台 71 (1)
2011-2015 日本の旗 徳島ヴォルティス 120 (0)
2016 日本の旗 栃木SC 5 (0)
2017 日本の旗 高知ユナイテッドSC 14 (2)
2018 日本の旗 おこしやす京都AC 12 (0)
通算 424 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年1月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

斉藤 大介(さいとう だいすけ、1980年8月29日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(ボランチ)、DF(センターバック)。

来歴

[編集]

高校時代、大阪選抜で稲本潤一とダブルボランチを組んでいたことがある。林卓人金光大阪高等学校の2年後輩にあたる。

1999年、京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団。3年目の2001年までは出場機会に恵まれなかった。

2002年も序盤は途中出場の1試合のみの出場(その試合も本来はベンチ外で、当日に他の選手の負傷によって急遽ベンチ入りしたもの)にとどまっていたが、転機が訪れたのはリーグ戦中断中に行われたこの年のナビスコカップ予選リーグであった。当時、ボランチのレギュラーであった朴智星2002 FIFAワールドカップで韓国代表に合流するためチームを離れたことによりレギュラーに抜擢され、展開力と正確なロングパスで彼の穴を埋める活躍を見せる。ワールドカップ終了後に朴が合流した後は、黒部光昭松井大輔らと組む3トップの一角として起用された。この年チームは過去最高の年間5位、天皇杯初制覇を達成した。

2003年に背番号を16に変更。チームは怪我人や移籍した朴智星の穴を埋められず低迷、再びJ2に降格した。このシーズンは、途中から監督に就任したピム・ファーベーク監督の下ではセンターバックで起用されることも多かった。2度目のJ2となった2004年、シーズン当初はレギュラーとして起用されていたが第2クール以降はポジションを失い、サブにすら入れないことも多かった。J1昇格も逃したが、シーズン終盤に調子を取り戻した。

副キャプテンに就任し迎えた2005年は石井俊也米田兼一郎らボランチの選手が新加入し、チーム内での争いも激しくなったが、開幕から大黒柱といえる活躍で不動のレギュラーを獲得。この年、J1昇格を達成した京都の躍進を支えた。2006年も攻守の要として奮闘したが、チームは1年で降格した。この年はキャプテンマークを巻くことも多かった。

2007年はキャプテンにも任命され、48試合全てに出場し、1年でのJ1復帰に貢献した。

2008年7月、ベガルタ仙台期限付き移籍。高校の2年後輩に当たるGK林卓人コンサドーレ札幌より期限付き移籍)とチームメイトに。同年シーズン終了後、仙台への完全移籍が発表された。

2009年夏頃から調子を崩し、長く試合に出られない日々が続いたが、翌2010年8月、千葉直樹の負傷により先発出場の機会を得ると、リーグ戦15試合ぶりの勝利に貢献。これ以降レギュラーに復帰。

2011年7月5日徳島ヴォルティスに完全移籍で加入。移籍以後の全リーグ戦に出場し活躍した。2012年、最終ラインに怪我人が続出したシーズン途中よりセンターバックにコンバートされ出場していたが、8月22日の湘南ベルマーレ戦でアキレス腱断裂の大怪我を負い[2]、以降試合には出られなかった。2013年シーズンはキャプテンに就任。開幕戦は欠場したが先発に復帰し、中盤戦からは本職のボランチでプレー。J1に昇格して迎えた2014年は前年と比べて出場試合数こそ減少したが、21試合に先発出場して苦戦を強いられたチームを支えた。

2015年12月、Jリーグ合同トライアウトに出場[3]。2016年より栃木SCに完全移籍したが[1]、2016年シーズンをもって契約満了に伴い退団[4]

2017年、高知ユナイテッドSCに加入[5]

2018年、おこしやす京都ACに移籍した[6]

2019年1月15日、現役を引退して京都の普及部コーチに就任すると発表され、19日の練習試合(おこしやす京都ACvs京都サンガF.C.)が引退試合となる[7]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 京都 25 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 7 0 2 0 0 0 9 0
2001 22 J2 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 J1 22 1 5 0 4 0 31 1
2003 16 27 1 4 0 1 0 32 1
2004 J2 21 0 - 2 0 23 0
2005 42 2 - 1 0 43 2
2006 J1 33 1 5 0 1 0 39 1
2007 J2 48 2 - 0 0 48 2
2008 J1 2 0 1 0 - 3 0
仙台 31 J2 16 1 - 1 0 17 1
2009 36 0 - 1 0 37 0
2010 J1 16 0 4 0 0 0 20 0
2011 3 0 0 0 - 3 0
徳島 16 J2 23 0 - 1 0 24 0
2012 22 0 - 0 0 22 0
2013 31 0 - 0 0 31 0
2014 J1 22 0 5 0 1 0 28 0
2015 J2 22 0 - 3 0 25 0
2016 栃木 J3 5 0 - - 5 0
2017 高知U 2 四国 14 2 - 1 0 15 2
2018 O京都 7 関西1部 12 0 - 1 0 13 0
通算 日本 J1 132 3 26 0 7 0 165 3
日本 J2 261 5 0 0 9 0 245 5
日本 J3 5 0 - 0 0 5 0
日本 四国 14 2 - 1 0 15 2
日本 関西1部 12 0 - 1 0 13 0
総通算 424 10 26 0 18 0 468 10

その他の公式戦

タイトル

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 2006年までは「京都パープルサンガ」

参考・出典

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]