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ギド・ブッフバルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ギド・ブッフバルト
2012年のブッフバルト
名前
本名 ギド・ウルリッヒ・ブッフバルト
Guido Ulrich Buchwald
愛称 ギド、ディエゴ[1]
ラテン文字 Guido Buchwald
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1961-01-24) 1961年1月24日(63歳)
出身地 西ベルリン
身長 188cm
体重 88kg
選手情報
ポジション DFMF[2]
利き足 右足
ユース
1969-1977 西ドイツの旗 SVヴァンヴァイル
1977-1978 西ドイツの旗 TSVプリーツハウゼン
1978-1979 西ドイツの旗 シュトゥットガルト・キッカーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1983 西ドイツの旗 シュトゥットガルト・キッカーズ 146 (18)
1983-1994 西ドイツの旗 VfBシュトゥットガルト 325 (28)
1994-1997 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ 127 (11)
1997-1999 ドイツの旗 カールスルーエSC 40 (3)
通算 638 (60)
代表歴
1980 西ドイツの旗 西ドイツ U-21 1 (0)
1983-1984 西ドイツの旗 西ドイツ五輪 9 (1)
1984-1994 西ドイツの旗 西ドイツ / ドイツの旗 ドイツ 76 (4)
監督歴
2004-2006 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ
2007 ドイツの旗 アレマニア・アーヘン
2012 ドイツの旗 シュトゥットガルト・キッカーズ(暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ギド・ウルリッヒ・ブッフバルトGuido Ulrich Buchwald1961年1月24日- )は、ドイツ出身のサッカー指導者、元サッカー選手

ドイツ代表ディフェンダー、守備的MFを務めることも多くあった[2]2004年から2006年にはJリーグ浦和レッドダイヤモンズ監督を務めた。1990 サッカー・ワールドカップ決勝ではディエゴ・マラドーナを完全に押さえ、優勝に大きく寄与したことから、ディエゴとも呼ばれた[3]

クラブ経歴

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1978年シュトゥットガルト・キッカーズに入団、旧西ドイツ代表ユースに選出。1983-1984シーズンにドイツ・ブンデスリーガVfBシュトゥットガルトでブンデスリーガ1部デビュー。このシーズン、34試合に出場して[4] リーグ優勝に貢献し、1993-1994シーズンまで同クラブに在籍。

1994年FIFAワールドカップアメリカ大会後に、Jリーグ・浦和レッズに加入、1994年から1997年の3年半の間プレーした。浦和ではディフェンスの要として活躍、それまでJリーグのお荷物とまで揶揄されていた浦和を上位にまで引き上げ[5][6]、サポーターから敬愛された[6]1995年1996年には2年連続でJリーグベストイレブンに選出された。浦和では終盤まで相手にリードを許す試合では、高さを活かすため前線でプレーすることもあった[7]。1994年9月3日、横浜フリューゲルス戦で決勝点となったリーグ初ゴールを決めた[8]。1996年シーズン終了時、かつて所属していたシュトゥットガルトなど複数のクラブからオファーを受けたが、最終的には残留を決断した[9]

1997年5月28日の柏レイソル戦でゴールを決めて、3-2での勝利に貢献したが[10]、このゴールがJリーグでのラストゴールとなった。10月4日、Jリーグ最終戦のベルマーレ平塚戦に先発し、44分までプレー、広瀬治との交代でピッチを後にし、レッズでの最終戦を終えた[11]。10月15日、浦和駒場スタジアムで行われたJリーグカップジュビロ磐田戦後に行われた退団セレモニーでは、白馬に乗って場内を回った[6]。Jリーグ通算127試合出場11ゴールの成績を残した[8]。2019年に雑誌Numberのアンケートで、これまでJリーグでプレーした最強の外国人DF部門で第1位に選ばれた[12]

1998-99シーズンのブンデスリーガ・カールスルーエSCでのプレーを最後に現役を引退した。ブンデスリーガ1部では通算334試合28ゴールの成績を残した[13]

代表歴

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1984年5月22日、UEFA欧州選手権1984直前にイタリア戦で西ドイツ代表デビューを飾り、UEFA欧州選手権1984に出場した。

1986年FIFAワールドカップ・メキシコ大会では直前で代表から外されたが、UEFA欧州選手権1988に出場、1990年イタリア大会ではユルゲン・コーラーとWストッパーコンビを組んで[2]、全7試合に出場[14]、ラウンド16、優勝候補同士の対戦となったオランダ戦ではクリンスマンの先制ゴールとブレーメの決勝ゴールをアシストした[15]。決勝戦ではディエゴ・マラドーナに全く仕事をさせず[3][5]、西ドイツの3度目の優勝に貢献、この年のバロンドール投票では10位に入った[16]

1991年12月18日UEFA欧州選手権1992予選、ルクセンブルク戦で代表初ゴール[17]UEFA欧州選手権1992でもレギュラーとして準優勝に貢献[5]1994 FIFAワールドカップでは、グループリーグの韓国戦ではリードレのゴールをアシスト[18]、準々決勝、ブルガリア戦にボランチの位置で出場し[19]、1-2と敗れたのを最後に代表を退いた。代表通算76試合4得点。

現役引退後

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引退後はシュトゥットガルト・キッカーズのスタッフとなった。

2002年から浦和レッズのテクニカル・アドバイザー、そして2004年から監督に就任。そして、今まで自分がたくさん叱ってきた山田暢久をキャプテンに指名した。さらに第2ステージでは監督就任1年目にして、チームを初のステージ優勝に導いた。2005年のシーズン、リーグ戦では2位、そして第85回天皇杯優勝という成果を残した。

2006年、リーグチャンピオンの座を賭けた最終戦(34節)はホーム埼玉スタジアム2002で2位ガンバ大阪を迎え撃つ形となり、その直接対決で浦和レッズが3-2で勝利を収め、悲願のリーグ制覇を決め、優勝パレードでは再び白馬に乗った[20]。この年限りで浦和監督を退任すると発表(なおこの優勝はJリーガー出身の監督としても初のリーグ優勝であった)。彩の国功労賞を受賞。2007年1月1日の天皇杯連覇を置き土産にし、ドイツへ帰国した。

2007年6月、ブンデスリーガ2部のアレマニア・アーヘンの監督に就任。契約期間は2年だったが、成績は中位に甘んじ、その年の11月、わずか半年も経たずに解任された。

退団後の2008年は浦和レッズとの交流を続け、再び2009年度からのテクニカル・アドバイザー就任も内定していたが、クラブがフィンケ新監督招聘を彼に相談なく決めたことや、複数年契約中だったエンゲルス前監督を社長の独断で更迭したことに対してブッフバルトが激怒。結果、浦和レッズとは喧嘩別れする形となった[21][22]。 本人は日本のマスコミに対して「Jクラブから監督就任の話があったが浦和との義理から断った。だが今後は分からない」との恨み節も残している[23]

一時はかつて所属していた浦和とは疎遠になり、日本サッカー協会とアドバイザー契約を交わし、2011 FIFA女子ワールドカップに出場するサッカー日本女子代表のキャンプ地選定に関わったり、安藤梢の女子ブンデス・リーガ移籍の橋渡し役を務めるなど、日本サッカー界に貢献する働きが主になっていた。しかし近年では2012年7月15日に浦和駒場スタジアムのリニューアルイベントで行われた試合に浦和OBチームのメンバーとして参加[24]、2014年には元同僚山田暢久の引退試合にレッズ歴代選抜チームの監督して参加した。

2018年のワールドカップ後に日本代表監督にユルゲン・クリンスマンの名前が挙がった際には、コーチあるいはアドバイザーへの就任の可能性が報じられたが[25]、いずれも実現には至らなかった。

2019年にはJリーググローバルアンバサダーに就任した[26]

人物

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  • 身体能力に優れ、DFや守備的中盤の選手としてプレーした[2]。ファールが少ない選手で、「自分が長く現役を続けたいように、対峙している相手選手も同様に考えているはずであり、対峙している相手選手に怪我を負わせかねない様な、故意の汚いファールはしない。」という信念を持ってプレーしていると話していた[27]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
1978-79 シュトゥットガルト
・キッカーズ
2. ブンデス 0 0
1979-80 33 1
1980-81 38 8
1981-82 38 5
1982-83 37 4
1983-84 シュトゥットガルト ブンデス 34 3
1984-85 15 4
1985-86 32 1
1986-87 33 2
1987-88 30 1
1988-89 30 1
1989-90 28 5
1990-91 21 3
1991-92 37 5
1992-93 33 1
1993-94 32 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994 浦和 - J 20 2 2 0 3 0 25 2
1995 51 4 - 3 0 54 4
1996 24 3 12 0 4 0 40 3
1997 6 32 2 6 0 - 38 2
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
1997-98 カールスルーエ 2. ブンデス 9 0
1998-99 31 3
通算 ドイツ ブンデス 334 28
ドイツ 2. ブンデス 177 21
日本 J 127 11 20 0 10 0 157 11
総通算 638 60

なお、1996年のJリーグの背番号固定化以前も背番号は主に「6」を着けていた。この6番はドイツ代表でつけていた背番号である。リザーブでの途中出場時には、主に「12」を着けていた。

代表歴

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  • 代表デビュー 1984年5月22日 イタリア戦
  • 代表初ゴール 1992年12月18日 ルクセンブルク戦

試合数

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  • 国際Aマッチ 76試合 4得点(1984年-1994年)[28]


ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
1984 3 0
1985 0 0
1986 7 0
1987 7 0
1988 6 0
1989 6 0
1990 12 0
1991 6 1
1992 13 1
1993 10 2
1994 6 0
通算 76 4

指導歴

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監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2004 J1 浦和 2位 30 62 19 5 6 準優勝 ベスト4
2005 2位 34 59 17 8 9 ベスト4 優勝
2006 優勝 34 72 22 6 6 ベスト8 優勝
J1通算 - 98 - 58 19 21

タイトル

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選手時代

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VfBシュトゥットガルト
西ドイツ代表
個人

監督時代

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浦和レッドダイヤモンズ
個人

脚注

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  1. ^ “マラドーナを封じた元Jリーガー 「W杯優勝の自信がない」チームはなぜ変貌したのか”. news.livedoor.com. https://news.livedoor.com/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%92%E5%B0%81%E3%81%98%E3%81%9F%E5%85%83J%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%80%80%E3%80%8CW%E6%9D%AF%E5%84%AA%E5%8B%9D%E3%81%AE%E8%87%AA%E4%BF%A1%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%A4%89%E8%B2%8C%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B/article/detail/13642931/ 8 April 2020閲覧。 
  2. ^ a b c d 別冊週刊サッカーマガジン 1994年初夏号 ハローUSA WORLD CUP 94 P.118
  3. ^ a b ““マラドーナ封殺”の元Jリーガー、独連盟が功績に再注目 「試合からほぼ消し去った」”. www.football-zone. https://www.football-zone.net/archives/271518/2 11 July 2020閲覧。 
  4. ^ “Guido Buchwald - Matches and Goals in Bundesliga”. rsssf.com. http://rsssf.com/players/buchwalddata.html 8 April 2020閲覧。 
  5. ^ a b c “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る”. excite.co.jp. (June 24 2016). https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=2 8 April 2020閲覧。 
  6. ^ a b c “浦和レッズ、歴代最強外国籍選手5人。ドイツとの深いつながり、超強力ブラジル人たちと掴んだ栄光”. www.footballchannel.jp. https://www.footballchannel.jp/2020/04/20/post371261/ 20 April 2020閲覧。 
  7. ^ 週刊サッカーマガジン 1997年9月17日 no.623 ベースボールマガジン社 p.102-103
  8. ^ a b “ブッフバルト”. j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=1813 8 April 2020閲覧。 
  9. ^ サッカーストライカー 1996年12月号 p.13
  10. ^ “1997Jリーグ 1stステージ 第11節第1日”. j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=2948 8 April 2020閲覧。 
  11. ^ “1997Jリーグ 2ndステージ 第17節第1日”. j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=3133 8 April 2020閲覧。 
  12. ^ Sports Graphic Number 2019年3月14日号 973号 文藝春秋社 Jリーグ最強外国人は誰だ 1993-2019 p12-13
  13. ^ “Guido Buchwald”. kicker.de. https://www.kicker.de/guido-buchwald-9090/spieler 8 April 2020閲覧。 
  14. ^ “Guido Buchwald”. worldfootball.net. https://www.worldfootball.net/player_summary/guido-buchwald/wm/4/ 8 April 2020閲覧。 
  15. ^ “Germany-Netherlands Jun24 1990 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/928074 8 April 2020閲覧。 
  16. ^ European Footballer of the Year ("Ballon d'Or") 1990”. RSSSF. 2023年2月10日閲覧。
  17. ^ “Germany-Luxembourg December 18 1991 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/2243590 8 April 2020閲覧。 
  18. ^ “South Korea-Germany jun 17 1994 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/936143 8 April 2020閲覧。 
  19. ^ “Bulgaria-Germany Quarter-Finals 1994 Match sheet”. transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/936189 8 April 2020閲覧。 
  20. ^ “2006Jリーグ優勝パレード&報告セレモニー、その1”. .urawa-reds.co.jp. (June 30 2019). http://www.urawa-reds.co.jp/topteamtopics/2006jリーグ優勝パレード報告セレモニー、その%EF%BC%91/ 8 April 2020閲覧。 
  21. ^ ◆ブッフバルト氏とのアドバイザー契約にも失敗…(2008年12月8日付スポーツ報知、同日閲覧)
  22. ^ “反フィンケ”ギドはアドバイザー拒否(2008年12月8日付スポーツニッポン)
  23. ^ ブッフバルト氏、浦和に激怒!「フィンケ監督適任でない」(2008年12月6日付スポーツ報知)
  24. ^ 【浦和】ブッフバルト氏が駒場に登場(日刊スポーツ 2012年7月15日)
  25. ^ 日本、元浦和監督ブッフバルト入閣も クリンスマン氏のサポート役に”. sponichi.co.jp (2018年7月15日). 2022年12月6日閲覧。
  26. ^ “ジーコ、ギド ブッフバルト、ドゥンガ、洪 明甫の4氏が、Jリーググローバルアンバサダーに就任”. jleague.jp. (June 30 2019). https://www.jleague.jp/news/article/14850/ 8 April 2020閲覧。 
  27. ^ サッカーストライカー 1994年10月1日号 ブッフバルトインタビュー P.85
  28. ^ ギド・ブッフバルト - National-Football-Teams.com

関連項目

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外部リンク

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