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マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マグノ・アウベス
名前
本名 マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ
Magno Alves de Araújo
愛称 マグノ、サンバ特急
ラテン文字 MAGNO ALVES
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1976-01-13) 1976年1月13日(48歳)
出身地 アポラーポルトガル語版
身長 176cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995 ブラジルの旗 ラトランスポルトガル語版 4 (6)
1995-1996 ブラジルの旗 ヴァリーニョスポルトガル語版 10 (5)
1996-1997 ブラジルの旗 インデペンデンテポルトガル語版 11 (11)
1997 ブラジルの旗 アラサトゥバ 14 (8)
1997 ブラジルの旗 クリシューマ 15 (8)
1998-2002 ブラジルの旗 フルミネンセ 265 (114)
2003 大韓民国の旗 全北現代モータース 44 (27)
2004-2005 日本の旗 大分トリニータ 62 (29)
2006-2007 日本の旗 ガンバ大阪 53 (36)
2007-2008 サウジアラビアの旗 アル・イテハド 20 (14)
2008-2010 カタールの旗 ウム・サラル 47 (36)
2010 ブラジルの旗 セアラー 21 (9)
2011 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 51 (18)
2012 カタールの旗 ウム・サラル 11 (6)
2012 ブラジルの旗 スポルチ 4 (2)
2012-2015 ブラジルの旗 セアラー 156 (84)
2015-2016 ブラジルの旗 フルミネンセ 65 (11)
2017-2018 ブラジルの旗 セアラー 43 (10)
2018 ブラジルの旗 グレミオ・ノヴォリゾンチーノ 7 (0)
2018 ブラジルの旗 トゥバロン 8 (1)
2018-2019 ブラジルの旗 フロレスタ英語版 8 (3)
2020 ブラジルの旗 アラゴイニャス英語版
2020 ブラジルの旗 Barcelona de Ilhéus
2020-2021 ブラジルの旗 カウカイア
通算 919 (438)
代表歴
2001 ブラジルの旗 ブラジル 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ

マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ(Magno Alves de Araújo、1976年1月13日 - )は、ブラジルバイーア州出身で元同国代表の元プロサッカー選手。現役時代のポジションフォワード

Kリーグ時代の登録名はマグノハングル: 마그노)[1]Jリーグ時代の登録名はマグノ・アウベス[2]

経歴

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地元のハトランスを経て、1995年サンパウロ州のヴァリーニョスでプロ選手となる。プロ入り当時のポジションは右サイドミッドフィールダーだった。

1998年より在籍したフルミネンセFCでは、2000年ブラジル全国選手権で20ゴールを挙げて得点王となり、プラカール誌のボーラ・ジ・プラッタ(ベストイレブン)にも選出された[3]。2002年にはロマーリオと2トップを組み注目を集め、リオデジャネイロ州選手権で優勝した。2001年ブラジル代表に選ばれ、FIFAコンフェデレーションズカップで3試合に出場。

2003年、初の海外移籍となる全北現代モータースへと移籍。得点ランキング2位となる27得点を記録し「サンバ特急」の異名をとった[4]

2004年大分トリニータへ移籍し、開幕戦となった3月13日の柏レイソル戦で初出場、初ゴールを決めた[5]。年間11得点を記録。2年目の2005年は18得点を記録し、チームの中心として貢献した。

2006年、2年間所属した大分の財政難もあり、ガンバ大阪に完全移籍。AFCチャンピオンズリーグにおいて、チームはGL敗退となったが、8得点を記録し得点王。Jリーグにおいても、3月12日セレッソ大阪戦、11月26日の京都サンガFC戦とシーズン中2度ハットトリックを決めるなど[6]、26得点を挙げ得点王に輝いた。入れ替わりに移籍し、前年の得点王だったアラウージョとプレースタイルは違うものの、ストライカーとして活躍した。

2007年も序盤はエースストライカーとして活躍も、故障が重なり満足な成績を上げられずにいた。そんな中、シーズン終盤の11月21日から練習を無断欠席してサウジアラビアに渡り、サウジ・リーグアル・イテハドと仮契約を結んでいたことが判明 [1]。契約違反であるとして、同月23日付けで制裁金を課された上でG大阪を解雇された。

移籍先のアル・イテハドではシーズン途中での選手登録であるにもかかわらず、サウジ・リーグアル・ナスル戦(2008年1月3日)での1試合4得点を含むリーグ9位タイとなる通算9得点(カップ戦を含めば10得点)を挙げるなど、エースストライカーとして活躍した。しかしイスラームの厳しい戒律に耐えられず、2008年6月にカタールウム・サラルSCにわずか半年で移籍した。

ウム・サラルでも攻撃の中心選手として活躍し、2008-09シーズンのカタールリーグで得点王を獲得した。

人物・エピソード

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  • 2002年、リオデジャネイロ州選手権のサンタ・クルス戦では1試合で5ゴールを挙げている。
  • 大分トリニータ時代、チームスポンサーでもあったレストラン・ジョイフルの大分市内の店舗へたびたび家族で食事に訪れていた。好きなメニューは「みぞれチキンステーキ」で、いつも決まって注文しているのをサポーターなどに頻繁に目撃されていた。
  • 2004年のオフシーズンの移籍騒動で、サポーターが練習場に残留を求める横断幕を掲げた。感動したマグノは、自宅で妻と去就を相談する際に涙したという。年末、「残留するなら、それはサポーターの為だ」との言葉を残し帰国。結局翌2005年も大分でプレーした。
  • 2005年J1リーグ第23節浦和レッズ戦、厳しい残留争いをする中、自らのゴールで1ヶ月ぶりの勝利をもたらす。その後インタビューで「浦和という強いチームに勝てた。まだトリニータは死んでいない。これからと言いたい」とコメントした。これは、いまだに大分サポーターに語り継がれている。 
  • ガンバ大阪に移籍後、前年得点王のアラウージョと比較されていることに対して「彼は過去のこと」と発言したり、チームメイトとなった播戸竜二は「マグノには、(播戸が)10点取るまで全く相手にしてもらえなかった」と語るなど、ストライカーとしてのプライドをうかがわせるエピソードも多い。
  • 敬虔なクリスチャンとして知られている。一方で激しい闘争心の持ち主でもあり、2006年J1リーグ第3節で古巣大分戦で1-3で敗れた際は、試合後同僚のフェルナンジーニョにつかみ掛かっている。
  • 2006年のJ1リーグ得点王を分け合った浦和レッズのワシントンとは2001年コンフェデレーションズカップセレソンの2トップを組んだ間柄だった(ワシントンからは「スピードがあり、上手い」と賞賛されている)。
  • 清水エスパルスからは2004年(大分トリニータ)、2007年(ガンバ大阪)、2008年(アル・イテハド)と3度オファーを受けたが、全て断っている。
  • ウム・サラル会長でカタール王族のファイサル・ビン・ハマドからは「マグノがいなければチームは勝てない。引退するまでうちでプレーして欲しい」と絶大な信頼を寄せられていた。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1994 ラトランス
1995
1995 ヴァリーニョス
1996
1996 インデペンデンテ
1997
1997 アラサトゥバ
1997 クリシューマ セリエB 15 8
1998 フルミネンセ
1999 セリエC
2000 セリエA 23 19
2001 26 7
2002 23 10
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2003 全北現代 9 Kリーグ 44 27
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004 大分 10 J1 29 11 6 1 2 2 37 14
2005 33 18 3 0 2 2 38 20
2006 G大阪 9 31 26 2 0 5 3 38 29
2007 22 10 7 2 0 0 29 12
サウジアラビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2007-08 アル・イテハド 9 SPL 20 14
カタール リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2008-09 ウム・サラル 9 QSL 27 25
2009-10 20 11
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2010 セアラー セリエA 21 9 -
2011 アトレチコ-MG 4 1 -
通算 ブラジル
韓国 Kリーグ 44 27
日本 J1 115 65 18 3 9 7 142 75
サウジアラビア SPL 12 9
カタール QSL 47 36
総通算
出場歴
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2006 G大阪 9 6 8
2008 アル・イテハド 3 2
2009 ウム・サラル 10 2
通算 AFC 19 12

その他の国際公式戦

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 3試合(2001年)[7]


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
2001 3 0
通算 3 0

タイトル

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クラブ

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フルミネンセ
全北現代モータース
ガンバ大阪
アル・イテハド
セアラー

個人

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その他

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出典

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  1. ^ 마그노”. K League. 2023年11月6日閲覧。
  2. ^ マグノ アウベス”. J.League. 2023年11月6日閲覧。
  3. ^ FUNDAÇÃO MAGNO ALVES É INAUGURADA EM APORÁ”. Federação Baiana de Futebol (2007年1月16日). 2007年6月27日閲覧。
  4. ^ 大分、逆転でホーム開幕飾った!”. nikkansports.com (2004年3月21日). 2007年6月27日閲覧。
  5. ^ “マグノ アウベス”. j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7727 17 April 2020閲覧。 
  6. ^ Jリーグ ハットトリック一覧”. data.j-league. 21 April 2020閲覧。
  7. ^ マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ - National-Football-Teams.com

関連項目

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外部リンク

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