宝とも子
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宝 とも子(たから ともこ、本名:追風 八代子(おいがぜ やえこ)、1921年9月23日 - 2001年8月2日[1])は、広島県福山市出身のラテン歌手。宝塚音楽歌劇学校卒業。宝塚時代の芸名は寶登茂子である。
略歴
[編集]1934年、13歳で宝塚少女歌劇団に入団。その後、声楽専科に所属。24期生。オルガ・カラスロワに師事してクラシックを学んだ。戦時中は宝塚慰問隊の一員としてハルビンを巡業した。月組スターとして活躍。
10年在籍後、1945年宝塚を退団。退団後はNHKラジオ大阪の歌謡歌手として関西を中心に活躍し『ラジオ歌謡』などに出演した他、『宝とも子アワー』などの番組を持った。東京キューバン・ボーイズのバンドマスター・見砂直照に認められ脚光を浴び、1954年2月、日本ビクターより「白樺の雨~星屑のタンゴ」でレコードデビュー。これを機に東京に進出し同年4月『セ・シ・ボン』を発表、「歌い方がセクシー過ぎる」と投書が相次ぎ発禁処分となったが、曲は大ヒットし一躍その名を轟かせた。
1955年からNHK紅白歌合戦にも4度出場、ラテンの女王と謳われた。
1958年、中南米に渡り修行を積みブラジルなどのテレビやクラブに出演。帰国後1965年、宝塚の同期生池真理子らと日本ラテン音楽協会を創設、代表としてラテン音楽の普及など多くの功績を残した。
1970年代半ばに金沢の北陸放送で「日本列島ここが真ん中」というお昼のラジオ番組のレギュラーゲストを務めた。月1、2回程度の出演で台本・原稿なしで金沢の街を3時間余り、街の人たちと喋りながら、たまに歌ったりして歩くというものだった。
テレビ番組
[編集]ラジオ番組
[編集]- 日本列島ここが真ん中(1974年~1976年頃?、北陸放送)
NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 | 備考 |
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1955年(昭和30年)/第6回 | インディアン・ラブコール | 浜口庫之助 | |
1956年(昭和31年)/第7回 | セ・シ・ボン | 高英男 | |
1959年(昭和34年)/第10回 | シェリト・リンド | ダークダックス | 「ヴォーカル・トリオ」として出場、有明ユリ・藤崎世津子と共演 |
1960年(昭和35年)/第11回 | カチート | 笈田敏夫 |
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- セ・シ・ボン~“ラテンの歌姫
- 日本の流行歌スターたち46 宝とも子 セ・シ・ボン~カチート(ビクターオンラインストア ページ)
- 宝塚卒業生<伝説の歌声>(Disc1 戦前篇) ビクターエンタテインメント
- 宝とも子アーティストページ Spotify
- 宝とも子 YouTube(トピック)
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歴代主演男役・主演娘役・組長・副組長の'・・'は先代次代関係なし、'-'は先代次代関係あり。◎マークは現在宝塚歌劇団に在籍している演出家。 カテゴリ |
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