篠原淺茅
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篠原 淺茅(しのはら あさじ、本名:淺野靜子[1]、1898年(明治31年)10月30日[2] - 没年不明)は元宝塚少女歌劇団主演娘役クラスの人物である。大阪府大阪市出身[2]。特技はソプラノ[1]。妹は宝塚歌劇団10期生の原幹子。
1919年頃には、雲井浪子・高峰妙子・高砂松子らと共に、『寳塚四天王』として人気の中心にいた[3]。
淺茅生の 小野の篠原 忍ぶれど 餘りて何どか 人の戀しき(あさぢふの をのゝ しのはら しのぶれど あまりてなどか ひとのこひしき)
より命名された。
略歴
[編集]宝塚少女歌劇団時代の主な出演
[編集]- 『平和の女神』(1915年3月31日 - 5月23日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『舌切雀』『御田植』(1915年7月31日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『霞の衣』『竹取物語』(1916年3月19日 - 5月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『夕陽ケ丘』(1916年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『中將姫』(1916年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『笑の國』『歌かるた』(1917年1月1日 - 1月10日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『花爭』(1917年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『桃色鸚鵡』『リザール博士』(1917年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『下界』『ゴザムの市民』『屋島物語』((1917年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『新世帶』『靜御前』(1918年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『造物主』『クレオパトラ』(1918年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『馬の王様』『靑葉の笛』『お蠶祭』(1918年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『鞍馬天狗』『啞女房』(1919年1月1日 - 1月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『千手の前』『家庭敎師』(1919年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『源氏物語』『世界漫遊』(1919年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『燈籠嶋』『ジヤンヌ・ダルク』『女醫者』(1919年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『餘吾天人』(1920年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『思ひ出』『毒の花園』『酒の行兼』(1920年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『八犬傳』『正直者』(1920年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『お夏笠物狂』『小野小町』『月光曲』(1920年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『岩戶開』『アラビアンナイト』(1921年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『王女ニーナ』『筑摩神事』(第一部)(1921年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『希臘神話パンドーラ』『田樂男』(第一部)(1921年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
出典
[編集]- ^ a b 藤山宗利『日本歌劇俳優写真名鑑』歌舞雑誌社、1920年8月16日、147頁。doi:10.11501/914937。
- ^ a b 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日、96頁。doi:10.11501/906129。
- ^ 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日、104頁。doi:10.11501/906129。
- ^ 90年史 2004, p. 179.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 6.
参考文献
[編集]- 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。