「河村建夫」の版間の差分
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2009年(平成21年)[[1月]]、河村の[[資金管理団体]]「建友会」が、勤務するスタッフに対する[[労働保険]]に未加入であった<ref name=inagakiakiyamanakamura20090126>[http://web.archive.org/web/20090129180550/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090126k0000m040111000c.html 労働保険:5閣僚事務所が未加入 強制知らず秘書分など] - 毎日jp(毎日新聞) [[毎日新聞社]]、[[2009年]][[1月26日]]。(2009年1月29日時点の[[インターネット |
2009年(平成21年)[[1月]]、河村の[[資金管理団体]]「建友会」が、勤務するスタッフに対する[[労働保険]]に未加入であった<ref name=inagakiakiyamanakamura20090126>[http://web.archive.org/web/20090129180550/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090126k0000m040111000c.html 労働保険:5閣僚事務所が未加入 強制知らず秘書分など] - 毎日jp(毎日新聞) [[毎日新聞社]]、[[2009年]][[1月26日]]。(2009年1月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 |
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労働保険の中でも[[労働者災害補償保険]]は、[[雇用]]者がいれば加入義務があると[[労働者災害補償保険法]]により定められており、2004年(平成16年)12月頃、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]本部は「建友会」に対し[[社会保険]]や労働保険に適切に加入するよう指導したが、「建友会」では放置されていた<ref name="mainiti20090126">[http://web.archive.org/web/20090215104306/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090126k0000e040056000c.html 労働保険未加入:自民本部の指示を放置] - 毎日jp(毎日新聞) [[毎日新聞社]]、[[2009年]][[1月26日]]。(2009年2月15日時点の[[インターネット |
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=== 内閣官房機密費 === |
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[[第45回衆議院議員総選挙]]で自民党が敗北、下野が確定した直後の2009年(平成21年)9月1日([[麻生内閣]]退陣の2週間前)、[[内閣官房]][[報償費]]から月単位で通常の5倍に当たる2億5千万円を引き出していたことが判明した。[[大阪]]の[[市民団体]]「公金の違法な使用をただす会」から[[背任罪]]・[[詐欺罪]]で[[告発]]されている<ref>[http://web.archive.org/web/20100121082042/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100118dde041010071000c.html 官房機密費:河村・前官房長官引き出し 市民団体が告発状「詐欺か背任」] 毎日.jp 2010年1月18日(2010年1月21日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>(2011年10月に[[不起訴処分]])他、「政治資金オンブズマン」からも使用目的を開示するよう[[情報公開]]を申し立てられた(不開示となったため取り消し[[提訴]]に発展している)<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100107k0000m040096000c.html 官房機密費:麻生政権時の使途公開を 大阪の市民団体提訴] 毎日.jp 、2010年1月7日{{リンク切れ|date=2013年1月}}</ref>。 |
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== 発言 == |
== 発言 == |
2017年9月5日 (火) 02:49時点における版
河村 建夫 かわむら たけお | |
---|---|
生年月日 | 1942年11月10日(82歳) |
出生地 |
山口県阿武郡三見村 (現・萩市) |
出身校 | 慶應義塾大学商学部 |
前職 | 西部石油社員 |
現職 | 自由民主党地方創生実行統合本部長 |
所属政党 | 自由民主党(二階派) |
称号 | 学士(商学) |
親族 |
父・河村定一(県議会議員) 弟・田中文夫(県議会議員) |
公式サイト | 河村建夫 衆議院議員(山口第3区)オフィシャルサイト |
第76代 内閣官房長官 | |
内閣 | 麻生内閣 |
在任期間 | 2008年9月24日 - 2009年9月16日 |
第3-4代 文部科学大臣 | |
内閣 |
第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 |
在任期間 | 2003年9月22日 - 2004年9月27日 |
衆議院議員 | |
選挙区 |
(旧山口1区→) 山口3区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 1990年2月19日 - 現職 |
山口県議会議員 | |
選挙区 | 萩市選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1976年 - 1990年 |
河村 建夫(かわむら たけお、1942年〈昭和17年〉11月10日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)。
山口県議会議員(4期)、自民党選挙対策委員長(第2代)、文部科学大臣(第3・4代)、内閣官房長官(第76代)、拉致問題担当大臣、衆議院予算委員長、議院運営委員長等を歴任。
父は、元山口県議会議員の河村定一。母は、萩女子短期大学名誉学長の河村とし子。実弟の田中文夫は、山口県議会議員。
来歴
1942年の山口県阿武郡三見村(現・萩市)に生まれる。山口県立萩高等学校を経て、慶應義塾大学商学部を卒業する。
1976年(昭和51年)、父・河村定一の死去に伴う山口県議会議員補欠選挙(萩市選挙区)に自由民主党公認で出馬し、初当選を果たした。以後4回連続当選する。
1990年(平成2年)、引退する田中龍夫の後継で第39回衆議院議員総選挙に旧山口1区(定数4)から自民党公認で出馬し、当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・村田吉隆・簗瀬進・山本有二など)。以後9回連続当選。
1998年(平成10年)、所属していた三塚派内で森喜朗、亀井静香の主導権争いが先鋭化。亀井の離脱に伴い河村、中川昭一、平沼赳夫ら亀井グループが三塚派を退会し、伊吹文明・佐藤静雄らが属す中曽根派と合体して志帥会を結成した。
2001年(平成13年)、第2次森改造内閣で初代文部科学副大臣に就任。
第1次小泉内閣発足によりいったん退任するが、第1次小泉改造内閣で再度、文部科学副大臣に任命された。
第1次小泉再改造内閣では文部科学大臣に昇格して初入閣し、第2次小泉内閣まで務める。
2006年(平成18年)、同じ伊吹派所属の中川昭一政務調査会長の下、政調会長代理に任命された。
翌2007年(平成19年)、党広報本部長に就任。
2008年(平成20年)、麻生内閣で内閣官房長官に任命され、2度目の入閣する。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、内閣官房長官の要職にあり、また全国的に自民党に猛烈な逆風が吹き荒れたが、対立候補に比例復活すら許さず、早々に7選を決めた。総選挙後、衆議院懲罰委員長に就任。
2010年(平成22年)、自民党選挙対策局長に就任。
2012年(平成24年)、自民党選挙対策局長が自民党選挙対策委員長に移行し、続投する形で就任。
2014年(平成26年)、二階派会長の二階俊博が自民党総務会長就任に伴い、同派会長を退任。会長職は空席となり、会長代行の河村が同派の事実上の代表となる。
2015年(平成27年)4月、衆議院予算委員長大島理森の衆議院議長就任により、後任の予算委員長に就任。
2016年(平成28年)1月、衆議院議院運営委員長に就任(同年10月に退任。)。
政策・主張
表現規制推進
「ホラー映画などを社会から除去する事が少年犯罪問題の対症療法」という趣旨の発言を国会でしている[1]。
選択的夫婦別姓制度推進
2002年(平成14年)7月には、「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」の会長代理を務め、家裁許可制の選択的夫婦別姓法案の成立を目指した。
一方、2014年の調査では、選択的夫婦別姓制度導入について、「どちらとも言えない」としている[2]。
外国人参政権推進
2007年(平成19年)11月8日に開催された、在日本大韓民国民団が主催する「永住外国人地方参政権の早期立法化を!」と訴える全国決起大会に国会会期中にもかかわらず参加し、「この問題に取り組んでいきたいのでここに来ました。私ども日韓議員連盟の合同総会では、やろうと決議していて、要望書をきちんと福田康夫総裁に渡し実現へ全力をあげることを強く求めていく。」と宣言した[3]。
「在日韓国人の地方参政権問題は日本社会の成熟度を示すものだ[4]」と推進を進めており、「日本は島国ということもあって国際化が遅れており、外国人に対する基本的なスタンスが定まっていない。旧世代には表現しがたい抵抗感がある。人権や反差別に対する教育が弱いのも原因になっている」と在日韓国人の地方参政権を付与することに慎重な日本国民を批判している[4]。
人権擁護法案反対
人権擁護法案には反対の立場を取る。2005年(平成19年)に結成された、人権擁護法案の国会提出に反対する議員連盟「真の人権擁護を考える懇談会」では副会長を務める。
歴史教科書
『民団新聞』によると、文部科学大臣在任中の2004年(平成16年)6月14日、新しい歴史教科書をつくる会作成の教科書について、つくる会のシンポジウムにて「新しい定型によって新しい教科書が出て参ったことを、私は前進だと思います[5]」と発言した。
朝鮮通信使
朝鮮通信使が訪れた縁故地における日朝・日韓の相互交流、相互友好親善促進を目的とする朝鮮通信使交流議員の会の会長を務め、江戸天下祭に参加した際には「江戸天下祭が盛り上がったのはひとえに朝鮮通信使のおかげ」としている[6]。
慰安婦問題
2014年(平成26年)3月14日、日韓議員連盟を代表して韓国の国会を訪問し、与党セヌリ党党首の黄祐呂と面談。慰安婦問題の解決策に向けて取り組んでいくとともに、その他の比較的容易な懸案から解決方法を模索していくことで一致したと報じられた[7]。
主な所属団体・議員連盟
- 北京オリンピックを支援する議員の会(副幹事長)
- 真の人権擁護を考える懇談会(副会長)
- 親学推進議員連盟(副会長)
- 日朝友好議員連盟
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
- 例外的に夫婦の別姓を実現させる会(会長代理)
- 自由民主党朝鮮半島問題小委員会(副委員長)
- 音楽議員連盟
- 海事振興連盟
- 日中友好議員連盟
- 日カザフスタン友好議員連盟(会長)
- 日韓議員連盟(幹事長)
- 朝鮮通信使交流議員の会(会長)
- 日韓国交40周年国際学術会議」(運営委員長)
- 日本・中国・韓国子ども童話交流の実行委員会事務総長
政治資金
- 2008年(平成20年)9月24日、行政指導を受けている7企業(旧日本道路公団発注の橋工事の談合事件に関連していたピーエス三菱など)から、410万円の献金を受けていた。河村の事務所側は「寄付を受けた当時は十分チェックしていなかった。調べて問題があれば返還する」 としている[9]。
事務所費
2008年(平成20年)10月1日、河村の3つの政治団体が2007年までの3年間に、元公設秘書の自宅マンション(東京都千代田区)を事務所として届け出て、事務所費など計約2200万円の経費を計上していた。3団体は2008年3月に解散している。河村の事務所側は「事務所としての使用実態はあったが、誤解を受ける恐れがあると判断し解散した」と説明している[10][11]。
不祥事
労働保険未加入
2009年(平成21年)1月、河村の資金管理団体「建友会」が、勤務するスタッフに対する労働保険に未加入であった[12]。
労働保険の中でも労働者災害補償保険は、雇用者がいれば加入義務があると労働者災害補償保険法により定められており、2004年(平成16年)12月頃、自由民主党本部は「建友会」に対し社会保険や労働保険に適切に加入するよう指導したが、「建友会」では放置されていた[13]。2009年(平成21年)1月26日、河村は内閣官房長官として記者会見し、「労働問題が大きな社会問題となっており、私も含め閣僚は関係法令について厳正に対応しないといけない」[13]と謝罪し、「建友会」も今後は労働保険に加入する意向を示している[12]。
内閣官房機密費
第45回衆議院議員総選挙で自民党が敗北、下野が確定した直後の2009年(平成21年)9月1日(麻生内閣退陣の2週間前)、内閣官房報償費から月単位で通常の5倍に当たる2億5千万円を引き出していたことが判明した。大阪の市民団体「公金の違法な使用をただす会」から背任罪・詐欺罪で告発されている[14](2011年10月に不起訴処分)他、「政治資金オンブズマン」からも使用目的を開示するよう情報公開を申し立てられた(不開示となったため取り消し提訴に発展している)[15]。
発言
2009年(平成21年)6月17日の記者会見において、内閣総理大臣の麻生太郎と民主党代表の鳩山由紀夫との間で行われた党首討論について言及した。鳩山の自殺対策の意見について、河村は「お涙ちょうだいの議論を行うゆとりは無いのでは」と発言した。自殺対策に取り組んでいる各地のNPOから発言の真意を問う声が相次ぎ、河村はこれを受け陳謝した[16]。当時の河村は自殺総合対策会議会長を兼任しており、政府が推進する自殺対策の最高責任者であった。
2009年(平成21年)8月8日に宇部市で行った記者会見で、女優の酒井法子に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状が出された(同日夜に逮捕)件に関し「芸能界では薬物汚染の問題が指摘されている。徹底的に解明してもらいたい」と、閣僚としての立場から事件についてコメントしている[17]。
2012年(平成24年)7月18日に新潟市で開かれた次期衆院選の同党候補の会合で講演し、「景気対策をどうするか、民主党政権は手つかずの状況で、日本の経済力に黄信号がともっている。その天誅(てんちゅう)が、まさに3・11の(東日本)大震災だった」と述べたが、講演後に釈明した[18]。
2017年(平成29年)6月22日、豊田真由子衆院議員が自身の政策秘書に暴力行為をおこなったと報じられたことについて、「かわいそうだ。男性の衆院議員なら、あんなのはいっぱいいる。気持ちは分かる」と述べ、擁護した[19]。その後、自身のFacebookで発言を撤回し釈明した[20]。
脚注
- ^ 衆議院会議録情報 第140回国会 文教委員会 第21号 第21号 平成9年7月10日
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ <11・7決起大会特集>各激励辞 「参政権」付与は当然 民団新聞2007年11月14日
- ^ a b 永住外国人の地方参政権 日本各界に聞く<3> 衆議院議員・河村建夫さん(自民) 民団新聞1998年9月9日
- ^ “<Special Wide>韓日友好の熱気凍らせない(04.7.14)”. 民団新聞 (2004年7月14日). 2011年11月26日閲覧。
- ^ 朝鮮通信使400周年 「江戸天下祭」彩る 再現行列に歓声、拍手 民団新聞2007年10月10日
- ^ 韓日修復へ布石となるか…朴・安倍両首脳初の公式会談 民団新聞 2014年3月26日
- ^ http://kamimoto-mieko.net/wordpress/wp-content/uploads/2015/03/6c8624497ac0f7a469717ae059db29b3.pdf
- ^ 2008年9月25日 読売新聞
- ^ 事務所費:河村官房長官政治団体、元秘書使用住居で計上 毎日新聞2008年10月1日(2008年10月2日時点のアーカイブ)
- ^ 河村官房長官に事務所費疑惑 元秘書宅 3政治団体が計上 しんぶん赤旗2008年10月3日
- ^ a b 労働保険:5閣僚事務所が未加入 強制知らず秘書分など - 毎日jp(毎日新聞) 毎日新聞社、2009年1月26日。(2009年1月29日時点のアーカイブ)
- ^ a b 労働保険未加入:自民本部の指示を放置 - 毎日jp(毎日新聞) 毎日新聞社、2009年1月26日。(2009年2月15日時点のアーカイブ)
- ^ 官房機密費:河村・前官房長官引き出し 市民団体が告発状「詐欺か背任」 毎日.jp 2010年1月18日(2010年1月21日時点のアーカイブ)
- ^ 官房機密費:麻生政権時の使途公開を 大阪の市民団体提訴 毎日.jp 、2010年1月7日[リンク切れ]
- ^ 河村官房長官:自殺対策の「お涙ちょうだい」発言で陳謝 毎日新聞 2009年7月11日[リンク切れ]
- ^ 若者の覚せい剤対策強化=河村官房長官 時事通信 2009年8月8日[リンク切れ]
- ^ “自民・河村氏「大震災は天誅」…その後、釈明”. 読売新聞. (2012年7月18日) 2012年7月21日閲覧。
- ^ 河村建夫元官房長官から仰天の擁護論が飛び出した!? 「気持ちは分かる」「男性なら、あんなのはいっぱいいる」 産経新聞 2017年6月22日
- ^ “「男性議員ならあんなのいっぱいいる」 自民・河村氏が擁護も後に撤回”. 東京新聞社. (2017年6月23日) 2017年6月25日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 河村建夫 衆議院議員(山口第3区)オフィシャルサイト - 公式サイト
- 親指の独り言 - 公式ブログ
- 河村建夫 (@takeokawamura) - X(旧Twitter)
- 河村建夫 (takeo.kawmaura) - Facebook
- 衆議院議員河村建夫"T's PARK" (tspark.net) - Facebook
- ほぼ日刊イトイ新聞「食と育。」 糸井重里との対談
議会 | ||
---|---|---|
先代 林幹雄 |
衆議院議院運営委員長 第78代:2016年 |
次代 佐藤勉 |
先代 大島理森 |
衆議院予算委員長 2015年 - 2016年 |
次代 竹下亘 |
先代 野田佳彦 |
衆議院懲罰委員長 2009年 - 2010年 |
次代 山本有二 |
先代 高市早苗 |
衆議院文部科学委員長 2002年 |
次代 古屋圭司 |
公職 | ||
先代 町村信孝 |
内閣官房長官 第76代:2008年 - 2009年 |
次代 平野博文 |
先代 遠山敦子 |
文部科学大臣 第3・4代:2003年 - 2004年 |
次代 中山成彬 |
先代 創設 青山丘・岸田文雄 |
文部科学副大臣 2001年 2002年 - 2003年 |
次代 青山丘・岸田文雄 原田義昭・宮本一三 |
党職 | ||
先代 細田博之(代行) |
自由民主党選挙対策委員長 第2代:2012年 - 2014年 |
次代 茂木敏充 |
先代 二階俊博 |
志帥会会長 代行 中曽根弘文と共同 2014年 - |
次代 現職 |