北條秀一
北條 秀一(北条、ほうじょう しゅういち / ひでいち[1]、1904年(明治37年)5月31日[2] - 1992年(平成4年)8月23日[3])は、日本の実業家、政治家、郷土史家。引揚者団体全国連合会理事長、参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)、日本国有鉄道顧問。
人物
[編集]兵庫県城崎郡竹野村(現豊岡市竹野町竹野)の宮大工の家に生まれる。竹野小学校を経て、1924年神戸商業学校を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)予科に入学。大学では自治組織の一橋会総務理事を務めたが、1929年に大山郁夫へ献金を行ったとして逮捕された。1930年大学卒業[2]。同年南満洲鉄道に入社。1932年、満鉄調査部経済調査会に配属される。参与兼総務課長を経て、理事に就任。
1945年の日本の降伏後は引揚者団体全国連合会を設立し、理事長として引揚者支援にあたる。その後1947年の第1回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補して当選する[4]。のちに緑風会に入る。1950年の第2回参議院議員通常選挙で落選[5]。1955年の第27回衆議院議員総選挙において東京7区から日本社会党(右派)公認で立候補したが落選[6]。1958年の第28回衆議院議員総選挙で当選[6]。引揚者への救済資金給付を実現した。その後、民主社会党に移り、1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選[6]。1963年と1967年に続けて立候補したが落選した[6]。
1974年に帰郷し、『竹野郷外史』の出版や、竹野小学校支援に従事。1979年秋の叙勲で勲三等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)[7]。1992年8月23日死去、88歳。死没日をもって正五位に叙される[8]。竹野小学校に碑が残る[9][10][11]。このほか香住小型運送(株)代表取締役を務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。