1913年の相撲
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1913年の相撲(1913ねんのすもう)は、1913年の相撲関係のできごとについて述べる。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[1]
- 1月場所(大阪相撲)[2]
- 興行場所:難波新川土橋西詰
- 1月12日より晴天10日間興行
- 2月場所(東京大阪合併相撲)[3]
- 興行場所:両国国技館
- 2月21日より10日間興行
- 3月場所(東京大阪合併相撲)[4]
- 興行場所:新世界
- 3月7日より10日間興行
- 3月場所(東京大阪合併相撲)[4]
- 興行場所:名古屋市南堀町
- 3月18日より7日間興行
- 5月場所(大阪相撲)[5]
- 興行場所:新世界
- 晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[6]
その他相撲披露
[編集]- 10月11日 - 熊本において、13代吉田追風の300年祭が執り行われた[7]。
誕生
[編集]- 1月28日 - 神東山忠也(最高位:前頭4枚目、所属:春日野部屋、+ 1983年【昭和58年】)[8]
- 2月4日 - 青葉山徳雄(最高位:前頭4枚目、所属:陣幕部屋→小野川部屋→陣幕部屋、+ 1972年【昭和47年】)[9]
- 2月15日 - 雲仙嶽光徳(最高位:十両3枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 3月11日 - 小松山貞造(最高位:前頭3枚目、所属:井筒部屋→双葉山道場、+ 1972年【昭和47年】)[10]
- 5月15日 - 九ヶ錦坦平(最高位:前頭3枚目、所属:井筒部屋→九重部屋→朝日山部屋、+ 1976年【昭和51年】)[10]
- 6月1日 - 陸奥ノ洋光司(最高位:十両14枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 8月26日 - 若潮芳雄(最高位:前頭6枚目、所属:陸奥部屋、+ 1991年【平成3年】)[11]
- 10月20日 - 九州山義雄(最高位:小結、所属:出羽海部屋、+ 1990年【平成2年】)[12]
- 11月30日 - 矢筈山剛志(最高位:十両3枚目、所属:友綱部屋、+ 没年不明)
- 12月1日 - 葦葉山七兵衛(最高位:前頭12枚目、所属:井筒部屋→双葉山道場、+ 1962年【昭和37年】)[13]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, pp. 259–262.
- ^ 酒井, p. 262.
- ^ 酒井, pp. 262–263.
- ^ a b 酒井, p. 263.
- ^ 酒井, pp. 266–267.
- ^ 酒井, pp. 263–266.
- ^ 酒井, p. 267.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 92頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 89頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 95頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 100頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 82頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 105頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。