矢筈山剛志
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矢筈山 剛志(やはずやま つよし、1913年11月30日[1] - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。友綱部屋所属[1]。本名は小野 直憲[1]。最高位は十両3枚目[1]。
経歴
[編集]高知県高岡郡大桐村(現越知町)出身[1]。土地相撲で活躍し、同郷の友綱(元小結矢筈山登)からスカウトされ、友綱部屋に入門する。1932年2月に「友錦」の四股名で初土俵を踏む[2]。1936年5月十両昇進、四股名を師匠と同じ「矢筈山」と改める。新十両の場所は4勝7敗と負け越し、幕下に落ちる。1939年5月再十両、翌年応召される。1941年1月に復帰、1943年1月で負け越し、幕下に落ちた。翌5月限りで廃業した[2]。廃業後は再び兵役に就いた。終戦後は故郷に帰り、農業に従事したり、病院に勤務した。
改名
[編集]友錦→矢筈山[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年