1988年の相撲
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1988年の相撲(1988ねんのすもう)は、1988年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、前年10月の式守伊三郎死去に伴い、1席空席となっていた三役格行司に、幕内格行司式守勘太夫が昇格。1月場所8日目、当時の皇太子一家観戦。協会役員改選で新理事長に二子山を互選。
- 2月、元関脇出羽の花引退、年寄出来山襲名。元小結大錦引退、年寄山科襲名。元小結大潮引退、年寄錣山襲名。元十両11枚目伊予櫻が引退、若者頭に転向。武隈(元関脇北の洋)が停年退職。
- 3月、3月場所2日目、春場所の満員御礼が1974年の13日目から200回に到達。
- 4月、二子山理事長、還暦土俵入り。元関脇青ノ里の立田川部屋が千代田区飯田橋で土俵開き。元関脇岩風死去、54歳。
- 6月、元十両筆頭魄龍が引退、若者頭に転向。
- 9月、元関脇玉ノ富士の片男波部屋が墨田区石原で土俵開き。幕内格行司木村玉光死去、60歳。9月場所8日目、昭和天皇は大相撲を観戦する予定であったが、宮内庁は「発熱のため取りやめる」と発表。
- 10月、高砂理事(元横綱朝潮)死去、58歳。尾上(元小結富士錦)が高砂継承。元関脇玉ノ海死去、75歳。元関脇麒麟児引退、年寄北陣襲名。
- 11月、11月場所千秋楽、千代の富士は大乃国に敗れ53連勝でストップ
- 12月、先代高砂親方の協会葬。元前頭2枚目三杉磯の峰崎部屋が練馬区田柄で土俵開き。入間川(元前頭16枚目大江戸)、勝ノ浦(元前頭6枚目鬼竜川)停年退職。元前頭2枚目南海龍廃業。
本場所
[編集]- 一月場所(両国国技館・10日~24日)
- 三月場所(大阪府立体育会館・13日~27日)
- 幕内最高優勝 : 大乃国康(13勝2敗,2回目)
- 敢闘賞-麒麟児
- 十両優勝 : 若瀬川剛充(13勝2敗)
- 五月場所(両国国技館・8日~22日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(14勝1敗,23回目)
- 殊勲賞-琴ヶ梅、敢闘賞-太寿山、水戸泉
- 十両優勝 : 秀ノ花行秀(11勝4敗)
- 七月場所(愛知県体育館・3日~17日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(15戦全勝,24回目)
- 殊勲賞-逆鉾、敢闘賞-安芸ノ島
- 十両優勝 : 多賀竜昇司(10勝5敗)
- 九月場所(両国国技館・11日~25日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(15戦全勝,25回目)
- 殊勲賞-水戸泉、安芸ノ島、敢闘賞-花ノ国、琴富士
- 十両優勝 : 貴ノ浜真二(11勝4敗)
- 十一月場所(福岡国際センター・13日~27日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(14勝1敗,26回目)
- 技能賞-霧島
- 十両優勝 : 益荒雄宏夫(11勝4敗)
- 年間最優秀力士賞:旭富士正也(73勝17敗)
- 年間最多勝:北勝海信芳(70勝5敗15休)
誕生
[編集]- 1月26日 - 隠岐の富士和也(最高:幕下11枚目、所属:八角部屋、世話人:隠岐の富士)
- 2月9日 - 鏡桜南二(最高位:前頭9枚目、所属:鏡山部屋→伊勢ノ海部屋)[1]
- 4月6日 - 栃乃若導大(最高位:前頭筆頭、所属:春日野部屋)[2]
- 7月8日 - 若ノ鵬寿則(最高位:前頭筆頭、所属:間垣部屋)[3]
- 8月7日 - 常幸龍貴之(最高位:小結、所属:北の湖部屋→木瀬部屋)[4]
- 8月9日 - 旭秀鵬滉規(最高位:前頭4枚目、所属:大島部屋→友綱部屋)[5]
- 8月18日 - 青狼武士(最高位:前頭14枚目、所属:錣山部屋)[6]
- 10月15日 - 益荒海幸太(最高位:十両5枚目、所属:阿武松部屋)[7]
- 11月14日 - 千代大龍秀政(最高位:小結、所属:九重部屋)[8]
死去
[編集]- 4月30日 - 岩風角太郎(最高位:関脇、所属:若松部屋→西岩部屋→若松部屋、* 1934年【昭和9年】)[9]
- 7月5日 - 吉松義彦(柔道家、高校横綱、* 1920年)
- 8月13日 - 太刀若峯五郎(最高位:前頭6枚目、所属:友綱部屋→東関部屋→高砂部屋、* 1903年【明治36年】)[10]
- 10月23日 - 玉ノ海梅吉(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋→粂川部屋→二所ノ関部屋、* 1912年【大正元年】)[11]
- 10月23日 - 4代朝潮太郎(第46代横綱、所属:高砂部屋、年寄:高砂、* 1929年【昭和4年】)[12]
出典
[編集]- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 288頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 277頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 268頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 284頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 282頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 291頁
- ^ 益荒海 幸太 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 283頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 141頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 82頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 85頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 129頁
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p92