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八角部屋

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八角部屋

八角部屋(はっかくべや)は、日本相撲協会所属で高砂一門相撲部屋

概要

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1992年(平成4年)5月場所限りで引退し、以降は九重部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていた年寄・8代八角(元横綱・北勝海)が、1993年10月に北勝力ら内弟子4人を連れて分家独立する形で八角部屋を創設した。同時に、18代陣幕(元横綱・北の富士)・10代君ヶ濱(元関脇・北瀬海)・10代谷川(元幕内・白田山)・9代錦戸(元幕内・富士乃真)という当時の九重部屋に部屋付き親方として在籍していた年寄全員も移籍した[1]。部屋の建物も、8代の師匠である北の富士がかつて利用していた旧・井筒部屋~九重部屋のものを譲り受けて一部改装した形となっており、北の富士が日本相撲協会を退職した後も2024年に死去するまで部屋建物の最上階に居を構えていた。

2020年2月3日に東関部屋から12代大山(元幕内・大飛)が移籍。さらに2021年4月1日に東関部屋が閉鎖された際に、14代東関(元小結・高見盛)や力士ら計8人を受け入れた。

現在までに、関脇・北勝力、隠岐の海や小結・海鵬など9人の関取を輩出している。四股名には師匠の現役時代の四股名から「保志」「北勝」「海」の字が付けられた力士が多い。部屋の関取の隠岐の海の縁から、隠岐諸島出身者には「隠岐」の字が四股名に付けられる。

所在地

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師匠

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  • 8代:八角信芳(はっかく のぶよし、第61代横綱・北勝海北海道

部屋付き親方

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世話人

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  • 隠岐の富士和也(おきのふじ かずや、幕下・隠岐の富士、島根)

力士

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現役の関取経験力士

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幕内

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関脇
小結
前頭

十両

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関連項目

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旧・八角部屋

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明治時代に初代八角(元幕内・鬼面山)が八角部屋を創設したのが最初で、その後は雷部屋所属の元大関・大鳴門が師匠死去後に二枚鑑札で2代八角を襲名して八角部屋を運営していた。3代八角(元関脇・大鳴門)の代に入って再興され、1928年(昭和3年)に雷部屋の力士たちを預かっていた8代白玉(元関脇・玉椿)が亡くなった後には雷部屋の所属力士を引き取った。しかし、幕内・雷ノ峰はすぐに立浪部屋へ移籍し、残った弟子たちの中からは番神山が十両に昇進したのみで、1933年(昭和8年)に3代は鏡山部屋に弟子を譲って部屋を閉鎖した。

脚注

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  1. ^ 北の富士(当時の18代陣幕)は、「千代の富士は一人でやれるし、いても邪魔になるだけ。八角は応援してやらんと」と、千代の富士の能力を評価し、継承後の九重部屋を自由に運営できるようにするために配慮したことと同時に、8代八角への支援の必要性があったことを移籍の理由としている。

外部リンク

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座標: 北緯35度41分50.9秒 東経139度47分56.2秒 / 北緯35.697472度 東経139.798944度 / 35.697472; 139.798944