大鳴戸部屋
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大鳴戸部屋(おおなるとべや)は、昭和中期と平成期に日本相撲協会に存在した立浪・伊勢ヶ濱連合(現・伊勢ヶ濱一門)の相撲部屋。
沿革
[編集]朝日山部屋の元幕内・二瀬山の5代大鳴戸が、1960年(昭和35年)に朝日山部屋から独立して大鳴戸部屋を創設した。しかし元関脇・高津山の15代朝日山が1963年(昭和38年)に急逝したため、二瀬山の5代大鳴戸が16代朝日山を襲名して朝日山部屋を継承し、大鳴戸部屋を合併して再出発した。
後の関脇・高鐵山は旧朝日山部屋、後の小結・若二瀬は旧大鳴戸部屋の所属であったが、1975年(昭和50年)10月に二瀬山の16代朝日山親方が亡くなった後、若二瀬(同年3月場所限りで引退し年寄・浦風→北陣)が17代朝日山を襲名して朝日山部屋を継承、高鐵山(同年1月場所限りで引退し年寄・11代大鳴戸)は大鳴戸部屋を興すことと相成った。
再出発した大鳴戸部屋は、実業団相撲のホープ板井圭介が入門して間もなく幕内に昇進し、小結を務めるなど幕内に定着して活躍した。また、板井よりも先に入門していた維新力も十両に昇進した。しかし、板井は引退後協会に残れず、維新力がプロレスに転向した1990年以降は関取のいない状態が続いた。自身の借金問題などもあり1995年(平成7年)1月に11代大鳴戸は廃業し、行司の式守修一郎(現・6代式守鬼一郎)を含む弟子達は元小結・黒瀬川の桐山部屋に移って部屋を閉じた。
その後、大鳴戸の名跡は立浪・伊勢ヶ濱連合を離れ、2023年現在は出羽海一門である藤島部屋の部屋付き年寄のひとり、元大関・出島が名乗っている。
師匠
[編集]- 5代:大鳴戸勝語(おおなると しょうご、前2・二瀬山、大阪)
- 11代:大鳴戸秀容(おおなると ひでやす、関脇・高鐵山、北海道)
力士
[編集](大鳴戸部屋所属時に十両以上)
小結
[編集]- 板井圭介(大分)11代弟子
十両
[編集]- 維新力浩司(東京)11代弟子