1993年の相撲
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1993年の相撲(1993ねんのすもう)は、1993年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、1月場所後連続優勝した曙の横綱推挙決定。また貴ノ花の大関昇進も決定。貴ノ花は20歳5ヶ月で史上最年少大関。日本プロスポーツ大賞を貴ノ花が受賞。
- 27日、貴ノ花と宮沢りえが婚約解消。
- 2月、二子山(元横綱若乃花)の停年に伴い藤島部屋と合併し、藤島(元大関貴ノ花)が二子山部屋を継承した。5日、春日野巡業部長を団長とする90人が香港巡業に出発、香港場所を2日行い、9日に帰国。力士会主催のチャリティーボウリング大会が開かれた。
- 3月、藤島相談役(元二子山理事長)が停年を迎え、相撲博物館の館長に就任。呼出の定員を38人から45人に増員し、行司も45人の定員に5人の臨時採用枠を設けた。
- 5月、上田英雄横綱審議委員長が辞任。
- 6月、3日に春日野巡業部長を団長とする84人がサンノゼ・ハワイ巡業に出発。6、7日にサンノゼ場所、10、11日にハワイ場所が開催され、13日に帰国。
- 7月、横審委員長に渡辺誠毅就任。7月場所後の番付編成会議で若ノ花が大関昇進。
- 9月、「協会員の肖像権に関する規定」を明文化。
- 10月、秋巡業からトレーナー制導入。
本場所
[編集]- 一月場所(両国国技館・10日~24日)
- 三月場所(大阪府立体育会館・14日~28日)
- 五月場所(両国国技館・9日~23日)
- 七月場所(愛知県体育館・4日~18日)
- 幕内最高優勝 : 曙太郎(13勝2敗,4回目)
- 十両優勝 : 立洸熊五郎(12勝3敗)
- 九月場所(両国国技館・12日~26日)
- 幕内最高優勝 : 曙太郎(14勝1敗,5回目)
- 十両優勝 : 濱ノ嶋啓志(11勝4敗)
- 十一月場所(福岡国際センター・7日~21日)
- 幕内最高優勝 : 曙太郎(13勝2敗,6回目)
- 十両優勝 : 朝乃若武彦(11勝4敗)
- 年間最優秀力士賞(年間最多勝):曙太郎(76勝14敗)
新弟子検査合格者
[編集]場所 | 主な合格者 | 四股名 | 最高位 | 最終場所 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1月場所 | 尾曽武人 | 武双山正士 | 大関 | 2004年11月場所 | 幕下最下位格付出 |
岡本篤 | 栃栄篤史 | 前頭筆頭 | 1993年1月場所 | ||
栗本剛 | 武哲山剛 | 十両11枚目 | 1998年7月場所 | 幕下最下位格付出 | |
3月場所 | 木村英樹 | 北勝力英樹 | 関脇 | 2011年5月技量審査場所 | |
大内信英 | 皇司信秀 | 前頭4枚目 | 2009年3月場所 | 幕下最下位格付出 | |
山田桂吾 | 琴春日桂吾 | 前頭7枚目 | 2011年1月場所[注 1] | ||
山田裕三 | 若兎馬裕三 | 前頭11枚目 | 2007年7月場所[注 2] | ||
浦崎桂助 | 琉鵬正吉 | 前頭16枚目 | 2012年5月場所 | ||
健博一 | 旭南海丈一郎 | 前頭16枚目 | 2011年1月場所[注 1] | ||
上河啓介 | 若天狼啓介 | 十両2枚目 | 2011年1月場所[注 1] | ||
森安篤 | 皇牙篤 | 十両6枚目 | 2007年3月場所[注 3] | ||
足立茂雄 | 須磨ノ富士茂雄 | 十両9枚目 | 2007年5月場所[注 4] | ||
白崎東洋 | 大倭東洋 | 十両12枚目 | 1996年11月場所 | 幕下最下位格付出 | |
藤原周二 | 栃不動周二 | 十両12枚目 | 2012年7月場所[注 5] | ||
廣瀬昌司 | 双筑波勇人 | 十両13枚目 | 2002年1月場所 | ||
5月場所 | |||||
7月場所 | |||||
9月場所 | |||||
11月場所 | 小林昭仁 | 鳥羽の山喜充 | 前頭13枚目 | 2015年1月場所 |
引退・廃業
[編集]場所 | 主な引退力士 | 最高位 | 初土俵 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1月場所 | 両国梶之助 | 小結 | 1985年3月場所(幕下最下位格付出) | 年寄「中立」襲名 |
山錦喜章 | 十両10枚目 | 1981年3月場所 | ||
3月場所 | 常の山勝正 | 前頭12枚目 | 1980年7月場所 | |
5月場所 | 大輝煌正人 | 前頭15枚目 | 1990年3月場所(幕下最下位格付出) | 廃業時の四股名は輝ノ海 |
芳昇幸司 | 十両4枚目 | 1984年3月場所 | ||
福之里邦男 | 十両13枚目 | 1978年7月場所 | 若者頭就任 | |
7月場所 | ||||
9月場所 | 大岳宗正 | 十両2枚目 | 1983年3月場所 | |
若闘将敏男 | 十両9枚目 | 1985年7月場所 | ||
大石田謙治 | 十両13枚目 | 1977年3月場所 | ||
11月場所 |
誕生
[編集]- 1月11日 - 千代の海明太郎(最高位:十両8枚目、所属:九重部屋)[1][2]
- 3月6日 - 玉正鳳萬平(現役力士、所属:片男波部屋)
- 4月7日 - 逸ノ城駿(最高位:関脇、所属:湊部屋)[3]
- 5月6日 - 美ノ海義久(現役力士、所属:木瀬部屋)[4]
- 5月29日 - 朝玉勢大幸(現役力士、所属:高砂部屋)[5]
- 6月27日 - 對馬洋勝満(現役力士、所属:境川部屋)[6]
- 9月22日 - 豊山亮太(最高位:前頭筆頭、所属:時津風部屋)[7]
- 10月1日 - 一山本大生(現役力士、所属:二所ノ関部屋→放駒部屋)[8]
- 10月5日 - 若元春港(現役力士、所属:荒汐部屋)[9]
- 11月10日 - 大栄翔勇人(現役力士、所属:追手風部屋)[10]
死去
[編集]- 1月4日 - 越後山重正(最高位:十両4枚目、所属:高砂部屋、* 1919年【大正8年】)
- 2月28日 - 玉嵐孝平(最高位:前頭4枚目、所属:二所ノ関部屋→片男波部屋、* 1941年【昭和16年】)[11]
- 3月13日 - 大戸崎祐慈朗(最高位:十両2枚目、所属:高砂部屋、* 1929年【昭和4年】)
- 7月21日 - 房錦勝比古(最高位:関脇、所属:若松部屋→西岩部屋→若松部屋、* 1936年【昭和11年】)[12]
- 8月24日 - 桐ノ花光之助(最高位:十両2枚目、所属:春日山部屋→立浪部屋、* 1897年【明治30年】)
- 9月3日 - 若瀬川泰二(最高位:小結、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、* 1920年【大正9年】)[13]
- 10月2日 - 琴の郷栄一(最高位:十両11枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋、* 1951年【昭和26年】)
その他
[編集]- 3月、生沼芳弘(1952年生、当時成城大学大学院)が「相撲社会の研究」で博士(文学)の学位を取得した。
- 10月9日、TBS系列「オールスター感謝祭」番組内企画として、著名人による相撲大会「大相撲Gスタ場所」が初放送。参加者の藤原喜明とチャック・ウィルソンの熱戦が評判を呼び、両者の対決はその後の番組名物となった。(ちなみに、両者の相撲対決は「浅草橋ヤング洋品店」の企画が先である[14]。)
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 千代の海 明太郎 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 「元十両千代の海が引退 最高位は西十両8枚目」『デイリースポーツ』2024年6月3日。2024年6月3日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 290頁
- ^ 美ノ海 義久 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 朝玉勢 大幸 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 對馬洋 勝満 日本相撲協会公式サイト(2022年10月31日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 297頁
- ^ 一山本 大生 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 若元春 港 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 291頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 159頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 144頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 102頁
- ^ 『玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会』白夜書房
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p98