1887年の相撲
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1887年の相撲(1887ねんのすもう)は、1887年の相撲関係のできごとについて述べる。
興行
[編集]- 1月場所(東京相撲)[1]
- 興行場所:本所回向院
- 1月11日より晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[2]
- 興行場所:本所回向院
- 5月16日より晴天10日間興行
- 9月場所(東京大阪合併相撲)[3]
- 興行場所:難波新地新金毘羅神宮
- 11月立会興行(大坂京都立会興行)[3]
- 興行場所:花見小路祇園座
- 7日間興行
- 西方に外国人を迎えて行われた。
誕生
[編集]- 4月3日 - 鳳谷五郎(第24代横綱、所属:宮城野部屋→勝ノ浦部屋→宮城野部屋、+ 1956年【昭和31年】)[4]
- 6月10日 - 梅ノ花市五郎(最高位:前頭4枚目、所属:雷部屋、+ 1926年【大正15年】)[5]
- 7月14日 - 玉手山七郎(最高位:関脇、所属:大嶽部屋→雷部屋、+ 1941年【昭和16年】)[6]
- 7月18日 - 2代小錦八十吉(最高位:小結、所属:二十山部屋、+ 1943年【昭和18年】)[7]
- 8月19日 - 對馬洋弥吉(最高位:大関、所属:出羽ノ海部屋、+ 1933年【昭和8年】)[8]
- 9月24日 - 源武山源右エ門(最高位:十両2枚目、所属:伊勢ノ海部屋→朝日山部屋、+ 1942年【昭和17年】)
- 10月5日 - 3代大鳴門灘右エ門(最高位:関脇、所属:八角部屋、+ 1942年【昭和17年】)[5]
- 11月9日 - 敷嶌猪之助(最高位:前頭4枚目、所属:友綱部屋、+ 1957年【昭和32年】)[9]
死去
[編集]- 6月21日 - 友綱良助(最高位:前頭筆頭(現役没)、所属:玉垣部屋→梅ヶ谷部屋→雷部屋、年寄:友綱、* 1856年【安政3年】)
- 6月22日 - 投石菊治郎(最高位:前頭4枚目、所属:雷部屋→音羽山部屋→井筒部屋、年寄:井筒、* 1837年【天保8年】)
- 8月29日 - 綾瀬川三左エ門(最高位:前頭5枚目、所属:雷部屋、* 生年不明)
- 9月16日 - 境川浪右衛門(第14代横綱、所属:境川部屋、* 1841年【天保12年】)[10]
- 12月4日 - 國見山半五郎(最高位:前頭3枚目、所属:関ノ戸部屋、* 1830年【文政13年】)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, pp. 86–87.
- ^ 酒井, pp. 88–89.
- ^ a b 酒井, p. 90.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 17頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 19頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 25頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 18頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 32頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 40頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 310頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。