1987年の相撲
表示
1987年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
競輪 |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
サッカー |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
自転車競技 |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
相撲 |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
日本競馬 |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
バスケットボール |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
バレーボール |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
野球 |
1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 |
■ヘルプ |
1987年の相撲(1987ねんのすもう)は、1987年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 2月、元小結大豊引退、荒汐襲名。年寄待乳山(増巳山)停年。
- 3月、元関脇魁輝引退、年寄高島襲名。高島(元前頭5枚目神幸)は廃業。
- 4月、年寄松ヶ根(元関脇羽嶋山)停年。元前頭2枚目嗣子鵬引退、若者頭に転向。
- 5月、5月場所7日目、昭和天皇観戦。場所後、北勝海の横綱推挙が決定。小錦の大関昇進も決まり、初の外国人大関が誕生した。尾車部屋が草加市で土俵開き。
- 6月、力士運動会が江東区猿江の東京瓦斯グラウンドで10年ぶりに行われた。元関脇金城(元栃光)廃業。前武蔵川理事長の協会葬。
- 7月、7月場所3日目、大関若嶋津引退、年寄松ヶ根襲名。
- 8月、元十両7枚目白岩が引退、若者頭に転向。元前頭3枚目藤ノ川の服部が廃業。
- 9月、元前頭6枚目蜂矢引退、年寄小野川襲名。9月場所後、大乃国の横綱推挙決定、旭富士が大関昇進。
- 10月、年寄湊川(元関脇玉ノ富士)が片男波部屋を継承。錣山親方(元小結若葉山)が停年。
- 11月、11月場所は4横綱皆勤となった。
- 12月、31日に(来春一月場所番付発表後)に横綱双羽黒光司が親方と対立して廃業、4横綱は1場所で解消となった。
本場所
[編集]- 一月場所(両国国技館・11日~25日)
- 三月場所(大阪府立体育会館・8日~22日)
- 五月場所(両国国技館・10日~24日)
- 七月場所(愛知県体育館・5日~19日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(14勝1敗,21回目)
- 殊勲賞-栃乃和歌、敢闘賞-出羽の花、技能賞-旭富士
- 十両優勝 : 舛田山靖仁(11勝4敗)
- 九月場所(両国国技館・13日~27日)
- 幕内最高優勝 : 北勝海信芳(14勝1敗,3回目)
- 殊勲賞-逆鉾、敢闘賞-旭富士、技能賞-旭富士
- 十両優勝 : 大乃花武虎(13勝2敗)
- 十一月場所(福岡国際センター・8日~22日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(15戦全勝,22回目)
- 殊勲賞-逆鉾、技能賞-栃司
- 十両優勝 : 鳳凰倶往(12勝3敗)
- 年間最優秀力士賞:千代の富士貢(71勝15敗4休)
- 年間最多勝:北勝海信芳(72勝18敗)
誕生
[編集]- 2月18日 - 宝富士大輔(現役力士、所属:伊勢ヶ濱部屋)[1]
- 2月23日 - 臥牙丸勝(最高位:小結、所属:木瀬部屋→北の湖部屋→木瀬部屋)[2]
- 3月9日 - 栃煌山雄一郎(最高位:関脇、所属:春日野部屋、年寄:清見潟)[3]
- 4月19日 - 富士東和佳(現役力士、所属:玉ノ井部屋)[4]
- 4月23日 - 栃飛龍幸也(最高位:十両7枚目、所属:春日野部屋)[5]
- 5月11日 - 佐田の海貴士(現役力士、所属:境川部屋)[6]
- 5月12日 - 東龍強(最高位:前頭11枚目、所属:玉ノ井部屋)[7][8]
- 9月17日 - 千代桜右京(最高位:十両11枚目、所属:九重部屋)[9]
- 10月13日 - 栃ノ心剛史(最高位:大関、所属:春日野部屋)[10]
死去
[編集]- 1月22日 - 相模川佶延(最高位:関脇、所属:春日野部屋、* 1917年【大正6年】)[11]
- 3月26日 - 大ノ浦一廣(最高位:前頭16枚目、所属:二所ノ関部屋→芝田山部屋→花籠部屋、* 1925年【大正14年】)[12]
- 4月29日 - 常ノ山勝正(最高位:前頭2枚目、所属:出羽海部屋、* 1925年【大正14年】)[13]
- 5月30日 - 出羽ノ花國市(最高位:前頭筆頭、所属:出羽海部屋、第4代日本相撲協会理事長、* 1909年【明治42年】)[14]
- 9月27日 - 玉乃海太三郎(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋、年寄:片男波、* 1923年【大正12年】)[15]
- 10月15日 - 2代式守伊三郎(三役格行司(現役没)、所属:時津風部屋、* 1925年【大正14年】)
- 12月18日 - 錦城山勇吉(最高位:前頭2枚目(大阪大関)、所属:小野川部屋、* 1902年【明治35年】)[16]
作品
[編集]その他
[編集]出典
[編集]- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 278頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 276頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 267頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 279頁
- ^ 「令和元年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2019年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、17頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 290頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 286頁
- ^ 「東龍が引退届提出 元幕内でモンゴル出身 九州場所で左膝を痛め途中休場し幕下陥落」『日刊スポーツ』2023年12月25日。2023年12月25日閲覧。
- ^ 千代桜 右京 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 270頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 94頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 142頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 122頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 76頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 131頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 63頁
- ^ 松井秀喜氏の親戚が角界入り…父がはとこの高3・松井拡樹「目指すのは横綱」スポーツ報知 2020年12月30日
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p91