1978年の相撲
表示
1978年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
競輪 |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
サッカー |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
自転車競技 |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
相撲 |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
日本競馬 |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
バスケットボール |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
バレーボール |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
野球 |
1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 |
■ヘルプ |
1978年の相撲(1978ねんのすもう)は、1978年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、元小結羽黒岩引退、年寄雷襲名。元前頭2枚目若ノ海引退、年寄大嶽襲名。元前頭3枚目大鷲引退、年寄中村襲名。元関脇旭川死去、72歳。協会役員改選で理事長春日野を3選。新理事に伊勢ヶ濱、武隈、伊勢ノ海、新監事に片男波。全国農業協同組合連合会賞が、幕内優勝力士に授与される。
- 3月、学生相撲の近畿大学長岡、駒澤大学牧野が幕下付出。春場所後の番付編成会議で出羽嵐改め常の山の十両昇進を決定。鷲羽山の実兄で、36年ぶりの兄弟同時関取。
- 4月、第1回師匠会。部屋持ち親方30人全員出席。伊勢ヶ濱部屋が文京区白山に落成。
- 5月、元前頭2枚目朝登引退、年寄東関襲名。元前頭5枚目千代櫻引退、年寄君ヶ濱襲名。元小結成山死去、46歳。夏場所後、若三杉の横綱推挙決定。若三杉は若乃花幹士と改名。元前頭8枚目芳野嶺の熊ヶ谷部屋独立。ただ1人の弟子は息子。
- 9月、秋場所で実業団出身の板井(大鳴戸)が前相撲よりデビュー。場所6日目に昭和天皇観戦。中国出身力士の清乃華が廃業。
- 10月、福岡が水不足のため、力士乗り込みを遅らせる。
- 11月、相撲教習所の校歌が作られる。
- 12月、元小結巴潟が肝硬変で死去、67歳。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館・8日~22日)
- 三月場所(大阪府立体育館・12日~26日)
- 五月場所(蔵前国技館・7日~21日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(14勝1敗,12回目)
- 殊勲賞-琴風、敢闘賞-千代の富士
- 十両優勝 :鷲羽山佳和(11勝4敗)
- 七月場所(愛知県体育館・2日~16日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(15戦全勝,13回目)
- 殊勲賞-富士櫻、敢闘賞-出羽の花
- 十両優勝 : 鷲羽山佳和(10勝5敗)
- 九月場所(蔵前国技館・10日~24日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(14勝1敗,14回目)
- 敢闘賞-播竜山、技能賞-麒麟児
- 十両優勝 : 巨砲丈士(11勝4敗)
- 十一月場所(九電記念体育館・12日~26日)
- 年間最優秀力士賞:北の湖敏満(82勝8敗)
- 年間最多勝:北の湖敏満(82勝8敗)
誕生
[編集]- 2月14日 - 錦風真悟(最高位:幕下筆頭、所属:尾車部屋、世話人:錦風)[1]
- 3月14日 - 弘行(十両呼出、所属:峰崎部屋→西岩部屋)
- 3月18日 - 霜鳥典雄(最高位:小結、所属:時津風部屋)[2]
- 4月4日 - 5代木村善之輔(十両格行司、所属:春日野部屋)
- 5月5日 - 雷光肇(最高位:十両11枚目、所属:八角部屋)[3]
- 5月11日 - 潮丸元康(最高位:前頭10枚目、所属:東関部屋、+ 2019年【令和元年】)[4]
- 5月16日 - 富士夫(十両呼出、所属:安治川部屋→伊勢ヶ濱部屋)
- 7月10日 - 琴国晃将(最高位:十両4枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋)[5]
- 7月27日 - 若東龍秀史(最高位:十両3枚目、所属:松ヶ根部屋)[6]
- 9月14日 - 華王錦武志(最高位:十両6枚目、所属:東関部屋)[7]
- 8月12日 - 垣添徹(最高位:小結、所属:武蔵川部屋→藤島部屋、年寄:雷)[8]
- 10月3日 - 安美錦竜児(最高位:関脇、所属:安治川部屋→伊勢ヶ濱部屋、年寄:安治川)[9]
死去
[編集]- 1月31日 - 旭川幸之焏(最高位:関脇、所属:立浪部屋、* 1905年【明治38年】)[10]
- 3月12日 - 筑後山一政(最高位:十両2枚目、所属:立浪部屋、* 1926年【大正15年】)
- 3月15日 - 三濱洋俊明(最高位:前頭20枚目、所属:高砂部屋、* 1919年【大正8年】)[11]
- 5月7日 - 稲葉嶽光之助(最高位:前頭14枚目、所属:濱風部屋、* 1889年【明治22年】)[12]
- 5月8日 - 成山明(最高位:小結、所属:小野川部屋、* 1931年【昭和6年】)[13]
- 8月30日 - 御西山政夫(最高位:前頭6枚目、所属:出羽海部屋、* 1892年【明治25年】)[14]
- 12月24日 - 巴潟誠一(最高位:小結、所属:高嶋部屋→友綱部屋、* 1911年【明治44年】)[15]
その他
[編集]- 二子山(初代若乃花)による格言『人間辛抱だ』がテレビCMや著書で話題となり流行語となった。
出典
[編集]- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、14頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 255頁
- ^ 雷光 肇 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 256頁
- ^ 琴国 晃将 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 野寺 秀史 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 「令和2年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2020年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、6頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 258頁
- ^ 安美錦 竜児 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 75頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 118頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 39頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 135頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 45頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 78頁
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p80