1952年の相撲
表示
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2016年12月) |
1952年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
競輪 |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
サッカー |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
自転車競技 |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
相撲 |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
日本競馬 |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
バスケットボール |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
バレーボール |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
野球 |
1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 |
■ヘルプ |
1952年の相撲(1952ねんのすもう)は、1952年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア
[編集]- 全日本相撲選手権大会が初開催。1947年度学生横綱の影山信雄(福岡市)が初代アマチュア横綱となり、史上初の二大タイトル覇者となる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、巣鴨拘置所でA級戦犯の慰問大相撲。春場所、蔵前仮設国技館で15日間。力士幟が復活し、弓取り式は連日となる。民間放送のラジオ相撲実況中継開始。元大関・佐賀ノ花引退、年寄二所ノ関専任に。
- オープンカーによる優勝パレードが公式行事となる(前年に東富士が私的な優勝パレードを実施したのがきっかけである)。
- 2月、ベースボール・マガジン社『相撲』復刊、第1号発行。
- 3月、名古屋準本場所15日間、横綱羽黒山優勝。
- 4月、両国国技館の接収解除。
- 5月、夏場所、蔵前仮設国技館で15日間。
- 9月、秋場所、蔵前仮設国技館で15日間。土俵の四本柱を撤廃し、吊り屋根に4色の房を下げる。栃錦、技能賞は連続5回、通算9回目。
- 10月、場所後の番付編成会議で栃錦の大関昇進決定。明治神宮奉納の全日本力士選手権大会が復活し、横綱千代ノ山優勝。
- 11月、東富士、朝潮一行の沖縄初巡業。立浪取締死去、横綱羽黒山が二枚鑑札となる。
- 12月、大阪で第1回王座決定戦を開催し、大関吉葉山優勝。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前仮設国技館、12~26日)
- 幕内最高優勝 : 羽黒山政司(15戦全勝,7回目)
- 殊勲賞-栃錦、敢闘賞-輝昇、技能賞-栃錦
- 十両優勝 : 藤田山忠義(13勝2敗)
- 五月場所(蔵前仮設国技館、11~25日)
- 幕内最高優勝 : 東富士欽壹(13勝2敗,5回目)
- 殊勲賞-三根山、敢闘賞-清水川、技能賞-栃錦
- 十両優勝 : 今大嶋幸男(12勝3敗)
- 九月場所(蔵前仮設国技館、21~10月5日)
- 幕内最高優勝 : 栃錦清隆(14勝1敗,1回目)
- 殊勲賞-朝潮、敢闘賞-名寄岩、技能賞-栃錦
- 十両優勝 : 鶴嶺山昭男(11勝4敗)
誕生
[編集]- 1月28日 - 若越英雄(最高位:十両12枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 3月15日 - 琴立山兼滋(最高位:十両7枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋)
- 4月6日 - 松山佳弘(最高位:十両筆頭、所属:宮城野部屋、+ 2019年【令和元年】)[1]
- 4月16日 - 谷嵐久(最高位:前頭4枚目、所属:時津風部屋、+ 2010年【平成22年】)[2]
- 5月23日 - 大豪健嗣(最高位:前頭11枚目、所属:花籠部屋)[3]
- 6月12日 - 魁輝薫秀(最高位:関脇、所属:友綱部屋)[3]
- 9月3日 - 蔵玉錦敏正(最高位:前頭筆頭、所属:伊勢ノ海部屋→鏡山部屋、+ 2020年【令和2年】)[4]
- 9月24日 - 琴ヶ嶽綱一(最高位:前頭筆頭、所属:佐渡ヶ嶽部屋、+ 2024年【令和6年】)[5][6]
- 9月29日 - 隆の里俊英(第59代横綱、所属:二子山部屋、+ 2011年【平成23年】)[7]
- 10月16日 - 大飛進(最高位:前頭2枚目、所属:大山部屋)[8]
- 12月16日 - 蔵間竜也(最高位:関脇、所属:時津風部屋、+ 1995年【平成7年】)[5]
死去
[編集]- 1月7日 - 宇都宮新八郎(最高位:前頭2枚目、所属:出羽ノ海部屋、年寄:九重、* 1890年【明治23年】)[9]
- 5月15日 - 太刀光電右エ門(最高位:大関、所属:友綱部屋→東関部屋→高砂部屋、* 1897年【明治30年】)[10]
- 10月28日 - 駒木川蔵太郎(最高位:十両7枚目、所属:振分部屋、* 1896年【明治29年】)
- 12月16日 - 緑嶌友之助(最高位:小結、所属:春日山部屋、年寄:立浪、* 1878年【明治11年】)[11]
出典
[編集]- ^ 「角界ニュース」『相撲』2020年5月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 198頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 192頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 194頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 193頁
- ^ 「元前頭琴ケ嶽の竹内孝一さんが心不全で死去 71歳 在位99場所 引退後は高校球児の息子を応援」『日刊スポーツ』2024年2月26日。2024年2月26日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 191頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 195頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 31頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 47頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 8頁
参考文献
[編集]- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p44