大豪健嗣
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基礎情報 | ||||
四股名 | 久光 → 板倉 → 宮桜 → 板倉 健嗣 → 大豪 健嗣 → 大剛 健嗣 | |||
本名 | 板倉 昇 | |||
生年月日 | 1952年5月23日(72歳) | |||
出身 | 秋田県山本郡山本村(のち山本町、現在は秋田県三種町) | |||
身長 | 186cm | |||
体重 | 120kg | |||
BMI | 34.69 | |||
所属部屋 | 花籠部屋 | |||
得意技 | 右四つ、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭11枚目 | |||
生涯戦歴 | 498勝482敗14休(96場所) | |||
幕内戦歴 | 14勝46敗(4場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1966年5月場所 | |||
入幕 | 1975年11月場所 | |||
引退 | 1982年3月場所 | |||
引退後 | 年寄・鳴戸 →年寄・不知火→年寄・山響→年寄・北陣 | |||
備考 | ||||
2019年7月14日現在 |
大豪 健嗣(だいごう けんし、1952年5月23日 - )は、秋田県山本郡山本村(のち山本町、現・同郡三種町)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は板倉 昇(いたくら のぼる)。身長186cm、体重120kg。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は東前頭11枚目(1977年1月場所)。
来歴・人物
[編集]中学校在学中に花籠部屋へ入門し、1966年5月場所で初土俵を踏んだ。
幕下までは順調に番付を上げたが、幕下上位で苦戦し出世が遅れた。1973年11月場所より弓取式を務め、十両に昇進した1975年3月場所でも弓取式を務めたことから、この1場所だけではあるが「関取による弓取式」として話題になった。
1975年11月場所で新入幕を果たし、以降、1977年7月場所まで幕内を計4場所務めた。
しかし、幕内では1度も勝ち越せず、4場所とも二桁黒星を喫している。
上手でも下手でも、左からの投げに威力があった。根は右四つではあるが左右どちらの四つでも取れる、いわゆる「なまくら四つ」だったが、やや闘志に欠けたためか大成できなかった。
1982年3月場所を以って29歳で引退し、借り株で日本相撲協会に残ったが、1988年9月に廃業。
その後は東京都国分寺市で、相撲料理店を営んだ。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:498勝482敗14休 勝率.508
- 幕内成績:14勝46敗 勝率.233
- 現役在位:94場所
- 幕内在位:4場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1976年11月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1966年 (昭和41年) |
x | x | (前相撲) | 西序ノ口27枚目 4–3 |
東序二段74枚目 休場 0–0–7 |
東序ノ口筆頭 3–4 |
1967年 (昭和42年) |
東序ノ口筆頭 休場 0–0–7 |
(前相撲) | 西序ノ口19枚目 5–2 |
西序二段77枚目 3–4 |
東序二段95枚目 4–3 |
西序二段65枚目 4–3 |
1968年 (昭和43年) |
東序二段45枚目 4–3 |
西序二段22枚目 3–4 |
東序二段33枚目 5–2 |
東三段目99枚目 4–3 |
西三段目78枚目 5–2 |
西三段目45枚目 3–4 |
1969年 (昭和44年) |
西三段目50枚目 2–5 |
西三段目63枚目 2–5 |
西三段目82枚目 5–2 |
西三段目53枚目 6–1 |
東三段目12枚目 6–1 |
東幕下42枚目 1–6 |
1970年 (昭和45年) |
東三段目9枚目 3–4 |
東三段目20枚目 5–2 |
東幕下60枚目 6–1 |
西幕下36枚目 1–6 |
西三段目3枚目 6–1 |
西幕下36枚目 4–3 |
1971年 (昭和46年) |
東幕下29枚目 4–3 |
西幕下23枚目 5–2 |
東幕下12枚目 2–5 |
東幕下26枚目 3–4 |
東幕下35枚目 5–2 |
西幕下16枚目 5–2 |
1972年 (昭和47年) |
西幕下9枚目 3–4 |
東幕下13枚目 4–3 |
東幕下10枚目 3–4 |
東幕下17枚目 3–4 |
西幕下23枚目 4–3 |
西幕下20枚目 4–3 |
1973年 (昭和48年) |
東幕下15枚目 3–4 |
西幕下20枚目 3–4 |
西幕下26枚目 3–4 |
西幕下34枚目 3–4 |
東幕下44枚目 5–2 |
西幕下26枚目 5–2 |
1974年 (昭和49年) |
西幕下13枚目 3–4 |
西幕下17枚目 5–2 |
東幕下6枚目 2–5 |
西幕下20枚目 6–1 |
東幕下4枚目 3–4 |
西幕下7枚目 6–1 |
1975年 (昭和50年) |
東幕下筆頭 4–3 |
西十両13枚目 10–5 |
東十両6枚目 8–7 |
東十両4枚目 9–6 |
東十両筆頭 8–7 |
西前頭13枚目 4–11 |
1976年 (昭和51年) |
西十両4枚目 7–8 |
西十両5枚目 8–7 |
西十両3枚目 8–7 |
東十両筆頭 8–7 |
東前頭14枚目 5–10 |
西十両4枚目 優勝 11–4 |
1977年 (昭和52年) |
東前頭11枚目 2–13 |
東十両8枚目 9–6 |
東十両4枚目 9–6 |
西前頭12枚目 3–12 |
西十両4枚目 6–9 |
東十両10枚目 9–6 |
1978年 (昭和53年) |
東十両5枚目 9–6 |
東十両筆頭 6–9 |
西十両5枚目 10–5 |
西十両筆頭 8–7 |
西十両筆頭 6–9 |
西十両7枚目 8–7 |
1979年 (昭和54年) |
東十両5枚目 8–7 |
西十両2枚目 7–8 |
東十両3枚目 7–8 |
西十両3枚目 8–7 |
西十両筆頭 5–10 |
東十両8枚目 10–5 |
1980年 (昭和55年) |
東十両2枚目 8–7 |
東十両2枚目 7–8 |
西十両5枚目 7–8 |
西十両7枚目 7–8 |
西十両9枚目 8–7 |
東十両7枚目 6–9 |
1981年 (昭和56年) |
東十両9枚目 8–7 |
東十両5枚目 5–10 |
東十両11枚目 8–7 |
西十両8枚目 8–7 |
東十両8枚目 6–9 |
西十両13枚目 6–9 |
1982年 (昭和57年) |
西幕下3枚目 5–2 |
西十両12枚目 引退 3–12–0 |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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青葉城 | 1 | 1 | 大潮 | 0 | 1 | 大登 | 0 | 2 | 大鷲 | 0 | 1 |
魁輝 | 1 | 1 | 金城 | 1 | 0 | 北瀬海 | 2 | 0 | 麒麟児 | 0 | 1 |
琴風 | 0 | 2 | 琴ヶ嶽 | 0 | 1 | 琴乃冨士 | 0 | 1 | 大受 | 1 | 1 |
隆ノ里 | 0 | 1 | 玉輝山 | 0 | 2 | 千代櫻 | 0 | 1 | 天龍 | 0 | 1 |
栃東 | 0 | 1 | 羽黒岩 | 0 | 2 | 長谷川 | 0 | 1 | 播竜山 | 0 | 3 |
福の花 | 0 | 1 | 二子岳 | 1 | 0 | 双津竜 | 1 | 0 | 増位山 | 0 | 2 |
舛田山 | 0 | 2 | 陸奥嵐 | 0 | 1 | 豊山 | 0 | 1 |
改名歴
[編集]- 久光(ひさみつ、1966年7月場所-1967年3月場所)※師匠・花籠(元前頭3・大ノ海)の名から取った。
- 板倉(いたくら、1967年5月場所-1969年5月場所)
- 宮桜(みやざくら、1969年7月場所-1973年7月場所)
- 板倉 健嗣(いたくら けんし、1973年9月場所-1975年7月場所)※新十両時の四股名。
- 大豪 健嗣(だいごう -、1975年9月場所-1979年1月場所)※幕内在位は、すべてこの四股名の時。
- 大剛 健嗣(だいごう -、1979年3月場所-1982年3月場所(引退))
年寄履歴
[編集]- 鳴戸 昇(なると のぼる、1982年3月-1983年4月)
- 不知火 昇(しらぬい - 、1983年4月-1986年5月)
- 山響 昇(やまひびき - 、1986年5月-1988年5月)
- 北陣 昇(きたじん - 、1988年5月-同年9月(廃業))
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第四巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1993年)p106-p111