1970年の相撲
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1970年の相撲(1970ねんのすもう)は、1970年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]- 1月11日、1月場所初日。今場所は一人横綱の大鵬休場で横綱土俵入りなし[1]。
- 1月28日 - 番付編成会議で北の富士勝昭と玉乃島正夫の横綱同時昇進が決定。玉乃島は玉の海正洋に改名[2][1]。
- 1月29日 - 相撲協会の役員改選で立浪と時津風が新理事、朝日山が監事となる[3][1]。
- 2月23日 - 3月場所の番付が発表。増位山が新入幕し、親子二代幕内力士誕生[3][1]。
- 3月24日 - 鹿児島の井筒道場が完成し、土俵開き[4][1]。
- 4月26日 - 5月場所の番付が発表。1月場所に幕下付け出しでデビューし、2場所連続で7戦全勝優勝した輪島が十両に昇進する[5][1]。
- 5月10日 - 5月場所初日。今場所から仕切り線の間隔が60cmから70cmになる[4][1]。
- 6月10日~14日 - ハワイ巡業がおこなわれる[4][1]。
- 7月8日 - 7月場所4日目で横綱大鵬が休場し引退騒ぎが起こり、5日後記者会見で否定[6][1]。
- 7月16日 - 7月場所12日目、大雄対黒姫山戦で行司木村今朝三が立ち会わせず、謹慎処分[7][1]。
- 7月22日 - 番付編成会議で前乃山太郎の大関昇進を決定[8][1]。
- 9月6日 - 元横綱・柏戸の鏡山が伊勢ノ海部屋から独立、北小岩に鏡山部屋が完成して土俵開きを行う[7][1]。
- 9月13日 - 9月場所初日。電光勝負掲示板に幕下上位5番も追加され、勝者名に赤線を付ける[1]。
- 9月15日 - 協会運営審議委員に三宅正一が就任[7][1]。
- 9月20日 - 昭和天皇、皇后が観戦[7][1]。
- 9月22日 - 大鵬が幕内通算700勝を達成[9][1]。
- 9月30日 - 番付編成会議で大麒麟將能の大関昇進を決定[7][1][1]。
- 11月10日 - 武蔵川理事長が藍綬褒章を受章[7][1]。
- 12月22日 - 大鵬が日本プロスポーツ大賞を受賞[7]。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館・11日~25日)
- 三月場所(大阪府立体育館・8日~22日)
- 殊勲賞-前乃山、敢闘賞-陸奥嵐、技能賞-錦洋
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(14勝1敗,31回目)
- 十両優勝 : 大受久晃(14勝1敗)
- 五月場所(蔵前国技館・10日~24日)
- 七月場所(愛知県体育館・5日~19日)
- 幕内最高優勝 : 北の富士勝昭(13勝2敗,5回目)
- 殊勲賞-三重ノ海、敢闘賞-前乃山、技能賞-大麒麟
- 十両優勝 : 金剛正裕(12勝3敗)
- 九月場所(蔵前国技館・13日~27日)
- 幕内最高優勝 : 玉の海正洋(14勝1敗,3回目)
- 殊勲賞-貴ノ花、敢闘賞-龍虎、技能賞-大麒麟
- 十両優勝 : 輪島博(13勝2敗)
- 十一月場所(福岡スポーツセンター・15日~29日)
- 幕内最高優勝 : 玉の海正洋(14勝1敗,4回目)
- 殊勲賞-長谷川、敢闘賞-福の花
- 十両優勝 : 長浜広光(11勝4敗)
- 年間最優秀力士賞:北の富士勝昭(75勝15敗)
- 年間最多勝:北の富士勝昭 玉の海正洋(75勝15敗)
誕生
[編集]- 1月19日 - 大日ノ出崇揚(最高位:前頭9枚目、所属:立浪部屋)[10]
- 2月18日 - 蒼樹山秀樹(最高位:前頭筆頭、所属:時津風部屋、年寄:枝川)[11]
- 3月12日 - 床誠(一等床山、所属:伊勢ヶ濱部屋→桐山部屋→朝日山部屋→浅香山部屋)
- 3月21日 - 濱ノ嶋啓志(最高位:小結、所属:三保ヶ関部屋、年寄:尾上)[12]
- 4月14日 - 豊富士修(最高位:十両5枚目、所属:時津風部屋)
- 7月5日 - 木村秋治郎(幕内格行司、所属:三保ヶ関部屋→春日野部屋)[13]
- 7月23日 - 隆二(幕内呼出、所属:宮城野部屋→伊勢ヶ濱部屋)
- 7月24日 - 床大(一等床山、所属:陸奥部屋→音羽山部屋)
- 7月28日 - 出羽嵐大輔(最高位:前頭14枚目、所属:出羽海部屋、+ 2010年【平成22年】)[14]
- 8月6日 - 巌雄謙治(最高位:前頭筆頭、所属:北の湖部屋、年寄:山響)[15]
- 8月29日 - 床勝(一等床山、所属:二子山部屋→貴乃花部屋→千賀ノ浦部屋→常盤山部屋)
- 9月8日 - 大殿英武(最高位:十両13枚目、所属:大鵬部屋)
- 9月15日 - 琴吉(幕内呼出、所属:佐渡ヶ嶽部屋)
- 9月17日 - 山中山和洋(最高位:十両13枚目、所属:間垣部屋)
- 11月22日 - 出羽の郷秀之(最高位:十両14枚目、所属:出羽海部屋)[16]
- 12月15日 - 敷島勝盛(最高位:前頭筆頭、所属:立田川部屋→陸奥部屋、年寄:浦風)[17]
死去
[編集]- 1月2日 - 緋縅力弥(最高位:前頭10枚目、所属:錦島部屋、年寄:立川、* 1922年【大正11年】)[18]
- 1月31日 - 大起男右エ門(最高位:小結、所属:出羽海部屋、年寄:境川、* 1923年【大正12年】)[19]
- 4月10日 - 大和錦幸男(最高位:前頭4枚目、所属:出羽海部屋、* 1905年【明治38年】)[20]
- 11月25日 - 21代木村庄之助(元・立行司、所属:伊勢ノ海部屋→井筒部屋→双葉山道場→時津風部屋、* 1889年【明治22年】)[21]
- 12月23日 - 晴ノ海弥太郎(最高位:前頭12枚目、所属:友綱部屋、* 1898年【明治31年】)[22]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『大相撲戦後70年史』, p. 67
- ^ 『激動の昭和スポーツ史』, p. 84-85.
- ^ a b 『激動の昭和スポーツ史』, p. 85
- ^ a b c 『激動の昭和スポーツ史』, p. 86
- ^ 『激動の昭和スポーツ史』, p. 85-86
- ^ 『激動の昭和スポーツ史』, p. 95,97.
- ^ a b c d e f g 『激動の昭和スポーツ史』, p. 87
- ^ 『激動の昭和スポーツ史』, p. 96-97.
- ^ 『毎日新聞』1970年9月23日19頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 248頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 234頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 237頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、16頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 246頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 240頁
- ^ 「平成27年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2015年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、38頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 238頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 124頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 113頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 74頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 359頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 67頁
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『激動の昭和スポーツ史 12 相撲 下』ベースボール・マガジン社、1989年。
- 『大相撲「戦後70年史」 : 1945-2015 : 永久保存版』ベースボール・マガジン社、2015年。ISBN 978-4-583-62292-7。