1979年の相撲
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1979年の相撲(1979ねんのすもう)は、1979年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、入場料(平均16.67%)値上げ。初場所千秋楽、当時の皇太子一家観戦。元大関魁傑引退、年寄放駒襲名。
- 2月、5日、間垣親方(元小結清水川)死去、53歳。12日、湊川親方(元前頭筆頭十勝岩)死去、60歳。
- 3月、新弟子検査合格者111人は史上最多。公傷取扱い規定の一部改定、補足した。土俵上のケガを「身体各所の脱臼、骨折、捻挫、並びに頭部外傷」と改定。春場所11日目、大竜川一男は初土俵以来通算1359回出場し、史上単独1位。元横綱安藝ノ海死去、64歳。
- 4月、大山部屋土俵開き。安治川部屋独立。朝日山部屋落成。
- 5月、夏場所5日目、高見山は幕内連続出場を1025回として、史上単独1位。8日目、昭和天皇観戦。元関脇北瀬海引退、年寄君ヶ濱襲名。元前頭筆頭大竜川引退、年寄清見潟襲名。
- 9月、新横綱三重ノ海剛司が昇進。11日目、大関旭國斗雄が引退、大島襲名。藤島親方(元前頭筆頭出羽湊)死去、56歳。番付編成要領第17条・行司十両以上の人数20人以上を22人に改正。
- 11月、前武蔵川理事長が勲三等瑞宝章を受ける。九州場所、十両以上に休場者無し。元前頭7枚目栃勇引退、年寄岩友襲名。アメリカ公演を実施することを決定。
- 北の湖敏満が1月から5月にかけて32連勝、久しぶりに30連勝を越した力士が登場した。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館・7日~21日)
- 三月場所(大阪府立体育館・11日~25日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(15戦全勝,16回目)
- 殊勲賞-黒姫山、敢闘賞-長岡、金城、技能賞-富士櫻
- 十両優勝 : 隆ノ里俊英(11勝4敗)
- 五月場所(蔵前国技館・6日~20日)
- 七月場所(愛知県体育館・1日~15日)
- 九月場所(蔵前国技館・9日~23日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(13勝2敗,17回目)
- 殊勲賞-玉ノ富士、敢闘賞-朝汐、技能賞-増位山
- 十両優勝 : 琴千歳幸征(10勝5敗)
- 十一月場所(九電記念体育館・11日~25日)
- 年間最優秀力士賞(年間最多勝):北の湖敏満(77勝13敗)
誕生
[編集]- 2月7日 - 剣武輝希(最高位:前頭16枚目、所属:武蔵川部屋→藤島部屋)[2]
- 5月23日 - 豊乃國大地(最高位:十両13枚目、所属:時津風部屋)[3]
- 6月21日 - 豪風旭(最高位:関脇、所属:尾車部屋、年寄:押尾川)[4]
- 8月22日 - 重太郎(十両呼出、所属:九重部屋)
- 9月6日 - 片山伸次(最高位:前頭13枚目、所属:阿武松部屋)[5]
- 9月10日 - 時天空慶晃(最高位:小結、所属:時津風部屋、+ 2017年【平成29年】)[6]
- 9月14日 - 太助(十両呼出、所属:北の湖部屋→山響部屋)
死去
[編集]- 1月1日 - 大ノ濱勝治(最高位:前頭4枚目、所属:立浪部屋、* 1909年【明治42年】)[7]
- 1月20日 - 柏山大五郎(最高位:関脇、所属:山科部屋、* 1901年【明治34年】)[8]
- 2月5日 - 清水川明於(最高位:小結、所属:追手風部屋、* 1925年【大正14年】)[9]
- 2月12日 - 十勝岩豊(最高位:前頭筆頭、所属:二所ノ関部屋→二子山部屋→二所ノ関部屋、年寄:湊川、* 1919年【大正8年】)[10]
- 3月25日 - 安藝ノ海節男(第37代横綱、所属:出羽海部屋、* 1914年【大正3年】)[11]
- 3月29日 - 大潮清治郎(最高位:関脇、所属:陸奥部屋、* 1900年【明治33年】)[12]
- 8月6日 - 広瀬川惣吉(最高位:前頭3枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、* 1919年【大正8年】)[13]
- 9月16日 - 出羽湊秀一(最高位:前頭筆頭、所属:出羽海部屋、年寄:藤島、* 1923年【大正12年】)[14]
- 9月23日 - 荒熊谷五郎(最高位:前頭6枚目(大阪大関)、所属:陣幕部屋、* 1899年【明治32年】)[15]
- 11月23日 - 金湊仁三郎(最高位:前頭5枚目、所属:湊川部屋→振分部屋→湊川部屋、* 1908年【明治41年】)[16]
- 11月30日 - 前ヶ潮春夫(最高位:前頭18枚目、所属:高砂部屋、* 1931年【昭和6年】)[17]
- 12月29日 - 竹田繁七(アマ九段、第5代学生横綱、大阪相撲連盟会長、西日本学生相撲連盟名誉会長)、* 1902年【明治35年】) [18]
出典
[編集]- ^ 大分県椎茸農業協同組合HP「大分の乾しいたけ」
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 281頁
- ^ 豊乃國 大地 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 豪風 旭 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 263頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 260頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 75頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 53頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 117頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 107頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 91頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 74頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 103頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 134頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 63頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 84頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 147頁
- ^ 関西大学 年史編纂室 竹田繁七
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p81