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柏山大五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柏山 大五郎(かしわやま だいごろう、1901年4月12日 - 1979年1月20日[1])は、新潟県古志郡(現在の長岡市)出身で山科部屋に所属した大相撲力士。本名は青柳 政一。身長174cm、体重86kg。関脇まで昇進したが、現役引退後は廃業してしまった。

人物

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最盛期でも86キログラムという軽量だったので、最初は新弟子検査にも通らなかったが、増量して合格、山科部屋から1917年1月場所に初土俵を踏んだ。昇進は順調で、1921年5月場所には新十両、1922年5月に入幕した。出足を利用しての吊り技が得意であった。新入幕の場所に7勝2敗1預と健闘し、幕内上位に進出。新小結となった1924年5月場所には、横綱西ノ海と預りの熱戦を含め7勝3敗1預の好成績をあげ、翌1925年1月場所には関脇に昇進した。しかしその場所、1勝10敗と大負けしてからは元気をなくしてしまった。その間にも、大関太刀光とはしばしば熱戦を演じ、殊勲の星をあげたこともあり、出場した最後の場所となった1927年10月場所も、初日に横綱宮城山を下手投げに破る金星をあげもした。

1928年1月場所、全休してそのまま廃業した。

主な成績

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  • 幕内在位 14場所(うち小結、関脇1場所ずつ)
  • 幕内成績 56勝68敗3預24休

場所別成績

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柏山大五郎
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1917年
(大正6年)
(前相撲) x 東序ノ口36枚目
2–3 
x
1918年
(大正7年)
東序ノ口7枚目
優勝
5–0
x 西序二段25枚目
5–0 
x
1919年
(大正8年)
東三段目33枚目
3–1
1預
 
x 西三段目3枚目
3–2 
x
1920年
(大正9年)
西幕下41枚目
3–2 
x 東幕下25枚目
3–2 
x
1921年
(大正10年)
東幕下18枚目
4–1 
x 東十両14枚目
4–2 
x
1922年
(大正11年)
東十両5枚目
5–3 
x 西前頭15枚目
7–2
1預
 
x
1923年
(大正12年)
東前頭7枚目
4–5
1預
 
x 西前頭5枚目
6–5 
x
1924年
(大正13年)
西前頭筆頭
6–4 
x 東小結
7–3
1預
 
x
1925年
(大正14年)
東関脇
1–10 
x 西前頭4枚目
4–7 
x
1926年
(大正15年)
西前頭7枚目
3–7–1 
x 東前頭12枚目
5–6 
x
1927年
(昭和2年)
西前頭5枚目
3–8 
西前頭5枚目
5–6 
西前頭11枚目
0–1–10 
東前頭6枚目
5–4–2
1928年
(昭和3年)
東前頭14枚目
引退
0–0–11
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

四股名変遷

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  • 越ノ嶽 義夫(こしのだけ よしお)1917年1月場所 - 1920年5月場所
  • 柏山 大五郎(かしわやま だいごろう)1921年1月場所 - 1927年3月場所
  • 柏山 守(かしわやま まもる)1927年5月場所 - 1928年1月場所

出典

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  1. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 53頁

関連項目

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