1924年の相撲
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1924年の相撲(1924ねんのすもう)は、1924年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]前年の関東大震災で帝都が焦土となり、また国技館も罹災したため、この年の春場所を名古屋で開催した。東京相撲としては初の都外開催となった[1]。
台覧相撲
[編集]- 5月25日 - 両国国技館において、東伏見宮家、朝賀宮家、久邇宮家、李王家の皇王族が5月場所10日目を台覧[2]。
- 5月27日 - 水交社において、摂政皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が海軍記念日余興相撲を台覧[3]。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[4]
- 1月場所(大阪相撲)[5]
- 興行場所:新世界国技館
- 1月11日より10日間興行
- 5月場所(大阪相撲)[3]
- 興行場所:新世界国技館
- 5月11日より10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[6]
- 6月場所(東京大阪合併相撲)[7]
- 興行場所:新世界国技館
- 6月12日より7日間興行
その他相撲披露
[編集]- 10月30日-11月3日 - 明治神宮競技大会。青年団対抗、陸海軍対抗、学生相撲対抗などが行われた[8]。
誕生
[編集]- 1月17日 - 木村筆之助(元・幕内格行司、所属:伊勢ノ海部屋、+ 1984年【昭和59年】)
- 1月31日 - 森ノ里信義(最高位:十両10枚目、所属:高砂部屋、+ 2003年【平成15年】)
- 2月2日 - 瀬戸錦年光(最高位:十両9枚目、所属:出羽海部屋)
- 2月11日 - 藤田山忠義(最高位:前頭12枚目、所属:片男波部屋→花籠部屋→高砂部屋、+ 1979年【昭和44年】)[9]
- 3月3日 - 吉井山朋一郎(最高位:前頭11枚目、所属:出羽海部屋)[10]
- 3月6日 - 玉ノ川正行(最高位:十両7枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 3月14日 - 東海稔(最高位:前頭14枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1963年【昭和38年】)[11]
- 3月31日 - 平鹿川泰二(最高位:前頭13枚目、所属:春日山部屋→立浪部屋、+ 1992年【平成4年】)[12]
- 5月3日 - 大田山一朗(最高位:前頭20枚目、所属:高砂部屋、+ 1999年【平成11年】)[13]
- 5月20日 - 一錦周之助(最高位:十両7枚目、所属:高嶋部屋、+ 2012年【平成24年】)
- 6月9日 - 若嵐武(最高位:前頭18枚目、所属:若松部屋→西岩部屋、+ 没年不明)[14]
- 6月27日 - 鶴美山侑宏(最高位:十両16枚目、所属:井筒部屋→双葉山道場→時津風部屋→井筒部屋、+ 1989年【平成元年】)
- 7月20日 - 松登晟郎(最高位:大関、所属:大山部屋、+ 1986年【昭和61年】)[15]
- 8月6日 - 不動岩三男(最高位:関脇、所属:粂川部屋→双葉山道場→時津風部屋、+ 1964年【昭和39年】)[16]
- 8月28日 - 黒瀬川進(最高位:十両5枚目、所属:谷川部屋→伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1977年【昭和52年】)
- 9月25日 - 潮錦義秋(最高位:小結、所属:荒汐部屋→双葉山道場→時津風部屋、+ 2005年【平成17年】)[15]
- 10月16日 - 7代式守勘太夫(元・三役格行司、所属:鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 2002年【平成14年】)
- 10月27日 - 楯甲幸男(最高位:前頭18枚目、所属:中村部屋、+ 2002年【平成14年】)[17]
- 11月14日 - 力道山光浩(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋、+ 1963年【昭和38年】)[18]
死去
[編集]- 1月1日 - 花ノ山春治(最高位:十両5枚目(現役没)、所属:峰崎部屋→片男波部屋、* 1894年【明治27年】)
- 1月11日 - 高見山酉之助(最高位:関脇、所属:高砂部屋、* 1873年【明治6年】)[19]
- 2月25日 - 櫻川五良藏(最高位:前頭2枚目、所属:立田山部屋、* 1886年【明治19年】)[20]
- 7月18日 - 17代木村庄之助(元・立行司、* 1862年【文久2年】)[21]
- 9月25日 - 國見山悦吉(最高位:大関、所属:友綱部屋、* 1876年【明治9年】)[22]
- 11月20日 - 玉ノ川脇太郎(最高位:前頭17枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋→伊勢ノ海部屋→佐渡ヶ嶽部屋、年寄:佐渡ヶ嶽、* 1885年【明治18年】)[23]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, p. 357.
- ^ 酒井, p. 363.
- ^ a b 酒井, p. 364.
- ^ 酒井, pp. 357–359.
- ^ 酒井, pp. 359–360.
- ^ 酒井, pp. 360–364.
- ^ 酒井, pp. 364–365.
- ^ 酒井, p. 365.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 116頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 123頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 133頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 140頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 145頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 128頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 130頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 108頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 136頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 114頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 13頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 26頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 358頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 7頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 37頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。