コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

鶴美山侑宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 - 1989年10月18日[1])は、井筒部屋時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)、再度井筒部屋、陸奥部屋に所属した元力士、元若者頭。本名は近藤 貢(こんどう みつぐ)。現在の東京都荒川区出身。176cm、113kg。最高位は西十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。

経歴

[編集]

1939年1月場所に初土俵。序ノ口で全敗したり、幕下から序二段まで下がるなど、出世が遅かったが、初土俵が同期の栃錦に「十両に上がったら俺の化粧廻しをやるから」と励まされて奮起し、初土俵から16年が経った1955年3月場所に30歳で十両昇進。1957年1月場所に32歳で引退し、若者頭に転じた。1987年6月に定年退職。

主な成績

[編集]
  • 通算成績:215勝242敗4休 勝率.470
  • 十両成績:29勝46敗 勝率.387
  • 現役在位:48場所
  • 十両在位:5場所

場所別成績

[編集]
鶴美山 侑宏
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1939年
(昭和14年)
(前相撲) x (番付外) x
1940年
(昭和15年)
(前相撲) x 東序ノ口36枚目
0–8 
x
1941年
(昭和16年)
(前相撲) x 西序ノ口24枚目
5–3 
x
1942年
(昭和17年)
西序二段42枚目
2–6 
x 西序二段60枚目
5–3 
x
1943年
(昭和18年)
東序二段25枚目
3–5 
x 東序二段28枚目
4–4 
x
1944年
(昭和19年)
西序二段20枚目
4–4 
x 西序二段9枚目
2–2–1 
西序二段18枚目
4–1 
1945年
(昭和20年)
x x 東三段目16枚目
2–2–1 
東三段目10枚目
3–2 
1946年
(昭和21年)
x x 国技館修理
のため中止
東幕下26枚目
2–5 
1947年
(昭和22年)
x x 西三段目7枚目
1–4 
東序二段5枚目
2–4 
1948年
(昭和23年)
x x 西序二段9枚目
2–4 
西序二段14枚目
4–2 
1949年
(昭和24年)
西三段目27枚目
4–8 
x 東序二段2枚目
9–6 
西三段目20枚目
10–5 
1950年
(昭和25年)
西三段目筆頭
8–7 
x 東幕下26枚目
8–7 
西幕下25枚目
7–8 
1951年
(昭和26年)
西幕下25枚目
7–8 
x 西幕下25枚目
8–7 
東幕下20枚目
6–9 
1952年
(昭和27年)
東幕下26枚目
6–9 
x 東幕下30枚目
9–6 
西幕下20枚目
6–9 
1953年
(昭和28年)
東幕下23枚目
5–10 
西幕下29枚目
7–1 
東幕下20枚目
4–2–2 
東幕下17枚目
7–1 
1954年
(昭和29年)
西幕下7枚目
3–5 
西幕下11枚目
3–5 
東幕下14枚目
4–4 
東幕下13枚目
5–3 
1955年
(昭和30年)
西幕下6枚目
7–1 
西十両19枚目
7–8 
西十両20枚目
4–11 
西幕下2枚目
5–3 
1956年
(昭和31年)
東十両21枚目
8–7 
西十両16枚目
5–10 
東十両21枚目
5–10 
西幕下5枚目
2–6 
1957年
(昭和32年)
西幕下10枚目
引退
1–7–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

[編集]
  • 近藤 貢(こんどう みつぐ)1939年1月場所 - 1941年1月場所
  • 海洋山(かいようざん)1941年5月場所 - 1947年11月場所
  • 鶴美山 侑宏(つるみやま みともひろ)1948年5月場所 - 1957年1月場所

参考文献

[編集]
  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、ISBN 978-4764104709

出典

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]