鶴美山侑宏
表示
鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 - 1989年10月18日[1])は、井筒部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)、再度井筒部屋、陸奥部屋に所属した元力士、元若者頭。本名は近藤 貢(こんどう みつぐ)。現在の東京都荒川区出身。176cm、113kg。最高位は西十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。
経歴
[編集]1939年1月場所に初土俵。序ノ口で全敗したり、幕下から序二段まで下がるなど、出世が遅かったが、初土俵が同期の栃錦に「十両に上がったら俺の化粧廻しをやるから」と励まされて奮起し、初土俵から16年が経った1955年3月場所に30歳で十両昇進。1957年1月場所に32歳で引退し、若者頭に転じた。1987年6月に定年退職。
主な成績
[編集]- 通算成績:215勝242敗4休 勝率.470
- 十両成績:29勝46敗 勝率.387
- 現役在位:48場所
- 十両在位:5場所
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
1939年 (昭和14年) |
(前相撲) | x | (番付外) | x | ||
1940年 (昭和15年) |
(前相撲) | x | 東序ノ口36枚目 0–8 |
x | ||
1941年 (昭和16年) |
(前相撲) | x | 西序ノ口24枚目 5–3 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
西序二段42枚目 2–6 |
x | 西序二段60枚目 5–3 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
東序二段25枚目 3–5 |
x | 東序二段28枚目 4–4 |
x | ||
1944年 (昭和19年) |
西序二段20枚目 4–4 |
x | 西序二段9枚目 2–2–1 |
西序二段18枚目 4–1 |
||
1945年 (昭和20年) |
x | x | 東三段目16枚目 2–2–1 |
東三段目10枚目 3–2 |
||
1946年 (昭和21年) |
x | x | 国技館修理 のため中止 |
東幕下26枚目 2–5 |
||
1947年 (昭和22年) |
x | x | 西三段目7枚目 1–4 |
東序二段5枚目 2–4 |
||
1948年 (昭和23年) |
x | x | 西序二段9枚目 2–4 |
西序二段14枚目 4–2 |
||
1949年 (昭和24年) |
西三段目27枚目 4–8 |
x | 東序二段2枚目 9–6 |
西三段目20枚目 10–5 |
||
1950年 (昭和25年) |
西三段目筆頭 8–7 |
x | 東幕下26枚目 8–7 |
西幕下25枚目 7–8 |
||
1951年 (昭和26年) |
西幕下25枚目 7–8 |
x | 西幕下25枚目 8–7 |
東幕下20枚目 6–9 |
||
1952年 (昭和27年) |
東幕下26枚目 6–9 |
x | 東幕下30枚目 9–6 |
西幕下20枚目 6–9 |
||
1953年 (昭和28年) |
東幕下23枚目 5–10 |
西幕下29枚目 7–1 |
東幕下20枚目 4–2–2 |
東幕下17枚目 7–1 |
||
1954年 (昭和29年) |
西幕下7枚目 3–5 |
西幕下11枚目 3–5 |
東幕下14枚目 4–4 |
東幕下13枚目 5–3 |
||
1955年 (昭和30年) |
西幕下6枚目 7–1 |
西十両19枚目 7–8 |
西十両20枚目 4–11 |
西幕下2枚目 5–3 |
||
1956年 (昭和31年) |
東十両21枚目 8–7 |
西十両16枚目 5–10 |
東十両21枚目 5–10 |
西幕下5枚目 2–6 |
||
1957年 (昭和32年) |
西幕下10枚目 引退 1–7–0 |
x | x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 近藤 貢(こんどう みつぐ)1939年1月場所 - 1941年1月場所
- 海洋山(かいようざん)1941年5月場所 - 1947年11月場所
- 鶴美山 侑宏(つるみやま みともひろ)1948年5月場所 - 1957年1月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鶴美山 侑宏 - 相撲レファレンス