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潮錦義秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
潮錦(1958年ごろ)

潮錦 義秋(しおにしき よしあき、1924年9月25日 - 2005年6月24日)は、熊本県熊本市南区(現役当時は、同県下益城郡城南町)出身で時津風部屋(入門時は荒汐部屋)に所属した大相撲力士。本名は村上 義秋(むらかみ よしあき)。最高位は西張出小結(1959年7月場所)。身長183cm、体重110kg。得意手は左四つ、上手投げ[1]

来歴・人物

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16歳の時に荒汐部屋へ入門し、1941年1月場所に於いて初土俵を踏んだ[1]

三段目に在位中、荒汐部屋から双葉山道場(後の時津風部屋)に移籍。

途中で兵役で長く土俵を離れたこともあって出世が遅れ、十両昇進を果たしたのは、1948年10月場所。新入幕は1952年1月場所でのことで、この時、すでに27歳となっていた[1]

力が強く投げ捨てるような上手投げが持ち味であり、仁王のような風貌からも「仁王様」という渾名が付いた。だが、相撲ぶりはゆっくりで、廻しを掴まないと相撲にならなかった。そのため、「がっぷりからはじめれば強いのだが」と評され、中堅に甘んじていた[2]

また栃錦若乃花(ともに横綱)を苦手としており、この2人からは一度も白星を挙げられなかった。

それでも、幕内上位にあった1959年5月場所では、新横綱朝汐に土を付けるなどの活躍で9勝6敗と勝ち越して殊勲賞を受賞(なお、34歳7ヵ月での三賞初受賞は、2015年3月現在でも最年長記録である)。上述の朝汐戦では、右四つがっぷりから左上手投げを連発。こらえた朝汐が強引に寄って出るところを、さらに強烈な上手投げを放って転がし、金星を挙げた。翌7月場所、初土俵から凡そ18年かけて34歳9ヵ月で小結に初昇進。これは、年数では昭和以降に於いてもっともスローペースの新三役昇進であった[1][2]

しかし、同場所では3勝12敗と大負けし、三役はこの1場所しか務まらなかった。

1961年9月場所、十両に落ちて6日目から途中休場し、十両18枚目の地位で初日より休場した翌11月場所限りで引退。引退後は、年寄・式秀を襲名した[1]

1971年に13代立田川親方(元横綱・鏡里)が立田川部屋を創立した際には部屋付き親方として移籍したが、1986年には、移籍前に所属していた時津風部屋の部屋付き親方に戻った[3]

日本相撲協会では勝負審判を長く務め、停年まで協会に在籍した[1]

2005年6月24日、逝去。享年80。

主な成績・記録

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  • 通算成績:445勝475敗1分30休 勝率.484
  • 幕内成績:317勝371敗1分1休 勝率.461
  • 現役在位:72場所
  • 幕内在位:46場所[1]
  • 三役在位:1場所(小結1場所)
  • 三賞:1回
    • 殊勲賞:1回(1959年5月場所)
  • 金星:1個(朝汐から)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1951年9月場所)

場所別成績

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潮錦 義秋
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1941年
(昭和16年)
(前相撲) x 西序ノ口19枚目
6–2 
x x x
1942年
(昭和17年)
西序二段29枚目
6–2 
x 西三段目34枚目
4–4 
x x x
1943年
(昭和18年)
西三段目26枚目
4–4 
x 東三段目13枚目
4–4 
x x x
1944年
(昭和19年)
西三段目9枚目
4–4 
x 西三段目5枚目
4–1 
x x 東幕下25枚目
4–1 
1945年
(昭和20年)
x x 西幕下5枚目
 
x x x
1946年
(昭和21年)
x x 国技館修理
のため中止
x x 西幕下4枚目
3–4 
1947年
(昭和22年)
x x 東幕下8枚目
3–2 
x x 東幕下2枚目
3–3 
1948年
(昭和23年)
x x 西幕下筆頭
4–2 
x 西十両10枚目
6–5 
x
1949年
(昭和24年)
西十両7枚目
6–7 
x 東十両9枚目
8–7 
x 東十両7枚目
7–8 
x
1950年
(昭和25年)
西十両8枚目
8–7 
x 西十両3枚目
6–9 
x 西十両7枚目
5–10 
x
1951年
(昭和26年)
西十両12枚目
8–7 
x 西十両10枚目
11–4 
x 東十両2枚目
優勝
13–2
x
1952年
(昭和27年)
西前頭15枚目
7–7–1[注 1] 
x 東前頭16枚目
7–7
(1引分)
 
x 東前頭15枚目
8–7 
x
1953年
(昭和28年)
西前頭11枚目
6–9 
東前頭13枚目
11–4 
東前頭8枚目
7–8 
x 西前頭8枚目
11–4 
x
1954年
(昭和29年)
東前頭2枚目
1–14 
西前頭10枚目
7–8 
東前頭11枚目
9–6 
x 東前頭6枚目
8–7 
x
1955年
(昭和30年)
西前頭3枚目
2–13 
東前頭11枚目
8–7 
西前頭10枚目
8–7 
x 東前頭7枚目
6–9 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭10枚目
6–9 
東前頭12枚目
8–7 
西前頭11枚目
6–9 
x 東前頭15枚目
8–7 
x
1957年
(昭和32年)
東前頭14枚目
6–9 
東前頭17枚目
8–7 
東前頭14枚目
8–7 
x 東前頭13枚目
9–6 
西前頭8枚目
9–6 
1958年
(昭和33年)
東前頭3枚目
2–13 
東前頭12枚目
8–7 
西前頭11枚目
7–8 
東前頭12枚目
10–5 
東前頭6枚目
6–9 
東前頭9枚目
9–6 
1959年
(昭和34年)
西前頭5枚目
6–9 
西前頭7枚目
9–6 
西前頭4枚目
9–6
西張出小結
3–12 
東前頭5枚目
6–9 
西前頭9枚目
8–7 
1960年
(昭和35年)
東前頭6枚目
9–6 
西前頭3枚目
5–10 
東前頭9枚目
8–7 
東前頭7枚目
7–8 
西前頭5枚目
8–7 
西前頭3枚目
2–13 
1961年
(昭和36年)
西前頭9枚目
8–7 
東前頭4枚目
5–10 
東前頭7枚目
4–11 
西前頭13枚目
4–11 
東十両4枚目
1–5–9 
西十両18枚目
引退
0–0–15
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 1944年から47年までの11月は東京、1948年から51年までの9月(10月)は大阪で開催。

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
朝潮(米川) 3 7 東海 3 0 東富士 0 1 愛宕山 5(1) 3
一乃矢 1 0 五ッ洋 1 3 岩風 4 7 宇多川 2 2
及川 4 3 追手山 2 0 大瀬川 9 2 大起 8 6(1)※
大ノ浦 2 0 大晃 15 11 小城ノ花 4 5 小野錦 1 0
大蛇潟 2 2 海山 9 13 甲斐ノ山 3 3 開隆山 0 2
柏戸 0 3 金ノ花 2 3 神生山 1 3 神錦 8 4
起雲山 1 0 清ノ森 2 1 九州錦 2 2 国登 8 9
鯉ノ勢 1 3 高津山 1 1 琴ヶ濱 8 9 琴錦 3 1
櫻國 4 1 佐田の山 0 1 信夫山 7 14 信夫竜 0 2
嶋錦 8 9 清水川 4 5 新川(玉響) 2 8 大鵬 0 4
大龍 0 1 高錦 0 4 楯甲 0 1 玉乃海 9 7
千代の山 1(1) 6 常錦 3 1 常ノ山 8 5 輝昇 3 4
出羽錦 5 10 出羽ノ花 0 3 出羽湊 2 5 栃錦 0 10
栃ノ海 2 1 栃光 4 7 鳴門海 7 13 成山 8 6
白龍山 1 0 羽嶋山 6 13 羽子錦 4 0 緋縅 3 3
備州山 3 2 秀湊 1 1 平ノ戸 0 1 広瀬川 10 3
福田山 3 7 福ノ海 3 3 福ノ里 1 1 房錦 4 7
藤田山 3 0 冨士錦 1 3 二瀬山 6 2 前ノ山(佐田岬) 1 3
増巳山 2 0 松登 9 7 三根山 0 7 宮城海 0 1 
宮錦 8 7 明武谷 3 3 八染 7 1 吉井山 6 3
芳野嶺 7 3 吉葉山 0 2 若瀬川 5 6 若秩父 5 2
若ノ海 7 8 若乃國 4 4 若乃花(初代) 0 13 若前田 8 10
若三杉 4 6
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

※他に大起と引分が1つある。

関連項目

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参考文献

[編集]

脚注

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注釈

[編集]
  1. ^ 左足関節捻挫により14日目から途中休場

出典

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  1. ^ a b c d e f g ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p24
  2. ^ a b ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p41
  3. ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39