1964年の相撲
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1964年の相撲(1964ねんのすもう)は、1964年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、北の冨士新入幕。初場所後、栃ノ海の横綱推挙決定。役員改選で二所ノ関が取締に就任。二子山、振分らが勝負検査役。力士の報奨金、諸手当増額。
- 2月、ハワイ、ロサンゼルス巡業。後の高見山がハワイから高砂部屋に入門。
- 3月、玉乃島が新入幕。入幕2場所目の北の冨士が新小結。
- 4月、広島準本場所11日間、横綱大鵬優勝。
- 5月、夏場所、横綱大鵬は4日目、前頭2枚目前田川に敗れ34連勝でストップ。8日目、ソ連のミコヤン副首相観戦。13日目、昭和天皇、皇后観戦。
- 6月、大鵬がエールフランスの招待で渡欧。栃ノ海がパンアメリカン招待で渡米。
- 7月、名古屋場所、2日目から3連敗の大鵬は5日目から休場して入院。その後、三島の禅寺で5日間修行。相撲協会は新潟地震に際し義援金を送る。
- 9月、秋場所、3日目の大鵬対若浪戦の勝負判定などについて、時津風理事長が全勝負検査役を叱責。元関脇出羽錦引退、年寄田子ノ浦襲名。
- 10月、大阪準本場所15日間、大鵬優勝。
- 11月、九州場所12日目の海乃山-荒波戦で、荒波が海乃山の髷を掴んだが、軍配は荒波に挙がり物言いつくも軍配どおり。湊川検査役(元前頭筆頭十勝岩)が謹慎処分。
- 12月、小野川部屋が出羽海部屋に、追手風部屋が立浪部屋に、錦島部屋が時津風部屋にそれぞれ合併。いずれも、来年1月場所から実施の部屋別総当たり制を見越してのもの。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館、12~26日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(15戦全勝,12回目)
- 殊勲賞-大豪、敢闘賞-北の冨士、技能賞-清國
- 十両優勝 : 若天龍祐三(13勝2敗)
- 三月場所(大阪府立体育会館 8~22日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(15戦全勝,13回目)
- 殊勲賞-開隆山、敢闘賞-若見山、技能賞-鶴ヶ嶺
- 十両優勝 : 栃王山峰啓(12勝3敗)
- 五月場所(蔵前国技館、10~24日)
- 幕内最高優勝 : 栃ノ海晃嘉(13勝2敗,3回目)
- 殊勲賞-沢光、敢闘賞-若浪、技能賞-北の冨士
- 十両優勝 : 淺瀬川健次(12勝3敗)
- 七月場所(金山体育館、6月21~7月5日)
- 幕内最高優勝 : 富士錦章(14勝1敗、1回目)
- 殊勲賞-明武谷、敢闘賞-富士錦、技能賞-富士錦
- 十両優勝 : 長谷川勝利(13勝2敗)
- 九月場所(蔵前国技館、6~20日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(14勝1敗,14回目)
- 殊勲賞-開隆山、敢闘賞-明武谷、技能賞-前田川
- 十両優勝 : 義ノ花成典(12勝3敗)
- 十一月場所(福岡スポーツセンター、8~22日)
- 幕内最高優勝 : 栃ノ海晃嘉(14勝1敗,2回目)
- 殊勲賞-明武谷、敢闘賞-青ノ里、技能賞-北の富士
- 十両優勝 : 追手山貢(13勝2敗)
誕生
[編集]- 1月15日 - 出羽の邦真光(最高位:十両3枚目、所属:出羽海部屋)
- 2月6日 - 克之(副立呼出、所属:花籠部屋→放駒部屋→芝田山部屋)
- 4月26日 - 吾郎(三役呼出、所属:押尾川部屋→大嶽部屋)[1]
- 5月3日 - 梅の里昭二(最高位:十両13枚目、所属:高砂部屋)
- 6月23日 - 智ノ花伸哉(最高位:小結、所属:立浪部屋、年寄:玉垣)[2]
- 6月24日 - 陸奥北海勝昭(最高位:十両6枚目、所属:安治川部屋、世話人:陸奥北海)[3]
- 6月26日 - 剛堅大二朗(最高位:十両5枚目、所属:高砂部屋)
- 7月24日 - 清乃洋文幸(最高位:十両13枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋)
- 10月14日 - 旭道山和泰(最高位:小結、所属:大島部屋)[4]
- 10月28日 - 琴富士孝也(最高位:関脇、所属:佐渡ヶ嶽部屋)[5]
- 11月26日 - 床貴(一等床山、所属:二子山部屋→藤島部屋→二子山部屋→貴乃花部屋→阿武松部屋)
- 11月29日 - 床好(一等床山、所属:時津風部屋)
- 12月14日 - 大善尊太(最高位:小結、所属:二所ノ関部屋、年寄:富士ヶ根)[6]
死去
[編集]- 2月12日 - 五十嵐敬之助(最高位:前頭4枚目、所属:勝ノ浦部屋、* 1884年【明治17年】)[7]
- 2月15日 - 小牛田山金太郎(最高位:前頭2枚目、所属:伊勢ノ海部屋、* 1893年【明治26年】)[8]
- 4月15日 - 不動岩三男(最高位:関脇、所属:粂川部屋→双葉山道場→時津風部屋、* 1924年【大正13年】)[9]
- 4月16日 - 大潮又吉(最高位:関脇、所属:陸奥部屋、* 1893年【明治26年】)[10]
- 5月17日 - 出羽湊利吉(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、* 1907年【明治40年】)[11]
- 8月4日 - 太刀ノ海浪右エ門(最高位:前頭3枚目、所属:友綱部屋→東関部屋→高砂部屋、* 1894年【明治27年】)[12]
- 8月8日 - 駒錦信樹(最高位:前頭13枚目、所属:井筒部屋→出羽海部屋、* 1901年【明治34年】)[13]
- 12月30日 - 太郎山勇吉(最高位:前頭5枚目、所属:浦風部屋→高砂部屋→伊勢ヶ濱部屋、年寄:浦風、* 1901年【明治34年】)[14]
出典
[編集]- ^ 「令和4年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2022年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、14頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 237頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、8頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 222頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 217頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 231頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 20頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 46頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 108頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 42頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 84頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 52頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 72頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 59頁
参考文献
[編集]- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p59