1901年の相撲
表示
1901年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
競輪 |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
サッカー |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
自転車競技 |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
相撲 |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
日本競馬 |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
バスケットボール |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
バレーボール |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
野球 |
1899年 1900年 1901年 1902年 1903年 |
■ヘルプ |
1901年の相撲(1901ねんのすもう)は、1901年の相撲関係のできごとについて述べる。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[1]
- 興行場所:本所回向院
- 1月10日より晴天10日間興行
- 5月場所(大阪相撲)[2]
- 興行場所:南地五階南手空地
- 晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[3]
- 興行場所:本所回向院
- 5月15日より晴天10日間興行
誕生
[編集]- 3月25日 - 太郎山勇吉(最高位:前頭5枚目、所属:浦風部屋→高砂部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 1964年【昭和39年】)[4]
- 3月29日 - 玉碇佐太郎(最高位:前頭筆頭、所属:出羽海部屋、+ 1975年【昭和50年】)[5]
- 4月6日 - 荒浪源四郎(最高位:十両5枚目、所属:立浪部屋、+ 1932年【昭和7年】)
- 4月10日 - 藤ノ里栄藏(最高位:前頭5枚目、所属:湊川部屋→高嶋部屋→出羽海部屋、+ 1949年【昭和24年】)[6]
- 4月12日 - 柏山大五郎(最高位:関脇、所属:山科部屋、+ 1979年【昭和54年】)[7]
- 8月15日 - 24代木村庄之助(元・立行司、所属:阿武松部屋→出羽海部屋、+ 1973年【昭和48年】)[8]
- 8月25日 - 綾ノ浪俊一郎(最高位:前頭7枚目、所属:湊川部屋→追手風部屋→湊川部屋、+ 1984年【昭和59年】)[9]
- 9月27日 - 5代式守勘太夫(元・三役格行司、所属:伊勢ノ海部屋→鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 1984年【昭和59年】)
- 12月2日 - 駒錦信樹(最高位:前頭13枚目、所属:井筒部屋→出羽海部屋、+ 1964年【昭和39年】)[10]
- 12月12日 - 開心栄(最高位:十両8枚目、所属:宮城野部屋、+ 没年不明)
死去
[編集]- 7月12日 - 綾浪徳太郎(最高位:関脇、所属:高砂部屋、年寄:追手風、* 1856年【安政3年】)
- 11月25日 - 鞆ノ平武右衛門(最高位:関脇、所属:玉垣部屋→雷部屋、* 1849年【嘉永2年】)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, pp. 172–173.
- ^ 酒井, pp. 176–177.
- ^ 酒井, pp. 174–176.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 59頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 67頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 70頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 53頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 360頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 71頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 72頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。