大倭東洋
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大倭 東洋(おおやまと とうよう、1971年1月21日 - 2015年6月24日[1])は、石川県輪島市出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は白崎 東洋(しろさき とうよう)。身長179cm、体重142kg。最高位は東十両12枚目(1994年1月場所)。得意技は突き、押し。
来歴
[編集]金沢高校から日本大学を経て元関脇栃司の入間川部屋に入門。1993年3月場所に同じ日大の大内とともに、幕下60枚目格付出で初土俵を踏んだ。幕下をわずか5場所で通過し1994年1月場所で新十両を果たす。師匠が部屋を興して最初の関取となった。しかし、5勝10敗と大きく負け越し1場所で幕下に陥落。更に、幕下落ちした場所の三番相撲(相手は琴龍)で腰を痛める。その後も腰痛は悪化し続け、出場と休場を繰り返し、ついに序二段180枚目まで落ちてしまう。これは十両経験者としては昭和以降、当時3位の最低記録である。序二段の下位でも負け越してしまうなど全く相撲が取れず、1996年11月場所限りで引退した。
上述の通り初土俵から新十両が早く、関取在位中に頭髪が大銀杏を結える長さに到達しておらず、幕下陥落後も十両力士との対戦が組まれなかったため、関取経験者ながら本場所の土俵で大銀杏を結うことなく引退した。また、大倭の四股名を名乗っていたのは唯一十両に在位した1994年1月場所及び翌3月場所のみで、その他の場所では本名の白崎を四股名としていた。
現役引退後は会社員となったが、後に帰郷し、晩年は人工透析を受けていた。2015年6月24日、石川県輪島市にて死去。44歳没[2]。
主な成績
[編集]- 通算成績:64勝59敗46休 勝率.520
- 十両成績:5勝10敗 勝率.333
- 現役在位:23場所
- 十両在位:1場所
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1993年 (平成5年) |
x | 幕下付出60枚目 6–1 |
西幕下31枚目 5–2 |
西幕下18枚目 6–1 |
西幕下4枚目 5–2 |
西幕下筆頭 5–2 |
1994年 (平成6年) |
東十両12枚目 5–10 |
東幕下6枚目 0–3–4 |
西幕下41枚目 休場 0–0–7 |
西幕下41枚目 4–3 |
東幕下32枚目 5–2 |
西幕下21枚目 3–4 |
1995年 (平成7年) |
西幕下31枚目 休場 0–0–7 |
東三段目11枚目 1–6 |
東三段目44枚目 4–3 |
東三段目28枚目 4–3 |
東三段目17枚目 2–5 |
東三段目42枚目 休場 0–0–7 |
1996年 (平成8年) |
西序二段2枚目 休場 0–0–7 |
西序二段72枚目 休場 0–0–7 |
東序二段143枚目 2–5 |
東序二段180枚目 4–3 |
西序二段149枚目 3–4 |
西序二段174枚目 引退 0–0–7 |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 白崎 東洋(しらさき とうよう)1993年3月場所 - 11月場所
- 大倭 東洋(おおやまと -)1994年1月場所 - 3月場所
- 白崎 東洋(しらさき -)1994年5月場所 - 1996年11月場所
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『北國新聞』2015年6月25日朝刊 28面 おくやみ欄
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年8月号(名古屋場所総決算号) 127頁