雲仙嶽光徳
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雲仙嶽 光徳(うんぜんだけ みつのり、1913年2月15日[1] - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属[1]。本名は福本 光徳[1]。最高位は十両3枚目[1]。
経歴
[編集]長崎県佐世保市出身。出羽海部屋に入門し、1930年10月に本名の「福本」で初土俵を踏む。1938年1月十両に昇進[2]。1939年1月から2年間応召され、1941年1月に復帰した。1942年5月自己最高位となる東十両3枚目まで上がるが、この場所3勝12敗と大きく負け越し廃業した[2]。身長184cmと当時としては長身だったが、兵役に取られていたのと、腰を痛めたため大成できなかった。
改名
[編集]福本→雲仙嶽[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年