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広瀬与兵衛

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廣瀬與兵衞から転送)

広瀬 与兵衛(廣瀬 與兵衞[1]、ひろせ よへえ、1891年明治24年)1月3日[2][3] - 1966年昭和41年)6月5日[2][4])は、昭和期の実業家政治家参議院議員(1期)。旧姓は長谷川、旧名は勉[3][5]

経歴

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神奈川県[2][4]で長谷川豊吉の六男として生まれ、東京府の薪炭商、先代・広瀬与兵衛の養子となる[3][5]中央大学を修了[4][注 1]。1926年(大正15年)に家督を継承し与兵衛を襲名して家業の薪炭商を経営した[3][5]

東京都燃料卸商業組合理事長、同燃料配給統制組合理事長、全国燃料団体連合会長、日本薪炭社長、ほまれ鋳物社長、中野木材工業社長、東京燃料林産取締役会長、千代田製鉄取締役会長、中央倉庫取締役、神田錦町町会長、東京商工会議所議員、商工組合中央会理事、同中央金庫評議員などを務めた[3][4][5]

1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙全国区から無所属で出馬して初当選し[2][6]、参議院議員に1期在任[4]。その間、参議院自由党副会長、参議院建設委員長、第4次吉田内閣文部政務次官などを務めた[2][4]。1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙で全国区から自由党公認で出馬したが落選した[7]

1965年(昭和40年)春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[8]

1966年(昭和41年)6月5日死去、75歳。死没日をもって正五位に叙される[1]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』523頁では卒業。

出典

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  1. ^ a b 『官報』第11845号17-18頁 昭和41年6月9日号
  2. ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』523頁。
  3. ^ a b c d e f 『大衆人事録 第14版 東京篇』835頁。
  4. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』394頁。
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第15版 下』ヒ21頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』538頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』544頁。
  8. ^ 『官報』第11513号14頁 昭和40年4月30日号

参考文献

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  • 『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
小林英三
日本の旗 参議院建設委員長 次代
下条恭兵