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昭和文化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和文化(しょうわぶんか)は、昭和天皇が在位した時代(昭和元年(1926年12月25日 - 昭和64年(1989年1月7日)に開花した文化を指す。

歴史

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戦前・戦中期

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1926年昭和元年)12月25日昭和天皇即位。ラジオ放送が開始され、大都市ではサラリーマン層が出現。洋服洋食が普及。近代的な市民文化が定着しはじめるが、満州事変二・二六事件を経て特に日中戦争以降しだいに軍国主義的な要素が濃くなっていく。1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃。1945年(昭和20年)8月15日、敗戦。

戦後復興期

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戦後混乱期戦後復興期第二次世界大戦終結から、アメリカ軍をはじめとする連合国軍が日本を占領し、GHQのもと民主化が進められる。政治や社会の混乱の中で、戦後復興が進められた。

高度経済成長期

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1950年(昭和25年)、朝鮮特需1952年(昭和27年)、サンフランシスコ平和条約発効。

高度経済成長が始まると、庶民生活にも豊かさが流れ込み、生活の改善が進む。新幹線が開通し、東京オリンピックが開催される。一方で公害が問題となった。

安定成長期

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高度経済成長は1973年(昭和48年)から1974年(昭和49年)にかけてオイルショックで終了するが、高度経済成長によってもたらされた消費文化が広く行き渡り、一億総中流と呼ばれた時期である。

バブル期

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1985年(昭和60年)のプラザ合意によりバブル時代に移行する。

昭和文化の対象となる主な事物や人物

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事物

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昭和元年代および昭和10年代

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「紀元二千六百年記念日本万国博覧会」公式ポスター
日本海軍予科練「ハトポッポ」ことリンクトレーナー
阪神間モダニズムの代表例の一つ「旧阪急梅田駅コンコース(大阪市)」
看板建築の代表例の一つ「神田神保町すずらん通り」
神戸市立御影公会堂
上野駅舎
南海ビルディング(南海鉄道難波駅舎(四代目))
三越日本橋本店本館
丸井今井函館店(初代店舗建物。現:函館市地域交流まちづくりセンター)
『赤い鳥』創刊号表紙
氷川丸
特急あじあ号
トヨダ・AA型乗用車(復元車)正面
トヨダ・AA型乗用車(復元車)後面
「次世代装甲空母」として期待されていた「大鳳」
九七式中戦車(新砲塔チハ)チハ改
欧米列強の主力戦車水準を目指し、開発途上であった「四式中戦車」
川崎 キ61 三式戦闘機「飛燕」
「のんきな父さん」ブリキ玩具のひとつ
『桃太郎 海の神兵』の一場面
1933年版『キングコング』のポスター
映画『フラッシュ・ゴードンの火星旅行』のポスター
斎藤佳三装画の主題歌楽譜(ビクター・1929年)
雑誌「少年倶楽部」表紙

昭和20年代

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著名なコピーライカの一つ、キヤノンIVSb

昭和30年代

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廃止された昭和53年(1978年)当時の京都市電

昭和30年代から40年代にかけて広く使われたが、その後に代替となるものが開発されたり、社会事情の変化で不要になったりして廃れていったもの、廃れていきつつあるものが対象となる。

昭和40年代

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Secret Ball(卓上おみくじ)

昭和50年代

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昭和60年代

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昭和60年(1985年)~昭和64年(1989年1月7日(4年1週間) バブル景気も参考とする

プロデューサー巻き/襟立て

人物

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昭和元年代および昭和10年代

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昭和20年代

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昭和30年代

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昭和40年代

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昭和50年代

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昭和60年代

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昭和文化を舞台(もしくはモチーフ、オマージュ)に後年に創作・執筆・製作された主な娯楽作品

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昭和元年代 - 昭和20年代(戦前・戦中・戦後)

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昭和30年代

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昭和40年代

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昭和50年代

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昭和60年代(1989年(昭和64年)1月7日まで)

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架空の昭和70年代以降

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現実世界の昭和は64年で終了しているが、創作作品には64年以降も「昭和」が存続しているという設定の物も存在している。これには純粋な昭和文化以外に、現実世界とは別のパラレルワールドを示す事を意図した場合もある。

また、『トップをねらえ!』や『Project BLUE 地球SOS』、『20世紀少年』など、劇中で「昭和」の元号こそ使用されていないものの、昭和文化を感じさせる未来世界を描いた作品も存在している。レトロフューチャーも参照。

昭和レトロの世界・その魅力

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文化・メディア研究者の高野光平は、平成生まれに昭和がうける理由として、デザイン性、アナログ文化の心地よさ、昭和には生まれていないが親戚の家などで昭和文化の残光を知っていること、コンプラ無視の自由さを挙げている。

高野によると昭和ブームは何回かある。

  • 1980年代後半のレトロブーム - 昭和から江戸情緒や大正ロマンまで古ければ何でもありの流行。
  • 2005年頃の昭和ブーム - 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』公開前後。1960年代から1970年代のレトロブーム。
  • 2017年頃の昭和ブーム - 1980年代からバブル時代のレトロブーム。アナログ文化頂点の時代としての絶対性[3]
昭和レトロの世界(板橋区熊野町交差点・ほか)

テレビ番組

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脚注

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注釈

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  1. ^ この内、「紀元二千六百年奉祝東亜競技大会」については、開催中止された昭和15年東京オリンピック大会の代替イベント的役割も担わされ、「アジアのオリンピック」とも呼ばれた。
  2. ^ 南樺太豊原会場および大泊会場の二箇所で開催。
  3. ^ 陸軍特別大演習については、現代での陸上自衛隊による富士総合火力演習同様、一般人も多数見学出来た。明治22年より昭和11年まで毎年、日本各地で実施・巡演。参加兵員・見学一般人員は共に大きく、事実上、観光イベントの側面も持ち合わせたので開催地にもたらされる経済効果は大きかった。 参考HP
  4. ^ 戦前において、東洋一の国際空港。当時の民間航空機技術水準の問題上、関東・関西の空港よりも地理的に上海などの中国大陸に近い北九州に開港されていたこの空港が中心的な役割を果たし、国際便数も圧倒的に多かった。関東・関西に住む当時の富裕層や著名人は、一旦最寄の飛行場より飛行機でここへ向かい、雁ノ巣飛行場発の国際路線に乗り換えて海外旅行を行った。
  5. ^ 講談社が発売していた濃縮タイプの滋養ジュース飲料。
  6. ^ 第一次世界大戦ドイツ軍捕虜ドイツ人食肉マイスター ヘルマン・ウォルシュケにより、日米野球開催中の甲子園球場で売られた日本最初のホットドッグ解説HP
  7. ^ 篠崎商店により製造・販売された国産初のバターボール
  8. ^ 銀座若松が発祥とされている。
  9. ^ オープン当初の名称は「関西国民航空錬成場」。軍用機啓蒙テーマパーク施設。
  10. ^ 後に、→吉行あぐり美容室→吉行あぐりサロンに改称。 http://www.sainet.or.jp/~junkk/mavo/aoi.htm 参考画像HP ※ 上から二番目]
  11. ^ 後に西武福井店となる福井県福井市地元百貨店。松竹歌劇団を模した「だるま屋少女歌劇部」創設および同組織用常設劇場の建設なども手掛けた。
  12. ^ 当時、まだまだ高層建築が殆ど無かった東京都内で愛宕山(標高25.7m)頂上に建築・運営される。
  13. ^ 戦前の日本が、ドイツの国民ラジオの影響を受け、出来るだけ低価格で販売する事を目指したラジオ受信機。基本的な全体デザイン・回路の共通化について、国産家電メーカー全社に徹底させ、昭和10年代の各世帯へ広く普及させる事に成功している。
  14. ^ 民生技術研究成果の商品化は理研グループ
  15. ^ 太宰治など文豪が多数、愛用していた東京市京橋区(現東京都中央区)銀座最初のバー。
  16. ^ 東京方言の一種。例えば女性用では語尾に「ですの」「ですのよ」といった言葉が付く。関東大震災東京大空襲で使い手が激減したと言われる。著名な使い手として、女性タレント兼高かおるなど。
  17. ^ 陸軍皇道派主導による天皇制社会民主主義国家化・寄生地主撤廃による農地開放・財閥企業体の接収国営化。後にGHQ民政局の手により多くの政策が具現化される。
  18. ^ 陸軍統制派主導による社会主義国家創立・計画経済採用の提唱。
  19. ^ クリスマスと同じ12月25日、大正天皇崩御して設けられた新たな祝日。1947年(昭和22年)まで続き、日本でのクリスマス普及に大きな役割を果たす。
  20. ^ 講談社が日本全国から集め、毎年30倍近い競争率で採用の後、修養教育を施しながら労働させた社員見習い児童勤務部署。ただでさえ講談社が雑誌少年倶楽部などを通じ当時の児童達憧れの人気出版企業であったばかりでなく、家庭の経済的事情で中学への進学が適わない事が珍しく無かった時代に、三食付きの全寮制で剣道や勉強も学べ、月5円の給料が支給され、やがては大卒社員と一緒に正社員いわゆるサラリーマン採用の途も開かれている夢の様な民間企業主催制度として羨望の的だった。
  21. ^ 独ダイムラーベンツ社DB 601液冷エンジンのライセンス購入、ハ40液冷エンジンとして国産化成功。外見もBf109に似ていた事から「和製メッサー」とも呼ばれた。他、「ロクイチ」「キのロクイチ」「ロクイチ戦」」など呼称が付く。
  22. ^ 民間旅客機会社「大日本航空」名義で米国より輸入した最新鋭旅客機「ダグラス DC-4E」をベースに、次世代陸軍爆撃機として大幅改良開発。意図していた性能は満たせなかったが、後に輸送機として活躍。
  23. ^ 日本陸軍および日本海軍落下傘部隊(空挺部隊)もしくは落下傘兵(空挺兵)。
  24. ^ 漫画雑誌ではなく、紙芝居を通じ知れ渡る。
  25. ^ 戦後に製作・公開される『若大将シリーズ』の戦前版的作品。
  26. ^ 「我が闘争」日本版の書籍名。日本人、及びアジア人全般への蔑視的表現部分は削除の上、出版された。
  27. ^ 小説雑誌だが、邦訳された「ポパイ」なども連載されていた。
  28. ^ 国際情報社。邦訳された「黒猫フェリックス(フィリックス)」(ジョー・オリオロ作)等を掲載。
  29. ^ 2011年に東日本大震災に誘発されて福島第一原子力発電所事故が発生した後は、同事故と込みで語られることが多くなった。
  30. ^ 古川ロッパ(古川緑波)生駒雷遊徳川夢声など十数名が参加。
  31. ^ 当時、有名子役として「日本のシャーリー・テンプル」と呼ばれた。
  32. ^ 大河内傳次郎阪東妻三郎嵐寛寿郎片岡千恵蔵市川右太衛門長谷川一夫(旧芸名:林長二郎)七剣聖(時代劇六大スターに、月形龍之介を加えたもの)。
  33. ^ 血筋が由緒ある五摂家の近衞家第30代目当主であり後陽成天皇の12世孫、更に左右思想・国内外を問わず広い人脈を持つなど、当初は大きな期待を寄せられ人気があった。
  34. ^ 立憲政友会ニューリーダーとして国民から人気があったが、急逝。
  35. ^ 官僚でありながら国民的人気・知名度は高く、「東京市長」「逓信大臣」「内務大臣」「外務大臣」「台湾総督府民政長官」「南満州鉄道(満鉄)初代総裁」を歴任。
  36. ^ 日本式の漢字など、日本語の独学にも熱心に取り組んでいた。
  37. ^ 芥川賞直木賞を創設した流行有名作家の他、雑誌文藝春秋創業社長で大映初代社長という実業家の面を持つ。麻雀愛好家で馬主であり愛人も多数、当時まだ航空運賃相場が超高額で利用者も珍しかった旅客機国内便(大日本航空)を頻繁に利用するなど生活も華美で派手だった。

出典

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関連項目

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  • 昭和モダン
  • 昭和レトロポップ - 昭和40年前後限定版「昭和ノスタルジー」。
  • 平成イエスタデイ - 平成版「昭和ノスタルジー」の語句候補のひとつとされている(他、「平成レトロ」「平成レトロポップ」「平成サイバー」「平成ノスタルジア」など)。「遥か昔」感が込められた「昭和ノスタルジー」とは異なり、「つい昨日の様な」過去の時代という意味合いの濃さが込められている。
  • レトロテーマパーク