ニューギンザ百貨店
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 北海道小樽市稲穂町東8-26[1][2] |
設立 | 1950年(昭和25年)4月18日[1] |
代表者 | 社長 宮本清治[1][2] |
資本金 | 2100万円[2] |
売上高 |
30億円 (1966年度)[2] |
従業員数 | 374[2] |
決算期 | 1月[1] |
主要株主 | 宮本清治[1][2] |
ニューギンザ百貨店 NEW GINZA | |
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店舗概要 | |
所在地 | 北海道小樽市稲穂1丁目 |
開業日 | 1955年 |
閉業日 | 1988年(昭和63年)7月3日[3] |
正式名称 | ニューギンザ百貨店 |
商業施設面積 | 4,748 m²[2] |
営業時間 | 10:00-18:00[2] |
前身 | 河野呉服店 |
後身 |
小樽グランドホテル (1990年 - 2009年2月15日)[4] |
最寄駅 | 小樽駅 |
ニューギンザ百貨店(ニューギンザひゃっかてん)は、1955年(昭和30年)から1988年(昭和63年)まで北海道小樽市にあった日本の百貨店である。
歴史・概要
[編集]1917年(大正6年)北海道小樽市の稲穂第一大通り(現在の小樽サンモール一番街)で河野呉服店を創業したのが始まりである[5]。
1945年(昭和20年)に宮本清治が、河野呉服店の店頭を借りて繊維小物類の販売を開始[6]。 その後、宮本清治は河野呉服店の株式の譲渡を受け[6]、1950年(昭和25年)4月18日に[1]資本金500万円で株式会社ニューギンザ百貨店を設立した[6]。
1955年(昭和30年)にニューギンザ百貨店として百貨店となり[6]、1934年(昭和9年)に小樽で最初の百貨店となった地場資本の大国屋や札幌市から進出してきた丸井今井[5]と共に小樽を代表する3大百貨店が同じ稲穂第一大通り(現在の小樽サンモール一番街)に位置[5][7]して激しい競争を繰り広げた[5]。
そして小樽の百貨店の中では最小の売場面積(2,823m2)だった[8]にもかかわらず1965年(昭和40年)には売上高14.1億円[8]で13.5億円だった大国屋(売場面積3,821m2)や丸井今井(売場面積4,318m2)[8]を上回って地域一番店となった[5]。
1962年(昭和37年)にサンデパート2階にニューギンザストアを開店して、札幌市に進出[6]。 1967年(昭和42年)に琴似にニューギンザストア琴似店を開店した[6]。
しかし、1970年(昭和45年)6月には業績不振から債務整理に追い込まれ[9]、宮本清治社長ら全役員が退任して[10]、経営陣が交替した[5]。
小樽駅前市街地再開発事業で建設されるビルのうち第2ビルへの出店を申し込んだが、長崎屋が選定されたことから、当社の出店は実現しなかった[11]。
当社が進出できなかった小樽駅前再開発で[11]、1975年(昭和50年)4月に長崎屋を核店舗とするショッピングセンター・サンポートが2倍くらいの店舗面積[5](売場面積12,066m2[7])でオープンして開店1ヶ月で市内の人口の1.5倍となる30万人を集めて順調な売上を上げて既存の商店街の売上を奪った[5]為、売上は減少傾向を辿った。
ショッピングセンター・サンポートや札幌市への消費流出への対抗策として1982年(昭和57年)に再開発準備組合が結成され[5]、その議論の結果としてニューギンザ百貨店と旧北海ホテルを中心として再開発が行い[5][12]、丸井今井(売場面積11,500m2)を核とする施設(売場面積14,500m2)[5]が建設されることになり、その開発を担う小樽開発が1988年(昭和63年)に設立された[5][7][12]。 1988年(昭和63年)7月3日に閉店し、その歴史に終止符を打った[3]。 建物は、同年8月に解体された[10]。
跡地再開発は予定通りに行われ、1990年(平成2年)9月に丸井今井が拡張移転したが[5][12]、1999年(平成11年)3月11日に小樽築港駅の近くに約5,000台の無料駐車場を持ち、約7倍の売場面積98,000m2を誇るマイカル小樽(現在のウイングベイ小樽)がオープンする[5]など郊外型のショッピングセンターの開設が相次いで競争が激化して中心市街地の集客力を奪った為[5][12]、2005年(平成17年)10月に丸井今井も閉店し[5][7][12]、その跡地で2005年(平成17年)11月から営業していた専門店街「おたるサンモール・ネオ」[5]も2009年(平成21年)3月23日に閉店した[13]。
2010年(平成22年)2月に債権者の申立で土地建物の競売開始が決定され[12]、2010年(平成22年)4月12日には再開発を担った小樽開発も倒産したが[12]、旧小樽開発以外に権利者・地権者が複数いて権利関係が複雑なことなども影響し、2010年(平成22年)4月と2011年(平成23年)9月に2回行われた競売が不調に終わり、2012年(平成24年)1月6日に札幌地方裁判所は1回目の約10分の1の買い受け可能価額約6671万円で3回目の競売を行うと発表している[14]。
脚注・出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『会社総鑑 1962年版』 日本経済新聞社、1962年。pp707
- ^ a b c d e f g h i 『デパートニューズ調査年鑑 1967年度版』 デパートニューズ社、1967年。pp255
- ^ a b 『小樽市史 第10巻 社会経済編』 小樽市、2000年2月。pp380
- ^ “小樽グランドホテル 2月15日に閉鎖”. 小樽ジャーナル. (2009年1月15日) 2016年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 衣川恵. “小樽市のまちづくりと中心市街地活性化策”. 地域総合研究第37巻第1号 (鹿児島国際大学地域総合研究所) (2009).[要ページ番号]
- ^ a b c d e f g 『小樽市史 第10巻 社会経済編』 小樽市、2000年2月。pp386
- ^ a b c d 三橋重昭. “シリーズ 活き活き商店街とまちづくり 質の高い都市型観光のまちづくりを目指す 小樽市・「花銀通り・堺町本通り」”. 月刊専門店第44号-通巻697号 (日本専門店会連盟) (2008-12).[要ページ番号]
- ^ a b c デパート新聞社編『全国百貨店年鑑 昭和42年版』デパート新聞社、1967年。[要ページ番号]
- ^ “六月の倒産 大口では「円山コープ」館工務店 半数は経営計画の失敗”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1970年7月2日)[要ページ番号]
- ^ a b c 『小樽市史 第10巻 社会経済編』 小樽市、2000年2月。pp387
- ^ a b 『小樽市史 第9巻 (行政編 下)』 小樽市、1995年3月。pp1253
- ^ a b c d e f g 倒産速報 小樽開発 (Report). 東京商工リサーチ. 13 April 2010.[要ページ番号]
- ^ “老舗破綻:旧丸井今井小樽店跡地、おたるサンモール・ネオきょう営業終了”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2009年3月23日)[要ページ番号]
- ^ “小樽開発ビルが3回目の競売−買い付け可能価格10分の1に”. 北海道建設新聞 (北海道建設新聞社). (2012年1月11日)[要ページ番号]