交通公社ビルヂング
交通公社ビルヂング | |
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情報 | |
用途 | オフィス |
建築主 | 三菱地所、日本交通公社 |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
延床面積 |
31,147 m² [1] ※9422坪 |
状態 | 解体 |
階数 | 地上9階、地下3階 |
着工 | 1959年1月 |
竣工 | 1960年12月2日 |
解体 | 2000年 |
所在地 |
〒100-0005 東京都千代田区丸の内一丁目6番4号 |
座標 | 北緯35度41分3秒 東経139度46分1.7秒 / 北緯35.68417度 東経139.767139度座標: 北緯35度41分3秒 東経139度46分1.7秒 / 北緯35.68417度 東経139.767139度 |
交通公社ビルヂング(こうつうこうしゃビルヂング)は、かつて東京都千代田区丸の内一丁目に所在したオフィスビルである。
歴史
[編集]丸の内1丁目交差点南西のこの敷地は、1940年より鉄道省の増築用地として三菱地所から東京鉄道局に賃貸されていたが、第二次世界大戦後の1945年9月に連合国軍最高司令官総司令部により接収された。しかしこの土地は結局使用せず、1946年2月に接収は解除された。同年3月に改めて日本交通公社(以下、「公社」)に賃貸し、公社により本社社屋が建設された。この社屋は木造で、防火性に問題があることから、公社は新社屋の建設を希望した。
地権者の三菱地所は、公社と共同で延床面積6千坪の共同ビルの建設を提案。公社の仮移転先の新大手町ビルヂング完成後の1959年1月末に着工した。西隣には、丸ノ内ホテルの宴会場や大食堂が入る別館があった。丸ノ内ホテルは東京タクシー自動車が1931年に商号変更してホテル業に進出した会社で、この建物は東京タクシー時代から使われていた。三菱地所は丸ノ内ホテルと協議のうえ、この建物部分の増築工事も行うこととなった。1960年12月2日に竣工し、本ビルと丸ノ内ホテルとを結ぶ連絡通路も整備された[1]。
2000年4月、三菱地所と丸ノ内ホテル、日本生命保険、中央不動産、交通公社不動産、朝日生命保険の6社は、本ビルと解体済みの旧国鉄(JR東日本)本社ビル跡地、丸ノ内ホテル、東京中央ビルディング及び丸の内センタービルディングの敷地を共同開発すると発表[2]。
既存ビルを活用する丸の内センタービルを除く各建物は解体され、丸の内オアゾとして再開発された。本ビル部分には2004年9月2日に丸の内北口ビルディングが竣工。1階エントランスの床には交通公社ビルヂングや、江戸時代にこの地にあった細川家の武家屋敷をモチーフにした装飾が施されている[3][4]。
脚注
[編集]- ^ a b 『丸の内百年の歩み 三菱地所社史下巻』p67-69
- ^ 『(仮称)丸の内1丁目1街区(東京駅丸の内北口)開発計画について』(プレスリリース)三菱地所、2000年4月20日 。2016年5月10日閲覧。
- ^ 『「丸の内オアゾ(OAZO)」内の三菱地所のオフィスビル 丸の内北口ビルディング竣工』(プレスリリース)三菱地所、2004年9月2日 。2016年5月10日閲覧。
- ^ “「丸の内OAZO」グランドオープン!”. 不動産流通研究所 (2004年9月17日). 2016年5月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 三菱地所『丸の内百年の歩み 三菱地所社史下巻』1993年3月6日、67-69頁。