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宮本恵美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮本 恵美子
Emiko Miyamoto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1937-05-10) 1937年5月10日
出身地 和歌山県和歌山市
没年月日 (2023-12-07) 2023年12月7日(86歳没)
死没地 茨城県高萩市
ラテン文字 Emiko Miyamoto
身長 172cm
体重 60kg
選手情報
ポジション ライト
利き手
獲得メダル
バレーボール
オリンピック
1964 東京 女子
世界選手権
1960 リオデジャネイロ 女子
1962 モスクワ 女子
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宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月10日 - 2023年12月7日)は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト東洋の魔女 (Oriental Witches) [1]の主力メンバー。

来歴

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和歌山県和歌山市出身。和歌山市立明和中学校[2]時代に近畿大会で優勝[3]和歌山商業高校在学中にスカウトされて、実業団の日紡貝塚(当時)に入部。

入部当初は不器用なタイプで、アタックは強烈だがレシーブやトスがこなせず、「試合に出られなくても球拾いで頑張る」と自分に言い聞かせて、2年間控えにまわる[3]。その姿を見続けてきた大松博文監督(当時)は「必ずモノになる」と確信したと述懐している[4]。しだいにトスやレシーブが上達し、チームが9人制から左アタッカーが有利な6人制にシフトしたこともあり、レギュラーを獲得した[3]東洋の魔女の一員として、1962年の世界選手権では優勝に大きく貢献しMVPを獲得、「世界一のアタッカー」と呼ばれた。つづく1964年10月の東京オリンピックでも金メダル獲得に大きく貢献した。

現役引退後の1965年3月には元東京オリンピックバスケットボール強化コーチと結婚し、茨城県日立市に長年住み、県内を中心にバレーボールの講演会や指導などに取り組んでいた[5]

2023年12月7日、敗血症のため茨城県高萩市の病院で死去[6][5]。86歳没。

球歴

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  • 全日本代表としての主な国際大会出場歴
オリンピック - 1964年
世界選手権 - 1960年、1962年

所属チーム

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脚注

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参考文献

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  • VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1964年10月号 44-45ページ
  • VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1965年5月号 74ページ

外部リンク

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