コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ボブ・ヘイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボブ・ヘイズ Portal:陸上競技
1964年オリンピックでのヘイズ
選手情報
フルネーム ロバート・リー・ヘイズ
愛称 Bullet Bob
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
種目 短距離走
大学 フロリダA&M大学
生年月日 (1942-12-20) 1942年12月20日
生誕地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州ジャクソンビル
没年月日 (2002-09-18) 2002年9月18日(59歳没)
身長 5' 11" =約180.3
体重 185 lb =約83.9
自己ベスト
100m 10秒06(1964年)
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
陸上競技
オリンピック
1964 東京 男子100m
1964 東京 男子4×100mリレー
編集 テンプレートのヘルプを表示する
ボブ・ヘイズ
Bob Hayes
refer to caption
カウボーイズ時代
基本情報
ポジション ワイドレシーバー
生年月日 (1942-12-20) 1942年12月20日
没年月日 (2002-09-18) 2002年9月18日(59歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州ジャクソンビル
身長: 5' 11" =約180.3cm
体重: 185 lb =約83.9kg
経歴
高校 ジャクソンビル・ギルバート高校
(フロリダ州ジャクソンビル)
大学 フロリダA&M大学
NFLドラフト 1964年 / 7巡目全体88位
AFLドラフト 1964年 / 14巡目全体105位
初出場年 1965年
初出場チーム ダラス・カウボーイズ
所属歴
1965-1974 ダラス・カウボーイズ
1975 サンフランシスコ・49ers
受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(1回)
1971(第6回)
オールプロ選出(2回)
1966・1968
プロボウル選出(3回)
1965・1966・1967
その他受賞・記録
NFL レシービングTDリーダー:2回(1965・1966)
DAL リング・オブ・オナー
NFL 通算成績
レシーブ 371回
獲得ヤード 7414ヤード
TDレシーブ 71回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

ロバート・リー・ヘイズRobert Lee "Bullet Bob" Hayes1942年12月20日 - 2002年9月18日)は、アメリカ合衆国フロリダ州ジャクソンビル出身の陸上競技元選手およびアメリカンフットボール元選手。ニックネームは弾丸を表すBullet[1]1964年東京オリンピック金メダリスト。オリンピックの金メダルとスーパーボウル優勝リングを両方獲得した唯一の選手。

ヘイズは1962年フロリダA&M大学在学中100ヤード走で9秒2の世界新記録を出し、翌1963年には再び世界新記録の9秒1を出した。ヘイズのこの記録は、11年後のアイボリー・クロケットによるまで破られることはなかった。

東京オリンピック

[編集]

ヘイズは、1964年の東京オリンピックでスプリンターとしての才能を十分に発揮した。男子100m走に於いて1レーンという悪状況にもかかわらず、10秒0(10秒06)という世界タイ記録(当時)を樹立し、まず1つ目の金メダルを獲得する[2]。そして4×100mリレーでもアメリカチームの一員として、39秒0(39秒06)のこれも世界新記録(当時)を樹立し、2つの金メダルを獲得した。

この時、朝日放送植草貞夫アナウンサーが放送実況(現・ジャパンコンソーシアム相当の共同製作機構)でヘイズのことを「黒い弾丸・ボブ・ヘイズ!!」と実況したという。

準決勝でヘイズは人類で初めて「10秒の壁」を破る9秒9(9秒91)を追い風参考記録でマークし、当時国立競技場に詰めかけていた約7万人の観客をダイナミックな走法で熱狂させた[3]

アメリカンフットボール

[編集]

ヘイズは、東京オリンピックを最後にNFLダラス・カウボーイズに入団した。俊足のワイドレシーバーとして活躍し、プロボウルにも3回選出されている。スーパーボウルにも2度出場、1971年シーズンには優勝を経験し、オリンピックの金メダルとスーパーボウル・リングを獲得した最初の選手となった[4]。なお、1966年の試合で達成した1試合でのレシーブ獲得ヤードは2009年にマイルズ・オースティンが250ヤードを獲得し破るまでカウボーイズのチーム記録であった[5]

ヘイズは2002年腎不全で亡くなった。2009年1月、プロフットボール殿堂入りを果たしている[6]

プレースタイル

[編集]

世界最速のヘイズをディフェンスがマンツーマンでカバーすることは困難であり、ゾーン・ディフェンスが各チームに浸透した。1回あたりのレシーブ獲得20.0ヤードに匹敵するのは、カウボーイズ史上ではヘイズの他にアルビン・ハーパーしかいない[7]

脚注

[編集]
  1. ^ Ex-Olympic star, Cowboy Hayes dies”. スポーツ・イラストレイテッド (2002年9月19日). 2009年1月6日閲覧。
  2. ^ “【プレーバック1964(1)】メダル誕生秘話 男子100mのボブ・ヘイズと柔道無差別ヘーシンク”. 産経新聞. (2018年5月22日). https://www.sankei.com/article/20180522-PCGMRKQ3ZVK63NBJSUW6MHJWME/ 2020年2月18日閲覧。 
  3. ^ デジタル編集部 (2014年10月9日). “東京五輪50年:99枚の写真で見る「あの日、あの瞬間」(全99枚中36枚目)”. 毎日新聞. オリジナルの2014年10月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141025195324/http://mainichi.jp/graph/2014/10/09/20141009mog00m050011000c/036.html 2014年10月25日閲覧。 《》
  4. ^ 生島淳 (2009年6月3日). “金メダル&スーパーボウル制覇の“最速”WR ボブ・ヘイズ”. NFL JAPAN. 2010年5月10日閲覧。
  5. ^ 無名校からスターダムへ! カウボーイズ救世主オースティン”. NFL JAPAN (2009年10月30日). 2009年11月6日閲覧。
  6. ^ 故ヘイズ氏、殿堂入り”. ロイター (2009年8月10日). 2010年5月23日閲覧。
  7. ^ Bob Hayes, WR, Florida A&M, 1965-74”. knowyourdallascowboys.com (2008年4月13日). 2010年5月10日閲覧。

外部リンク

[編集]