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中尾彬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なかお あきら
中尾 彬
生年月日 (1942-08-11) 1942年8月11日
没年月日 (2024-05-16) 2024年5月16日(81歳没)
出生地 日本の旗 日本 千葉県木更津市
死没地 日本の旗 日本 東京都
身長 175 cm
血液型 O型[1]
職業 俳優声優タレントコメンテーター
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1964年 - 2024年
配偶者 茅島成美1970年 - 1975年
池波志乃1978年 - 2024年
公式サイト 所属事務所によるプロフィール
主な作品
テレビドラマ
暴れん坊将軍
炎立つ
秀吉
GTO
義経
映画
本陣殺人事件
白昼の死角
極道の妻たち』シリーズ
ゴジラ』シリーズ
ミンボーの女
アウトレイジ ビヨンド
翔んで埼玉
受賞
東京スポーツ映画大賞
助演男優賞
2015年龍三と七人の子分たち
スカパー!アダルト放送大賞
功労賞
2017年
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中尾 彬(なかお あきら、1942年昭和17年〉8月11日[1][2][3] - 2024年令和6年〉5月16日)は、日本俳優声優タレントコメンテーター千葉県木更津市出身[1][2]。最終所属は古舘プロジェクト

来歴

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木更津にあった生家は酒屋を営んでおり、長男として生まれた[4]1958年千葉県立木更津第一高等学校へ入学するとバレーボール部で主将を務め[5]1960年に油彩画「石の花」が千葉県美術展に入選し、1961年武蔵野美術大学油絵学科へ入学する[1]

1961年日活ニューフェイスの第5期に合格[1]して(正規ではなく編入)「青い芽の素顔」と「どじょっこの歌」にノンクレジットでテスト出演した後に、「真昼の誘拐」で正式にデビューする。絵画を捨てきれず翌年に日活を退社、大学を中退してフランスへ留学[1]するも留学期間を短縮する[6]1963年に帰国して劇団民藝に研究生として入団し[1]1964年中平康監督・加賀まりこ主演の映画『月曜日のユカ』にオーディションを経て出演する[1][7]1971年に民藝を離れてフリーとなってから、各映画会社やテレビドラマで活動を始める。

1975年に映画『本陣殺人事件』で主役の金田一耕助を演じる。

1978年からテレビドラマ『暴れん坊将軍』で初代徳川宗春役を演じ、当たり役となる[4]

1978年から絵画創作を再開して1978年に個展を2回開催した。フランスのル・サロン展で、1981年に「BUNRAKU・狂乱」が大賞、1982年に「COUNTRY・故郷」が国際賞、をそれぞれ受賞後は、定期的に個展を開催する[1]

1990年、映画『極道の妻たち 最後の戦い』に出演し、その後も「極道の妻たち(極妻)」シリーズに重要な役どころで複数回出演[4]1993年、映画『ゴジラvsメカゴジラ』以降、Gフォース麻生司令官役でゴジラ平成VSシリーズにレギュラー出演[2]。2000年代のミレニアムシリーズでも3作品に出演した[2]

1998年のテレビドラマ『GTO』の内山田ひろし教頭役以降、現代劇の出演が増える。

2006年6月「韓国陶磁器および2007第4回京畿道世界陶磁ビエンナーレ」の広報親善大使に就任[8]

2007年3月31日早朝、毎日放送の生番組『知っとこ!』レギュラー出演のために滞在していた大阪市内のホテルで、高熱で体調不良を訴えて救急車で搬送され、急性肺炎および横紋筋融解症と診断された[4]ICUで絶対安静の状態だったが、4月3日夕方に一般病棟へ、5月に都内へ転院して5月15日に退院した。自宅療養の後に6月30日放送の『知っとこ!』に生出演した。

2017年11月、出身地である木更津市のふるさと大使「木更津PR大使」に就任[9][10]

2024年に入り体力の低下などもあり、体調に配慮しながらメディア出演や取材などをこなしたが、同年5月15日に容体が急変し、翌16日夜に心不全のため、東京都内の自宅で死去した。81歳没。妻の池波志乃が最期を看取った。訃報は同月22日に公表された[11][12][13]。なお生前、長久院[注釈 1]東京都台東区)に墓所を建立してあり、そこに納骨されることになっている[14]

最後の放送出演は、2024年1月に文化放送で生放送されたラジオドラマ『小松左京クロニクル 日本沈没を探す旅』の新春特番において、俳優の伊東四朗と対談したもの。その抜粋が死去公表後の同5月22日にラジオ番組『長野智子アップデート』で再放送された[15]。収録映像としては、妻の池波と共演した「買取福ちゃん」のCM第4作が2024年5月初旬(死去と同月)に撮影されたものと運営会社REGATEが明かしており、池波や事務所との話し合いの上で同年7月から放映されている[16]

人物

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親交

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高校の先輩に千葉真一がおり、日本体育大学に在学中の千葉が教育実習で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係である[5]。千葉の授業をよくサボっていた中尾は、芸能界で再会したときに「前田さん(千葉の本名)」と挨拶し、「理由もなく、単に反抗したかったんです」と非礼を陳謝した[5]。中尾が出演していたテレビ『二人の刑事』(TBS)を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭している[5]

「俳優になりたい」と考えて長谷川一夫の門を叩いたが、「高校を出たら、またここに来なさい」と諭されて「単に時間の猶予を与えられたのだ」と思ったが、現在は「『高校の勉強は最低限勉強しておくべきものだから、しっかり勉強しなさい』」という意味を持っていたと考えるようになった。

石坂浩二とは喧嘩友達、前田吟峰岸徹安岡力也とは駆け出しの頃から共にしてきた仲で、江守徹とはコンビで番組に出演したりするほどの仲。中尾自身は「同じ舞台に立っているのだから、(本番中は後輩や年下のタレントが自分に対して)どんな失礼なことがあっても気にならない」と語っている。

前田吟とは50年以上の付き合いがあり、1964年頃に中尾は渋谷の飲み屋に尊敬する劇団民藝の先輩俳優・宇野重吉が時々来ると知って通い始め、後日劇団俳優座の研究生だった前田と偶然出会い親しくなった[注釈 2]

落語家・十一代目金原亭馬生も長年の友人[4]。馬生が「金原亭馬治」だった頃、中尾が古今亭志ん朝(池波の叔父でもある)に「(落語家の名跡である)馬生の名[注釈 3]を継がせたいんですが、どうでしょう」と進言したこともあり、襲名させてもらえたという[4]

前妻は女優の茅島成美で、1970年に結婚した。一児を儲けるも、眞帆志ぶきとの不倫発覚により別居、1978年に離婚成立。同年、離婚調停中に共演した池波志乃と再婚した[17]

ダウンタウンとの共演が多いが、ウッチャンナンチャンの『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』(フジテレビ)で、南原清隆が中尾をマネたキャラ「中王彬」に扮し、後に南原に内緒で中尾本人が登場するというドッキリ企画を端緒に、バラエティー番組に進出した。

池波との夫婦生活

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生家が酒屋だったこともあり、1970年代のある日のロケバスで俳優仲間たちに向かって幻の日本酒・越乃寒梅の知識を披露したことがあった[4]。すると、「そのお酒なら毎日飲んでますよ」と言って中尾を驚かせたのが池波志乃で、これが交際のきっかけとなった[4]。10歳以上の年齢差があるため、結婚当初は周りから「多分5年持たないだろう」などと言われていたが、その後中尾が亡くなるまでの46年もの長い間を添い遂げた[4]。また、金原亭馬生によると、結婚当初は中尾より志乃の方が収入が多く、彼女は夫を立てるため所属事務所に頼んで自分のギャラを下げてもらったという[4]。夫婦ともに酒と食べることが好きだったため、夜に仕事がない日は自宅で会話をしながら2時間かけて夕食を取っていた[4]

池波はかつて中尾について、「性格は素っ気ないほどサラッとしていて情に脆い。感激屋で、熱い戦いが繰り広げられる高校野球(夏の甲子園)などを見ると、涙でぐしょぐしょになった顔はさすがに外では観せられない」と語ったことがある[4]

金原亭馬生によると、中尾の口癖が「野暮は嫌いだよ」だったこともあり、妻の池波に生前の遺言として「延命措置はしない」、「葬儀は身内だけ」、「お別れの会はやらない」と伝えて同意を得ていたとのこと[4]。このため、中尾の死後は生前大好きだった上野精養軒で、近親者約30人でお清めの食事の席を設けるぐらいのかなり質素なものだった[4]

嗜好・特技

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やっぱり猫が好き』(フジテレビ)での劇中で、「中尾彬百発(殴ったような顔)」と表現されたことがある。とはいえ、色気のある雰囲気で70年代には二枚目俳優と見なされており、金田一耕助役のみならず、昼メロ(『夫の貞操』)の主役をつとめたこともある。

演ずる場合は身につけるがネクタイが嫌いで、池波が「ねじねじ」と称するスカーフやマフラーなどを首元からぐるぐる巻き降ろすスタイルを好み、自他ともに認めるトレードマークである。1990年代前半に海外ロケで訪問したインドネシアで特産品であるバティックを大量購入したが、帰路の飛行機の中でイライラしながらバティックをよじっていると取れなくなり、そのままにしていたところ、「オシャレだな(レストランのシェフみたいで)」と共演していた神田正輝から褒められたことが端緒である。「ねじねじ」は300本、春夏秋冬、冠婚葬祭により使い分け、葬儀の際は黒のマフラーを着用する。夏季は「ねじねじ」がプリントされたTシャツを着用する[18][19]

趣味の絵画では先述の通りフランスに留学するぐらい力を入れており、かつては台東区池之端の自宅マンション以外に千葉県沖縄県アトリエを所有していたが、終活で2016年までに全て売却した[20]

趣味に万年筆収集があり、高い物は1本56万円、これまでに500万円以上費やして50本を入手した。2007年に病から退院後に島田紳助から退院祝いとして貰った、キャップのクリップ部分が「ねじねじ」でペン先に中尾の顔が描かれている万年筆を、金銭に変えがたいものとして大切にしている。

趣味は他に相撲観戦、野球観戦、俳句、釣り[4]。妻も好角家なため、2013年の高見盛の断髪式では中尾が大銀杏にはさみを入れ、志乃は断髪後の花束贈呈を行った[4]

料理にも造詣が深く、地元木更津の老舗日本料理店「宝家」は先代の店主が高校時代の1学年後輩だったことから、家族ぐるみでの親交があり、パンフレットや献立などの協力をしていた[21][22][23]。同店の看板料理でもある「あさりカレー」は中尾が子供時代に海岸で採ったアサリを具にしたカレーを食べていたことが由来となっている[22]

中尾鍋」と呼ばれる、白菜バラを使用した鍋料理を考案し、テレビ番組でたびたび紹介されている。

ガリガリ君が好きで、「日本一おいしいスイーツ」と評している。好きなフレーバーはマンゴー味。また、ハッピーターンも大好物。

2007年2月に脳梗塞で盟友の江守が倒れ、同年3月に自身が急性肺炎と相次いで大病を患ってから、飲酒と煙草を止めている。

1908年生まれの父親が101歳、祖父が106歳まで生きていて長命な家系のため安心していたが、2007年に自身が大病を患ってしまったことがある。

田苑酒造とコラボレーション企画で、全量四年樽貯蔵の麦焼酎“中尾AKIRA”をプロデュースした。

親族

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前妻は茅島成美、現在の妻は池波志乃。義父は落語家10代目金原亭馬生、義祖父は5代目古今亭志ん生、義叔父は3代目古今亭志ん朝。姪の元夫は俳優の田宮五郎田宮二郎の次男)。

その他

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身長175センチメートル(cm)、血液型O型

1975年の映画『本陣殺人事件』で金田一耕助役を演じると、原作の横溝正史から以下のように評された。「中尾君の金田一耕助はいい。控えめな演技、体臭から発散する爽やかさは可愛くて、きっと私の金田一耕助ファンにも“善良な金田一耕助”として共感を呼ぶであろう」[4]

強面なこともあって先述の「極妻」シリーズの他、伊丹十三作品の『ミンボーの女』、北野武監督作『アウトレイジ ビヨンド』などにヤクザ役で出演している[4]

後任・代役

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中尾の死去後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任 役名 概要作品 後任の初担当作品
銀河万丈 タイ・ラン カンフー・パンダ カンフー・パンダ4

出演

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テレビドラマ

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配信ドラマ

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映画

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オリジナルビデオ

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OVA

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ゲーム

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吹き替え

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バラエティ

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ラジオ番組

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  • ラジオドラマ『日本沈没より~ここを過ぎて悲しみの都へ』(文化放送、1973年)[15]
  • 中尾彬 沖縄時間(RBCiラジオ
  • 『年末スペシャル 小松左京クロニクル「日本沈没を探す旅」』(文化放送、2023年)[15]

ドキュメント

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  • NHKスペシャル「アフリカンドリーム」(NHK総合、2010年4 - 6月) - ナレーション
  • NEXT JAPAN -熱き求導者-(毎日放送) - ナレーション

PV

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CM

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その他

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受賞歴

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2015年度
2017年度
2023年度

脚注

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注釈

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  1. ^ 長久院には妻・池波志乃の父である十代目金原亭馬生の墓所も所在する。
  2. ^ 当時の中尾の印象について、前田は「(上記の)飲み屋に時々和服で来ていて、“粋なやつだな”というのが第一印象。それでいて気取らず、会話すると人の気を逸らさない魅力があった」と評している[4]
  3. ^ 馬治が二ツ目になった後、師匠であり池波の父だった十代目金原亭馬生1982年に死去し、兄弟子金原亭伯楽門下へ移籍した。
  4. ^ テレビドラマ初主演[24]
  5. ^ 中尾彬本人役。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i タレント 中尾彬”. 古舘プロジェクト. 2012年5月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 超常識 2016, p. 125, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」
  3. ^ a b c d e f g 野村宏平、冬門稔弐「8月11日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、224頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『週刊現代』2024年6月8・15日号.
  5. ^ a b c d 「モーレツ体操教師と生徒 千葉真一 + 中尾彬」『週刊明星』第23巻、集英社、1970年6月14日。 
  6. ^ ""終活"中の中尾彬が語る「60歳くらいまでは、気に入らないこともいっぱいやったほうがいい。そうすると、だんだん不純物が沈殿して澄んでくる」人間力インタビュー". 日刊大衆. 双葉社. 30 October 2022. 2022年10月30日閲覧
  7. ^ 中尾彬さん急死、最愛の妻池波志乃がコメント「あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまった」”. 日刊スポーツ (2024年5月22日). 2024年5月22日閲覧。
  8. ^ 第4回京畿道世界陶磁ビエンナーレ 広報親善大使に中尾彬さん就任”. 民団新聞 (2006年6月21日). 2021年9月5日閲覧。
  9. ^ 木更津PR大使”. 木更津市 (2024年5月23日). 2024年5月23日閲覧。
  10. ^ 日本放送協会 (2024年5月22日). “俳優 中尾彬さん死去 81歳 映画やドラマなどで活躍”. NHKニュース. 2024年5月23日閲覧。
  11. ^ "中尾彬さん死去 81歳 俳優、バラエティーで活躍「ねじねじ」トレードマーク 池波志乃とおしどり夫婦". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 22 May 2024. 2024年5月22日閲覧
  12. ^ "中尾彬さん死去 81歳心不全、妻は池波志乃、「ねじねじ」スタイルで人気". スポーツ報知. 報知新聞社. 22 May 2024. 2024年5月22日閲覧
  13. ^ "中尾彬さん死去「古舘プロジェクト」が正式発表 妻の池波志乃、最期は「自宅で二人の時に眠るように」". スポーツ報知. 報知新聞社. 22 May 2024. 2024年5月22日閲覧
  14. ^ "中尾彬さん 生前に墓を建てる 自身でデザイン「無」と彫った理由". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 23 May 2024. 2024年5月23日閲覧
  15. ^ a b c "中尾彬さん、最後の番組出演は伊東四朗との対談 1月放送のラジオ特番のダイジェスト放送". 中日スポーツ. 中日新聞社. 22 May 2024. 2024年5月23日閲覧
  16. ^ メディア掲載・CM情報|総合買取【福ちゃん】”. 株式会社REGATE. 2024年9月1日閲覧。
  17. ^ 【評伝】中尾彬さんのトレードマーク「ねじねじ」、神田正輝の「カッコいい」で生まれた 近年は妻と〝終活〟200本を処分し半分に”. サンスポ (2024年5月23日). 2024年5月30日閲覧。
  18. ^ 中尾彬さん 「ねじねじ」誕生秘話 冠婚葬祭用も 季節で使い分け、夏はTシャツ 終活で200本処分”. スポーツニッポン (2024年5月22日). 2024年5月22日閲覧。
  19. ^ 中尾彬さん、「ねじねじ」はインドネシアにルーツ 終活で半分の200本を処分”. スポーツ報知 (2024年5月22日). 2024年5月22日閲覧。
  20. ^ “中尾彬、志乃夫妻の終活…思い出の写真1万点超を焼却「邪魔なだけ」”. デイリースポーツ. (2017年3月14日). https://www.daily.co.jp/gossip/2017/03/14/0009996319.shtml 2019年2月4日閲覧。 
  21. ^ 創業明治30年 宝家 おもてなし”. 2020年3月15日閲覧。
  22. ^ a b 浅見茂晴、柴田智弘 (2024年5月22日). “地元愛した中尾彬さん 千葉・木更津から悼む声 PR大使も務め”. 毎日新聞. 2024年5月23日閲覧。
  23. ^ 中西珠友 (2024年5月23日). “中尾彬さんの訃報に故郷・木更津も涙 行きつけの料理店「地元を愛した粋な人だった」”. スポーツ報知. 2024年5月23日閲覧。
  24. ^ 魚住少尉命中 「NHKアーカイブス」バックナンバー2001年7月”. NHKアーカイブス. NHK. 2015年7月15日閲覧。
  25. ^ “田口トモロヲ、岸谷五朗、松尾スズキらがNetflix「サンクチュアリ -聖域-」に参加”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年2月25日). https://natalie.mu/eiga/news/514253 2023年2月25日閲覧。 
  26. ^ 時には昔の話を~森山周一郎 声優と呼ばれた俳優~”. 映画ナタリー (2022年10月21日). 2023年5月28日閲覧。
  27. ^ 木村拓哉さんも登壇した「JUDGE EYES:死神の遺言」の完成披露会をレポート”. 4Gamer.net. Aetas株式会社 (2018年9月11日). 2018年9月11日閲覧。
  28. ^ 中尾彬&池波志乃夫妻を起用した「買取福ちゃん」 新テレビCMが放映開始!”. @Press (2021年6月23日). 2021年8月11日閲覧。
  29. ^ 村上智博 (2024年5月22日). “千葉・木更津を愛し、愛された名優、中尾彬さん 美術品を母校に寄贈し地元PRにも貢献”. 産経新聞. 2024年5月23日閲覧。
  30. ^ ビートたけしが「龍三と七人の子分たち」に4冠授ける、東スポ映画大賞発表”. 映画ナタリー. ナターシャ (2016年1月26日). 2016年1月27日閲覧。
  31. ^ スカパー!アダルト放送大賞2017を詳細レポート!”. デラべっぴんR. p. 2 (2017年3月5日). 2017年3月6日閲覧。
  32. ^ “中尾彬、19歳俳優に破天荒な助言「いっぱい借金しなさい。いつか返せるから」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2023年8月19日). https://www.oricon.co.jp/news/2291374/full/ 2023年8月19日閲覧。 

参考文献

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  • 『ゴジラの超常識』[協力]東宝、双葉社、2016年7月24日(原著2014年7月6日)。ISBN 978-4-575-31156-3 
  • 「追悼・中尾彬「野暮はきらいだよ」」『週刊現代』2024年6月8・15日号、講談社、2024年6月3日、17-24頁、JAN 4910206430647 

外部リンク

[編集]