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兼高かおる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かねたか かおる

兼高 かおる
プリンス自動車販売『プリンス』第9巻第5号 (1962) より
生誕 兼高ローズ
(1928-02-29) 1928年2月29日
兵庫県神戸市
死没 (2019-01-05) 2019年1月5日(90歳没)
東京都港区
出身校 ロサンゼルス市立大学
職業 ジャーナリストレポーター
ナレータープロデューサー
ディレクター
著名な実績 1958年:世界早回り
73時間9分35秒の新記録
1971年南極点到達
一般女性初
テレビ番組兼高かおる世界の旅
1959年 - 1990年
受賞 1967年文化庁芸術選奨新人賞
1980年日本女性放送者懇談会賞
1985年外務大臣表彰
1990年菊池寛賞
1991年文化庁芸術選奨文部大臣賞
1991年:紫綬褒章
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兼高 かおる(かねたか かおる、本名:兼高ローズ(かねたかローズ)、1928年2月29日 - 2019年1月5日[1])は、日本ジャーナリスト(ツーリストライター)である。日本旅行作家協会名誉会長。「山の手言葉」を多く用いていたことで知られている。

兵庫県神戸市生まれ。1946年香蘭女学校卒業後、1954年ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍する。海外取材が多く、150カ国以上に渡航したことで知られる。

経歴

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兵庫県神戸市に生まれ、資産家だった母親の家族(または親戚)のつてで母親と兄とともに東京都へ移住した[2]香蘭女学校を卒業後渡米し、ロサンゼルス市立大学に留学。帰国後、ジャパン・タイムスなどのフリーランサーとして活躍。1959年から1990年まで『兼高かおる世界の旅』(TBS系)でナレーター、ディレクター兼プロデューサーを行う。取材国は約150か国、距離にして地球を180周もしたことになる。国際関係の仕事に従事し数多くの協会のメンバーでもある。1985年より名誉館長を務める淡路島の“旅の資料館”に各地から持ちかえった民芸品類を展示している(2020年2月28日にて閉館)。1986年から2006年5月まで“横浜人形の家”の館長に就任。

人物・エピソード

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  • 海外に関心を持ったきっかけは建築で、童話の挿絵にあった西洋モスク、日本で見たことがない建物に強く魅せられ、外国への憧れや旅心が芽生えていったという[6]
  • 初めて南極点に到達した一般女性のうちの一人である。1969年にアメリカ大使館に申請して許可を得たが、名前の「かおる」を男性の名前と勘違いされており(当時女性に南極渡航の許可は出ていなかった)、直前にキャンセルとなった。1971年にようやく許可が下り、南極点に到達。そのとき同行していた南米の女性と「どちらが一番とかなしにしよう」と話し合って、「1、2の3」で同時に南極点に立てられていたポールにタッチしたそうである。ちなみに北極点は、1989年4月に到達している。
  • 砂漠でも秘境でも常に女性らしさや華麗さを忘れず、いつも基本的にワンピースを着た。本人曰く、「ワンピースの動きやすさを優先していただけ」とさらりと述べている[7]
  • チャールズ3世(当時皇太子)、ジョン・F・ケネディサルバドール・ダリビョルン・ボルグなどの著名人にも取材を行っているが、ケネディとは当時の日本の首相よりも先に面会することになった[7]
  • 動物好き(とくに犬)であるが、猿とだけは非常に相性が悪く、どんなにおとなしい猿でも襲いかかられてしまう。
  • 幼少期から軽井沢にしばしば滞在し、上流階級の子女や三島由紀夫などと交遊していた[8]
  • ミクロネシアマーシャル諸島に自分の島(カオル・エネ)を持っていた。これは観光化がブームとなっていたときに現地の大酋長の相談にのったお礼としてもらったものであった。ちなみにカオルとは、現地の言葉で「美しい」という意味だそうである。
  • 82歳になった2010年に朝日新聞の連載インタビューで、当時でも世界各国を飛び回っていると述べた。その理由は、時々刻々と変化する世界の情勢は常にじかに見なければならない(要約)という方針による[9]
  • 生涯独身であった。結婚することが分からないという。独身なので財産を残して死んでも意味がないと感じ、「一般財団法人兼高かおる基金」を設立。兵庫県淡路島にある医療系大学「関西看護医療大学」で奨学金給付を行っている。

役職

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出演

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テレビ番組

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ラジオ番組

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著書・訳書

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論文・記事

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  • 朝日ジャーナル朝日新聞社、1962年1月 p.40 素顔 兼高かおるさん/高橋啓
  • 『あなたとともに伸びゆく : 協和銀行』フジ・インターナショナル・コンサルタント出版部、1964年 p.179 〝お金〟のはなし 兼高かおる
  • 財界展望』財界展望新社、1964年10月 p.60-63 座談会-オリンピックを試金石に-受入れ体制整った観光業界/見角修二、安居院平八、木幡兵吾郎、宮川肇、古田英雄、前田商次、杉井要太郎、兼高かおる
  • 『建設月報』建設広報協議会、1966年11月 p.8-19 座談会 国土建設の長期構想案をめぐって/橋本建設大臣 木内信胤丹下健三、兼高かおる、志村計画局長
  • 週刊平凡平凡出版株式会社、1967年5月 p.105 ブラウン管の向こう側 本誌記者がローマで見た取材ぶり 兼高かおる世界の旅
  • 『東邦経済』東邦経済社、1969年8月 p.58 茶の間の人気物〝お笑いカラー寄席〟〝兼高かおる世界の旅〟
  • 『藤島泰輔の世相談議-3-海外取材から見た政治--自由なき共産圏--世界一幸せな日本人』月刊自由民主 / 自由民主党 編、1977年3月
  • 『この人と語る 山下勇対談集』日経事業出版社1981年
  • 『スクウェア21』全国経営者団体連合会、1991年3月 p.38-39 兼高かおる~世界の旅--「世界の旅」が日本人を変える--ジャーナリスト 兼高かおる
  • 週刊新潮新潮社、1991年11月 p.100-104 憩いの地(20)--キリバス/兼高かおる
  • 『産業新潮』産業新潮社、1993年9月 p.122 一枚の写真から--兼高かおるさんと欧陽菲菲さん
  • 『Vesta』味の素食の文化センター、2001年 p.9-15 座談会 食事マナーの比較とゆくえ--下村道子+兼高かおる+熊倉功夫+ウィリアム・スティール
  • 『美人伝心 : 15人のアンチエイジングアライアンス宣言』講談社 編、植島啓司 監修 2011年 ISBN 9784062172622 --考える/兼高かおる
  • ヤマザキマリ対談集』集英社、2021年 最終章「特別編 兼高かおる 旅は地球とのランデヴー」

評論

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受賞・栄典

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ビデオ

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レコード

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  • 『兼高かおる/世界の旅 ヨーロッパ編』東芝レコードLP 30cm 1枚
  • 『兼高かおる世界の旅 第2集 』東芝レコード、LP 30cm 2枚
  • 『兼高かおる世界の旅 第3集;アフリカ・北アメリカ・中南米編』東芝レコード、LP 30cm 1枚

参考文献

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  1. ^ a b 兼高かおるさん死去 「世界の旅」海外紀行番組の先駆け,産経新聞,2019年1月9日
  2. ^ 兼高かおる|時代を生きた女たち#112
  3. ^ インド系イギリス人の貿易商または外交官という説がある。
  4. ^ 歴代受賞者”. 日本女性放送者懇談会 SJWRT. 2016年6月21日閲覧。
  5. ^ 兼高かおるさん死去、31年間で地球180周分移動 - 日刊スポーツ 2019年1月9日
  6. ^ 「クロワッサン 2016年 7月25日号 No.929」(マガジンハウス、2016年)71頁
  7. ^ a b 「兼高かおる旅の資料館」が2月28日に惜しまれつつ閉館、特別なキャンペーンが開催”Precious(2020/02/16)
  8. ^ 「現代 第16巻 第5~6号」(講談社、1982年)177頁
  9. ^ 朝日新聞全国版夕刊 2010年6月15日(月)掲載 be 人生の贈り物 旅行ジャーナリスト・兼高かおる:1 ホテル経営が夢だった[リンク切れ]
    朝日新聞全国版夕刊 2010年6月16日(火)掲載 be 人生の贈り物 旅行ジャーナリスト・兼高かおる:2 73時間世界一周
    朝日新聞全国版夕刊 2010年6月17日(水)掲載 be 人生の贈り物 旅行ジャーナリスト・兼高かおる:3 31年で体調不良は2度
    朝日新聞全国版夕刊 2010年6月18日(木)掲載 be 人生の贈り物 旅行ジャーナリスト・兼高かおる:4 知っているつもりでも質問[リンク切れ]
  10. ^ クロワッサン (No.907) (2015年8月25日). “『人生の先輩に聞く、真直生きぬく知恵』”. マガジンハウス. 2017年10月31日閲覧。

外部リンク

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