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「千葉真一」の版間の差分

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{{告知|議論|西暦について|ノート:千葉真一|date=2024年3月}}
{{ActorActress
{{ActorActress
| 芸名 = 千葉 真一<br /><span style="font-size:small">''JJ Sonny Chiba''</span>
| 芸名 = 千葉 真一<br /><span style="font-size:small">''JJ Sonny Chiba''</span>
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| 没月 = 8
| 没月 = 8
| 没日 = 19
| 没日 = 19
| 職業 = [[俳優]]・[[体操選手]]・[[空手家]]・[[歌手]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画監督]]・[[映画プロデューサー]]
| 職業 = [[俳優]]・[[体操選手]]・[[空手家]]・[[歌手]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画プロデューサー]]・[[映画監督]]
| ジャンル = [[映画]]・[[テレビ映画]]・[[ドラマ]]・[[音楽]]・[[演劇]]・''[[コマーシャルメッセージ|CM]]''
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| 活動期間 = [[1959年|昭和34年]] - [[2021年|令和3年]]
| 活動期間 = [[1959年]] - [[2021年]]
| 活動内容 = [[1959年]] [[東映ニューフェイス]]<br>[[1960年]] [[デビュー]]<br>[[1966年]] [[日本映画|日]][[台湾映画|台]]・日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作映画主演<br>[[1970年]] ''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''設立<br>[[1973年]] 日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作映画主演<br>[[1974年]] ''Sonny Chiba''<br>[[1977年]] [[フルコンタクト空手|空手大会]]出場<br>[[1979年]] [[日本映画|本邦]]初[[アクション監督]]<br>[[1981年]] 米[[イギリスの映画|英]]合作映画出演<br />[[1989年]] 映画プロデューサー<br />[[1990年]] 映画監督<br />[[1991年]] ''JAC''売却<br>[[1992年]] 拠点を''[[L.A.]]''へ<br>[[1994年]] 米[[メキシコの映画|墨]]合作映画出演<br>[[2008年]] [[京都造形芸術大学|京都造形芸大]][[教授]]<br>[[2010年]] 芸能生活50周年
| 活動内容 = [[1959年]] [[東映ニューフェイス]]<br>[[1960年]] [[デビュー]]<br>[[1966年]] [[日本映画|日]][[台湾映画|台]]・日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作映画主演<br>[[1970年]] ''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''設立<br>[[1973年]] 日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作映画主演<br>[[1974年]] ''Sonny Chiba''<br>[[1977年]] [[フルコンタクト空手|空手大会]]出場<br>[[1979年]] [[日本映画|本邦]]初[[アクション監督]]<br>[[1981年]] 米[[イギリスの映画|英]]合作映画出演<br />[[1989年]] 映画プロデューサー<br />[[1990年]] 映画監督<br />[[1991年]] ''JAC''売却<br>[[1992年]] 拠点を''[[L.A.]]''へ<br>[[1994年]] 米[[メキシコの映画|墨]]合作映画出演<br>[[2008年]] [[京都造形芸術大学|京都造形芸大]][[教授]]<br>[[2010年]] 芸能生活50周年
| 配偶者 = [[野際陽子]]([[1973年|昭和48年]] - [[1994年|平成6年]])<br>一般人([[1996年|平成8年]] - [[2015年|平成27年]])
| 配偶者 = [[野際陽子]]([[1973年]] - [[1994年]])<br>一般人([[1996年]] - [[2015年]])
| 著名な家族 = [[真瀬樹里]](長女{{Efn |母は[[野際陽子]]。}})<br>[[新田真剣佑]](長男{{Efn |name = 真郷 |母は一般人。}})<br>[[眞栄田郷敦]](次男{{Efn |name = 真郷 }})<br>[[矢吹二朗]](弟)<!-- 「家族」はその人物の配偶者や家族として公開されている著名人の名前を記入します。 -->
| 著名な家族 = [[真瀬樹里]](長女{{Efn |母は[[野際陽子]]。}})<br>[[新田真剣佑]](長男{{Efn |name = 真郷 |母は一般人。}})<br>[[眞栄田郷敦]](次男{{Efn |name = 真郷 }})<br>[[矢吹二朗]](弟)<!-- 「家族」はその人物の配偶者や家族として公開されている著名人の名前を記入します。 -->
| 事務所 = [[#注釈|注釈10]]
| 事務所 = [[#注釈|注釈10]]
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'''演劇'''<br>『[[柳生十兵衛 魔界転生]]』<br>『[[ゆかいな海賊大冒険]]』『[[酔いどれ公爵]]』<br>『[[スタントマン 愛の物語]]』<br>『[[千葉真一奮闘公演 影の軍団]]』<br>『[[風林火山 晴信燃ゆ]]』<hr />
'''演劇'''<br>『[[柳生十兵衛 魔界転生]]』<br>『[[ゆかいな海賊大冒険]]』『[[酔いどれ公爵]]』<br>『[[スタントマン 愛の物語]]』<br>『[[千葉真一奮闘公演 影の軍団]]』<br>『[[風林火山 晴信燃ゆ]]』<hr />
'''アクション監督・演出・監督''' <small>※助演兼務含む</small><br>『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』<br>『[[スタントマン物語]]』『[[吼えろ鉄拳]]』<br>『[[アドベンチャー 青春の出発]]』<br>『[[将軍家光の乱心 激突]]』<br>『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』<br>『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』
'''アクション監督・演出・監督''' <small>※助演兼務含む</small><br>『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』<br>『[[スタントマン物語]]』『[[吼えろ鉄拳]]』<br>『[[アドベンチャー 青春の出発]]』<br>『[[将軍家光の乱心 激突]]』<br>『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』<br>『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』
| 日本アカデミー賞 = '''[[第2回日本アカデミー賞#優秀助演男優賞|優秀助演男優賞(第2回)]]'''<br>『[[柳生一族の陰謀]]』([[1979年|昭和54年]])<hr />
| 日本アカデミー賞 = '''[[第2回日本アカデミー賞#優秀助演男優賞|優秀助演男優賞(第2回)]]'''<br>『[[柳生一族の陰謀]]』([[1979年]])<hr />
'''[[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞(第45回)]]'''([[2022年|令和4年]])
'''[[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞(第45回)]]'''([[2022年]])
| ブルーリボン賞 = '''[[ブルーリボン賞 (映画)#第22回(1979年度)|スタッフ賞(第22回)]]'''(昭和54年)
| ブルーリボン賞 = '''[[ブルーリボン賞 (映画)#第22回(1979年度)|スタッフ賞(第22回)]]'''(1979年)
| その他の賞 = '''[[香港電影金像奨]]<br>[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞(第18回)]]'''<br>『[[風雲 ストームライダーズ]]』([[1999年]])<hr />
| その他の賞 = '''[[香港電影金像奨]]<br>[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞(第18回)]]'''<br>『[[風雲 ストームライダーズ]]』([[1999年]])<hr />
'''[[サターン賞]]<br>[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞ノミネート(第30回)]]'''<br>『[[キル・ビル]]』([[2004年]])<hr />
'''[[サターン賞]]<br>[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞ノミネート(第30回)]]'''<br>『[[キル・ビル]]』([[2004年]])<hr />
'''[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]'''<br>'''''MAVERICK AWARD'''''([[2005年]])<hr />
'''[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]'''<br>'''''MAVERICK AWARD'''''([[2005年]])<hr />
'''[[日本映画批評家大賞]]'''<br>'''ゴールデン・グローリー賞'''([[2006年|平成18年]])<hr />
'''[[日本映画批評家大賞]]'''<br>'''ゴールデン・グローリー賞'''([[2006年]])<hr />
'''''OKINAWA''''' '''シネマ&ミュージックアワード'''<br>'''映画部門功労賞'''(平成18年)<hr />
'''''OKINAWA''''' '''シネマ&ミュージックアワード'''<br>'''映画部門功労賞'''(2006年)<hr />
'''[[天草映画祭]] 風の賞 特別賞'''([[2007年|平成19年]])<hr />
'''[[天草映画祭]] 風の賞 特別賞'''([[2007年]])<hr />
'''''SINGAFEST 2011''''' ([[2011年]])<br>'''''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD'''''<hr />
'''''SINGAFEST 2011''''' ([[2011年]])<br>'''''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD'''''<hr />
'''[[文化庁長官表彰]]'''([[2020年|令和2年]])
'''[[文化庁長官表彰]]'''([[2020年]])
| 備考 =
| 備考 =
| 受賞 = <!-- 受賞年順に表示されるよう、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞以前に受賞した賞はこちらに表記。 -->
| 受賞 = <!-- 受賞年順に表示されるよう、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞以前に受賞した賞はこちらに表記。 -->
'''ミスタースポーツモデル'''<br>'''ウェアモデル入賞'''([[1958年|昭和33年]])<hr />
'''ミスタースポーツモデル'''<br>'''ウェアモデル入賞'''([[1958年]])<hr />
'''[[エランドール賞]] 新人賞'''([[1962年|昭和37年]])<hr />
'''[[エランドール賞]] 新人賞'''([[1962年]])<hr />
'''[[日本映画製作者協会]] 新人賞'''([[1967年|昭和42年]])<hr />
'''[[日本映画製作者協会]] 新人賞'''([[1967年]])<hr />
'''[[京都市民映画祭]] 主演男優賞'''<br>『[[日本暗殺秘録]]』([[1969年|昭和44年]])<br>『[[沖縄やくざ戦争]]』([[1976年|昭和51年]])
'''[[京都市民映画祭]] 主演男優賞'''<br>『[[日本暗殺秘録]]』([[1969年]])<br>『[[沖縄やくざ戦争]]』([[1976年]])
}}
}}
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
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| Notable_instruments =
| Notable_instruments =
}}
}}
'''千葉 真一'''{{Efn |name = 芸名 |[[1969年]]の[[近代映画社|近代映画]]の『千葉真一特集号』では[[東映東京撮影所]]の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介しているが<ref>[[#近代196910|「千葉真一特集」、148頁。]]</ref>、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を'''千葉'''、名前はオレの名前をとって'''真一'''にしろ』と言われた」と述べている<ref>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、101頁。]]</ref>。}}(ちば しんいち、'''''JJ Sonny Chiba'''''{{Efn |name = Sonny |[[ニュー・ライン・シネマ]]が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で『[[激突! 殺人拳]]』を『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで封切公開した際に、社長のロバート・シェイが命名した<ref name = 伊藤生まれた21>[[伊藤彰彦 (映画史家)|伊藤彰彦]] [[#挑む2692|「''Sonny Chiba''が生まれた瞬間」、21頁。]]</ref><ref name = samurai51>[[#千葉2010|「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」、51頁。]]</ref>。それが他国に広まり、世界での通称となったが、[[英語圏]]で'''''Sonny'''''(サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を[[欧米]]風に訳した。その後、'''''JJ Sonny Chiba'''''と改名したが、''JJ'' は''Justice Japan''(正義の日本)の略である{{R |samurai51 }}<ref name = samurai11>[[#千葉2010|「序章」、11頁。]]</ref><ref name = 舞台挨拶>[[#新影最終|特典映像、「劇場初日舞台挨拶」]]</ref>。}}, [[1939年|昭和14年]][[1月22日]] - [[2021年|令和3年]][[8月19日]])は、[[日本]]の[[俳優]]・[[体操選手]]・[[空手家]]・[[歌手]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画監督]]・[[映画プロデューサー]]。[[愛称]]:'''千葉ちゃん'''{{Efn |name = 芸名 }}。本名:'''前田 禎穂'''(まえだ さだほ){{R |和千永3839 }}。
'''千葉 真一'''{{Efn |name = 芸名 |[[1969年]]の[[近代映画社|近代映画]]の『千葉真一特集号』では[[東映東京撮影所]]の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介しているが<ref>[[#近代196910|「千葉真一特集」、148頁。]]</ref>、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を'''千葉'''、名前はオレの名前をとって'''真一'''にしろ』と言われた」と述べている<ref>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、101頁。]]</ref>。}}(ちば しんいち、'''''JJ Sonny Chiba'''''{{Efn |name = Sonny |[[ニュー・ライン・シネマ]]が[[アメリカ合衆国]]で『[[激突! 殺人拳]]』を『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで封切公開した際に、社長のロバート・シェイが命名した<ref name = 伊藤生まれた21>[[伊藤彰彦 (映画史家)|伊藤彰彦]] [[#挑む2692|「''Sonny Chiba''が生まれた瞬間」、21頁。]]</ref><ref name = samurai51>[[#千葉2010|「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」、51頁。]]</ref>。それが他国に広まり、世界での通称となったが、[[英語圏]]で'''''Sonny'''''(サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を[[欧米]]風に訳した。その後、'''''JJ Sonny Chiba'''''と改名したが、''JJ'' は''Justice Japan''(正義の日本)の略である{{R |samurai51 }}<ref name = samurai11>[[#千葉2010|「序章」、11頁。]]</ref><ref name = 舞台挨拶>[[#新影最終|特典映像、「劇場初日舞台挨拶」]]</ref>。}}, [[1939年]][[1月22日]] - [[2021年]][[8月19日]])は、[[日本]]の[[俳優]]・[[体操選手]]・[[空手家]]・[[歌手]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画プロデューサー]]・[[映画監督]]。[[愛称]]:'''千葉ちゃん'''{{Efn |name = 芸名 }}。本名:'''前田 禎穂'''(まえだ さだほ){{R |和千永3839 }}。


日本を代表する映画スター<ref name = kamakura>{{Cite journal |和書 |date = 1981-06-25 |title = とっておきの『先生』特集 |journal = ''SPORTS CITY'' |volume = 1 |issue = 2 |page = 32 |publisher = 鎌倉書房 }}</ref><ref name = senpro>[[#パンフ戦国|「プロフィール」、30頁。]]</ref><ref name = gai173179182183>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 182 - 183頁。]]</ref><ref name = 役者一日4041>[[#役者は一日|春日太一 「JACの創設」、40 - 41頁。]]</ref><ref name = 映画com死去>{{Cite web |和書 |url = https://eiga.com/news/20210819/40/ |title = 千葉真一さん死去 新型コロナウイルス感染で82歳 |accessdate = 2022-07-14 |date = 2021-08-19 |website = 映画.com |work = 映画.com速報 |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102950/https://eiga.com/news/20210819/40/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>・アクションスターとして<ref name = オリコン真剣佑>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper = [[オリコン|オリコンニュース]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate = 2022-07-14 |publisher = [[オリコン#企業グループ|Oricon ME]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 中日コロナ肺炎210819>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20210821085656/https://www.chunichi.co.jp/article/314350 |date = 2021年8月21日 |title = 俳優・千葉真一さん死去 82歳 新型コロナによる肺炎で入院 }}</ref><ref name = 中日真瀬210820>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20210821083017/https://www.chunichi.co.jp/article/314612 |date = 2021年8月21日 |title = 真瀬樹里、父・千葉真一さんとの別れ「穏やかな顔をしておりました」}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん急死、82歳…新型コロナによる肺炎のため 「柳生一族の陰謀」「服部半蔵 影の軍団」に主演 |newspaper = [[スポーツニッポン|スポニチ Sponichi Annex]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |accessdate = 2022-07-14 |publisher = [[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819172911/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん亡くなる 新型コロナで肺炎が悪化し入院中 |newspaper = 東スポWeb |date = 2021-08-19 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |accessdate = 2022-07-14 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819215447/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>、[[海外]]では'''''Sonny Chiba'''''(サニー ちば)の[[通称]]で名高い{{R |映画com死去 |オリコン真剣佑 |中日コロナ肺炎210819 |中日真瀬210820 }}<ref name = 高平哲郎>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |title = JJサニーちば、真面目さと優しさに溢れ… |accessdate = 2012-09-27 |author = 高平哲郎 |authorlink = 高平哲郎 |date = 2011-05-18 |website = [[夕刊フジ|ZAKZAK]] |work = あくまで人名事典-昨日の友は今日も友- |publisher = [[産業経済新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20110519102558/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref><ref>[[#酔いどれ|橋本与志夫 「出演者陣の“酔いど講釈”」、32頁。]]</ref>。特技の[[体操競技|器械体操]]・[[極真会館|極真カラテ]]四段<ref name = Yodan>[[#昇段|「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、64頁。]]</ref>・[[少林寺拳法]]弐段・[[乗馬]]・[[スキー]]を活かした[[アクロバット|アクロバティック]]な[[スタント]]・[[殺陣]][[吹き替え]]に任せず、自ら演ることにより、定評を博している{{R |kamakura |gai173179182183 }}<ref name = wakita>[[#パンフ戦国|脇田巧彦 「アクションに賭ける男・千葉真一」、21頁。]]</ref><ref name = 九竜>{{Cite journal |和書 |date = 1977-10-01 |title = [[ゴルゴ13 九竜の首]] |journal = [[キネマ旬報|KINEJUN キネマ旬報]] |volume = 1532 |issue = 718 |pages = 42 - 44 |publisher = [[キネマ旬報社]] |format = グラビア }}</ref><ref name = せんせい>{{Cite journal |和書 |date = 1989-04-08 |title = トムソーヤ企画メンバー ■プロフィール / コメント |journal = [[せんせい (1989年の映画)|せんせい]] |page = 17 |publisher = [[松竹]] |format = パンフレット }}</ref><ref name = nikkan1>{{Cite web |和書 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |title =【復刻・日曜のヒーロー】待っていて下さい 必ずや ハリウッドの千葉真一 |accessdate = 2022-04-04 |date = 2021-08-20 |website = nikkansports.com |work = 日曜日のヒーロー |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210823100552/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |archivedate = 2021-08-23 |url-status = live }}</ref><ref name = スポニチ日体大>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130127195902/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/01/26/kiji/K20130126005063800.html |date = 2013年1月27日 |title = 千葉真一 日体大から半世紀ぶり卒業証書 体操で五輪目指すも中退 }}</ref><ref name = 報知元祖92111>[[#報知11版|「82歳元祖アクショスター」、紙面11版、1頁。]]</ref>
日本を代表する映画スター<ref name = kamakura>{{Cite journal |和書 |date = 1981-06-25 |title = とっておきの『先生』特集 |journal = ''SPORTS CITY'' |volume = 1 |issue = 2 |page = 32 |publisher = 鎌倉書房 }}</ref><ref name = gai173179182183>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 182 - 183頁。]]</ref><ref name = エンよも1>{{Cite web |和書 |url = https://www.sankei.com/article/20210903-X2OZL6RJUBPL7G6PUYP3I37BYU/ |title = 欧米が絶賛した千葉真一とブルース・リーの違い |accessdate = 2024-02-29 |author = 岡田敏一 |authorlink = 岡田敏一 |date = 2021-09-03 |website = [[産経デジタル]] |work =【エンタメよもやま話】|publisher = [[産業経済新聞社]] |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210903021216/https://www.sankei.com/article/20210903-X2OZL6RJUBPL7G6PUYP3I37BYU/ |archivedate = 2021-09-03 |url-status = live }}</ref><ref name = senpro>[[#パンフ戦国|「プロフィール」、30頁。]]</ref><ref name = 役者一日4041>[[#役者は一日|春日太一 「JACの創設」、40 - 41頁。]]</ref><ref name = 映画com死去>{{Cite web |和書 |url = https://eiga.com/news/20210819/40/ |title = 千葉真一さん死去 新型コロナウイルス感染で82歳 |accessdate = 2022-07-14 |date = 2021-08-19 |website = 映画.com |work = 映画.com速報 |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102950/https://eiga.com/news/20210819/40/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>・アクションスターとして{{R |エンよも1 }}<ref name = オリコン真剣佑>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper = [[オリコン|オリコンニュース]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate = 2022-07-14 |publisher = [[オリコン#企業グループ|Oricon ME]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 中日コロナ肺炎210819>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20210821085656/https://www.chunichi.co.jp/article/314350 |date = 2021年8月21日 |title = 俳優・千葉真一さん死去 82歳 新型コロナによる肺炎で入院 }}</ref><ref name = 中日真瀬210820>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20210821083017/https://www.chunichi.co.jp/article/314612 |date = 2021年8月21日 |title = 真瀬樹里、父・千葉真一さんとの別れ「穏やかな顔をしておりました」}}</ref><ref name = Ane肺炎>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん急死、82歳…新型コロナによる肺炎のため 「柳生一族の陰謀」「服部半蔵 影の軍団」に主演 |newspaper = [[スポーツニッポン|スポニチ Sponichi Annex]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |accessdate = 2022-07-14 |publisher = [[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819172911/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん亡くなる 新型コロナで肺炎が悪化し入院中 |newspaper = 東スポWeb |date = 2021-08-19 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |accessdate = 2022-07-14 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819215447/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>、[[海外]]では'''''Sonny Chiba'''''(サニー ちば)の[[通称]]で名高い{{R |kamakura |gai173179182183 |エンよも1 |映画com死去 |オリコン真剣佑 |中日コロナ肺炎210819 |中日真瀬210820 }}<ref name = 高平哲郎>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |title = JJサニーちば、真面目さと優しさに溢れ… |accessdate = 2012-09-27 |author = 高平哲郎 |authorlink = 高平哲郎 |date = 2011-05-18 |website = [[夕刊フジ|ZAKZAK]] |work = あくまで人名事典-昨日の友は今日も友- |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20110519102558/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref><ref name = Ane国際派>{{Cite news |和書 |title = 海外でも愛さた国際派「サニー千葉」、タランティーノ監督らもファン公言 |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000169000c.html |accessdate = 2024-03-01 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820051752/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000169000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。特技の[[体操競技|器械体操]]・[[極真会館|極真カラテ]]四段<ref name = Yodan>[[#昇段|「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、64頁。]]</ref>・[[少林寺拳法]]弐段・[[乗馬]]・[[スキー]]を活かした[[アクロバット|アクロバティック]]な[[スタント]]・[[殺陣]][[吹き替え]]に任せず、自ら演じていること{{R |kamakura |gai173179182183 }}<ref name = wakita>[[#パンフ戦国|脇田巧彦 「アクションに賭ける男・千葉真一」、21頁。]]</ref><ref name = 九竜>{{Cite journal |和書 |date = 1977-10-01 |title = [[ゴルゴ13 九竜の首]] |journal = [[キネマ旬報|KINEJUN キネマ旬報]] |volume = 1532 |issue = 718 |pages = 42 - 44 |publisher = [[キネマ旬報社]] |format = グラビア }}</ref><ref name = せんせい>{{Cite journal |和書 |date = 1989-04-08 |title = トムソーヤ企画メンバー ■プロフィール / コメント |journal = [[せんせい (1989年の映画)|せんせい]] |page = 17 |publisher = [[松竹]] |format = パンフレット }}</ref>、堂々たる名演による圧倒的過ぎる存在感が{{R |kamakura |gai173179182183 |エンよも1 }}<ref name = nikkan1>{{Cite web |和書 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |title =【復刻・日曜のヒーロー】待っていて下さい 必ずや ハリウッドの千葉真一 |accessdate = 2022-04-04 |date = 2021-08-20 |website = nikkansports.com |work = 日曜日のヒーロー |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210823100552/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |archivedate = 2021-08-23 |url-status = live }}</ref><ref name = 報知元祖92111>[[#報知11版|「82歳元祖アクションター」、紙面11版、1頁。]]</ref><ref name = ねとエン多数追悼>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの急逝に芸能界から多数の追悼メッセージ「役者であるキッカケになった人」「信じられません」|newspaper = ねとらぼエンタ |date = 2021-08-20 |author = 深戸進路 |url = https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news097.html |accessdate = 2022-05-10 |publisher = ITmedia |page = 1 |archiveurl = https://archive.ph/vK5PP |archivedate = 2021-09-01 |url-status = live }}</ref>、定評を博している{{R |kamakura |gai173179182183 |エンよも1 |Ane国際派 |wakita |九竜 |せんせい |nikkan1 |報知元祖92111 |ねとエ多数追悼 }}


芸能生活は半世紀以上の60年を越えており、[[映画]]・[[テレビ映画]]・[[ドラマ]]・[[演劇]]など、計1,500本以上の作品に出演<ref name = 米谷>[[#取材を終えて|米谷紳之介 「取材を終えて」、303頁。]]</ref><ref name = 沖縄映画研究>{{Cite news ja |title = 千葉真一さんと沖縄 主演作から見る沖縄への視座 「沖縄やくざ」では三線、空手も |newspaper = [[琉球新報|琉球新報 DIGITAL]] |date = 2022-03-11 |url = https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 琉球新報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220311050605/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |archivedate = 2022-03-11 |url-status = live }}</ref>。[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]の創設者で俳優・スタントマンの育成、監督として演出、製作にもわり、幅広く活躍していた。
芸能生活は半世紀以上の60年を越え、[[映画]]・[[テレビ映画]]・[[ドラマ]]・[[演劇]]など、計1,500本以上の作品に出演<ref name = 米谷>[[#取材を終えて|米谷紳之介 「取材を終えて」、303頁。]]</ref><ref name = 沖縄映画研究>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんと沖縄 主演作から見る沖縄への視座 「沖縄やくざ」では三線、空手も |newspaper = [[琉球新報|琉球新報 DIGITAL]] |date = 2022-03-11 |url = https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 琉球新報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220311050605/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |archivedate = 2022-03-11 |url-status = live }}</ref>。[[1970年]]に創設した[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]からは数々の[[スタントマン]]・俳優・[[殺陣|殺陣師]]・アクション監督を輩出している{{R |エンよも1 |役者一日4041 |映画com死去 |Ane肺炎 }}<ref name = スポニチ急死>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに… |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102603/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。本職だけではなく、[[指導者]]として後進の育成をし、映画・演劇の演出、製作にも参画するなど、多岐にり活躍していた。


== 生涯 ==
== 生涯 ==
=== オリンピックを目指して ===
=== オリンピックを目指して ===
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕{{R |千葉流8182 }}。4歳の時、[[千葉県]][[君津市]]へ転居{{R |和千永38 }}。中学生から[[体操競技|器械体操]]を始め<ref name = 千葉流89>[[#千葉2010|「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、89頁。]]</ref>、[[近代オリンピック|オリンピック]]で[[日本の国旗|日の丸]]を掲げたいという夢を抱くようになり{{R |kamakura |wakita }}、[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]へ入学後、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた{{R |kamakura }}<ref name = samurai9596>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、95 - 96頁。]]</ref>。[[1957年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]]に進学した<ref name = スポニチ日体大>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130127195902/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/01/26/kiji/K20130126005063800.html |date = 2013年1月27日 |title = 千葉真一 日体大から半世紀ぶり卒業証書 体操で五輪目指すも中退 }}</ref><ref name = 映画com日体大>{{Cite web |和書 |url = http://eiga.com/news/20130310/7/ |title = 千葉真一 53年ぶりに母校・日体大を“卒業”し「もうひと花」とさらなる意欲 |accessdate = 2013-03-12 |date = 2013-03-10 |website = [[映画.com]] |work = 映画.com速報 |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312003908/http://eiga.com/news/20130310/7/ |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref><ref name = 日刊日体大310>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一が日体大から特別卒業認定 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-10 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |accessdate = 2013-03-12 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312020710/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref><ref name = デイリー日体大1>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 |newspaper = [[デイリースポーツ|デイリースポーツ online]] |date = 2013-03-11 |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |accessdate = 2013-03-12 |publisher = [[神戸新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312033752/http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕{{R |千葉流8182 }}。4歳の時、[[千葉県]][[君津市]]へ転居{{R |和千永38 }}。
(⇒ ''[[#家族]]'')
(⇒ ''[[#家族]]'')


中学生から[[体操競技|器械]]を始め<ref name = 千葉流89>[[#千葉2010|「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、89頁。]]</ref>[[近代オリンピック|ンピック]]で[[日本の国旗|日の丸]]を掲げたいという夢を抱くようり{{R |kamakura |wakita }}、[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]へ入学後、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝成し遂げた{{R |kamakura }}<ref name = samurai9596>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代味わっ栄光挫折」、95 - 96頁。]]</ref>。[[1957年|昭和32年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]]に進学{{R |スポニチ日体大 }}<ref name = 映画com日体大>{{Cite web |和書 |url = http://eiga.com/news/20130310/7/ |title = 千葉真一 53年ぶりに母校・日体大を“卒業”し「もうひと花」とさらなる意欲 |accessdate = 2013-03-12 |date = 2013-03-10 |website = [[映画.com]] |work = 映画.com速報 |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312003908/http://eiga.com/news/20130310/7/ |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref><ref name = 日刊日体大310>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一が日体大から特別卒業認定 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-10 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |accessdate = 2013-03-12 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312020710/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref><ref name = デイリー日体大1>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 |newspaper = [[デイリースポーツ|デイリースポーツ online]] |date = 2013-03-11 |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |accessdate = 2013-03-12 |publisher = [[神戸新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312033752/http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。
器械体操の仲間には後の[[1964年東京オリンピックの体操競技]]で[[銅メダル|女子団銅メダル]]を獲得する[[千葉吟子]]オリンピック[[金メダル|金メダスト]]で“山下跳び”の[[山下治広]]がおり、「種目よっては山下よ上」と評されている<ref name = 中日春秋>{{Cite web |和書 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315181 |title = 中日春秋 |accessdate = 2024-02-28 |date = 2021-08-21 |website = [[中日新聞]] |work = オピニオン |publisher = [[中日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821143939/https://www.chunichi.co.jp/article/315181 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。将来嘱望されてい{{R |中日春秋 }}、2年生の時に{{Efn |name = 夏秋 |出典により夏まは秋している}}、[[跳馬]]を練習中に着地で失敗し、[[]][[]]を痛めてまう{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 }}<ref name = 近代映画123-126>{{Cite journal |和書 |year = 1970 |month = 11 |journal = 近代映画 |volume = |issue = |pages = 123 - 126 |publisher = [[近代映画]] }}</ref><ref name = 報知日体大>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130312032223/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130311-OHT1T00033.htm |date = 2013年3月12 |title = 千葉真一、57年がかりで日体大を卒業 }}</ref>。医者から「1年間運動禁止」と宣告され{{R |映画com日体大 |デイリー日体大1 }}、選手を続けることが困難となる{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 |デイリー日体大1 }}。[[休学]]も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した{{Efn |name = 日体大 |[[日本体育大学]]は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、[[2013年]][[3月10日]]に[[卒業]]を認定{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 |日刊日体大310 |報知日体大 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 半世紀かりで日体大卒業 (Page 2) |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2013-03-11 |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |accessdate = 2013-03-12 |publisher = 神戸新聞社 |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210512134435/https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた{{R |映画com日体大 }}<ref name = 日刊日体大311>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 日体大卒業「人生最高の喜び」 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-11 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |accessdate = 2013-03-12 |format = 紙面 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312015543/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。}}

器械体操の仲間には[[千葉吟子]]や、後の[[1964年東京オリンピック]][[金メダル|金メダリスト]]で“山下跳び”の[[山下治広]]がおり、「種目によっては山下より上」と評されている<ref name = 中日春秋>{{Cite web |和書 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315181 |title = 中日春秋 |accessdate = 2024-02-28 |date = 2021-08-21 |website = [[中日新聞]] |work = オピニオン |publisher = [[中日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821143939/https://www.chunichi.co.jp/article/315181 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。将来を嘱望されていたが{{R |中日春秋 }}、2年生の時に{{Efn |name = 夏秋 |出典により、夏または秋としている。}}、[[跳馬]]を練習中に着地で失敗し、[[腰]]・[[膝]]を痛めてしまう{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 }}<ref name = 近代映画123-126>{{Cite journal |和書 |year = 1970 |month = 11 |journal = 近代映画 |volume = |issue = |pages = 123 - 126 |publisher = [[近代映画社]] }}</ref><ref name = 報知日体大>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130312032223/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130311-OHT1T00033.htm |date = 2013年3月12日 |title = 千葉真一、57年がかりで日体大を卒業 }}</ref>。医者から「1年間運動禁止」と宣告され{{R |映画com日体大 |デイリー日体大1 }}、選手を続けることが困難となる{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 |デイリー日体大1 }}。[[休学]]も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した{{Efn |name = 日体大 |[[日本体育大学]]は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、[[2013年|平成25年]][[3月10日]]に[[卒業]]を認定{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 |日刊日体大310 |報知日体大 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 (Page 2) |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2013-03-11 |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |accessdate = 2013-03-12 |publisher = 神戸新聞社 |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210512134435/https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた{{R |映画com日体大 }}<ref name = 日刊日体大311>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 日体大卒業「人生最高の喜び」 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-11 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |accessdate = 2013-03-12 |format = 紙面 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312015543/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。}}。
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#体操界・日体大]]''・''[[#器械体操]]'')
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#体操界・日体大]]''・''[[#器械体操]]'')


[[File:Sonny Chiba 1961.jpg|thumb|left|150px|[[ブロマイド]]([[1961]])]]
[[File:Sonny Chiba 1961.jpg|thumb|left|150px|[[ブロマイド]](1961年)]]
今後を模索し始め、実家に帰る途中の[[代々木駅]]で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける<ref name = samurai100101>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、100 - 101頁。]]</ref>。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや{{R |samurai100101 }}、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し<ref name = 近代140>[[#近代196910|「千葉真一特集」、140頁。]]</ref>、[[東映ニューフェイス]]を受験するよう勧められていたことから応募した{{R |samurai100101 |近代140 }}。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす{{R |samurai100101 }}。
今後を模索し始め、実家に帰る途中の[[代々木駅]]で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける<ref name = samurai100101>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、100 - 101頁。]]</ref>。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや{{R |samurai100101 }}、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し<ref name = 近代140>[[#近代196910|「千葉真一特集」、140頁。]]</ref>、[[東映ニューフェイス]]を受験するよう勧められていたことから応募した{{R |samurai100101 |近代140 }}。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす{{R |samurai100101 }}。


=== アクションスター ===
=== アクションスター ===
[[1959年|昭和34年]]、[[大学]]を[[中退]]して{{Efn |name = 日体大 }}、[[東映]]に入る。入社した男性6名・女性14名のうち、[[俳優]]では[[亀石征一郎]]・[[新井茂子]]・[[茅島成美]]・[[太地喜和子]]・[[真山知子]]・[[都築克子]]や、[[映画監督]]では[[中島貞夫]]が<ref>{{Cite book |和書 |author1 = 中島貞夫 |authorlink1 = 中島貞夫 |author2 = 大森俊次 |title = 中島貞夫監督 映画人生60年を語る |edition = 初版 |date = 2023-07-19 |publisher = [[かもがわ出版]] |isbn = 478031285X | oclc = 1404808442 |page = 117 |chapter = 居候が演技開化の機会に - 千葉真一 }}</ref>、同期生にいた。[[俳優座]]で6か月の研修を経て<ref>[[#千葉2008|「そして、千葉真一になった」、60頁。]]</ref>、[[1960年|昭和35年]][[1月7日]]に『[[新 七色仮面]]』の二代目・蘭光太郎として[[主演]][[デビュー]]。続けて『[[アラーの使者]]』にも主演した{{R |中日春秋 }}。
[[1959年]]、[[大学]]を[[中退]]して{{Efn |name = 日体大 }}、[[東映]]に入る。入社した男性6名・女性14名のうち、[[俳優]]では[[亀石征一郎]]・[[新井茂子]]・[[茅島成美]]・[[太地喜和子]]・[[真山知子]]・[[都築克子]]や、[[映画監督]]では[[中島貞夫]]が<ref>{{Cite book |和書 |author1 = 中島貞夫 |authorlink1 = 中島貞夫 |author2 = 大森俊次 |title = 中島貞夫監督 映画人生60年を語る |edition = 初版 |date = 2023-07-19 |publisher = [[かもがわ出版]] |isbn = 478031285X | oclc = 1404808442 |page = 117 |chapter = 居候が演技開化の機会に - 千葉真一 }}</ref>、同期生にいた。[[俳優座]]で6か月の研修を経て<ref>[[#千葉2008|「そして、千葉真一になった」、60頁。]]</ref>、[[1960年]][[1月7日]]に『[[新 七色仮面]]』の二代目・蘭光太郎として[[主演]][[デビュー]]。続けて『[[アラーの使者]]』にも主演した{{R |中日春秋 }}。
(⇒ ''[[#変身ヒーロー]]'')
(⇒ ''[[#変身ヒーロー]]'')


[[File:Wandering Detective Tragedy in Red Valley 1.jpg|thumb|right|300px|『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』で、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。左は[[北原しげみ]]。]]
[[File:Wandering Detective Tragedy in Red Valley 1.jpg|thumb|right|300px|『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』で、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。左は[[北原しげみ]]。]]
[[1961年|昭和36年]]、[[中山昭二]]の代役で『[[警視庁物語|警視庁物語 不在証明(ありばい)]]』に出演後<ref name = 20人が証言111>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、111頁。]]</ref>、[[深作欣二]]が初めて監督をした『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』に主演して、2期先輩の[[曽根晴美]]と「拳銃コンビ」の[[キャッチコピー]]で売り出された<ref>『東映の友』、[[1961年]]、[[東京国立近代美術館]]フイルムセンター4階図書室所蔵。</ref>。[[吹き替え]]なしで[[スタント]]をこなすことから<ref name = 世通ア育6162>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」、61 - 62頁。]]</ref>、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった<ref name = 実話特報>{{Cite journal |和書 |date = 1961-02-23 |title = 東映城に羽ばたく |journal = 週刊実話特報 |volume = 3 |issue = 8 |pages = 3 - 6 |publisher = [[双葉社]] }}</ref>。[[1962年|昭和37年]]は『[[事件記者シリーズ]]』の第1作『[[恐怖の魔女]]』に主演したほか、[[1963年]]には『[[八州遊侠伝 男の盃]]』で[[時代劇]]に初出演。『事件記者シリーズ』の第2作『[[殺人鬼の誘惑]]』と『[[柔道一代シリーズ]]』第一作に主演している{{R |中日春秋 }}。
[[1961年]]、[[中山昭二]]の代役で『[[警視庁物語|警視庁物語 不在証明(ありばい)]]』に出演後<ref name = 20人が証言111>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、111頁。]]</ref>、[[深作欣二]]が初めて監督をした『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』に主演して、2期先輩の[[曽根晴美]]と「拳銃コンビ」の[[キャッチコピー]]で売り出された<ref>『東映の友』、1961年、[[東京国立近代美術館]]フイルムセンター4階図書室所蔵。</ref>。[[吹き替え]]なしで[[スタント]]をこなすことから<ref name = 世通ア育6162>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」、61 - 62頁。]]</ref>、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった<ref name = 実話特報>{{Cite journal |和書 |date = 1961-02-23 |title = 東映城に羽ばたく |journal = 週刊実話特報 |volume = 3 |issue = 8 |pages = 3 - 6 |publisher = [[双葉社]] }}</ref>。[[1962年]]は『[[事件記者シリーズ]]』の第1作『[[恐怖の魔女]]』に主演したほか、[[1963年]]には『[[八州遊侠伝 男の盃]]』で[[時代劇]]に初出演。『事件記者シリーズ』の第2作『[[殺人鬼の誘惑]]』と『[[柔道一代シリーズ]]』第一作に主演している{{R |中日春秋 }}。


[[1963年の音楽|1963年]]から音楽活動も始め、「[[男一匹生きるなら]]」を[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューを果たした。[[1967年の音楽|1967年]]には“千葉真一とザ・サタンズ”という[[グループ・サウンズ]]の[[バンド (音楽)|バンド]]を結成<ref name = モー81>[[#モーレツ24|「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」、81頁。]]</ref><ref name = GS196570>{{Cite book |和書 |editor = 辻幸多郎 |title = GS グループ・サウンズ 1965&#12316;1970 |date = 2013-12-25 |publisher = 近代映画社 |isbn = 476482390X |page = 111 |volume = NEW SOUNDS GROUP |chapter = 千葉真一とザ・サタンズ誕生 }}</ref>。リーダーとして夜は[[都内]]の[[ジャズ喫茶|音楽喫茶]]・[[ライブハウス]]で歌い{{R |モー81 }}、[[九州]]などにも[[巡業]]し、[[演奏|ライブ]]をしていた{{R |GS196570 }}。
[[1963年の音楽|1963年から]]音楽活動も始め、「[[男一匹生きるなら]]」を[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューを果たした。[[1967年の音楽|1967年には]]'''千葉真一とザ・サタンズ'''”という[[グループ・サウンズ]]の[[バンド (音楽)|バンド]]を結成<ref name = モー81>[[#モーレツ24|「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」、81頁。]]</ref><ref name = GS196570>{{Cite book |和書 |editor = 辻幸多郎 |title = GS グループ・サウンズ 1965&#12316;1970 |date = 2013-12-25 |publisher = 近代映画社 |isbn = 476482390X |page = 111 |volume = NEW SOUNDS GROUP |chapter = 千葉真一とザ・サタンズ誕生 }}</ref>。リーダーとして夜は[[都内]]の[[ジャズ喫茶|音楽喫茶]]・[[ライブハウス]]で歌い{{R |モー81 }}、[[九州]]などにも[[巡業]]し、[[演奏|ライブ]]をしていた{{R |GS196570 }}。
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#ディスコグラフィ]]'')
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#ディスコグラフィ]]'')


[[1966年]]、『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』([[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)、『[[海底大戦争]]<ref name = 千葉時事>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去 アクション俳優、82歳 - 新型コロナに感染 |newspaper = [[時事通信社|時事ドットコムニュース]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |accessdate = 2022-04-04 |agency = [[時事通信社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210828180721/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |archivedate = 2021-08-28 |url-status = live }}</ref>』(日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』([[1973年]]、日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作)、『[[激殺! 邪道拳]]』([[1977年]]、日香泰合作)、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』(1977年、日香合作)など、[[諸外国]]との共同作品に主演するきっかけになった。その合間に前年の『[[暗闇五段|くらやみ五段]]』、[[遠藤実]]の自伝を映画化した『[[太陽に突っ走れ]]』、『[[子守唄シリーズ]]』、『[[河内遊侠伝]]』、『[[陸軍諜報33]]』など次々と主演していた{{R |中日春秋 }}。
[[1966年]]、『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』([[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)、『[[海底大戦争]]<ref name = 千葉時事>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去 アクション俳優、82歳 - 新型コロナに感染 |newspaper = [[時事通信社|時事ドットコムニュース]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |accessdate = 2022-04-04 |agency = [[時事通信社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210828180721/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |archivedate = 2021-08-28 |url-status = live }}</ref>』(日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』([[1973年]]、日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作)、『[[激殺! 邪道拳]]』([[1977年]]、日香泰合作)、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]{{R |九竜 }}』(1977年、日香合作)など、[[諸外国]]との共同作品に主演するきっかけになった。その合間に前年の『[[暗闇五段|くらやみ五段]]』、[[遠藤実]]の自伝を映画化した『[[太陽に突っ走れ]]』、『[[子守唄シリーズ]]』、『[[河内遊侠伝]]』、『[[陸軍諜報33]]』など次々と主演していた{{R |中日春秋 }}。
(⇒ ''[[#アクション映画]]'')
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#海外進出]]''・ ''[[#アクション映画]]'')


[[1968年|昭和43年]]から『[[キイハンター]]』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい、'''千葉ちゃん'''の愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた{{R |kamakura }}<ref name = ア芸キ>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/9361 |title = 千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた |accessdate = 2012-12-03 |date = 2012-11-27 |website = [[アサヒ芸能|アサ芸+]] |publisher = [[徳間書店]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20121129044436/http://www.asagei.com/9361 |archivedate = 2012-11-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 壬生智裕>{{Cite web |和書 |author = 壬生智裕 |url = http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |title = 千葉真一、『仁義なき戦い』の野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-13 |website = [[シネマトゥデイ]] |publisher = [[シネマトゥデイ (企業)|シネマトゥデイ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130116051214/http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |archivedate = 2013-01-16 |url-status = live }}</ref><ref name = 映画com仁義>{{Cite web |和書 |url = http://eiga.com/news/20130112/12/ |title = 千葉真一「仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督の命日に |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-12 |website = 映画.com |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130122013637/http://eiga.com/news/20130112/12/ |archivedate = 2013-01-22 |url-status = live }}</ref>{{Efn |[[1970年]]から放送されていた[[トヨタ・カリーナ]]の''CM''でも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。}}。
[[1968年]]から『[[キイハンター]]』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい{{R |Ane肺炎 }}、'''千葉ちゃん'''の愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた{{R |kamakura }}<ref name = ア芸キ>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/9361 |title = 千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた |accessdate = 2012-12-03 |date = 2012-11-27 |website = [[アサヒ芸能|アサ芸+]] |publisher = [[徳間書店]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20121129044436/http://www.asagei.com/9361 |archivedate = 2012-11-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 壬生智裕>{{Cite web |和書 |author = 壬生智裕 |url = http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |title = 千葉真一、『仁義なき戦い』の野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-13 |website = [[シネマトゥデイ]] |publisher = [[シネマトゥデイ (企業)|シネマトゥデイ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130116051214/http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |archivedate = 2013-01-16 |url-status = live }}</ref><ref name = 映画com仁義>{{Cite web |和書 |url = http://eiga.com/news/20130112/12/ |title = 千葉真一「仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督の命日に |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-12 |website = 映画.com |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130122013637/http://eiga.com/news/20130112/12/ |archivedate = 2013-01-22 |url-status = live }}</ref>{{Efn |[[1970年]]から放送されていた[[トヨタ・カリーナ]]の''CM''でも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。}}。
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#ファン]]'')
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#ファン]]'')


=== 転機 ===
=== 転機 ===
[[1969年|昭和44年]]、[[オールスター|オールスターキャスト]]で製作された『[[日本暗殺秘録]]』では、[[小沼正]]に扮して[[主演]]した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、小沼の怒り・葛藤・情念をアクションスターという枠に収まらない演技で印象深い場面を残し{{R |中日春秋 }}、同年の[[京都市民映画祭]]で主演男優賞を受賞<ref name = samurai3335>[[#千葉2010|「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」、33 - 35頁。]]</ref>。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている<ref name = samurai3335/>。
[[1969年]]、[[オールスター|オールスターキャスト]]で製作された『[[日本暗殺秘録]]』では、[[小沼正]]に扮して[[主演]]した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、小沼の怒り・葛藤・情念をアクションスターという枠に収まらない演技で印象深い場面を残し{{R |中日春秋 }}、同年の[[京都市民映画祭]]で主演男優賞を受賞<ref name = samurai3335>[[#千葉2010|「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」、33 - 35頁。]]</ref>。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている<ref name = samurai3335/>。
(⇒ ''[[#キイハンター]]'')
(⇒ ''[[#キイハンター]]'')


[[1970年|昭和45年]]、アクション・[[擬斗]]を自ら演じる俳優・その相手・[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{Efn |name = 講道館の鬼 |自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりに[[スタント]]を演じてきたので<ref>「千葉真一さん [[森末慎二]]さんの若さと元気のヒミツ“年齢に負けない鮫肝油のサラサラパワー”」『[[テレビショッピング]]』 [[2013年|平成25年]]、[[エバーライフ]]。</ref>、[[吹き替え]]ができる人材の不足を憂いていた。}}、若年層の教育に関心を持っていたことから、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]を創設した。
[[1970年]]、アクション・[[擬斗]]を自ら演じる俳優・その相手・[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{Efn |name = 講道館の鬼 |自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりに[[スタント]]を演じてきたので<ref>「千葉真一さん [[森末慎二]]さんの若さと元気のヒミツ“年齢に負けない鮫肝油のサラサラパワー”」『[[テレビショッピング]]』 [[2013年|平成25年]]、[[エバーライフ]]。</ref>、[[吹き替え]]ができる人材の不足を憂いていた。}}、若年層の教育に関心を持っていたことから、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]を創設した{{R |Ane肺炎 }}
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'')
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'')


[[1973年|昭和48年]]の『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』では主役に抜てきされながら、東映の意向で[[映画撮影|クランクイン]]直前、大友勝利役に代えられたものの、凶暴・凶悪な大友を全力で演じ、シリーズを通じて、主人公をしのぐほどの強烈な印象を残す{{R |中日春秋 }}。大友はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり{{R |中日春秋 |壬生智裕 |アサ芸仁義 }}<ref name = 仁義なき戦いPERFECTBOOK>{{Cite journal |和書 |year = 2003 |title = [[仁義なき戦い]] PERFECT BOOK |journal = [[別冊宝島]] |issue = 833 |pages = 12, 30 - 31頁 |publisher = [[宝島社]] }}</ref>、これ以降、他の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている{{R |アサ芸深作 }}。
1973年の『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』では主役に抜てきされながら、東映の意向で[[映画撮影|クランクイン]]直前、大友勝利役に代えられたものの、凶暴・凶悪な大友を全力で演じ、シリーズを通じて、主人公をしのぐほどの強烈な印象を残す{{R |中日春秋 }}。大友はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり{{R |中日春秋 |壬生智裕 |アサ芸仁義 }}<ref name = 仁義PB>{{Cite journal |和書 |year = 2003 |title = [[仁義なき戦い]] PERFECT BOOK |journal = [[別冊宝島]] |issue = 833 |pages = 12, 30 - 31頁 |publisher = [[宝島社]] }}</ref>、これ以降、他の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている{{R |アサ芸深作 }}。
(⇒ ''[[#ヤクザ映画]]'')
(⇒ ''[[#ヤクザ映画]]'')


『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]を[[モチーフ (物語)|モチーフ]]とした『[[ボディガード牙シリーズ]]』の撮影に入り、『[[殺人拳シリーズ]]』と次々主演作が[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48 - 49頁。]]</ref>。これ以降は格闘をメインとした作品に続けざま主演していくが、[[極真会館|極真カラテ]]を修行して、[[黒帯]]を允許された技量が生かされることとなる。
『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]を[[モチーフ (物語)|モチーフ]]とした『[[ボディガード牙シリーズ]]』の撮影に入り、『[[殺人拳シリーズ]]』と次々主演作が[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48 - 49頁。]]</ref>。これ以降は格闘をメインとした作品に続けざま主演していくが、[[極真会館|極真カラテ]]を修行して、[[黒帯]]を允許された技量が生かされることとなる{{R |エンよも1 }}
(⇒ ''[[#空手道]]'')
(⇒ ''[[#空手道]]'')


=== ''Sonny Chiba'' ===
=== ''Sonny Chiba'' ===
昭和48年の『ボディガード牙シリーズ<ref name = 牙>{{Eiren|03000000371|『ボディガード牙』}}</ref>』を皮切りに、『殺人拳シリーズ{{R |高平哲郎 }}』([[1974年|昭和49年]] - [[1976年|昭和51年]])、『[[地獄拳シリーズ]]{{R |高平哲郎 }}』(昭和49年)、『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』([[1975年|昭和50年]])、『[[けんか空手シリーズ]]<ref name = shinkainin>[[#活動屋|「『新幹線』も海外で人気」、68頁。]]</ref>』(昭和50年 - [[1977年|昭和52年]])、『[[激殺! 邪道拳]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]{{R |九竜 }}』(1977年)と、前後して『[[やくざ刑事シリーズ]]<ref name = 子守唄>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |title =【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死(1/2ページ)|accessdate = 2016-06-27 |date = 2016-03-18 |website = ZAKZAK |work = ★アクション編(上)|page = 1 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20160627094751/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |archivedate = 2016-06-27 |url-status = live }}</ref>』([[1970|昭和45年]] - [[1971年|昭和46年]])、『[[狼やくざシリーズ]]{{R |牙 }}<ref name = 直100館>[[#活動屋|「直営劇場を100館へ」、26頁。]]</ref>』(昭和46年 - [[1972年|昭和47年]])、『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]{{R |牙 }}』(昭和47年)や、[[小説]]・[[劇画]]を映画化した『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』(昭和50年)、昭和52年は『[[空手バカ一代 (映)|空手バカ一代]]『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』など、数々の作品に主演。『キイハンター』と同様の[[スタント]]に、[[空手道]]・[[拳法]]・[[体操競技|器械体操]]が加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した{{R |kamakura |高平哲郎 |wakita |九竜 |牙 |shinkainin |子守唄 |直100館 }}<ref name = makaitensho>[[#パンフ冒険|「解説」、7頁。]]</ref><ref name = bokenshakamikaze>[[#パンフ冒険|「かいせつ」、16頁。]]</ref>。
『ボディガード牙シリーズ<ref name = 牙>{{Eiren|03000000371|『ボディガード牙』}}</ref>』(1973年)は日本だけにとどまらず、[[欧米]]でもヒットし、ブームになる先駆けの作品となった{{R |Ane国際派 }}。これを皮切りに、『殺人拳シリーズ{{R |高平哲郎 }}』([[1974年]] - [[1976年]])、『[[地獄拳シリーズ]]{{R |高平哲郎 }}』(1974年)、『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』([[1975年]])、『[[けんか空手シリーズ]]<ref name = shinkainin>[[#活動屋|「『新幹線』も海外で人気」、68頁。]]</ref>』(1975年 - 1977年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)と、前後して『[[やくざ刑事シリーズ]]<ref name = 子守唄>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |title =【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死(1/2ページ)|accessdate = 2016-06-27 |date = 2016-03-18 |website = ZAKZAK |work = ★アクション編(上)|page = 1 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20160627094751/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |archivedate = 2016-06-27 |url-status = live }}</ref>』(1970年 - [[1971年]])、『[[狼やくざシリーズ]]{{R |牙 }}<ref name = 直100館>[[#活動屋|「直営劇場を100館へ」、26頁。]]</ref>』(1971年 - [[1972年]])、『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]{{R |牙 }}』(1972年)や、[[小説]]『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』(1975年)[[画]]『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』『ゴルゴ13 九竜の首{{R |九竜 }}』(1977年)の映画化なども含め、数々の作品に主演。『キイハンター』と同様の[[スタント]]に、[[空手道]]・[[拳法]]・[[体操競技|器械体操]]が加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した{{R |kamakura |高平哲郎 |wakita |九竜 |牙 |shinkainin |子守唄 |直100館 }}<ref name = makaitensho>[[#パンフ冒険|「解説」、7頁。]]</ref><ref name = bokenshakamikaze>[[#パンフ冒険|「かいせつ」、16頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#アクション映画]]''・''[[#格闘映画]]'')
(⇒ ''[[#アクション映画]]''・''[[#格闘映画]]'')


中でも[[1974年]]に主演した『[[激突! 殺人拳]]』は国内のみならず、海外で『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで公開され、[[アメリカ合衆国|米国]]では[[日本映画]]として初めて[[興行収入]]100万ドル以上を記録{{R |殺人拳1 }}。この成功は同国で最も権威のある総合情報週刊誌「''[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]''」の12月18日付にも掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている<ref name = brucelee>{{Cite news |和書 |title = 本家[[ブルース・リー]]をしのぐ千葉真一 |newspaper = [[スポーツ報知|報知新聞]] |edition = [[朝刊]] |publisher = [[報知新聞社]] |date = 1974-12-27 }}</ref><ref name = variety>{{Cite journal |journal = [[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|バラエティ]] |language = [[英語]] |date = 1974年12月18日 }}</ref>。この頃から国際的に'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''(サニー ちば)という名前で認知されることとなり{{R |samurai51 |samurai11 |高平哲郎 }}{{Efn |name = Sonny }}、主演・出演する[[空手道|カラテ]]をメインにした格闘映画は続々と世界的に大ヒットした{{R |senpro }}<ref name = ライフタイム>{{Cite web |url = https://singafest.wordpress.com/page/2/ |title = Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba |accessdate = 2015-07-29 |date = 2011-08-31 |publisher = Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival |language = [[英語]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150729072131/https://singafest.wordpress.com/page/2/ |archivedate = 2015-07-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 香港ゴルゴ>{{Cite journal |和書 |date = 1977-09-11 |title = “ゴルゴ13”香港ロケ 千葉真一 |journal = [[週刊明星]] |publisher = [[集英社]] }}</ref><ref name = シネマトリビューン>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130124121631/http://cinetri.jp/report/raid0926/ |date = 2013年1月24日 |title =『ザ・レイド』最強格闘家たちが新宿でガチバトル!Berryz工房ももちも、必殺技で参戦!? }}</ref><ref name = oyaji>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140308102825/http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8389 |date = 2014年3月8日 |title = 親父 - 映画作品紹介 }}</ref>。海外でも著名人のファンは多い{{R |高平哲郎 }}<ref name = gaiden737983>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 183頁。]]</ref><ref name = アベンジャーズ>{{webarchive |url = https://archive.is/PL7v |date = 2013年11月5日 |title =「アベンジャーズ」サミュエル・L.ジャクソン、役作りの参考はソニー千葉(千葉真一)}}</ref><ref name = タランティーノ>[[町山智浩]] [[#キルビル|「クエンティン・タランティーノ」、17 - 18頁。]]</ref><ref name = キアヌ>{{webarchive |url = https://archive.is/20160623191254/http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/celeb/20131218-OYT8T00409.html |date = 2016年6月23日 |title = スリムボディーが復活 キアヌ・リーブス }}</ref><ref name = Keanu>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一初対面でキアヌ大興奮、熱いリアクションに「かわいい」の声。|newspaper = [[ナリナリドットコム]] |date = 2015-10-06 |url = http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |accessdate = 2015-10-06 |publisher = [[Narinari.com]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20151006145020/http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |archivedate = 2015-10-06 |url-status = live }}</ref><ref name = 佐藤結>{{Cite journal |和書 |author = 佐藤結 |date = 2015-12-04 |title =『ベテラン』 対談 リュ・スンワン[監督]× 千葉真一 韓国・日本 両国の映画を愛する漢たちの語らい |journal = キネマ旬報 2015年12月下旬号 No.1705 |volume = 1705 |issue = 2519 |page = 70 |publisher = キネマ旬報社 }}</ref>。
とりわけ1974年に主演した『[[激突! 殺人拳]]』から始まる『殺人拳シリーズ』は国内のみならず、海外で『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで公開され{{R |エンよも1 }}、[[アメリカ合衆国]]では[[日本映画]]として初めて[[興行収入]]100万ドル以上を記録{{R |殺人拳1 }}。この成功は同国で最も権威のある総合情報週刊誌[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)]]の12月18日付にも掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている{{R |Ane国際派 }}<ref name = brucelee>{{Cite news |和書 |title = 本家[[ブルース・リー]]をしのぐ千葉真一 |newspaper = [[スポーツ報知|報知新聞]] |edition = [[朝刊]] |publisher = [[報知新聞社]] |date = 1974-12-27 }}</ref><ref name = variety>{{Cite journal |journal = [[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|バラエティ]] |language = [[英語]] |date = 1974年12月18日 }}</ref>。この頃から国際的に'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''(サニー ちば)という名前で認知されることとなり{{R |samurai51 |samurai11 |エンよも1 |高平哲郎 }}{{Efn |name = Sonny }}、主演・出演する[[空手道|カラテ]]をメインにした格闘映画は続々と世界的に大ヒットした{{R |senpro }}<ref name = ライフタイム>{{Cite web |url = https://singafest.wordpress.com/page/2/ |title = Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba |accessdate = 2015-07-29 |date = 2011-08-31 |publisher = Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival |language = [[英語]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150729072131/https://singafest.wordpress.com/page/2/ |archivedate = 2015-07-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 香港ゴルゴ>{{Cite journal |和書 |date = 1977-09-11 |title = “ゴルゴ13”香港ロケ 千葉真一 |journal = [[週刊明星]] |publisher = [[集英社]] }}</ref><ref name = シネマトリビューン>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130124121631/http://cinetri.jp/report/raid0926/ |date = 2013年1月24日 |title =『ザ・レイド』最強格闘家たちが新宿でガチバトル!Berryz工房ももちも、必殺技で参戦!? }}</ref><ref name = oyaji>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140308102825/http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8389 |date = 2014年3月8日 |title = 親父 - 映画作品紹介 }}</ref>。海外でも著名人のファンは多い{{R |エンよも1 |高平哲郎 |Ane国際派 }}<ref name = gaiden737983>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 183頁。]]</ref><ref name = アベンジャーズ>{{webarchive |url = https://archive.is/PL7v |date = 2013年11月5日 |title =「アベンジャーズ」サミュエル・L.ジャクソン、役作りの参考はソニー千葉(千葉真一)}}</ref><ref name = タランティーノ>[[町山智浩]] [[#キルビル|「クエンティン・タランティーノ」、17 - 18頁。]]</ref><ref name = キアヌ>{{webarchive |url = https://archive.is/20160623191254/http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/celeb/20131218-OYT8T00409.html |date = 2016年6月23日 |title = スリムボディーが復活 キアヌ・リーブス }}</ref><ref name = Keanu>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一初対面でキアヌ大興奮、熱いリアクションに「かわいい」の声。|newspaper = [[ナリナリドットコム]] |date = 2015-10-06 |url = http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |accessdate = 2015-10-06 |publisher = [[Narinari.com]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20151006145020/http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |archivedate = 2015-10-06 |url-status = live }}</ref><ref name = 佐藤結>{{Cite journal |和書 |author = 佐藤結 |date = 2015-12-04 |title =『ベテラン』 対談 リュ・スンワン[監督]× 千葉真一 韓国・日本 両国の映画を愛する漢たちの語らい |journal = キネマ旬報 2015年12月下旬号 No.1705 |volume = 1705 |issue = 2519 |page = 70 |publisher = キネマ旬報社 }}</ref>。
(⇒ ''[[#格闘映画]]''・''[[#ファン(海外)]]'')
(⇒ ''[[#格闘映画]]''・''[[#ファン(海外)]]'')


[[テレビ映画]]では『キイハンター』以降、『[[ザ・ボディガード]]』『[[ザ★ゴリラ7]]』『[[燃える捜査網]]』『[[大非常線]]』とアクション作品に主演。この頃、[[カリフォルニア州]]に聳える[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]の[[バックカントリー]]を[[スキー]]で滑走しており、その姿は昭和49年[[5月6日]]に[[ドキュメンタリー]]『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』([[テレビ東京|東京''12ch'']])や[[6月6日]]の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている{{Efn |『[[ザ★ゴリラ7]]』の[[クレジットタイトル|オープニングクレジット]]でも滑走している姿は全話流されており、それぞれの[[ボックス・セット#DVD-BOX|''DVD-BOX'']]で視聴できる。この滑走は[[オエノンホールディングス|合同酒精]]「ワリッカ」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で採用され、[[1979年|昭和54年]]の『[[バトルフィーバーJ]]』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている<ref>『[[バトルフィーバーJ#映像ソフト化]]』([[東映ビデオ]])の1,2話より。</ref>。}}。前後して若手の育成に追われる日々となったが、昭和51年の『[[沖縄やくざ戦争]]』では[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞した。
[[テレビ映画]]では『キイハンター』以降、『[[ザ・ボディガード]]』(1974年)、『[[ザ★ゴリラ7]]』『[[燃える捜査網]]』(1975年)『[[大非常線]]』(1976年)とアクション作品に主演。この頃、[[カリフォルニア州]]に聳える[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]の[[バックカントリー]]を[[スキー]]で滑走しており、その姿は1974年[[5月6日]]に[[ドキュメンタリー]]『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』([[テレビ東京|東京''12ch'']])や[[6月6日]]の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている{{Efn |『[[ザ★ゴリラ7]]』の[[クレジットタイトル|オープニングクレジット]]でも滑走している姿は全話流されており、それぞれの[[ボックス・セット#DVD-BOX|''DVD-BOX'']]で視聴できる。この滑走は[[オエノンホールディングス|合同酒精]]「ワリッカ」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で採用され、[[1979年]]の『[[バトルフィーバーJ]]』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている<ref>『[[バトルフィーバーJ#映像ソフト化]]』([[東映ビデオ]])の1,2話より。</ref>。}}。前後して若手の育成に追われる日々となったが、1976年の『[[沖縄やくざ戦争]]』では[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞した。


[[1977年]]4月に[[ハワイ州|ハワイ]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦{{R |kamakura }}<ref name = whywin8384>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、83 - 84頁。]]</ref><ref name = Farewell>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20220123_876031 |title = 千葉真一「お別れの会」で大山倍達との組手や試合など”秘蔵映像”も、空手着や映画小道具を展示で偲ぶ |accessdate = 2023-12-22 |date = 2022-01-23 |website = イーファイト |publisher = [[吉倉拓児|ヨシクラデザイン]] |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220123033437/https://efight.jp/news-20220123_876031 |archivedate = 2022-01-23 |url-status = live }}</ref>。180[[センチメートル|cm]]以上ある[[ネグロイド]]の[[アメリカ東海岸]]空手[[チャンピオン]]と戦い、[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた{{R |kamakura |Farewell }}<ref name = gai174176>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、174 - 176頁。]]</ref><ref name = whywin8487>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、84 - 87頁。]]</ref><ref name = 組手大会映像>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20220123_876031/2 |title =【フォト】1.千葉真一 vs.大山総裁 2.極真の試合でKO勝利する千葉さん |accessdate = 2023-12-22 |date = 2022-01-23 |website = イーファイト |publisher = ヨシクラデザイン |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220123102513/https://efight.jp/news-20220123_876031/2 |archivedate = 2022-01-23 |url-status = live }}</ref><ref name = efight松井>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20210820_596903 |title = 極真・松井館長が、”大先輩”千葉真一氏を追悼「アドバイスを頂いた」|accessdate = 2024-02-02 |date = 2021-08-20 |website = イーファイト |publisher = ヨシクラデザイン |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820112308/https://efight.jp/news-20210820_596903 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
1977年4月に[[ハワイ州|ハワイ]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦{{R |kamakura }}<ref name = whywin8384>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、83 - 84頁。]]</ref><ref name = Farewell>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20220123_876031 |title = 千葉真一「お別れの会」で大山倍達との組手や試合など”秘蔵映像”も、空手着や映画小道具を展示で偲ぶ |accessdate = 2023-12-22 |date = 2022-01-23 |website = イーファイト |publisher = [[吉倉拓児|ヨシクラデザイン]] |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220123033437/https://efight.jp/news-20220123_876031 |archivedate = 2022-01-23 |url-status = live }}</ref>。180[[センチメートル|cm]]以上ある[[ネグロイド]]の[[アメリカ東海岸]]空手[[チャンピオン]]と戦い、[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた{{R |kamakura |Farewell }}<ref name = gai174176>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、174 - 176頁。]]</ref><ref name = whywin8487>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、84 - 87頁。]]</ref><ref name = 組手大会映像>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20220123_876031/2 |title =【フォト】1.千葉真一 vs.大山総裁 2.極真の試合でKO勝利する千葉さん |accessdate = 2023-12-22 |date = 2022-01-23 |website = イーファイト |publisher = ヨシクラデザイン |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220123102513/https://efight.jp/news-20220123_876031/2 |archivedate = 2022-01-23 |url-status = live }}</ref><ref name = efight松井>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20210820_596903 |title = 極真・松井館長が、”大先輩”千葉真一氏を追悼「アドバイスを頂いた」|accessdate = 2024-02-02 |date = 2021-08-20 |website = イーファイト |publisher = ヨシクラデザイン |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820112308/https://efight.jp/news-20210820_596903 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#2022年]]''・''[[#極真カラテ]]''・''[[#空手道]]'')
(⇒ ''[[#2022年]]''・''[[#極真カラテ]]''・''[[#空手道]]'')


=== ジャンルを越えた活躍 ===
=== ジャンルを越えた活躍 ===
名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍していたが{{R |kamakura |九竜 |makaitensho |bokenshakamikaze }}、[[1978年|昭和53年]]から本格的に[[時代劇]]へ進出。主演した『[[柳生一族の陰謀]]』は[[興行収入]]30億円以上の記録的な大ヒットをした<ref>{{Eiren|03000000934|『柳生一族の陰謀』}}</ref><ref name = 興行収入>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/10838 |title = 西郷輝彦、深作欣二作品の萬屋錦之介に身震い |accessdate = 2013-01-31 |date = 2012-12-12 |website = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130921053929/http://www.asagei.com/10838 |archivedate = 2013-09-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 惹句術>{{Cite book |和書 |author = 関根忠郎 |coauthors = [[山根貞男]]・[[山田宏一]] |title = 惹句術:映画のこころ |year = 1986 |publisher = [[講談社]] |page = 90 |isbn = 406202005X }}</ref><ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141006113224/http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1T0000004447 |date = 2014年10月6日 |title = 柳生一族の陰謀 (2008) }}</ref>。[[1979年|昭和54年]]に[[第2回日本アカデミー賞]]の優秀助演男優賞を受賞。[[柳生宗矩|柳生但馬守宗矩]]([[若山富三郎]])・[[宮本武蔵]]([[緒形拳]])と華麗で凄みのある[[一騎討ち]]を披露した主演作『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』([[昭和56年]])は観客動員数200万人・[[配給収入]]10.5億円を超し<ref>{{映連配給収入|1981}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/9406 |title = 深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」|accessdate = 2012-12-08 |date = 2012-11-29 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20140728002453/http://www.asagei.com/9406 |archivedate = 2014-07-28 |url-status = live }}</ref>、『[[赤穂城断絶]]』(昭和53年)、『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』(昭和54年)、『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』([[1983年|昭和58年]])、『[[必殺4 恨みはらします]]』([[1987年|昭和62年]])などにも出演している。
名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍していたが{{R |kamakura |九竜 |makaitensho |bokenshakamikaze }}、[[1978年]]から本格的に[[時代劇]]へ進出。主演した『[[柳生一族の陰謀]]』は[[興行収入]]30億円以上の記録的な大ヒットをした<ref>{{Eiren|03000000934|『柳生一族の陰謀』}}</ref><ref name = 興行収入>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/10838 |title = 西郷輝彦、深作欣二作品の萬屋錦之介に身震い |accessdate = 2013-01-31 |date = 2012-12-12 |website = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130921053929/http://www.asagei.com/10838 |archivedate = 2013-09-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 惹句術>{{Cite book |和書 |author = 関根忠郎 |coauthors = [[山根貞男]]・[[山田宏一]] |title = 惹句術:映画のこころ |year = 1986 |publisher = [[講談社]] |page = 90 |isbn = 406202005X }}</ref><ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141006113224/http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1T0000004447 |date = 2014年10月6日 |title = 柳生一族の陰謀 (2008) }}</ref>。[[1979年]]に[[第2回日本アカデミー賞]]の優秀助演男優賞を受賞。[[柳生宗矩|柳生但馬守宗矩]]([[若山富三郎]])・[[宮本武蔵]]([[緒形拳]])と華麗で凄みのある[[一騎討ち]]を披露した主演作『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』([[1981年]])は観客動員数200万人・[[配給収入]]10.5億円を超し<ref>{{映連配給収入|1981}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/9406 |title = 深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」|accessdate = 2012-12-08 |date = 2012-11-29 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20140728002453/http://www.asagei.com/9406 |archivedate = 2014-07-28 |url-status = live }}</ref>、『[[赤穂城断絶]]』(1978年)、『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』(1979年)、『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』([[1983年]])、『[[必殺4 恨みはらします]]』([[1987年]])などにも出演している。


特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、『[[柳生あばれ旅シリーズ]]』([[1980年|昭和55年]] - 昭和58年)の[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]]と<ref name = 一族DVD>{{Cite web |和書 |url = https://www.amazon.co.jp/dp/B000066AEO |title = 商品の説明「Amazonレビュー」|accessdate = 2017-06-27 |author = 的田也寸志 |website = 柳生一族の陰謀 (DVD) |publisher = [[Amazon.co.jp]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20170627035542/https://www.amazon.co.jp/dp/B000066AEO |archivedate = 2017-06-27 |url-status = live }}</ref><ref name = 魔界に祟られた>[[#パンフ魔界|佐藤雅夫 「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」、24 - 25頁。]]</ref><ref name = ペリー十あば>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20160305063652/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/yagyo/20080530_1800.html |date = 2016年3月5日 |title =『柳生十兵衛あばれ旅』 JJサニー千葉、十八番の十兵衛が大暴れ!志穂美悦子、真田広之など充実の顔ぶれ。}}</ref><ref name = ペリー徳無>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120331003905/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/tagyo/20090731_1859.html |date = 2012年3月31日 |title =『徳川無頼帳』 西城秀樹の十兵衛とJJサニー千葉が握手! 強力コンビが吉原を根城に大暴れ。}}</ref><ref name = 十七>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120610061606/http://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11000432.html |date = 2012年6月10日 |title = 柳生十兵衛七番勝負 }}</ref>、傑作と評価されている『[[影の軍団シリーズ]]<ref>[[#実テ時|「ウーマンパワーの席捲」、256頁。]]</ref>』(昭和55年 - [[1985年|昭和60年]])の[[服部半蔵]]は<ref name = 服部半蔵>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20211001010124/https://www.jidaigeki.com/program/detail/jd00007489.html |date = 2021年10月1日 |title = 服部半蔵 影の軍団 }}</ref><ref name = どらく>{{webarchive |url = https://archive.is/mdjfN |date = 2013年4月25日 |title = 7月1日 あなたの思い出と共にあの時代劇が甦る!}}</ref>、[[十八番]]である{{R |一族DVD |魔界に祟られた |ペリー十あば |ペリー徳無 |十七 |服部半蔵 |どらく }}。
特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、『[[柳生あばれ旅シリーズ]]』([[1980年]] - 1983年)の[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]]と<ref name = 一族DVD>{{Cite web |和書 |url = https://www.amazon.co.jp/dp/B000066AEO |title = 商品の説明「Amazonレビュー」|accessdate = 2017-06-27 |author = 的田也寸志 |website = 柳生一族の陰謀 (DVD) |publisher = [[Amazon.co.jp]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20170627035542/https://www.amazon.co.jp/dp/B000066AEO |archivedate = 2017-06-27 |url-status = live }}</ref><ref name = 魔界に祟られた>[[#パンフ魔界|佐藤雅夫 「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」、24 - 25頁。]]</ref><ref name = ペリー十あば>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20160305063652/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/yagyo/20080530_1800.html |date = 2016年3月5日 |title =『柳生十兵衛あばれ旅』 JJサニー千葉、十八番の十兵衛が大暴れ!志穂美悦子、真田広之など充実の顔ぶれ。}}</ref><ref name = ペリー徳無>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120331003905/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/tagyo/20090731_1859.html |date = 2012年3月31日 |title =『徳川無頼帳』 西城秀樹の十兵衛とJJサニー千葉が握手! 強力コンビが吉原を根城に大暴れ。}}</ref><ref name = 十七>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120610061606/http://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11000432.html |date = 2012年6月10日 |title = 柳生十兵衛七番勝負 }}</ref>、傑作と評価されている『[[影の軍団シリーズ]]<ref>[[#実テ時|「ウーマンパワーの席捲」、256頁。]]</ref>』(1980年 - [[1985年]])の[[服部半蔵]]は<ref name = 服部半蔵>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20211001010124/https://www.jidaigeki.com/program/detail/jd00007489.html |date = 2021年10月1日 |title = 服部半蔵 影の軍団 }}</ref><ref name = どらく>{{webarchive |url = https://archive.is/mdjfN |date = 2013年4月25日 |title = 7月1日 あなたの思い出と共にあの時代劇が甦る!}}</ref>、[[十八番]]である{{R |一族DVD |魔界に祟られた |ペリー十あば |ペリー徳無 |十七 |服部半蔵 |どらく }}。
(⇒ ''[[#時代劇]]'')
(⇒ ''[[#時代劇]]'')


昭和54年には芸能生活20周年記念作品である『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』で<ref name = 戦自プロノー26>[[#パンフ戦国|「プロダクションノート」、26頁。]]</ref>、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務し{{R |senpro }}、[[配給収入]]で13.5億円の大ヒットを記録<ref>{{映連配給収入|1980}}</ref>。その[[演出]]が評価され、昭和55年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。[[1981年]]の主演映画『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』は自ら企画し<ref name = Hoshina>[[#パンフ冒険|保科幸雄 「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」、3 - 5頁。]]</ref>、『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』(1980年)と『[[吼えろ鉄拳]]』(昭和56年)で出演とアクション監督を兼務。[[1989年|平成元年]]の『[[将軍家光の乱心 激突]]』でも出演とアクション監督を兼ね、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年|平成2年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。
1979年には芸能生活20周年記念作品である『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』で<ref name = 戦自プロノー26>[[#パンフ戦国|「プロダクションノート」、26頁。]]</ref>、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務し{{R |senpro }}、[[配給収入]]で13.5億円の大ヒットを記録<ref>{{映連配給収入|1980}}</ref>。その[[演出]]が評価され、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。1981年の主演映画『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』は自ら企画し<ref name = Hoshina>[[#パンフ冒険|保科幸雄 「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」、3 - 5頁。]]</ref>、『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』(1980年)と『[[吼えろ鉄拳]]』(1981年)で出演とアクション監督を兼務。[[1989年]]の『[[将軍家光の乱心 激突]]』でも出演とアクション監督を兼ね、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。
(⇒ ''[[#アクション映画]]'')
(⇒ ''[[#アクション映画]]'')


昭和56年から[[演劇]]にも進出し、『[[ゆかいな海賊大冒険]]<ref name = コマ酒井>[[#酔いどれ|「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」、35頁。]]</ref>』([[1982年|昭和57年]] - [[1984年|昭和59年]])、『[[酔いどれ公爵]]』(昭和60年)など複数の作品を企画・演出・主演し、''JAC''ミュージカルとして定期的に公演した。[[新宿コマ劇場]]の観客動員数では、3年間にわたって[[満員御礼]]となる記録的な成功を収めている{{R |コマ酒井 }}。
1981年から[[演劇]]にも進出し、『[[ゆかいな海賊大冒険]]<ref name = コマ酒井>[[#酔いどれ|「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」、35頁。]]</ref>』([[1982年]] - [[1984年]])、『[[酔いどれ公爵]]』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、''JAC''ミュージカルとして定期的に公演した。[[新宿コマ劇場]]の観客動員数では、3年間にわたって[[満員御礼]]となる記録的な成功を収めている{{R |コマ酒井 }}。
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'')
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'')


並行して[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけ、『[[七色とんがらし]]』(昭和51年)や『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』(昭和53年)、『[[深夜にようこそ]]』(昭和61年)、『[[夢に見た日々]]』([[1989|平成元年]])の人間ドラマにも主演<ref name = 石飛31>[[#挑む2692|石飛徳樹 「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」、31頁。]]</ref><ref name = 加藤静20>[[#永遠1811|加藤義彦 「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」、20頁。]]</ref>。[[1982年]]には[[楽曲]]「[[誓い(JACのテーマ)]]」を[[作詞]]、昭和60年には10年ぶりに[[歌手]]としてリリースした「[[曠野 (曲)|曠野]]」の[[作曲]]も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・[[作詞家]]・[[作曲家]]など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。
並行して[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけ、『[[七色とんがらし]]』(1976年)や『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』(1978年)、『[[深夜にようこそ]]』([[1986]])、『[[夢に見た日々]]』(1989年)の人間ドラマにも主演<ref name = 石飛31>[[#挑む2692|石飛徳樹 「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」、31頁。]]</ref><ref name = 加藤静20>[[#永遠1811|加藤義彦 「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」、20頁。]]</ref>。1982年には[[楽曲]]「[[誓い(JACのテーマ)]]」を[[作詞]]、1985年には10年ぶりに[[歌手]]としてリリースした「[[曠野 (曲)|曠野]]」の[[作曲]]も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・[[作詞家]]・[[作曲家]]など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#人間ドラマ]]'')
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#人間ドラマ]]'')


=== 海外進出 ===
=== 海外進出 ===
[[File:Sonny Chiba.jpg|thumb|left|150px|[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]](2005年)]]
[[File:Sonny Chiba.jpg|thumb|left|150px|[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]([[2005]])]]
[[日本]]と[[諸外国]]との合作『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』、『[[海底大戦争]]{{R |千葉時事 }}』、『[[東京-ソウル-バコック 実録麻薬地帯]]』、『[[激殺! 邪道拳]]』、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』などに主演し、『[[武士道ブレード]]』([[1981年]]、[[イギリスの映画|英]][[アメリカ合衆国の映画|]]合作)に出演。1970年代半ばには[[フランシス・フォード・コッポラ]]が「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を[[製作]]したい」と[[東映]]へオファーしていた{{R |shinkainin }}、[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]断ったで{{R |nikkan1 }}、「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と関係者内で認識されていた{{R |nikkan1 }}。しかし水面下のアピールや主演映画の評判などで、[[1990年]]頃から[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]の出演依頼が届き始めていた{{R |nikkan1 }}。折しも[[ロサンゼルス]]では『[[激突! 殺人拳]]』(1974年)、『[[子連れ殺人拳]]』(1976年)など、14本の主演格闘映画[[リバイバル]]公開されていた<ref>{{Cite news |和書 |title =「カラテのチバ」15年ぶりリバイバルで脚光 ハリウッド映画主演 千葉真一 再び旋風だ |newspaper = [[スポーツニッポン]] |edition = 朝刊 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |date = 1991-03-26 }}</ref>。
1966年から1970年代に数々の日本と[[諸外国]]との合作作品に主演し(⇒ ''[[#アクショスター]]''・''[[#Sonny Chiba]]'')1981年は『[[武士道ブレード]]』([[イギリスの映画|英]]米合作)に出演。1970年代半ばには[[フランシス・フォード・コッポラ]]が「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を[[製作]]したい」と[[東映]]へオファーしていたものの{{R |shinkainin }}、[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]断ったことで{{R |nikkan1 }}、「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と関係者内で認識されていた{{R |nikkan1 }}。しかし[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド]]への思いは募り{{R |Ane国際派 }}、水面下のアピールや主演映画の評判などで{{R |nikkan1 }}海外進出を決意{{R |Ane国際派 }}。[[1990年]]頃から[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]の出演依頼が届き始めていた{{R |nikkan1 }}。折しも[[ロサンゼルス]]では『激突! 殺人拳』(1974年)、『[[子連れ殺人拳]]』(1976年)など、14本の主演がリバイバル興行されていた<ref>{{Cite news |和書 |title =「カラテのチバ」15年ぶりリバイバルで脚光 ハリウッド映画主演 千葉真一 再び旋風だ |newspaper = [[スポーツニッポン]] |edition = 朝刊 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |date = 1991-03-26 }}</ref>。
(⇒ ''[[#格闘映画]]'')
(⇒ ''[[#格闘映画]]'')


[[1991年|平成3年]]、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]の売却を経て、[[1992年]]にアメリカ映画『[[エイセス / 大空の誓い]]』に出演。これを機に拠点をロサンゼルスへ移し、[[アメリカ]]でも[[俳優]]活動をするようになり、[[永住権#アメリカ合衆国|グリーンカード]]も取得した<ref name = スポニチ急死>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに… |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102603/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref><ref>[[#千葉2010|「苦しかったアメリカ移住後の最初の数年間」、246頁。]]</ref>。[[日本]]未公開作品もあるが、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている<ref name = gai173179182183/><ref>[[#キルビル|「''SONNY CHIBA'' プロフィール」、27頁。]]</ref>。
[[1991年]]、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]の売却を経て、[[1992年]]にアメリカ映画『[[エイセス / 大空の誓い]]』に出演{{R |Ane国際派 }}。これを機に拠点をロサンゼルスへ移し{{R |Ane国際派 }}、[[アメリカ合衆国]]でも活動をするようになり、[[永住権#アメリカ合衆国|グリーンカード]]も取得した{{R |スポニチ急死 }}<ref>[[#千葉2010|「苦しかったアメリカ移住後の最初の数年間」、246頁。]]</ref>。日本未公開作品もあるが{{R |Ane国際派 }}、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている<ref name = gai173179182183/><ref>[[#キルビル|「''SONNY CHIBA'' プロフィール」、27頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#外国作品]]'')
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(⇒ ''[[#外国作品]]'')
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[[2003年]]、友人でもある[[クエンティン・タランティーノ]]が監督した『[[キル・ビル]]』シリーズでは出演と、[[ユマ・サーマン]]、[[ルーシー・リュー]]らハリウッドスターへ[[剣術]]指導をした<ref name = killintro11>[[#キルビル|「''INTRODUCTION''」、11頁。]]</ref>。[[第30回サターン賞]]では『キル・ビル』で[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]にノミネートされた。
[[2003年]]、友人でもある[[クエンティン・タランティーノ]]が監督した『[[キル・ビル]]』シリーズでは出演と、[[ユマ・サーマン]]、[[ルーシー・リュー]]らハリウッドスターへ[[剣術]]指導をした{{R |Ane国際派 }}<ref name = killintro11>[[#キルビル|「''INTRODUCTION''」、11頁。]]</ref>。[[第30回サターン賞]]では『キル・ビル』で[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]にノミネートされた。
(⇒ ''[[#外国作品]]'')
(⇒ ''[[#外国作品]]'')


[[2005年]][[10月29日]]に開催された[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]では、これまでの功績を讃えた“''MAVERICK AWARD''”を受賞した<ref>[[#報知11版|「59年デビュー」、紙面11版、1頁。]]</ref>。
2005年10月29日に開催された[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]では、これまでの功績を讃えた“''MAVERICK AWARD''”を受賞した{{R |Ane国際派 }}<ref>[[#報知11版|「59年デビュー」、紙面11版、1頁。]]</ref>。


[[File:Shinichi Chiba and Yoichi Masuzoe 200711.jpg|thumb|right|200px|「健康大使」任命時(2007年)。右は[[舛添要一]]。]]
[[File:Shinichi Chiba and Yoichi Masuzoe 200711.jpg|thumb|right|200px|「健康大使」任命時(2007年)。右は[[舛添要一]]。]]
[[2007年]]、[[英国放送協会]]製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリーの『''[[Japanorama]]''』に出演。「''Densetsu'' (''Legends'')」([[伝説]])をテーマにした回で取り上げられ、[[4月9日]]に放送された。[[2007|平成19年]]の『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)]]』に[[板垣信方]]役で出演。 11月には[[海外]]で[[通称]]としていた'''''JJ Sonny Chiba'''''(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになった{{R |舞台挨拶 }}{{Efn |name = Sonny }}。[[11月26日]]には[[厚生労働省]]から「健康大使」にも任命され<ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/11/h1126-3.html |title = 「健康大使」の任命について |accessdate = 2010-10-09 |date = 2007-11-26 |website = 健康局総務課生活習慣病対策室 |publisher = [[厚生労働省]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20080516044255/http://www.mhlw.go.jp:80/houdou/2007/11/h1126-3.html |archivedate = 2008-05-16 |url-status = live }}</ref>。[[2008年]][[10月]]から[[2009年]]3月まで[[京都造形芸術大学]]の[[教授]]を務めた<ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナで入院中 |newspaper = [[朝日新聞デジタル]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[朝日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819185729/https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>。
[[2007年]]、[[英国放送協会]]製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリーの『''[[Japanorama]]''』に出演。「''Densetsu'' (''Legends'')」([[伝説]])をテーマにした回で取り上げられ、[[4月9日]]に放送された。年の『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)]]』に[[板垣信方]]役で出演。 11月には[[海外]]で[[通称]]としていた'''''JJ Sonny Chiba'''''(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになった{{R |舞台挨拶 }}{{Efn |name = Sonny }}。[[11月26日]]には[[厚生労働省]]から「健康大使」にも任命されている<ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/11/h1126-3.html |title = 「健康大使」の任命について |accessdate = 2010-10-09 |date = 2007-11-26 |website = 健康局総務課生活習慣病対策室 |publisher = [[厚生労働省]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20080516044255/http://www.mhlw.go.jp:80/houdou/2007/11/h1126-3.html |archivedate = 2008-05-16 |url-status = live }}</ref>。[[2008年]]10月から[[2009年]]3月まで[[京都造形芸術大学]]の[[教授]]を務めた<ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナで入院中 |newspaper = [[朝日新聞デジタル]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[朝日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819185729/https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>。


=== 2010年代 ===
=== 2010年代 ===
[[2010年|平成22年]]10月22日には[[東京]]・[[グランドプリンスホテル赤坂]]で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとは[[アントニオ猪木]]・[[池谷幸雄]]・[[石田純一]]・[[市川猿之助 (4代目)|市川亀治郎]]・[[今井雅之]]・[[内野聖陽]]・[[梅宮辰夫]]・[[岡崎二朗]]・[[ガッツ石松]]・[[川地民夫]]・[[神取忍]]・[[樹木希林]]・[[北の湖敏満]]・[[京本政樹]]・[[具志堅用高]]・[[郷田勇三]]・[[小林幸子]]・[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]・[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]・[[竹本直一]]・[[田中好子]]・[[谷村新司]]・[[津川雅彦]]・[[十朱幸代]]・[[夏八木勲]]・[[白竜 (俳優)|白竜]]・[[張本勲]]・[[布施明]]・[[風吹ジュン]]・[[松井章圭]]・[[松坂慶子]]・[[美川憲一]]・[[三田佳子]]・[[やまさき十三]]・[[山本徳郁|山本KID徳郁]]・[[横峯良郎]]・[[ラモス瑠偉]]ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された<ref name = daily1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024215817/http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/10/22/0003551224.shtml |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一が結婚披露宴&芸能生活50周年式典 }}</ref><ref name = nikkan2>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一が子供と披露宴&50周年式典 |newspaper = nikkansports.com |date = 2010-10-23 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |accessdate = 2010-11-01 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130614094700/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |archivedate = 2013-06-14 |url-status = live }}</ref><ref name = chunichi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024205329/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010102302000097.html |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一 家族初お披露目 結婚15年目の披露宴 }}</ref><ref name = daily2>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024202254/http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/10/23/0003551597.shtml |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一、嫁さんLOVE! 結婚披露宴 }}</ref><ref name = sponichi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024095722/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/10/23/11.html |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一 芸能生活50周年式典で結婚披露宴 }}</ref><ref name = houchi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024151559/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101023-OHT1T00013.htm |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一Jr. お披露目…結婚披露宴に600人が出席 }}</ref><ref name = miyaneya>{{Cite episode |title = JJサニー千葉 結婚披露宴 将来のハリウッドスター!? 息子たちの素顔 |series = 情報ライブ ミヤネ屋 |series-link = 情報ライブ ミヤネ屋 |network = [[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station = [[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate = 2010-10-25 |minutes = 14:32 - 14:41 }}</ref>。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・[[真瀬樹里]]は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ{{R |sponichi }}、[[芸能界]]にまだ入っていなかった長男・[[新田真剣佑]]と次男・[[眞栄田郷敦]]の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福し。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビ映画・ドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と[[殺陣]]、真剣佑・郷敦とは[[空手道]]の演武で[[空手道#型|型]]と杉板の[[試割り]]を家族皆で披露した。[[勝野洋]]・[[小堺一機]]・[[夏樹陽子]]らは[[花環]]を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、[[太田昭宏]]・[[北島三郎]]・[[関根勤]]・[[高岡早紀]]・[[高橋和也]]、[[デヴィ・スカルノ]]、[[南部虎弾]]、[[ビリー・ブランクス]]、[[堀田眞三]]・[[魔裟斗]]・[[松木安太郎]]ら、多数の[[芸能人]]を含む各界から約600人がお祝いに集った。千葉は「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う。[[ハリウッド]]で日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた{{R |daily1 |nikkan2 |chunichi |daily2 |sponichi |houchi |miyaneya }}。
[[2010年]]10月22日には[[東京]]・[[グランドプリンスホテル赤坂]]で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとは[[アントニオ猪木]]・[[池谷幸雄]]・[[石田純一]]・[[市川猿之助 (4代目)|市川亀治郎]]・[[今井雅之]]・[[内野聖陽]]・[[梅宮辰夫]]・[[岡崎二朗]]・[[ガッツ石松]]・[[川地民夫]]・[[神取忍]]・[[樹木希林]]・[[北の湖敏満]]・[[京本政樹]]・[[具志堅用高]]・[[郷田勇三]]・[[小林幸子]]・[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]・[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]・[[竹本直一]]・[[田中好子]]・[[谷村新司]]・[[津川雅彦]]・[[十朱幸代]]・[[夏八木勲]]・[[白竜 (俳優)|白竜]]・[[張本勲]]・[[布施明]]・[[風吹ジュン]]・[[松井章圭]]・[[松坂慶子]]・[[美川憲一]]・[[三田佳子]]・[[やまさき十三]]・[[山本徳郁|山本KID徳郁]]・[[横峯良郎]]・[[ラモス瑠偉]]ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された<ref name = daily1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024215817/http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/10/22/0003551224.shtml |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一が結婚披露宴&芸能生活50周年式典 }}</ref><ref name = nikkan2>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一が子供と披露宴&50周年式典 |newspaper = nikkansports.com |date = 2010-10-23 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |accessdate = 2010-11-01 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130614094700/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |archivedate = 2013-06-14 |url-status = live }}</ref><ref name = chunichi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024205329/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010102302000097.html |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一 家族初お披露目 結婚15年目の披露宴 }}</ref><ref name = daily2>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024202254/http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/10/23/0003551597.shtml |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一、嫁さんLOVE! 結婚披露宴 }}</ref><ref name = sponichi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024095722/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/10/23/11.html |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一 芸能生活50周年式典で結婚披露宴 }}</ref><ref name = houchi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024151559/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101023-OHT1T00013.htm |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一Jr. お披露目…結婚披露宴に600人が出席 }}</ref><ref name = miyaneya>{{Cite episode |title = JJサニー千葉 結婚披露宴 将来のハリウッドスター!? 息子たちの素顔 |series = 情報ライブ ミヤネ屋 |series-link = 情報ライブ ミヤネ屋 |network = [[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station = [[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate = 2010-10-25 |minutes = 14:32 - 14:41 }}</ref>。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・[[真瀬樹里]]は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ{{R |sponichi }}、[[芸能界]]にまだ入っていなかった長男・[[新田真剣佑]]と次男・[[眞栄田郷敦]]の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福している。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビ映画・ドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と[[殺陣]]、真剣佑・郷敦とは空手道の演武で[[空手道#型|型]]と杉板の[[試割り]]を家族皆で披露{{R |daily1 |nikkan2 |chunichi |daily2 |sponichi |houchi |miyaneya }}。[[勝野洋]]・[[小堺一機]]・[[夏樹陽子]]らは[[花環]]を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、[[太田昭宏]]・[[北島三郎]]・[[関根勤]]・[[高岡早紀]]・[[高橋和也]]、[[デヴィ・スカルノ]]、[[南部虎弾]]、[[ビリー・ブランクス]]、[[堀田眞三]]・[[魔裟斗]]・[[松木安太郎]]ら、多数の[[芸能人]]を含む各界から約600人がお祝いに集った{{R |daily1 |nikkan2 |chunichi |daily2 |sponichi |houchi |miyaneya }}。「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したい{{R |daily1 |nikkan2 |chunichi |daily2 |sponichi |houchi |miyaneya }}」と気を引き締めつつ、感謝の意を表している
(⇒ ''[[#最期]]''・''[[#人柄]]''・''[[#家族]]'')
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[[2011年]]以降、芸名を日本のみ'''千葉 真一'''、海外では'''''JJ Sonny Chiba'''''としている{{R |アストライア |スポニチ急死 }}{{Efn |name = Sonny }}。同年[[9月29日]]から[[10月2日]]ロサンゼルス・[[w:Westwood, Los Angeles|ウエストウッド]]の[[w:Majestic Crest Theatre|ビッグフット・クレスト・シアター]]にて開催された、アジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「''SINGAFEST 2011''」([[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催)では、''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD''を受賞し、代表作の一つである『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』が上映された{{R |ライフタイム }}<ref name = 千歳>{{Cite web |和書 |url = http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |title = 千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ |accessdate = 2011-10-31 |author = 千歳香奈子 |date = 2011-10-04 |website = nikkansports.com |work = ハリウッド直送便 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20111006051817/http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |archivedate = 2011-10-06 |url-status = live }}</ref>。授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせ{{R |千歳 }}。[[2011年|平成23年]]11月、[[徳島県]][[鳴門市]]で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120927160057/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111111/dms1111110831005-n1.htm |date = 2012年9月27日 |title =“うずしお”だけじゃない!鳴門の新観光スポットを探索 }}</ref>。
[[2011年]]以降、芸名を日本のみ'''千葉 真一'''、海外では'''''JJ Sonny Chiba'''''としている{{R |アストライア |スポニチ急死 }}{{Efn |name = Sonny }}。同年9月29日から10月2日にアジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「''SINGAFEST 2011''」([[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催)がロサンゼルス・[[w:Westwood, Los Angeles|ウエストウッド]]の[[w:Majestic Crest Theatre|ビッグフット・クレスト・シアター]]にて開催され、''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD''を受賞<ref name = 千歳>{{Cite web |和書 |url = http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |title = 千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ |accessdate = 2011-10-31 |author = 千歳香奈子 |date = 2011-10-04 |website = nikkansports.com |work = ハリウッド直送便 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20111006051817/http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |archivedate = 2011-10-06 |url-status = live }}</ref>。代表作の一つである『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』が上映され{{R |ライフタイム |千歳 }}、授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせている{{R |千歳 }}。11月、[[徳島県]][[鳴門市]]で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120927160057/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111111/dms1111110831005-n1.htm |date = 2012年9月27日 |title =“うずしお”だけじゃない!鳴門の新観光スポットを探索 }}</ref>。
(⇒ ''[[#最期]]''・''[[#外国作品]]''・''[[#家族]]'')
(⇒ ''[[#最期]]''・''[[#外国作品]]''・''[[#家族]]'')


[[2013年|平成25年]]3月10日、[[日本体育大学]]から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学[[体育学部]][[体育学科]][[卒業]]」となり、[[学校教育法]]第104条および[[学位規則]]第2条の規定に従って「[[学士]](体育学)」の学位が与えられた{{Efn |name = 日体大 }}。
[[2013年]]3月10日、[[日本体育大学]]から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学[[体育学部]][[体育学科]][[卒業]]」となり、[[学校教育法]]第104条および[[学位規則]]第2条の規定に従って「[[学士]](体育学)」の学位が与えられた{{Efn |name = 日体大 }}。
(⇒ ''[[#体操界・日体大]]''・''[[#器械体操]]'')
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[[2014年|平成26年]]の『[[おわこんTV]]』に[[主演]]し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を<ref name = 7月1日おわこんTV>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140630091752/http://dogatch.jp/news/nhk/25957 |date = 2014年6月30日 |title = 千葉真一&小泉孝太郎がタッグ!業界ドラマ『おわこんTV』は7月1日からスタート }}</ref>、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた{{R |7月1日おわこんTV }}<ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/25009 |title = 新ドラマでは“過去の千葉”像を捨ててみた |accessdate = 2014-10-04 |date = 2014-07-29 |website = アサ芸+ |work = テリー伊藤対談「千葉真一」(1) |page = 1 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20141004090551/http://www.asagei.com/25009 |archivedate = 2014-10-04 |url-status = live }}</ref>。同ドラマは[[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]となっている<ref name = 芸術祭>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141003150240/http://www.nhk.or.jp/drama/owakon/ |date = 2014年10月3日 |title = おわこんTV【お知らせ】}}</ref>。
[[2014年]]の『[[おわこんTV]]』に主演し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を<ref name = 7月1日おわこんTV>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140630091752/http://dogatch.jp/news/nhk/25957 |date = 2014年6月30日 |title = 千葉真一&小泉孝太郎がタッグ!業界ドラマ『おわこんTV』は7月1日からスタート }}</ref>、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた{{R |7月1日おわこんTV }}<ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/25009 |title = 新ドラマでは“過去の千葉”像を捨ててみた |accessdate = 2014-10-04 |date = 2014-07-29 |website = アサ芸+ |work = テリー伊藤対談「千葉真一」(1) |page = 1 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20141004090551/http://www.asagei.com/25009 |archivedate = 2014-10-04 |url-status = live }}</ref>。同ドラマは[[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]となっている<ref name = 芸術祭>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141003150240/http://www.nhk.or.jp/drama/owakon/ |date = 2014年10月3日 |title = おわこんTV【お知らせ】}}</ref>。


[[2016年|平成28年]][[4月14日]]に勃発した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]では、母の故郷を憂い{{R |千葉流8182 }}<ref name = JWT>{{Cite web |和書 |url = https://jasonwinterstea.jp/blogs/interview/interview-201707 |title = 特別編 千葉真一さん オスマン・ユーラ・サンコンさん |accessdate = 2024-02-26 |website = ジェイソン・ウィンターズ・ティー |work = インタビュー |publisher = イオス コーポレーション |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240226135611/https://jasonwinterstea.jp/blogs/interview/interview-201707 |archivedate = 2024-02-26 |url-status = live }}</ref>、[[オスマン・サンコン]]と一緒に被災地で炊き出しをした{{R |JWT }}<ref name = 久坂部羊>{{Cite web |和書 |url = https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |title = 見返りを求めない |accessdate = 2023-11-12 |author = 久坂部羊 |authorlink = 久坂部羊 |date = 2023-10-25 |website = [[週刊現代|マネー現代]] |work = 幸せな晩年の「意外な過ごし方」…「CoCo壱」創業者が提唱する「ラッキー20%の法則」|publisher = [[講談社]] |page = 3 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224700/https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref><ref name = サンコン真剣佑>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |title = オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る |accessdate = 2023-11-12 |author = 中野裕子 |date = 2022-06-24 |website = [[NEWSポストセブン]] |page = 3 |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224051/https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref>。同年8月21日、[[千葉市]]の「第41回 親子三代夏祭り」で、[[千葉氏]][[中興の祖]]である[[千葉常胤]]に扮して[[時代行列|武者行列]]を務めた<ref>{{Cite news |和書 |title = 大河ドラマ化目指すぞ!「千葉氏サミット」初開催 武者行列に千葉真一も |newspaper = ちばとぴ!ニュース |date = 2016-08-22 |url = http://chibatopi.jp/I3794be6 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[千葉日報|千葉日報社]] |archiveurl = https://archive.ph/PUhkq |archivedate = 2022-03-28 |url-status = live }}</ref><ref name = 若返らせる>{{Cite news |和書 |title =「千葉を若返らせる」千葉真一さん、千葉市の健康大使に 製作中の「100年ダンス」お披露目【動画あり】|newspaper = [[千葉日報]] |date = 2019-12-19 |url = https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 千葉日報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191220091653/https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |archivedate = 2019-12-20 |url-status = live }}</ref>。
[[2016年]][[4月14日]]に勃発した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]では、母の故郷を憂い{{R |千葉流8182 }}<ref name = JWT>{{Cite web |和書 |url = https://jasonwinterstea.jp/blogs/interview/interview-201707 |title = 特別編 千葉真一さん オスマン・ユーラ・サンコンさん |accessdate = 2024-02-26 |website = ジェイソン・ウィンターズ・ティー |work = インタビュー |publisher = イオス コーポレーション |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240226135611/https://jasonwinterstea.jp/blogs/interview/interview-201707 |archivedate = 2024-02-26 |url-status = live }}</ref>、[[オスマン・サンコン]]と一緒に被災地で炊き出しをした{{R |JWT }}<ref name = 久坂部羊>{{Cite web |和書 |url = https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |title = 見返りを求めない |accessdate = 2023-11-12 |author = 久坂部羊 |authorlink = 久坂部羊 |date = 2023-10-25 |website = [[週刊現代|マネー現代]] |work = 幸せな晩年の「意外な過ごし方」…「CoCo壱」創業者が提唱する「ラッキー20%の法則」|publisher = [[講談社]] |page = 3 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224700/https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref><ref name = サンコン真剣佑>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |title = オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る |accessdate = 2023-11-12 |author = 中野裕子 |date = 2022-06-24 |website = [[NEWSポストセブン]] |page = 3 |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224051/https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref>。同年8月21日、[[千葉市]]の「第41回 親子三代夏祭り」で、[[千葉氏]][[中興の祖]]である[[千葉常胤]]に扮して[[時代行列|武者行列]]を務めた<ref>{{Cite news |和書 |title = 大河ドラマ化目指すぞ!「千葉氏サミット」初開催 武者行列に千葉真一も |newspaper = ちばとぴ!ニュース |date = 2016-08-22 |url = http://chibatopi.jp/I3794be6 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[千葉日報|千葉日報社]] |archiveurl = https://archive.ph/PUhkq |archivedate = 2022-03-28 |url-status = live }}</ref><ref name = 若返らせる>{{Cite news |和書 |title =「千葉を若返らせる」千葉真一さん、千葉市の健康大使に 製作中の「100年ダンス」お披露目【動画あり】|newspaper = [[千葉日報]] |date = 2019-12-19 |url = https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 千葉日報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191220091653/https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |archivedate = 2019-12-20 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#親交の有った芸能人]]'')
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[[2019年|令和元年]]12月19日、千葉市の健康大使に任命された{{R |若返らせる }}<ref name = 45年前>{{Cite news |和書 |title = 80歳・千葉真一「1日1食」続ける健康法は映画俳優の自覚 45年前と体型変わらず |newspaper = オリコンニュース |date = 2019-12-19 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |accessdate = 2022-03-28 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191219120737/https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |archivedate = 2019-12-19 |url-status = live }}</ref>。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった<ref name = 若返らせる/><ref name = 45年前/>。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた{{R |45年前 }}。
[[2019年]]12月19日、千葉市の健康大使に任命された{{R |若返らせる }}<ref name = 45年前>{{Cite news |和書 |title = 80歳・千葉真一「1日1食」続ける健康法は映画俳優の自覚 45年前と体型変わらず |newspaper = オリコンニュース |date = 2019-12-19 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |accessdate = 2022-03-28 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191219120737/https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |archivedate = 2019-12-19 |url-status = live }}</ref>。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった<ref name = 若返らせる/><ref name = 45年前/>。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた{{R |45年前 }}。
(⇒ ''[[#家族]]'')
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=== 晩年 ===
=== 晩年 ===
[[2020年|令和2年]]、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、[[令和]]2年度[[文化庁長官表彰]]をされた<ref name = 文化日刊>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一「あんまり似合わない賞」文化庁長官表彰 |newspaper = nikkansports.com |date = 2020-12-17 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |accessdate = 2021-04-04 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201217095620/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |archivedate = 2020-12-17 |url-status = live }}</ref><ref name = 文化日テレ>{{Cite news |和書 |title = 文化庁長官表彰 俳優の千葉真一さんら表彰 |newspaper = 日テレNEWS24 |date = 2020-12-17 |url = https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |accessdate = 2021-04-04 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201217114649/https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |archivedate = 2020-12-17 |url-status = live }}</ref><ref name = 文化東スポ>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一に文化庁長官表彰「自分の本当の姿でいこうと思った」ダンディな白髪姿で登場 |newspaper = [[東京スポーツ|東スポWeb]] |date = 2020-12-17 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |accessdate = 2021-04-04 |publisher = [[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201219071521/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |archivedate = 2020-12-19 |url-status = live }}</ref>。前年に芸能生活60周年を迎えており、これまでの歩みを振り返りながら、近況や家族のことと併せて、「私にはあんまり似合わない賞をいただいちゃって…。これからはこれに恥じないよう、しっかり努力して生きていきたい」と笑顔を見せた{{R |文化日刊 |文化日テレ |文化東スポ }}。
[[2020年]]、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、[[文化庁長官表彰]]をされた<ref name = 文化日刊>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一「あんまり似合わない賞」文化庁長官表彰 |newspaper = nikkansports.com |date = 2020-12-17 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |accessdate = 2021-04-04 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201217095620/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |archivedate = 2020-12-17 |url-status = live }}</ref><ref name = 文化日テレ>{{Cite news |和書 |title = 文化庁長官表彰 俳優の千葉真一さんら表彰 |newspaper = 日テレNEWS24 |date = 2020-12-17 |url = https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |accessdate = 2021-04-04 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201217114649/https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |archivedate = 2020-12-17 |url-status = live }}</ref><ref name = 文化東スポ>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一に文化庁長官表彰「自分の本当の姿でいこうと思った」ダンディな白髪姿で登場 |newspaper = [[東京スポーツ|東スポWeb]] |date = 2020-12-17 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |accessdate = 2021-04-04 |publisher = [[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201219071521/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |archivedate = 2020-12-19 |url-status = live }}</ref>。前年に芸能生活60周年を迎えており、これまでの歩みを振り返りながら、近況や家族のことと併せて、「私にはあんまり似合わない賞をいただいちゃって…。これからはこれに恥じないよう、しっかり努力して生きていきたい」と笑顔を見せた{{R |文化日刊 |文化日テレ |文化東スポ }}。
(⇒ ''[[#最期]]'')


[[2021年|令和3年]]6月、[[芸能事務所|個人事務所]]「ルイアンドリーブス」を<ref name = ルイ>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑が父・千葉真一の事務所に移籍していた 展覧会サポーター就任会見に出席、質問に口開かず |newspaper = [[中日スポーツ]] |date = 2021-04-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |accessdate = 2022-01-19 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210420083102/https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |archivedate = 2021-04-20 |url-status = live }}</ref>、「エム&リーヴス」へ設立し直した<ref name = mlive>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html |title = 晩年の千葉真一さん「断捨離だ」と言って貴重な私物を燃やして身辺整理 |accessdate = 2022-02-17 |date = 2022-02-17 |website = NEWSポストセブン |work = 芸能 |publisher = 小学館 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220217025810/https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html?DETAIL |archivedate = 2022-02-17 |url-status = live }}</ref>。子供たちに自身の企画やアイデアを受け継いでもらう願いと「いまのうちにきちんとしておきたい」という思いからである{{R |mlive }}。千葉が代表で長男・[[新田真剣佑]]は取締役となり、それまで複数あった会社の事業を統一し、全著作権を「エム&リーヴス」が引き継ぐと決めた{{R |mlive }}{{Efn |これまでは個人事務所「ルイアンドリーブス」と{{R |ルイ }}、[[アストライア (プロダクション)|アストライア]]が<ref name = アス>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん事務所“四十九日法要”報道にコメント「親族間でのトラブルなどは一切ございません」|newspaper = オリコンニュース |date = 2021-10-05 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |accessdate = 2022-02-17 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211005101737/https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |archivedate = 2021-10-05 |url-status = live }}</ref>、窓口となっていた{{R |ルイ |アス }}。今回の再編で「エム&リーヴス」に事業を統一することが同社議事録にも記されており、千葉は直筆署名をしている{{R |mlive }}。社名の「エム」は真剣佑のイニシャル「''M''」が由来で、ゆくゆくは次男・[[眞栄田郷敦]]も合流する構想があった{{R |mlive }}。}}。「膝・足が硬直するなど、昔と比べて身体の自由が利かなくなり、日課の[[ジョギング]]も思うようにできなくなっていた。一昨年末頃から『もう長くない』と漏らし、[[断捨離]]を始めていた」と傍らにいた愛弟子の[[西田真吾]]は証言し{{R |mlive }}、自身も「60代までは、まだまだ若者に負けないくらいのスピードができていた。しかし、今ははっきりと肉体が衰えていることを自覚している。気持ちとして、まだまだ演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」と吐露していた<ref name = 俺を超えた>{{Cite web |和書 |url = https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |title = 千葉真一、長男・新田真剣佑が出演する『るろうに剣心』を見て「俺を越えたな」|accessdate = 2022-04-04 |date = 2021-07-23 |website = [[週刊女性PRIME]] |work = 芸能 |page = 2 |publisher = [[主婦と生活社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210724050518/https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |archivedate = 2021-07-24 |url-status = live }}</ref>。
[[2021年]]6月、[[芸能事務所|個人事務所]]「ルイアンドリーブス」を<ref name = ルイ>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑が父・千葉真一の事務所に移籍していた 展覧会サポーター就任会見に出席、質問に口開かず |newspaper = [[中日スポーツ]] |date = 2021-04-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |accessdate = 2022-01-19 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210420083102/https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |archivedate = 2021-04-20 |url-status = live }}</ref>、「エム&リーヴス」へ設立し直した<ref name = mlive>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html |title = 晩年の千葉真一さん「断捨離だ」と言って貴重な私物を燃やして身辺整理 |accessdate = 2022-02-17 |date = 2022-02-17 |website = NEWSポストセブン |work = 芸能 |publisher = 小学館 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220217025810/https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html?DETAIL |archivedate = 2022-02-17 |url-status = live }}</ref>。子供たちに自身の企画やアイデアを受け継いでもらう願いと「いまのうちにきちんとしておきたい」という思いからである{{R |mlive }}。千葉が代表で新田真剣佑は取締役となり、それまで複数あった会社の事業を統一し、全著作権を「エム&リーヴス」が引き継ぐと決めた{{R |mlive }}{{Efn |これまでは個人事務所「ルイアンドリーブス」と{{R |ルイ }}、[[アストライア (プロダクション)|アストライア]]が<ref name = アス>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん事務所“四十九日法要”報道にコメント「親族間でのトラブルなどは一切ございません」|newspaper = オリコンニュース |date = 2021-10-05 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |accessdate = 2022-02-17 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211005101737/https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |archivedate = 2021-10-05 |url-status = live }}</ref>、窓口となっていた{{R |ルイ |アス }}。今回の再編で「エム&リーヴス」に事業を統一することが同社議事録にも記されており、千葉は直筆署名をしている{{R |mlive }}。社名の「エム」は真剣佑のイニシャル「''M''」が由来で、ゆくゆくは眞栄田郷敦も合流する構想があった{{R |mlive }}。}}。「膝・足が硬直するなど、昔と比べて身体の自由が利かなくなり、日課の[[ジョギング]]も思うようにできなくなっていた。一昨年末頃から『もう長くない』と漏らし、[[断捨離]]を始めていた」と傍らにいた愛弟子の[[西田真吾]]は証言し{{R |mlive }}、自身も「60代までは、まだまだ若者に負けないくらいのスピードができていた。しかし、今ははっきりと肉体が衰えていることを自覚している。気持ちとして、まだまだ演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」と吐露していた<ref name = 俺を超えた>{{Cite web |和書 |url = https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |title = 千葉真一、長男・新田真剣佑が出演する『るろうに剣心』を見て「俺を越えたな」|accessdate = 2022-04-04 |date = 2021-07-23 |website = [[週刊女性PRIME]] |work = 芸能 |page = 2 |publisher = [[主婦と生活社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210724050518/https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |archivedate = 2021-07-24 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#家族]]'')


[[スティーブン・セガール]]とダブル主演での映画や<ref name = セガール>{{Cite web |和書 |url = https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2128201/ |title = 千葉真一さん 渾身の遺作が撮影直前でお蔵入り…原因はW主演セガールのプーチン支持発言 |website = 女性自身 |date = 2022-08-23 |accessdate = 2023-05-05 }}</ref>、[[ジェシー・ベンチュラ]]や[[ウェズリー・スナイプス]]と共演するハリウッド映画も撮影予定であったが<ref name = fox>{{Cite web |url = https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html |title = Sonny Chiba, martial arts legend, 'Kill Bill' star, dead at 82 |accessdate = 2023-05-05 |author = Bob D'Angelo, Cox Media Group National Content Desk |date = 2021-08-19 |website = FOX23NEWS |language = 英語 |publisher = [[FOXニュース]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231116131504/https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html |archivedate = 2023-11-16 |url-status = live }}</ref>、コロナウイルスのパンデミックにより撮影が延期になっていた{{R |セガール |fox }}。
[[スティーブン・セガール]]とダブル主演での映画や<ref name = セガール>{{Cite web |和書 |url = https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2128201/ |title = 千葉真一さん 渾身の遺作が撮影直前でお蔵入り…原因はW主演セガールのプーチン支持発言 |website = 女性自身 |date = 2022-08-23 |accessdate = 2023-05-05 }}</ref>、[[ジェシー・ベンチュラ]]や[[ウェズリー・スナイプス]]と共演するハリウッド映画も撮影予定であったが<ref name = fox>{{Cite web |url = https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html |title = Sonny Chiba, martial arts legend, 'Kill Bill' star, dead at 82 |accessdate = 2023-05-05 |author = Bob D'Angelo, Cox Media Group National Content Desk |date = 2021-08-19 |website = FOX23NEWS |language = 英語 |publisher = [[FOXニュース]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231116131504/https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html |archivedate = 2023-11-16 |url-status = live }}</ref>、コロナウイルスのパンデミックにより撮影が延期になっていた{{R |セガール |fox }}。


=== 最期 ===
=== 最期 ===
事業の統一から2か月過ぎた令和3年[[8月19日]]17時26分、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]による[[肺炎]]のため、[[千葉県]][[木更津市]]の[[君津中央病院]]で死去した{{R |君津中央 }}。{{没年齢|1939|1|22|2021|8|19}}{{R |千葉時事 |スポニチ急死 }}<ref>{{Cite news |和書 |title =「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん82歳死去 / 写真特集 |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-19 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |accessdate = 2022-03-27 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820021333/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。折しも''COVID-19''の第5波で感染爆発している日本は<ref name = 第5波2万>{{Cite news |和書 |title = (40) 2021年8月9日&#12316; 「第5波」感染ついに2万人超す |newspaper = [[産経新聞|産経新聞 THE SANKEI NEWS]] |date = 2021-12-22 |url = https://www.sankei.com/article/20211222-6BDBY4BA3NJ3TNODEQMXXZ2AMU/ |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211223010248/https://www.sankei.com/article/20211222-6BDBY4BA3NJ3TNODEQMXXZ2AMU/ |archivedate = 2021-12-23 |url-status = live }}</ref>、同月6日に[[国・地域毎の2019年コロナウイルス感染症流行状況#2021年|感染者が100万人を超えており]]<ref>{{Cite news |和書 |title = 東京都 新たに4544人の感染確認 先週の月曜より約700人増 (16:47) |newspaper = [[NEWS WEB]] |date = 2021-08-06 |url = https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013185121000.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[日本放送協会|NHK]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210807082658/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013185121000.html |archivedate = 2021-08-07 |url-status = live }}</ref>、医療体制が逼迫・確保できていない真っ只中に失命した{{R |第5波2万 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 倉持仁医師「医療供給体制さえ確保できれば…無駄死にさせるな!」コロナで死去の千葉真一さんを悼むツイート |newspaper = 中日新聞 |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315134 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820160923/https://www.chunichi.co.jp/article/315134 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。自らの意思で、[[COVID-19ワクチン|''COVID-19''ワクチン]]を接種していなかった{{R |千葉時事 }}<ref name = 樹里NHK>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん死去 82歳 新型コロナ感染による肺炎 |newspaper = NEWS WEB |date = 2021-08-20 |url = https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = NHK |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821032010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。
事業の統一から2か月過ぎた2021年[[8月19日]]17時26分、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]による[[肺炎]]のため、[[千葉県]][[木更津市]]の[[君津中央病院]]で死去した{{R |君津中央 }}。{{没年齢|1939|1|22|2021|8|19}}{{R |千葉時事 |スポニチ急死 }}<ref>{{Cite news |和書 |title =「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん82歳死去 / 写真特集 |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-19 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |accessdate = 2022-03-27 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820021333/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。折しも''COVID-19''の第5波で感染爆発している日本は<ref name = 第5波2万>{{Cite news |和書 |title = (40) 2021年8月9日&#12316; 「第5波」感染ついに2万人超す |newspaper = [[産経新聞|産経新聞 THE SANKEI NEWS]] |date = 2021-12-22 |url = https://www.sankei.com/article/20211222-6BDBY4BA3NJ3TNODEQMXXZ2AMU/ |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211223010248/https://www.sankei.com/article/20211222-6BDBY4BA3NJ3TNODEQMXXZ2AMU/ |archivedate = 2021-12-23 |url-status = live }}</ref>、同月6日に[[国・地域毎の2019年コロナウイルス感染症流行状況#2021年|感染者が100万人を超えており]]<ref>{{Cite news |和書 |title = 東京都 新たに4544人の感染確認 先週の月曜より約700人増 (16:47) |newspaper = [[NEWS WEB]] |date = 2021-08-06 |url = https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013185121000.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[日本放送協会|NHK]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210807082658/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013185121000.html |archivedate = 2021-08-07 |url-status = live }}</ref>、医療体制が逼迫・確保できていない真っ只中に失命した{{R |第5波2万 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 倉持仁医師「医療供給体制さえ確保できれば…無駄死にさせるな!」コロナで死去の千葉真一さんを悼むツイート |newspaper = 中日新聞 |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315134 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820160923/https://www.chunichi.co.jp/article/315134 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。自らの意思で、[[COVID-19ワクチン|''COVID-19''ワクチン]]を接種していなかった{{R |千葉時事 }}<ref name = 樹里NHK>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん死去 82歳 新型コロナ感染による肺炎 |newspaper = NEWS WEB |date = 2021-08-20 |url = https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = NHK |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821032010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。


7月末に感染<ref name = 7月感染>[[#報知11版|「7月末に感染」、紙面11版、1頁。]]</ref>。せきなどの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた{{R |スポニチ急死 }}。しかし8月4日に38.8度の熱を発し<ref name = 郷敦荼毘>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 発熱から4日後入院のワケ…元妻と次男・郷敦の手で納骨 |newspaper = 東スポweb |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820145004/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[ポリメラーゼ連鎖反応|''PCR''検査]]の数値も悪く<ref name = サンスポ肺炎>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん、コロナに死す 8日に入院、肺炎悪化 |newspaper = [[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.sanspo.com/article/20210820-AS3NA7RJIVJXZI7ACQIIL3YQEM/ |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/JHxVP |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、肺炎が悪化{{R |サンスポ肺炎 }}。救急車で搬送され{{R |スポニチ急死 }}、8日に入院した{{R |スポニチ急死 |サンスポ肺炎 }}。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変{{R |スポニチ急死 |7月感染 }}。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った{{R |千葉時事 |スポニチ急死 |7月感染 |サンスポ肺炎 }}。新田真剣佑は[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド映画]]の撮影で[[アメリカ合衆国|米国]]に滞在しており<ref name = クランク2ショット>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの2ショットを公開「いつも私の心の中にいます」|newspaper = [[ブロードメディア#クランクイン!|クランクイン!]] |date = 2021-08-21 |url = https://www.crank-in.net/news/93144/1 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = [[ブロードメディア]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210913104634/https://www.crank-in.net/news/93144/1 |archivedate = 2021-09-13 |url-status = live }}</ref><ref name = 日テレ真剣>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんへの思い綴る |newspaper = [[日テレNEWS24|日テレNEWS]] |date = 2021-08-20 |url = https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404202306/https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref><ref name = スポアネ真剣>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん長男・新田真剣佑 英語で追悼「あなたはいつも私の心の中にいる」思い出2ショット写真添え |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821105432/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、長女・[[真瀬樹里]]次男・[[眞栄田郷敦]]は仕事後に駆けつけるも{{R |樹里NHK |サンスポ肺炎 }}、3人は父親の最期を看取ることができなかった{{R |樹里NHK |サンスポ肺炎 |日テレ真剣 }}。
7月末に感染<ref name = 7月感染>[[#報知11版|「7月末に感染」、紙面11版、1頁。]]</ref>。[[咳嗽]]などの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた{{R |スポニチ急死 }}。しかし8月4日に38.8度の熱を発し<ref name = 郷敦荼毘>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 発熱から4日後入院のワケ…元妻と次男・郷敦の手で納骨 |newspaper = 東スポweb |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820145004/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[ポリメラーゼ連鎖反応|''PCR''検査]]の数値も悪く<ref name = サンスポ肺炎>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん、コロナに死す 8日に入院、肺炎悪化 |newspaper = [[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.sanspo.com/article/20210820-AS3NA7RJIVJXZI7ACQIIL3YQEM/ |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/JHxVP |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、肺炎が悪化{{R |サンスポ肺炎 }}。救急車で搬送され{{R |スポニチ急死 }}、8日に入院した{{R |スポニチ急死 |サンスポ肺炎 }}。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変{{R |スポニチ急死 |7月感染 }}。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った{{R |千葉時事 |スポニチ急死 |7月感染 |サンスポ肺炎 }}。新田真剣佑はハリウッド映画の撮影でアメリカ合衆国に滞在しており<ref name = クランク2ショット>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの2ショットを公開「いつも私の心の中にいます」|newspaper = [[ブロードメディア#クランクイン!|クランクイン!]] |date = 2021-08-21 |url = https://www.crank-in.net/news/93144/1 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = [[ブロードメディア]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210913104634/https://www.crank-in.net/news/93144/1 |archivedate = 2021-09-13 |url-status = live }}</ref><ref name = 日テレ真剣>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんへの思い綴る |newspaper = [[日テレNEWS24|日テレNEWS]] |date = 2021-08-20 |url = https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404202306/https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref><ref name = スポアネ真剣>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん長男・新田真剣佑 英語で追悼「あなたはいつも私の心の中にいる」思い出2ショット写真添え |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821105432/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、真瀬樹里と眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも{{R |樹里NHK |サンスポ肺炎 }}、3人は父親の最期を看取ることができなかった{{R |樹里NHK |サンスポ肺炎 |日テレ真剣 }}。
(⇒ ''[[#家族]]'')


[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置#2021年4月 - 9月|緊急事態宣言中]]のため、[[通夜]]は行われていない{{R |報知元祖92111 |スポニチ急死 |サンスポ肺炎 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優・千葉真一さん死去 82歳 |newspaper = シネマトゥデイ |date = 2021-08-19 |url = https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = シネマトゥデイ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820163943/https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |archivedate = 2022-08-20 |url-status = live }}</ref>。翌20日、眞栄田郷敦を喪主とし<ref name = 中日喪主郷敦>{{Cite news |和書 |title = 喪主は次男・真栄田郷敦 千葉真一さん死去一夜明けて葬儀「荼毘に付しました」長男・真剣佑は米国から「愛してる」|newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821083502/https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = オリ喪主郷敦>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 荼毘にふされる 喪主は次男・眞栄田郷敦 |newspaper = オリコンニュース |date = 2021-08-21 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |accessdate = 2022-04-18 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821060727/https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[葬儀]]が営まれた<ref name = HouchMackInsta>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、インスタで父の千葉真一さん追悼「お父さんのことを本当に愛しています」|newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2021-08-21 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404181231/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref>。人数が制限されていたため{{R |中日喪主郷敦 }}、親戚5人のみが参列{{R |HouchMackInsta }}。[[火葬|荼毘]]に付され{{R |郷敦荼毘 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 真剣佑「あなたはいつも私の心に」父・千葉真一さん訃報から一夜、インスタに思い投稿 |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210911151153/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |archivedate = 2021-09-11 |url-status = live }}</ref>、郷敦と前夫人が[[遺骨]]を拾った{{R |HouchMackInsta }}。
[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置#2021年4月 - 9月|緊急事態宣言中]]のため、[[通夜]]は行われていない{{R |報知元祖92111 |スポニチ急死 |サンスポ肺炎 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優・千葉真一さん死去 82歳 |newspaper = シネマトゥデイ |date = 2021-08-19 |url = https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = シネマトゥデイ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820163943/https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |archivedate = 2022-08-20 |url-status = live }}</ref>。翌20日、眞栄田郷敦を喪主とし<ref name = 中日喪主郷敦>{{Cite news |和書 |title = 喪主は次男・真栄田郷敦 千葉真一さん死去一夜明けて葬儀「荼毘に付しました」長男・真剣佑は米国から「愛してる」|newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821083502/https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = オリ喪主郷敦>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 荼毘にふされる 喪主は次男・眞栄田郷敦 |newspaper = オリコンニュース |date = 2021-08-21 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |accessdate = 2022-04-18 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821060727/https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[葬儀]]が営まれた<ref name = HouchMackInsta>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、インスタで父の千葉真一さん追悼「お父さんのことを本当に愛しています」|newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2021-08-21 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404181231/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref>。人数が制限されていたため{{R |中日喪主郷敦 }}、親戚5人のみが参列{{R |HouchMackInsta }}。[[火葬|荼毘]]に付され{{R |郷敦荼毘 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 真剣佑「あなたはいつも私の心に」父・千葉真一さん訃報から一夜、インスタに思い投稿 |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210911151153/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |archivedate = 2021-09-11 |url-status = live }}</ref>、郷敦と前夫人が[[遺骨]]を拾った{{R |HouchMackInsta }}。
(⇒ ''[[#家族]]'')


真瀬樹里は「一報を受け、仕事後に駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず…。しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません。ただただ悔しいです…。天国から両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います。父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した{{R |中日真瀬210820 |樹里NHK |HouchMackInsta }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの長女・真瀬樹里、“偉大な父”の急逝に悔しさにじむ 「現実感がありません」「元気な声を聞いたばかり」|newspaper = ねとらぼエンタ |date = 2021-08-20 |author = 深戸進路 |url = https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news087.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = [[ITmedia]] |archiveurl = https://archive.ph/gAXlE |archivedate = 2022-04-18 |url-status = live }}</ref><ref name = 3人悼む>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper = オリコンニュース |date = 2021-08-21 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 樹里真田沢>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの娘で俳優の真瀬樹里さん「お別れ言えた」|newspaper = [[朝日新聞]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 朝日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821185634/https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。
長女・真瀬樹里は「一報を受け、仕事後に駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず…。しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません。ただただ悔しいです…。天国から両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います。父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した{{R |中日真瀬210820 |樹里NHK |HouchMackInsta }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの長女・真瀬樹里、“偉大な父”の急逝に悔しさにじむ 「現実感がありません」「元気な声を聞いたばかり」|newspaper = ねとらぼエンタ |date = 2021-08-20 |author = 深戸進路 |url = https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news087.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = [[ITmedia]] |archiveurl = https://archive.ph/gAXlE |archivedate = 2022-04-18 |url-status = live }}</ref><ref name = 3人悼む>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper = オリコンニュース |date = 2021-08-21 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 樹里真田沢>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの娘で俳優の真瀬樹里さん「お別れ言えた」|newspaper = [[朝日新聞]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 朝日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821185634/https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。


新田真剣佑は[[Instagram|インスタグラム]]にて、ローソクが立てられたケーキを前にほほ笑む幼少期の新田と幸せそうに笑う千葉の姿や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の新田の姿が収められている2ショットを公開し、「''No matter where I am, you'll always be in my heart.''(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます)''Love you so much Dad.''(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った{{R |オリコン真剣佑 |クランク2ショット |スポアネ真剣 |HouchMackInsta |3人悼む }}<ref>{{Cite news |和書 |title = ステキな写真…千葉真一さんの長男・新田真剣佑が思い出の写真を公開「お父さん、本当に愛してる」|newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821062645/https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの思い出の写真を公開「あなたはいつも私の心の中に」 |newspaper = [[AbemaNews|ABEMA TIMES]] |date = 2021-08-21 |url = https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = [[ABEMA]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405063226/https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref><ref name = 真剣志穂美>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん追悼2Sを公開「あなたはいつも心の中にいる…愛している」|newspaper = ENCOUNT |date = 2021-08-21 |url = https://encount.press/archives/209820/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = Creative2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820225223/https://encount.press/archives/209820/ |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
長男・新田真剣佑は[[Instagram|インスタグラム]]にて、ローソクが立てられたケーキを前に幸せそうに笑う千葉と微笑む幼少期真剣佑や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の真剣佑の姿が収められている2ショットを公開し、「''No matter where I am, you'll always be in my heart.''(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます)''Love you so much Dad.''(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った{{R |オリコン真剣佑 |クランク2ショット |スポアネ真剣 |HouchMackInsta |3人悼む }}<ref>{{Cite news |和書 |title = ステキな写真…千葉真一さんの長男・新田真剣佑が思い出の写真を公開「お父さん、本当に愛してる」|newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821062645/https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの思い出の写真を公開「あなたはいつも私の心の中に」 |newspaper = [[AbemaNews|ABEMA TIMES]] |date = 2021-08-21 |url = https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = [[ABEMA]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405063226/https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref><ref name = 真剣志穂美>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん追悼2Sを公開「あなたはいつも心の中にいる…愛している」|newspaper = ENCOUNT |date = 2021-08-21 |url = https://encount.press/archives/209820/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = Creative2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820225223/https://encount.press/archives/209820/ |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。


眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した{{R |オリコン真剣佑 |サンスポ肺炎 |オリ喪主郷敦 |3人悼む }}。
次男・眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した{{R |オリコン真剣佑 |サンスポ肺炎 |オリ喪主郷敦 |3人悼む }}。


2年前の令和元年に千葉は[[世阿弥]]の著作より[[格言]]を抜粋し、樹里には『[[花鏡]]』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『[[風姿花伝]]』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして、3人へ授けている{{R |俺を超えた }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去【復刻】60周年祝賀会で樹里、真剣佑、郷敦と勢ぞろい |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405071759/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref>。
2年前の2019年に[[世阿弥]]の著作より[[格言]]を抜粋し、樹里には『[[花鏡]]』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『[[風姿花伝]]』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして娘・息子たちへ授けている{{R |俺を超えた }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去【復刻】60周年祝賀会で樹里、真剣佑、郷敦と勢ぞろい |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405071759/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#体操界・日体大]]''・''[[#家族]]'')
(⇒ ''[[#晩年]]''・''[[#体操界・日体大]]''・''[[#家族]]'')


== 追悼 ==
== 追悼 ==
国内外の各界から追悼が寄せられた<ref name = ねとエン多数追悼>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの急逝に芸能界から多数の追悼メッセージ「役者であるキッカケになった人」「信じられません」|newspaper = ねとらぼエンタ |date = 2021-08-20 |author = 深戸進路 |url = https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news097.html |accessdate = 2022-05-10 |publisher = ITmedia |page = 1 |archiveurl = https://archive.ph/vK5PP |archivedate = 2021-09-01 |url-status = live }}</ref><ref name = ニッカン的秋池>{{Cite news |和書 |title = 的場浩司「朝からため息しか」秋野暢子「優しい素敵な方」千葉真一さん悼む |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820030554/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref><ref name = 池慎秋暢的浩>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去から一夜明け 芸能界からお悔やみの声続々…池畑慎之介、的場浩司、秋野暢子ら悼む |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |accessdate = 2022-05-09 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820171958/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
国内外の各界から追悼が寄せられた{{R |ねとエン多数追悼 }}<ref name = ニッカン的秋池>{{Cite news |和書 |title = 的場浩司「朝からため息しか」秋野暢子「優しい素敵な方」千葉真一さん悼む |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820030554/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref><ref name = 池慎秋暢的浩>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去から一夜明け 芸能界からお悔やみの声続々…池畑慎之介、的場浩司、秋野暢子ら悼む |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |accessdate = 2022-05-09 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820171958/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。


=== 追悼(国内) ===
=== 追悼(国内) ===
==== 芸能界 ====
==== 芸能界 ====
===== 共演者 =====
===== 共演者 =====
『[[白昼の死角#映画|白昼の死角]]』と『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』で共演している[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高校]]の[[後輩]]で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。3歳年上なので同時期に通わず、入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、バレーボール部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った<ref name = 報知中彬>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの高校後輩・中尾彬が悼む「俺スターになるから、と言っていた」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220508101921/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref>。「[[芸能|芸能界]]に転身しても器械体操の指導で母校へ通い続け、当時珍しかった[[ジーンズ]]を履き、[[スポーツ刈り#慎太郎刈り|慎太郎カット]]にしていた」と在りし日の姿や、中尾も芸能界に入ると「おお、頑張れよ」「俺の映画見てる?」と親しく声をかけてくれた気さくな人柄、夢を語る様を振り返っている<ref name = 報知中彬/>。「ワクチンも率先して受けるタイプ」と中尾は接種していないことを訝しがりながら、「映画スター。今時、ああいう夢を語れる人が減っちゃったよなあ」と寂しそうだった{{R |報知中彬 }} 。
『[[白昼の死角#映画|白昼の死角]]』と『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』で共演している[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高校]]の後輩で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。3歳年上なので同時期に通わず、入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、バレーボール部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った<ref name = 報知中彬>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの高校後輩・中尾彬が悼む「俺スターになるから、と言っていた」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220508101921/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref>。「[[芸能|芸能界]]に転身しても器械体操の指導で母校へ通い続け、当時珍しかった[[ジーンズ]]を履き、[[スポーツ刈り#慎太郎刈り|慎太郎カット]]にしていた」と在りし日の姿や、中尾も芸能界に入ると「おお、頑張れよ」「俺の映画見てる?」と親しく声をかけてくれた気さくな人柄、夢を語る様を振り返っている{{R |報知中彬 }}。「ワクチンも率先して受けるタイプ」と中尾は接種していないことを訝しがりながら、「映画スター。今時、ああいう夢を語れる人が減っちゃったよなあ」と寂しそうだった{{R |報知中彬 }} 。
(⇒ ''[[#交友(国内)]]'')
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[[キイハンター]]』、『[[影の軍団シリーズ]]』、『[[柳生あばれ旅]]』などにゲスト出演している[[東映ニューフェイス]]の後輩・[[堀田眞三]]は、[[Twitter|ツイッター]]で一緒に撮った写真を掲載し、「千葉真一先輩の[[死亡記事|訃報]] 信じられないが あの日 あの時無限様々な想いがよぎる 謹んでご冥福をお祈りします 合掌」とつづっている<ref>{{Cite web |和書 |url = https://twitter.com/hottashinzo/status/1428478936527228929 |title = 千葉真一先輩の訃報 |accessdate = 2022-05-08 |date = 2021-08-20 |website = hottashinzo |publisher = [[Twitter]] |archiveurl = https://archive.ph/3v62l |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 堀田眞三「千葉真一先輩の訃報 信じられないが 様々な想いがよぎる」|newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820002416/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
『キイハンター』、『影の軍団シリーズ』、『[[柳生あばれ旅]]』などにゲスト出演している東映ニューフェイスの後輩・[[堀田眞三]]は、[[Twitter|ツイッター]]で一緒に撮った写真を掲載し、「千葉真一先輩の[[死亡記事|訃報]] 信じられないが あの日 あの時無限様々な想いがよぎる 謹んでご冥福をお祈りします 合掌」とつづっている<ref>{{Cite web |和書 |url = https://twitter.com/hottashinzo/status/1428478936527228929 |title = 千葉真一先輩の訃報 |accessdate = 2022-05-08 |date = 2021-08-20 |website = hottashinzo |publisher = [[Twitter]] |archiveurl = https://archive.ph/3v62l |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 堀田眞三「千葉真一先輩の訃報 信じられないが 様々な想いがよぎる」|newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820002416/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。


11歳の時、共演している[[小林幸子]]は[[Instagram|インスタグラム]]にて、「初めて出会ったのは、私にとってめてのドラマ出演だった『[[暗闇五段#|くらやみ五段]]』。デビューしてまもない私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒に[[キャンプファイヤー]]したり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉真一さんご自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://www.instagram.com/p/CS0WOKHpOMi/ |title = 千葉真一さん |accessdate = 2022-05-08 |date = 2021-08-20 |website = kobayashi_sachiko_5884 |publisher = [[Instagram]] |archiveurl = https://archive.ph/DPfGN |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title =「何にも負けないはずの方…コロナが憎い」小林幸子、千葉真一さんを悼む 11歳のころから共演 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821151834/https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 小林幸子 千葉真一さんと11歳で出会い「何にも負けないはずの方」「コロナが憎いです」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821181343/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。
11歳の時、共演している[[小林幸子]]は[[Instagram|インスタグラム]]にて、「初めて出会ったのは、私にとって初出演だった『[[暗闇五段#|くらやみ五段]]』。デビューしてまもない私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒に[[キャンプファイヤー]]したり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉真一さんご自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://www.instagram.com/p/CS0WOKHpOMi/ |title = 千葉真一さん |accessdate = 2022-05-08 |date = 2021-08-20 |website = kobayashi_sachiko_5884 |publisher = [[Instagram]] |archiveurl = https://archive.ph/DPfGN |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title =「何にも負けないはずの方…コロナが憎い」小林幸子、千葉真一さんを悼む 11歳のころから共演 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821151834/https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 小林幸子 千葉真一さんと11歳で出会い「何にも負けないはずの方」「コロナが憎いです」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821181343/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。


[[倉田保昭]]は訃報を聞き、「ショックで寂しかった」と語っている<ref name = 天本>[[#挑む2692|天本伸一郎 「倉田保昭 『目標として いつも背中を追い求めた 憧れの先輩』」、14 - 15頁。]]</ref>。[[東映アカデミー|東映演技研修所]]に一期生で通っていた倉田にとって、7歳上で既にスターとして活躍していた違いもあり、「『キイハンター』で特に意識し、“ああなりたい”と思うような憧れの先輩でしたね」と回想した{{R |天本 }}。1970年から[[香港映画]]に活動の場を移した倉田は、[[1974年|昭和49年]]に“和製ドラゴン”として凱旋帰国後、『[[直撃! 地獄拳]]』に出演{{R |天本 }}。同作では直接手合わせするシーンは無く、あまり話す機会はなかったものの、『[[バーディー大作戦]]』『[[Gメン'75]]』に出演していた時、[[近藤照男]]から「千葉真一ならこうだ」「千葉ならこうした」と倉田を発奮させるかのように幾度となく話をされ、更に意識するようになっていた{{R |天本 }}。『[[必殺女拳士]]』でも共演するが同じシーンは無く、ようやく対面で演技をしたのは『[[服部半蔵 影の軍団]]』第2話「闇に潜む牝豹」{{R |天本 }}。終盤に決闘するシーンもあったが、『影の軍団シリーズ』のレギュラーを断っていたので、倉田はきっちり共演できていないと気持ちに駆られていた{{R |天本 }}。そのような思いから、倉田が製作する『[[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝]]』に出演してもらえるよう、自ら頼んでいる{{R |天本 }}。「当時、日本の[[アクション映画]]は若手が育っていなかったので、千葉さんと私がぶつかる姿を若手に教材として見せたい」「3度ほど、二人きりで10時間以上お話をして ようやく千葉さんはOKしてくれた」「千葉さんとの最初のアクションを撮影する日には、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]と[[倉田プロモーション|倉田アクションクラブ]]の門下生が大勢、[[美術 (職業)#美術デザイナー|セット]]へ見学に来たのが驚きだった」と振り返った{{R |天本 }}。撮影の合間に「作りたい映画を、何時間も語り合ったことが思い出深い」と語る倉田は、同作で共演以降、ほとんど会う機会も無く、「いつも私の片思いでした」と残念がっている{{R |天本 }}。倉田は千葉の出演作では「『[[赤穂城断絶]]』が特に印象に残っている」と評し、「何人ものスターを作り上げ、息子さん二人([[新田真剣佑]][[眞栄田郷敦]])もスターになりつつある。その情熱は素晴らしいし、大変な方だと思います。亡くなられた時に思い出したのは、千葉さんと私が[[殺陣|立ち回り]]で闘ったこと。私たちの時代、特に私は先輩がいらっしゃったからガンバレたし、目標としていつも背中を追い求めてきました。良い時代を過ごさせていただき、ありがとうございました」と追悼した{{R |天本 }}。
[[倉田保昭]]は訃報を聞き、「ショックで寂しかった」と語っている<ref name = 天本>[[#挑む2692|天本伸一郎 「倉田保昭 『目標として いつも背中を追い求めた 憧れの先輩』」、14 - 15頁。]]</ref>。[[東映アカデミー|東映演技研修所]]に一期生で通っていた倉田にとって、7歳上で既にスターとして活躍していた違いもあり、「『キイハンター』で特に意識し、“ああなりたい”と思うような憧れの先輩でしたね」と回想した{{R |天本 }}。1970年から[[香港映画]]に活動の場を移した倉田は、1974年に“和製ドラゴン”として凱旋帰国後、『[[直撃! 地獄拳]]』に出演{{R |天本 }}。同作では直接手合わせするシーンは無く、あまり話す機会はなかったものの、『[[バーディー大作戦]]』『[[Gメン'75]]』に出演していた時、[[近藤照男]]から「千葉真一ならこうだ」「千葉ならこうした」と倉田を発奮させるかのように幾度となく話をされ、更に意識するようになっていた{{R |天本 }}。『[[必殺女拳士]]』でも共演するが同じシーンは無く、ようやく対面で演技をしたのは『[[服部半蔵 影の軍団]]』第2話「闇に潜む牝豹」{{R |天本 }}。終盤に決闘するシーンもあったが、『影の軍団シリーズ』のレギュラーを断っていたので、倉田はきっちり共演できていないと気持ちに駆られていた{{R |天本 }}。そのような思いから、倉田が製作する『[[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝]]』に出演してもらえるよう、自ら頼んでいる{{R |天本 }}。「当時、日本の[[アクション映画]]は若手が育っていなかったので、千葉さんと私がぶつかる姿を若手に教材として見せたい」「3度ほど、二人きりで10時間以上お話をして ようやく千葉さんはOKしてくれた」「千葉さんとの最初のアクションを撮影する日には、ジャパンアクションクラブ (''JAC'') と[[倉田プロモーション|倉田アクションクラブ]]の門下生が大勢、[[美術 (職業)#美術デザイナー|セット]]へ見学に来たのが驚きだった」と振り返った{{R |天本 }}。撮影の合間に「作りたい映画を、何時間も語り合ったことが思い出深い」と語る倉田は、同作で共演以降、ほとんど会う機会も無く、「いつも私の片思いでした」と残念がっている{{R |天本 }}。倉田は千葉の出演作では「『[[赤穂城断絶]]』が特に印象に残っている」と評し、「何人ものスターを作り上げ、息子さん二人(新田真剣佑と眞栄田郷敦)もスターになりつつある。その情熱は素晴らしいし、大変な方だと思います。亡くなられた時に思い出したのは、千葉さんと私が[[殺陣|立ち回り]]で闘ったこと。私たちの時代、特に私は先輩がいらっしゃったからガンバレたし、目標としていつも背中を追い求めてきました。良い時代を過ごさせていただき、ありがとうございました」と追悼した{{R |天本 }}。


『[[影の軍団III]]』と『[[写真甲子園 0.5秒の夏]]』で共演した[[秋野暢子]]は「千葉真一さん……残念です」と[[ブログ]]で書き始め、「若い頃、東映スタジオで[[殺陣]]を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と哀惜した{{R |ニッカン的秋池 |池慎秋暢的浩 }}<ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/yokosmilerun/entry-12693189097.html |title = 千葉真一さん………訃報 |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = 秋野暢子オフィシャルブログ「スマイルライフ」|publisher = [[アメーバブログ]] |archiveurl = https://archive.ph/qkgHr |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん訃報に「ワクチン打たれてなかったとか」「頑強な方が」秋野暢子ショック |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-20 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014607371.shtml |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/LT70m |archivedate = 2021-08-22 |url-status = live }}</ref>。
『[[影の軍団III]]』と『[[写真甲子園 0.5秒の夏]]』で共演した[[秋野暢子]]は「千葉真一さん……残念です」と[[ブログ]]で書き始め、「若い頃、東映スタジオで[[殺陣]]を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と哀惜した{{R |ニッカン的秋池 |池慎秋暢的浩 }}<ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/yokosmilerun/entry-12693189097.html |title = 千葉真一さん………訃報 |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = 秋野暢子オフィシャルブログ「スマイルライフ」|publisher = [[アメーバブログ]] |archiveurl = https://archive.ph/qkgHr |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん訃報に「ワクチン打たれてなかったとか」「頑強な方が」秋野暢子ショック |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-20 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014607371.shtml |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/LT70m |archivedate = 2021-08-22 |url-status = live }}</ref>。
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20代のころに『[[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]』で共演した[[野村真美]]は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ<ref>{{Cite news |和書 |title = 野村真美、千葉真一さんの訃報に「胸がつまる思い」|newspaper = SANSPO.COM |date = 2021-08-20 |url = https://www.sanspo.com/article/20210820-O2MLJSLZQ5OGHFNVK5ZX56VAXE/ |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/MLiV0 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。
20代のころに『[[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]』で共演した[[野村真美]]は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ<ref>{{Cite news |和書 |title = 野村真美、千葉真一さんの訃報に「胸がつまる思い」|newspaper = SANSPO.COM |date = 2021-08-20 |url = https://www.sanspo.com/article/20210820-O2MLJSLZQ5OGHFNVK5ZX56VAXE/ |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/MLiV0 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。


『[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]』で共演した[[東山紀之]]は、悲報に「20代のころに共演させていただきましたが、千葉真一さんが[[時代劇]][[殺陣|立ち回り]]にアクションを入れた最初の方なんです。今、世界中の映画で行われているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになったものなので、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した<ref name = 報知東紀>{{Cite news |和書 |title = 東山紀之 千葉真一さんを追悼「時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方…この功績は凄い」 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-22 |url = https://hochi.news/articles/20210822-OHT1T51026.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/1wTtf |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref><ref name = デイスポ東紀>{{Cite news |和書 |title = 東山紀之“母親”亡くし“父親”失った真田広之との誓い「僕らは教えを次の世代に」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-22 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/22/0014612529.shtml |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/cfgE7 |archivedate = 2021-08-24 |url-status = live }}</ref>。千葉の弟子・[[真田広之]]と[[電子メール|メール]]で連絡し、「真田さんは千葉さんという父親を亡くした。これは自然の摂理で、しょうがないことなんですが、僕らはその教えを次の世代に伝えていくっていうのが、これからますます大事になるねっていうやり取りをさせていただきました」と誓い合ったことを明かしている{{R |報知東紀 |デイスポ東紀 }}。
『[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]』で共演した[[東山紀之]]は、悲報に「20代のころに共演させていただきましたが、千葉真一さんが時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方なんです。今、世界中の映画で行われているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになったものなので、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した<ref name = 報知東紀>{{Cite news |和書 |title = 東山紀之 千葉真一さんを追悼「時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方…この功績は凄い」 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-22 |url = https://hochi.news/articles/20210822-OHT1T51026.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/1wTtf |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref><ref name = デイスポ東紀>{{Cite news |和書 |title = 東山紀之“母親”亡くし“父親”失った真田広之との誓い「僕らは教えを次の世代に」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-22 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/22/0014612529.shtml |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/cfgE7 |archivedate = 2021-08-24 |url-status = live }}</ref>。千葉の弟子・[[真田広之]]と[[電子メール|メール]]で連絡し、「真田さんは千葉さんという父親を亡くした。これは自然の摂理で、しょうがないことなんですが、僕らはその教えを次の世代に伝えていくっていうのが、これからますます大事になるねっていうやり取りをさせていただきました」と誓い合ったことを明かしている{{R |報知東紀 |デイスポ東紀 }}。


『[[寺子屋ゆめ指南]]』で父娘役を演じた[[西田尚美]]は「千葉真一さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した{{R |ねとエン多数追悼 }}<ref name = Twitter西尚>{{Cite web |和書 |url = https://twitter.com/nnnnaominishida/status/1428361797464064001 |title = 千葉さん、信じられません |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = 西田尚美 |publisher = Twitter |archiveurl = https://archive.ph/g8l4Q |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref>。この時代劇は千葉と長女・[[真瀬樹里]]の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで。なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、樹里、真剣佑、郷敦の写真を添えている{{R |ねとエン多数追悼 |Twitter西尚 }}。
『[[寺子屋ゆめ指南]]』で父娘役を演じた[[西田尚美]]は「千葉真一さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した{{R |ねとエン多数追悼 }}<ref name = Twitter西尚>{{Cite web |和書 |url = https://twitter.com/nnnnaominishida/status/1428361797464064001 |title = 千葉さん、信じられません |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = 西田尚美 |publisher = Twitter |archiveurl = https://archive.ph/g8l4Q |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref>。この時代劇は千葉と真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで。なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、樹里、新田真剣佑、眞栄田郷敦の写真を添えている{{R |ねとエン多数追悼 |Twitter西尚 }}。


『[[悪名]]』で共演した[[的場浩司]]はオフィシャルブログで「ため息。笑顔が似合う気さくで偉大な先輩が逝かれた。“千葉真一さん”。偶然にも前回の写真は、千葉さんと初めて共演させて頂いた映画『悪名』のもの。京都のロケ現場で全身からオーラを放つ千葉さんに、緊張しながら御挨拶させて頂いた場面を思い出しました。優しい笑顔が印象に残っています。その後も御会いする度に色んなお話しを聞かせてくれました。千葉さんの御冥福を御祈り致します。朝からため息しか出ないよ」と沈痛の思いをつづった{{R |ニッカン的秋池 |池慎秋暢的浩 }}<ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |title = ため息… |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = KOJI MATOBA OFFICIAL BLOG |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220509143620/https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref>。
『[[悪名]]』で共演した[[的場浩司]]はオフィシャルブログで「ため息。笑顔が似合う気さくで偉大な先輩が逝かれた。“千葉真一さん”。偶然にも前回の写真は、千葉さんと初めて共演させて頂いた『悪名』のもの。京都のロケ現場で全身からオーラを放つ千葉さんに、緊張しながら御挨拶させて頂いた場面を思い出しました。優しい笑顔が印象に残っています。その後も御会いする度に色んなお話しを聞かせてくれました。千葉さんの御冥福を御祈り致します。朝からため息しか出ないよ」と沈痛の思いをつづった{{R |ニッカン的秋池 |池慎秋暢的浩 }}<ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |title = ため息… |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = KOJI MATOBA OFFICIAL BLOG |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220509143620/https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref>。


『[[柳生十兵衛七番勝負#テレビドラマ|柳生十兵衛七番勝負]]』で共演した[[村上弘明]]は、世界的アクションスターとして活躍してきた様を「アクション・[[スタント]]に[[アクロバット]]を取り入れ、時代劇・[[現代劇]]を問わず、魅せる演技を創り上げた人で、旧来の[[殺陣]]に変革をもたらした<ref name = 中日村弘>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんは「見せるアクションを創り上げた人」村上弘明が追悼コメント NHKドラマで刃を交える |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820153722/https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>」と敬意を表した<ref name = 報知村弘>{{Cite news |和書 |title = 村上弘明、NHK時代劇で共演した千葉真一さんを追悼「見せるアクションを創り上げた人」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510100832/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。「決闘ではその一振りに鍛錬を重ねた荘厳さが感じられ、たいへん充実した立ち合いになったと思います。芝居に対するほとばしる情熱がまるで純粋な子供のようで、それがとても印象的でした{{R |中日村弘 }}」と回想{{R |報知村弘 }}。その数年後に『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』のリハーサル室に現れ{{Efn |同時期に千葉真一は『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)]]』に出演しており、それぞれ[[NHK総合テレビジョン|NHK総合制作]]の作品である。『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』には千葉の親友・[[夏八木勲]]も出ている<ref name = 夏八木ポスト>{{Cite web |和書 |url = http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |title = 世界的アクションスター・千葉真一に劣らぬ夏八木勲の筋肉美 |accessdate = 2013-05-04 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |date = 2013-04-29 |website = [[NEWSポストセブン]] |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130504043823/http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |archivedate = 2013-05-04 |url-status = live }}</ref><ref name = 東スポ夏八木>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 夏八木勲さんへの思い語る |newspaper = 東京スポーツ |date = 2013-05-14 |url = http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |accessdate = 2013-05-21 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130611045130/http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |archivedate = 2013-06-11 |url-status = live }}</ref>。}}、村上に「やってるねー!相談事があったら、いつでも連絡して。待ってるからさ{{R |中日村弘 }}」と名刺を渡し、立ち去ったという{{R |報知村弘 }}。天国の千葉真一へ村上は「とても残念です。ご冥福をお祈りします{{R |中日村弘 }}」と追悼した{{R |報知村弘 }}。
『[[柳生十兵衛七番勝負#テレビドラマ|柳生十兵衛七番勝負]]』で共演した[[村上弘明]]は、世界的アクションスターとして活躍してきた様を「アクション・スタントに[[アクロバット]]を取り入れ、時代劇・[[現代劇]]を問わず、魅せる演技を創り上げた人で、旧来の殺陣に変革をもたらした<ref name = 中日村弘>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんは「見せるアクションを創り上げた人」村上弘明が追悼コメント NHKドラマで刃を交える |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820153722/https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>」と敬意を表した<ref name = 報知村弘>{{Cite news |和書 |title = 村上弘明、NHK時代劇で共演した千葉真一さんを追悼「見せるアクションを創り上げた人」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510100832/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。「決闘ではその一振りに鍛錬を重ねた荘厳さが感じられ、たいへん充実した立ち合いになったと思います。芝居に対するほとばしる情熱がまるで純粋な子供のようで、それがとても印象的でした{{R |中日村弘 }}<ref name = 悦子広之>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去に真田広之らJAC〝門下生〟も悲しみ |newspaper = SANSPO.COM |date = 2021-08-21 |url = https://www.sanspo.com/article/20210821-UUEX3AUQK5JOJIET42ZHWC5HWU/ |accessdate = 2024-03-01 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821094423/https://www.sanspo.com/article/20210821-UUEX3AUQK5JOJIET42ZHWC5HWU/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>」と回想。その数年後に『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』のリハーサル室に現れ{{Efn |同時期に千葉真一は『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)]]』に出演しており、それぞれ[[NHK総合テレビジョン|NHK総合制作]]の作品である。『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』には千葉の親友・[[夏八木勲]]も出ている<ref name = 夏八木ポスト>{{Cite web |和書 |url = http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |title = 世界的アクションスター・千葉真一に劣らぬ夏八木勲の筋肉美 |accessdate = 2013-05-04 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |date = 2013-04-29 |website = [[NEWSポストセブン]] |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130504043823/http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |archivedate = 2013-05-04 |url-status = live }}</ref><ref name = 東スポ夏八木>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 夏八木勲さんへの思い語る |newspaper = 東京スポーツ |date = 2013-05-14 |url = http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |accessdate = 2013-05-21 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130611045130/http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |archivedate = 2013-06-11 |url-status = live }}</ref>。}}、村上に「やってるねー!相談事があったら、いつでも連絡して。待ってるからさ{{R |中日村弘 }}」と名刺を渡し、立ち去ったという{{R |報知村弘 }}。天国の千葉真一へ村上は「とても残念です。ご冥福をお祈りします{{R |中日村弘 }}」と追悼した{{R |報知村弘 }}。


===== ''JAC OB OG'' =====
===== ''JAC OB OG'' =====
創設した[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]からは、愛弟子たちが追悼コメントを発した。
創設したジャパンアクションクラブ (''JAC'') からは、愛弟子たちが追悼コメントを捧げた。


[[金田治]]は「千葉真一さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、''JAC'' の合宿、番組の企画でアメリカのアクション映画のロケ地を、千葉さんと二人で巡ったりなどのほうが印象に残っている。千葉さんの功績は、アクションの専門職を作ったこと。『自分だけが凄いアクションができてもダメだ』と言い、スタントマンが冷遇されていたなか、日本のアクションを変え、アメリカ映画に負けないスタントが日本でもできるというポリシーを持って続けてきた。僕は千葉さんが考えていたこと、やりたいことを今も自分なりに続けている。千葉さんがいなかったら僕はこの道に入っていないかもしれないし、アクションの仕事で飯を食えていないかもしれない。今の自分は存在していなかった<ref name = 金田治>{{Cite web |和書 |url = https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |title = 金田治氏が語る仮面ライダーシリーズを支える“スーツアクター”の仕事「いくら運動神経がよくても、芝居心がなければなれない」|accessdate = 2022-07-16 |author = 井上陸人 |authorlink = 井上陸人 |coauthors = [[昌谷大介|昌谷大介 (A4studio) ]] |date = 2021-10-17 |website = [[週刊プレイボーイ|週プレNEWS]] |work = エンタメ |publisher = 集英社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211016221313/https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |archivedate = 2021-10-16 |url-status = live }}</ref>」と回想し、“日本アクション界の偉大な父”の冥福を祈った{{R |金田治 }}。
[[金田治]]は「千葉真一さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、''JAC'' の合宿、番組の企画でアメリカのアクション映画のロケ地を、千葉さんと二人で巡ったりなどのほうが印象に残っている。千葉さんの功績は、アクションの専門職を作ったこと。『自分だけが凄いアクションができてもダメだ』と言い、スタントマンが冷遇されていたなか、日本のアクションを変え、アメリカ映画に負けないスタントが日本でもできるというポリシーを持って続けてきた。僕は千葉さんが考えていたこと、やりたいことを今も自分なりに続けている。千葉さんがいなかったら僕はこの道に入っていないかもしれないし、アクションの仕事で飯を食えていないかもしれない。今の自分は存在していなかった<ref name = 金田治>{{Cite web |和書 |url = https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |title = 金田治氏が語る仮面ライダーシリーズを支える“スーツアクター”の仕事「いくら運動神経がよくても、芝居心がなければなれない」|accessdate = 2022-07-16 |author = 井上陸人 |authorlink = 井上陸人 |coauthors = [[昌谷大介|昌谷大介 (A4studio) ]] |date = 2021-10-17 |website = [[週刊プレイボーイ|週プレNEWS]] |work = エンタメ |publisher = 集英社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211016221313/https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |archivedate = 2021-10-16 |url-status = live }}</ref>」と回想し、“日本アクション界の偉大な父”の冥福を祈った{{R |金田治 }}。


[[志穂美悦子]]はブログで「見上げる空に」と題し、「それは、あまりに突然で、言葉にならないでも''JAC''イズムは生きている。それぞれの場所で生きている」と恩師の死を悼み、''JAC''への思いを記した{{R |真剣志穂美 }}。
[[志穂美悦子]]はブログで「見上げる空に」と題し{{R |真剣志穂美 }}、「それは、あまりに突然で、言葉にならない{{R |真剣志穂美 }}」と綴るのが精一杯ながら{{R |悦子広之 }}、「でも''JAC''イズムは生きている。それぞれの場所で生きている{{R |真剣志穂美 }}」と恩師の死を悼み、''JAC''への思いを記した{{R |真剣志穂美 |悦子広之 }}。


真田広之は「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と悼んだ{{R |樹里NHK |樹里真田沢 }}。
指導を受けてきた真田広之は{{R |悦子広之 }}、「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と悼んだ{{R |樹里NHK |樹里真田沢 |悦子広之 }}。


[[伊原剛志]]はツイッターで、「千葉真一さん!40年前、18歳で''JAC''に入って、目をかけて貰い『[[影の軍団IV]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる!]]』に抜擢してくれた。二人きりになると優しく、京都で良く一緒に走ったりトレーニングもした」と思い出を回顧{{R |ねとエン多数追悼 }}。「俺が役者であるキッカケになった人だ!有難う御座いました。心からご冥福をお祈りします」と人生に大きな影響を与えた名優をしのんでいる{{R |ねとエン多数追悼 }}。
[[伊原剛志]]はツイッターで、「千葉真一さん!40年前、18歳で''JAC''に入って、目をかけて貰い『[[影の軍団IV]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる!]]』に抜擢してくれた。二人きりになると優しく、京都で良く一緒に走ったりトレーニングもした{{R |ねとエン多数追悼 |悦子広之 }}」と思い出を回顧{{R |ねとエン多数追悼 }}。「俺が役者であるキッカケになった人だ!有難う御座いました。心からご冥福をお祈りします{{R |ねとエン多数追悼 |悦子広之 }}」と人生に大きな影響を与えた名優をしのんでいる{{R |ねとエン多数追悼 }}。


===== 親交の有った芸能人 =====
===== 親交の有った芸能人 =====
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[[池畑慎之介]]はブログで偉大な名優との思い出として<ref name = ねとエン多数追悼/>、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの。ピー(池畑)が16歳。千葉真一さんが29歳。[[野際陽子]]さんが30代前半。みんな若かった<ref name = ピタ>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |title = 訃報が‥。|accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-19 |website = VIVA! プラチナ人生!! |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510115643/https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>」と3ショットを公開{{R |ねとエン多数追悼 |ピタ }}。しみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌{{R |ピタ }}」と哀悼した{{R |ねとエン多数追悼 |ニッカン的秋池 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 池畑慎之介「ご冥福を心からお祈りいたします」千葉真一さん悼む…53年前の千葉さん野際さんとの3ショットで追悼 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-19 |url = https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510121211/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。
[[池畑慎之介]]はブログで偉大な名優との思い出として<ref name = ねとエン多数追悼/>、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの。ピー(池畑)が16歳。千葉真一さんが29歳。[[野際陽子]]さんが30代前半。みんな若かった<ref name = ピタ>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |title = 訃報が‥。|accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-19 |website = VIVA! プラチナ人生!! |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510115643/https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>」と3ショットを公開{{R |ねとエン多数追悼 |ピタ }}。しみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌{{R |ピタ }}」と哀悼した{{R |ねとエン多数追悼 |ニッカン的秋池 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 池畑慎之介「ご冥福を心からお祈りいたします」千葉真一さん悼む…53年前の千葉さん野際さんとの3ショットで追悼 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-19 |url = https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510121211/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。


[[オスマン・サンコン]]は日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた{{R |久坂部羊 |サンコン真剣佑 }}。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、[[アフリカ]]のことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創った''JAC'' (''JAPAN ACTION CLUB'') の顧問に[[2022年|令和4年]]4月、就任している{{R |サンコン真剣佑 }}。
オスマン・サンコンは日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた{{R |久坂部羊 |サンコン真剣佑 }}。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、[[アフリカ]]のことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創った''JAC'' (''JAPAN ACTION CLUB'') の顧問に[[2022年|令和4年]]4月、就任している{{R |サンコン真剣佑 }}。
(⇒ ''[[#2010年代]]'')
(⇒ ''[[#2010年代]]'')

[[空手道]]を通じ、交流があった[[長嶋一茂]]は「本当に残念」と切り出し、「千葉さんは僕が傾倒する空手団体の門下生で、四段を允許されているし、トーナメントにも出ている。それぐらい凄い方で、小中学校時代には千葉さんの強さについて話を聞いていた」と振り返った<ref name = 一茂生き方>{{Cite news |和書 |title = 長嶋一茂、ワクチン未接種だった千葉さん「生き方、生きざまでの決断」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-20 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014606900.shtml |accessdate = 2024-02-28 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820041427/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014606900.shtml |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。2019年に開催された空手の世界大会では「お会いして。黒づくめのスーツでお洒落な[[帽子#分類|ハット]]を被って、『一茂くん』と来てくれて。本当に格好良くて、ほとんどしゃべれなかったが、こういう年の取り方ができたらいいなって。憧れの方だった」とも語った{{R |一茂生き方 }}<ref name = 一茂決断>{{Cite news |和書 |title = 長嶋一茂、ワクチン接種しなかった千葉真一さんを「生き様での決断だったと思う…カッコ良かった」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51030.html?page=1 |accessdate = 2024-02-28 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240228122314/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51030.html?page=1 |archivedate = 2024-02-28 |url-status = live }}</ref>。「生き方や生きざまでの判断・決断だったと思うので、ワクチンを打っていれば…と悔やまれるが、打たなかった千葉さん、変な言い方ですけど、格好良かったなっていう風に思う。ただ残念であることは間違いないです」と偲んでいる{{R |一茂生き方 |一茂決断 }}。
(⇒ ''[[#極真カラテ]]'')


==== 体操界・日体大 ====
==== 体操界・日体大 ====
[[1964年東京オリンピックの体操競技]][[銅メダル|女子団体銅メダル]]を獲得し、[[日本体育大学]]の同期ある[[千葉吟子]]は突然の訃報に、「選手としての実力は相当ものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。当時、同期のみんなは彼が入学した時から[[オリンピック選手]]になれると思っていた」と振り返り、[[1960年ローマオリンピックの体操競技]]にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごく[[美男子|ハンサム]]で、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想<ref name = 東スポ吟子>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん、幻の五輪秘話 同期の体操メダリスト語る「五輪選手になれると思っていた」|newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |accessdate = 2023-07-20 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230720154046/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |archivedate = 2023-07-20 |url-status = live }}</ref>。「とにかく残念。[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]が終わったら、同期会をやろうって言っていたのに・・・。とても寂しいです」としんみり語った{{R |東スポ吟子 }}。
1964年東京オリンピックの体操競技で女子団体銅メダルを獲得し、日本体育大学で共に練習に励んだ千葉吟子は突然の訃報に、「選手としての実力は相当ものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。当時、同期のみんなは彼が入学した時から[[オリンピック選手]]になれると思っていた」と振り返り、[[1960年ローマオリンピックの体操競技]]にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごく[[美男子|ハンサム]]で、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想<ref name = 東スポ吟子>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん、幻の五輪秘話 同期の体操メダリスト語る「五輪選手になれると思っていた」|newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |accessdate = 2023-07-20 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230720154046/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |archivedate = 2023-07-20 |url-status = live }}</ref>。「とにかく残念。[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]が終わったら、同期会をやろうって言っていたのに・・・。とても寂しいです」としんみり語った{{R |東スポ吟子 }}。
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]''・''[[#プロレス界]]''・''[[#器械体操]]'')
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]''・''[[#プロレス界]]''・''[[#器械体操]]'')


日本体育大学の[[理事|理事長]]を務める[[松浪健四郎]]は、1か月前に話したばかりだったので「残念だね・・・」と絶句した<ref name = 東スポ松浪>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 御年80で日体大伝統「エッサッサ」を“パンイチ”披露 松浪健四郎氏が回想 |newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/81123 |accessdate = 2024-02-05 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240205103625/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/81123 |archivedate = 2024-02-05 |url-status = live }}</ref>。令和元年に芸能生活60周年パーティーが催された時、日体大の伝統応援“エッサッサ”を、80歳で現役学生と共に白いパンツ一丁でやり通した姿に、松浪は「あれはきつくて、でも引き締まった美しい肉体で見事なエッサッサを見せてくれた」と、衰えぬ身体に驚いている{{R |東スポ松浪 }}。同大学の特別卒業第1号に認定されたときは「すごく喜んでくれて、ずっと中退が心残りだったと思う。五輪壮行会にも二つ返事で駆けつけてくれた」と母校愛がとても強く、スターを育成したい気持ちから「アクションスター学科を作ってほしい」といつも話していたと回想し、哀悼の意を表した{{R |東スポ松浪 }}。
日本体育大学の[[理事|理事長]]を務める[[松浪健四郎]]は、1か月前に話したばかりだったので「残念だね・・・」と絶句した<ref name = 東スポ松浪>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 御年80で日体大伝統「エッサッサ」を“パンイチ”披露 松浪健四郎氏が回想 |newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/81123 |accessdate = 2024-02-05 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240205103625/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/81123 |archivedate = 2024-02-05 |url-status = live }}</ref>。2019年に芸能生活60周年パーティーが催された時、日体大の伝統応援“エッサッサ”を、80歳で現役学生と共に白いパンツ一丁でやり通した姿に、松浪は「あれはきつくて、でも引き締まった美しい肉体で見事なエッサッサを見せてくれた」と、衰えぬ身体に驚いている{{R |東スポ松浪 }}。同大学の特別卒業第1号に認定されたときは「すごく喜んでくれて、ずっと中退が心残りだったと思う。五輪壮行会にも二つ返事で駆けつけてくれた」と母校愛がとても強く、スターを育成したい気持ちから「アクションスター学科を作ってほしい」といつも話していたと回想し、哀悼の意を表した{{R |東スポ松浪 }}。
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#最期]]''・''[[#2022年]]''・''[[#プロレス界]]'')
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#最期]]''・''[[#2022年]]''・''[[#プロレス界]]'')


==== 格闘技界 ====
==== 格闘技界 ====
===== 極真カラテ =====
===== 極真カラテ =====
[[山崎照朝]]は自身の[[格闘技]]コラム“撃戦記”にて、「訃報には驚いた。暗いニュースだった」と嘆き、「千葉さんは[[極真会館]]の前身・[[大山道場]]に入門しており、私の[[先輩|大先輩]]。俳優になる前は器械体操の選手として、五輪を目指すほどの実力を持っていた。私が大学生の頃、[[稽古]]でご一緒したこともある。嗜む[[スポーツ]]は多彩で、アクションスターとして格好いい存在だった」と、その経歴・印象や在りし日の思い出を振り返りながら、追悼を寄せている<ref name = 山崎照朝>{{Cite web |和書 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/320992 |title = 驚いた千葉真一さん訃報… 極真空手の稽古でご一緒した思い出、アクションスターとして格好いい存在だった |accessdate = 2024-02-02 |author = 山崎照朝 |authorlink = 山崎照朝 |date = 2021-08-30 |website = 中日スポーツ |work = 撃戦記 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211001080100/https://www.chunichi.co.jp/article/320992 |archivedate = 2021-10-01 |url-status = live }}</ref>。
[[山崎照朝]]は自身の[[格闘技]]コラム“撃戦記”にて、「訃報には驚いた。暗いニュースだった」と嘆き、「千葉さんは極真会館の前身・[[大山道場]]に入門しており、私の[[先輩|大先輩]]。俳優になる前は器械体操の選手として、五輪を目指すほどの実力を持っていた。私が大学生の頃、[[稽古]]でご一緒したこともある。嗜む[[スポーツ]]は多彩で、アクションスターとして格好いい存在だった」と、その経歴・印象や在りし日の思い出を振り返りながら、追悼を寄せている<ref name = 山崎照朝>{{Cite web |和書 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/320992 |title = 驚いた千葉真一さん訃報… 極真空手の稽古でご一緒した思い出、アクションスターとして格好いい存在だった |accessdate = 2024-02-02 |author = 山崎照朝 |authorlink = 山崎照朝 |date = 2021-08-30 |website = 中日スポーツ |work = 撃戦記 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211001080100/https://www.chunichi.co.jp/article/320992 |archivedate = 2021-10-01 |url-status = live }}</ref>。


[[松井章圭|松井章奎]]は[[極真会館松井派|極真会館 松井派]]の公式サイトで「千葉真一氏の訃報に接し謹んで哀悼の意を表します」と声明を出した{{R |efight松井 }}<ref name = 松井派>{{Cite web |和書 |url = https://www.kyokushinkaikan.org/ja/news/2021/08/20/s_chiba/ |title = 千葉真一氏の訃報に寄せて |accessdate = 2024-02-02 |author = 松井章奎 |authorlink = 松井章圭 |date = 2021-08-20 |website = 国際空手道連盟 極真会館 |work = 本部最新情報 |publisher = [[極真会館松井派|極真会館 松井派]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210926031244/https://www.kyokushinkaikan.org/ja/news/2021/08/20/s_chiba/ |archivedate = 2021-09-26 |url-status = live }}</ref>。大山道場で修行を始め、『[[けんか空手シリーズ]]』の主演、[[1977年]]に[[ハワイ州]]で開催された極真日本代表 vs ハワイ代表の試合に参戦{{R |efight松井 }}、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]]を率いて[[全世界空手道選手権大会|第3回全世界空手道選手権大会]]でアクションの[[演武]]、松井体制では総本部相談役として大会に出席するとファンにサインをねだられるなど{{R |efight松井 }}、極真を世に広めた大きな功労を紹介・感謝し、冥福を祈っている{{R |efight松井 |松井派 }}。
[[松井章圭|松井章奎]]は[[極真会館松井派|極真会館 松井派]]の公式サイトで「千葉真一氏の訃報に接し謹んで哀悼の意を表します」と声明を出した{{R |efight松井 }}<ref name = 松井派>{{Cite web |和書 |url = https://www.kyokushinkaikan.org/ja/news/2021/08/20/s_chiba/ |title = 千葉真一氏の訃報に寄せて |accessdate = 2024-02-02 |author = 松井章奎 |authorlink = 松井章圭 |date = 2021-08-20 |website = 国際空手道連盟 極真会館 |work = 本部最新情報 |publisher = [[極真会館松井派|極真会館 松井派]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210926031244/https://www.kyokushinkaikan.org/ja/news/2021/08/20/s_chiba/ |archivedate = 2021-09-26 |url-status = live }}</ref>。大山道場で修行を始め、『[[けんか空手シリーズ]]』の主演、[[1977年]]に[[ハワイ州]]で開催された極真日本代表 vs ハワイ代表の試合に参戦{{R |efight松井 }}、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]]を率いて[[全世界空手道選手権大会|第3回全世界空手道選手権大会]]でアクションの[[演武]]、松井体制では総本部相談役として大会に出席するとファンにサインをねだられるなど{{R |efight松井 }}、極真を世に広めた大きな功労を紹介・感謝し、冥福を祈っている{{R |efight松井 |松井派 }}。
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{{Main|仁義なき戦い 広島死闘篇}}
{{Main|仁義なき戦い 広島死闘篇}}


[[ブロマイド]]の売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが<ref name = ア芸キ/><ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = アサ芸仁義>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/3678 |title = 「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話 (1)「顔のシワ作り」に励んだ松方 |accessdate = 2012-11-29 |date = 2012-11-28 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20131216074450/http://www.asagei.com/3678 |archivedate = 2013-12-16 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |year = 2007 |title = 【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病 |journal = [[アサヒ芸能|週刊アサヒ芸能]] |issue = 8月2日号 |pages= 204 - 207 |publisher = 徳間書店 }}</ref>、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、[[サングラス]]を常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した<ref name = 映画com仁義/><ref>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、43 - 45頁。]]</ref>。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり<ref name = 壬生智裕/><ref name = アサ芸仁義/><ref name = 仁義なき戦いPERFECTBOOK/>、後の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name = アサ芸深作/>。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり<ref name = 高平哲郎/><ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = キネマ130133/>、[[俳優座]]養成所1期生で千葉と何度か共演している[[岩崎加根子]]などからも絶賛され<ref>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48頁。]]</ref>、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/>。大友勝利は人気キャラクターだけあって[[主人公]]にした企画が出され<ref name = 壬生智裕/>、『[[仁義なき戦い 頂上作戦]]』にも大友で出演する予定だったが<ref>{{Cite book |和書 |author = 小林信彦 |authorlink = 小林信彦 |year = 1991 |title = 映画を夢見て |publisher = [[筑摩書房]] |pages = 177 - 185 |isbn = }}</ref>、『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]映画に[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken/>。
[[ブロマイド]]の売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが<ref name = ア芸キ/><ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = アサ芸仁義>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/3678 |title = 「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話 (1)「顔のシワ作り」に励んだ松方 |accessdate = 2012-11-29 |date = 2012-11-28 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20131216074450/http://www.asagei.com/3678 |archivedate = 2013-12-16 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |year = 2007 |title = 【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病 |journal = [[アサヒ芸能|週刊アサヒ芸能]] |issue = 8月2日号 |pages= 204 - 207 |publisher = 徳間書店 }}</ref>、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、[[サングラス]]を常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した<ref name = 映画com仁義/><ref>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、43 - 45頁。]]</ref>。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり{{R |壬生智裕 |アサ芸仁義 |仁義PB }}、後の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name = アサ芸深作/>。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり<ref name = 高平哲郎/><ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = キネマ130133/>、[[俳優座]]養成所1期生で千葉と何度か共演している[[岩崎加根子]]などからも絶賛され<ref>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48頁。]]</ref>、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/>。大友勝利は人気キャラクターだけあって[[主人公]]にした企画が出され<ref name = 壬生智裕/>、『[[仁義なき戦い 頂上作戦]]』にも大友で出演する予定だったが<ref>{{Cite book |和書 |author = 小林信彦 |authorlink = 小林信彦 |year = 1991 |title = 映画を夢見て |publisher = [[筑摩書房]] |pages = 177 - 185 |isbn = }}</ref>、『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]映画に[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken/>。
(⇒ ''[[#転機]]'')
(⇒ ''[[#転機]]'')
{{Main|仁義なき戦い#登場人物}}
{{Main|仁義なき戦い#登場人物}}
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=== 家族 ===
=== 家族 ===
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕<ref name = 千葉流8182/>。父親は[[大刀洗町]]に在った[[陸軍飛行戦隊]]に所属する[[軍人]]で、母親は[[熊本県]]出身で学生時代に[[陸上競技]]をしていた<ref name = 千葉流8182/>。[[零式艦上戦闘機|零式二号艦上戦闘機]]などの[[テストパイロット]]を務めていた父親は、初めて建造された[[航空母艦|空母]]へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった<ref name = 近代144-145/>。4歳の時、父親が[[千葉県]][[木更津市]]へ異動となったため、家族で千葉県[[君津市]]へ転居した<ref name = 和千永38/>。[[終戦]]後、軍が解体され、父親は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった<ref name = 近代144-145/>。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた<ref name = 20人が証言110/>。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、[[米]]以外は不自由せずにいろいろな[[食物]]を食べることができ、自分の土台となった」と述懐している<ref>[[#千葉2008|「パイロットだった親父」、34頁。]]</ref>。父親は[[芸能界]]入りを猛烈に反対して[[勘当]]していたが<ref name = samurai100101/>、作品を観てからは考えを変え<ref>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、103頁。]]</ref>、その後は観るのを楽しんでいる<ref name = 20人が証言110/>。[[1971年]]初めには地元の[[君津市]]に実家を新築して親孝行をした<ref>[[#千葉2010|「「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」」、85頁。]]</ref>。
福岡県福岡市博多区雑餉隈で二男三女の長男(第二子)として生誕<ref name = 千葉流8182/>。父親は[[大刀洗町]]に在った[[陸軍飛行戦隊]]に所属する[[軍人]]で、母親は[[熊本県]]出身で学生時代に[[陸上競技]]をしていた<ref name = 千葉流8182/>。[[零式艦上戦闘機|零式二号艦上戦闘機]]などの[[テストパイロット]]を務めていた父親は、初めて建造された[[航空母艦|空母]]へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった<ref name = 近代144-145/>。4歳の時、父親が[[千葉県]][[木更津市]]へ異動となったため、家族で千葉県[[君津市]]へ転居した<ref name = 和千永38/>。[[終戦]]後、軍が解体され、父親は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった<ref name = 近代144-145/>。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた<ref name = 20人が証言110/>。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、[[米]]以外は不自由せずにいろいろな[[食物]]を食べることができ、自分の土台となった」と述懐している<ref>[[#千葉2008|「パイロットだった親父」、34頁。]]</ref>。父親は[[芸能界]]入りを猛烈に反対して[[勘当]]していたが<ref name = samurai100101/>、作品を観てからは考えを変え<ref>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、103頁。]]</ref>、その後は観るのを楽しんでいる<ref name = 20人が証言110/>。[[1971年]]初めには地元の[[君津市]]に実家を新築して親孝行をした<ref>[[#千葉2010|「「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」」、85頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]'')
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]'')


弟の[[矢吹二朗]]が中学生になると[[東京都]]へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、千葉は[[コッペパン]]に水という日々もあった<ref name = "20人が証言110"/>。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買った[[テープレコーダー]]が無くなったのは、きっと[[質屋]]へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る<ref name = 20人が証言110/>。
弟の[[矢吹二朗]]が中学生になると[[東京都]]へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、千葉は[[コッペパン]]に水という日々もあった<ref name = "20人が証言110"/>。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買った[[テープレコーダー]]が無くなったのは、きっと[[質屋]]へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る<ref name = 20人が証言110/>。


『[[キイハンター]]』で共演した[[野際陽子]][[1973年]]に結婚し、一人娘の[[真瀬樹里]]を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、[[ハリウッド]]で仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と<ref name = wachinaga113114>[[#千葉2008|「樹里が生まれた日」、113 - 114頁。]]</ref>、[[日本]]に居たい野際の意志不一致から<ref name = wachinaga113114/>、[[1994年]]に離婚。[[記者会見]]を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とは『[[寺子屋ゆめ指南]]』、『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』で共演し、複数の[[トーク番組]]へ一緒に出演している。[[1996年]]に28歳年下の一般女性と再婚。長男・[[新田真剣佑]]と次男・[[眞栄田郷敦]]を授かり、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]に在住していた<ref name = nikkan1/><ref name = chunichi/><ref name = daily2/><ref name = houchi/>。[[2015年]]に一般女性と離婚したが<ref>{{Cite news |和書 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1586737.html |title = 千葉真一が離婚 調停中の28歳下の夫人と昨年 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |date = 2016-01-01 |accessdate = 2016-01-01 }}</ref>、その女性とは子供たちともども良好な関係を続けていた<ref name = スポニチ急死/>。
『[[キイハンター]]』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と<ref name = wachinaga113114>[[#千葉2008|「樹里が生まれた日」、113 - 114頁。]]</ref>、日本に居たい野際の意志不一致から<ref name = wachinaga113114/>、[[1994年]]に離婚。[[記者会見]]を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とは『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山 (NHK大河ドラマ)』で共演し、複数の[[トーク番組]]へ一緒に出演している。[[1996年]]に28歳年下の一般女性と再婚。長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国[[カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]に在住していた<ref name = nikkan1/><ref name = chunichi/><ref name = daily2/><ref name = houchi/>。[[2015年]]に一般女性と離婚したが<ref>{{Cite news |和書 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1586737.html |title = 千葉真一が離婚 調停中の28歳下の夫人と昨年 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |date = 2016-01-01 |accessdate = 2016-01-01 }}</ref>、その女性とは真剣佑・郷敦ともども良好な関係を続けていた<ref name = スポニチ急死/>。
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#最期]]'')
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#最期]]''・''[[#2023年]]'')


== 受賞 ==
== 受賞 ==
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* {{Cite book |和書 |title = [[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]] |publisher = 東映 |date = 1981-11-07 |asin = B0076JWROK |ref = パンフ冒険 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]] |publisher = 東映 |date = 1981-11-07 |asin = B0076JWROK |ref = パンフ冒険 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1982-03-05 |title = ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 JAC特集号 |volume = 8 |issue = 4 |publisher = 近代映画社 |ref = JAC特集号 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1982-03-05 |title = ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 JAC特集号 |volume = 8 |issue = 4 |publisher = 近代映画社 |ref = JAC特集号 }}
* {{Cite book |和書 |title = 第IV回JACミュージカル [[酔いどれ公爵]] |publisher = [[新宿コマ劇場|新宿コマ・スタジアム]] |date = 1985-04-01 |asin = B00GJMM25Y |ref = 酔いどれ }}
* {{Cite book |和書 |author = 真樹日佐夫 |authorlink = 真樹日佐夫 |title = 極真カラテ 二十七人の侍 「地上最強の格闘技」を支えた男たちの伝説 |date = 1986-07-10 |edition = 1刷 |publisher = [[サンケイ出版]] |isbn = 4383025064 |oclc = 122968262 |chapter = 第11話 学生時代からの大山門下生 千葉真一三段 |ref = 学生時代 }}
* {{Cite book |和書 |author = 真樹日佐夫 |authorlink = 真樹日佐夫 |title = 極真カラテ 二十七人の侍 「地上最強の格闘技」を支えた男たちの伝説 |date = 1986-07-10 |edition = 1刷 |publisher = [[サンケイ出版]] |isbn = 4383025064 |oclc = 122968262 |chapter = 第11話 学生時代からの大山門下生 千葉真一三段 |ref = 学生時代 }}
* {{Cite book |和書 |editor = 竹書房 / イオン編 |date = 1995-11-30 |title = 超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み |edition = 初版第1刷 |publisher = [[竹書房]] |id = C0076 |isbn = 4884758749 |oclc = 40507555 |ref = 超人画報 }}
* {{Cite book |和書 |editor = 竹書房 / イオン編 |date = 1995-11-30 |title = 超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み |edition = 初版第1刷 |publisher = [[竹書房]] |id = C0076 |isbn = 4884758749 |oclc = 40507555 |ref = 超人画報 }}

2024年3月2日 (土) 23:43時点における版

ちば しんいち
千葉 真一
JJ Sonny Chiba
千葉 真一 JJ Sonny Chiba
映画情報』1965年6月号より。
本名 前田 禎穂(まえだ さだほ)[1]
生年月日 (1939-01-22) 1939年1月22日
没年月日 (2021-08-19) 2021年8月19日(82歳没)
出生地 日本の旗 福岡県福岡市博多区[2]
出身地 日本の旗 千葉県君津市[3]
死没地 日本の旗 千葉県木更津市[4]
民族 日本人[1][2][5]
身長 176cm[6][7][8]
血液型 O型[7][8]
職業 俳優体操選手空手家歌手芸能プロモーターアクション監督演出家映画プロデューサー映画監督
ジャンル 映画テレビ映画ドラマ音楽演劇CM
活動期間 1959年 - 2021年
活動内容 1959年 東映ニューフェイス
1960年 デビュー
1966年 ・日合作映画主演
1970年 JAC設立
1973年合作映画主演
1974年 Sonny Chiba
1977年 空手大会出場
1979年 本邦アクション監督
1981年合作映画出演
1989年 映画プロデューサー
1990年 映画監督
1991年 JAC売却
1992年 拠点をL.A.
1994年合作映画出演
2008年 京都造形芸大教授
2010年 芸能生活50周年
配偶者 野際陽子1973年 - 1994年
一般人(1996年 - 2015年
著名な家族 真瀬樹里(長女[注釈 1]
新田真剣佑(長男[注釈 2]
眞栄田郷敦(次男[注釈 2]
矢吹二朗(弟)
事務所 注釈10
公式サイト #外部リンク
主な作品
日本映画
風来坊探偵シリーズ
ファンキーハットの快男児シリーズ
宇宙快速船』『事件記者シリーズ
柔道一代シリーズ』『やくざの歌
白い熱球』『太陽に突っ走れ
子守唄シリーズ』『黄金バット
組織暴力』『河内遊侠伝
陸軍諜報33』『日本暗殺秘録
やくざ刑事シリーズ』『狼やくざシリーズ
麻薬売春Gメンシリーズ
仁義なき戦い 広島死闘篇
ボディガード牙シリーズ
殺人拳シリーズ
ルバング島の奇跡 陸軍中野学校
地獄拳シリーズ』『少林寺拳法
ウルフガイ 燃えろ狼男』『新幹線大爆破
けんか空手シリーズ』『激突! 合気道
脱走遊戯』『沖縄やくざ戦争
ドーベルマン刑事
トラック野郎 度胸一番星
柳生一族の陰謀』『沖縄10年戦争
赤穂城断絶』『闇の狩人
戦国自衛隊』『魔界転生
冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-
必殺4 恨みはらします
新 影の軍団シリーズ』『銭道シリーズ
SURVIVE STYLE5+』『親父
修羅の伝承 荒ぶる凶犬
海外映画 ※日本との合作含む
カミカゼ野郎 真昼の決斗』『海底大戦争
東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯
激殺! 邪道拳』『ゴルゴ13 九竜の首
武士道ブレード
エイセス / 大空の誓い
地雷原 A mine field.
リゾート・トゥ・キル
ザ・サイレンサー MAGNUM357
風雲 ストームライダーズ
狼たちの伝説 亜州黒社会戦争
キル・ビル』『爆裂都市 / Explosive City
ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT
テレビ映画
新 七色仮面』『アラーの使者
くらやみ五段』『キイハンター
現代鬼婆考 殺愛』『ザ・ボディガード
ザ★ゴリラ7』『燃える捜査網
大非常線』『柳生一族の陰謀
影の軍団シリーズ
東京大地震マグニチュード8.1
柳生あばれ旅シリーズ
素晴らしきサーカス野郎』『太閤記
徳川家康』『十七人の忍者』『徳川無頼帳
ドラマ ※海外ドラマ含む
七色とんがらし』『十字路
深夜にようこそ』『夢に見た日々
寺子屋ゆめ指南』『風雲 雄霸天下
風雲争霸』『風林火山』『おわこんTV
演劇
柳生十兵衛 魔界転生
ゆかいな海賊大冒険』『酔いどれ公爵
スタントマン 愛の物語
千葉真一奮闘公演 影の軍団
風林火山 晴信燃ゆ
アクション監督・演出・監督 ※助演兼務含む
忍者武芸帖 百地三太夫
スタントマン物語』『吼えろ鉄拳
アドベンチャー 青春の出発
将軍家光の乱心 激突
リメインズ 美しき勇者たち
HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅
受賞
ミスタースポーツモデル
ウェアモデル入賞1958年
エランドール賞 新人賞1962年
日本映画製作者協会 新人賞1967年
京都市民映画祭 主演男優賞
日本暗殺秘録』(1969年
沖縄やくざ戦争』(1976年
受賞
日本アカデミー賞
優秀助演男優賞(第2回)
柳生一族の陰謀』(1979年
会長特別賞(第45回)2022年
ブルーリボン賞
スタッフ賞(第22回)(1979年)
その他の賞
香港電影金像奨
優秀主演男優賞(第18回)

風雲 ストームライダーズ』(1999年
サターン賞
助演男優賞ノミネート(第30回)

キル・ビル』(2004年
ハワイ国際映画祭
MAVERICK AWARD2005年
日本映画批評家大賞
ゴールデン・グローリー賞2006年
OKINAWA シネマ&ミュージックアワード
映画部門功労賞(2006年)
天草映画祭 風の賞 特別賞2007年
SINGAFEST 20112011年
LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD
文化庁長官表彰2020年
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千葉 真一
JJ Sonny Chiba
学歴 日本体育大学体育学部体育学科卒業
ジャンル 歌謡曲J-POP
レーベル コダマプレス(1963年 - 1965年)
クラウンレコード(1966年)
ミノルフォン(1966年)
キング(1968年 - 1973年)
テイチク(1975年 - 1976年)
VAP(1985年)

千葉 真一[注釈 3](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba[注釈 4], 1939年1月22日 - 2021年8月19日)は、日本俳優体操選手空手家歌手芸能プロモーターアクション監督演出家映画プロデューサー映画監督愛称千葉ちゃん[注釈 3]。本名:前田 禎穂(まえだ さだほ)[1]

日本を代表する映画スター[15][16][17][18][19][20]・アクションスターとして[17][21][22][23][24][25]海外ではSonny Chiba(サニー ちば)の通称で名高い[15][16][17][20][21][22][23][26][27]。特技の器械体操極真カラテ四段[28]少林寺拳法弐段・乗馬スキーを活かしたアクロバティックスタント殺陣吹き替えに任せず、自ら演じていることと[15][16][29][30][31]、堂々たる名演による圧倒的過ぎる存在感が[15][16][17][32][33][34]、定評を博している[15][16][17][27][29][30][31][32][33][34]

芸能生活は半世紀以上の60年を越え、映画テレビ映画ドラマ演劇など、計1,500本以上の作品に出演[35][36]1970年に創設したジャパンアクションクラブ (JAC) からは、数々のスタントマン・俳優・殺陣師・アクション監督を輩出している[17][19][20][24][37]。本職だけではなく、指導者として後進の育成をし、映画・演劇の演出、製作にも参画するなど、多岐にわたり活躍していた。

生涯

オリンピックを目指して

福岡県福岡市博多区雑餉隈で二男三女の長男(第二子)として生誕[2]。4歳の時、千葉県君津市へ転居[3]。中学生から器械体操を始め[38]オリンピック日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[15][29]千葉県立木更津第一高等学校へ入学後、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[15][39]1957年日本体育大学体育学部体育学科に進学した[40][41][42][43]。 (⇒ #家族

器械体操の仲間には後の1964年東京オリンピックの体操競技女子団体銅メダルを獲得する千葉吟子や、同オリンピック金メダリストで“山下跳び”の山下治広がおり、「種目によっては山下より上」と評されている[44]。将来を嘱望されていたが[44]、2年生の時に[注釈 5]跳馬を練習中に着地で失敗し、を痛めてしまう[40][41][45][46]。医者から「1年間運動禁止」と宣告され[41][43]、選手を続けることが困難となる[40][41][43]休学も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した[注釈 6]。 (⇒ #2010年代#体操界・日体大#器械体操

ブロマイド(1961年)

今後を模索し始め、実家に帰る途中の代々木駅で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける[49]。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや[49]、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し[50]東映ニューフェイスを受験するよう勧められていたことから応募した[49][50]。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす[49]

アクションスター

1959年大学中退して[注釈 6]東映に入る。入社した男性6名・女性14名のうち、俳優では亀石征一郎新井茂子茅島成美太地喜和子真山知子都築克子や、映画監督では中島貞夫[51]、同期生にいた。俳優座で6か月の研修を経て[52]1960年1月7日に『新 七色仮面』の二代目・蘭光太郎として主演デビュー。続けて『アラーの使者』にも主演した[44]。 (⇒ #変身ヒーロー

風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で、ウィンチェスターライフルを手にする。左は北原しげみ

1961年中山昭二の代役で『警視庁物語 不在証明(ありばい)』に出演後[53]深作欣二が初めて監督をした『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演して、2期先輩の曽根晴美と「拳銃コンビ」のキャッチコピーで売り出された[54]吹き替えなしでスタントをこなすことから[55]、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった[56]1962年は『事件記者シリーズ』の第1作『恐怖の魔女』に主演したほか、1963年には『八州遊侠伝 男の盃』で時代劇に初出演。『事件記者シリーズ』の第2作『殺人鬼の誘惑』と『柔道一代シリーズ』第一作に主演している[44]

1963年から音楽活動も始め、「男一匹生きるなら」をリリースして歌手デビューを果たした。1967年には千葉真一とザ・サタンズ”というグループ・サウンズバンドを結成[57][58]。リーダーとして夜は都内音楽喫茶ライブハウスで歌い[57]九州などにも巡業し、ライブをしていた[58]。 (⇒ #音楽#キイハンター#ディスコグラフィ

1966年、『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(合作)、『海底大戦争[59]』(日合作)にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1973年、日合作)、『激殺! 邪道拳』(1977年、日香泰合作)、『ゴルゴ13 九竜の首[30]』(1977年、日香合作)など、諸外国との共同作品に主演するきっかけになった。その合間に前年の『くらやみ五段』、遠藤実の自伝を映画化した『太陽に突っ走れ』、『子守唄シリーズ』、『河内遊侠伝』、『陸軍諜報33』など次々と主演していた[44]。 (⇒ #Sonny Chiba#海外進出#アクション映画

1968年から『キイハンター』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい[24]千葉ちゃんの愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた[15][60][61][62][注釈 7]。 (⇒ #音楽#キイハンター#ファン

転機

1969年オールスターキャストで製作された『日本暗殺秘録』では、小沼正に扮して主演した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、小沼の怒り・葛藤・情念をアクションスターという枠に収まらない演技で印象深い場面を残し[44]、同年の京都市民映画祭で主演男優賞を受賞[63]。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている[63]。 (⇒ #キイハンター

1970年、アクション・擬斗を自ら演じる俳優・その相手・スタントマンの不足に悩み[注釈 8]、若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブ (JAC) を創設した[24]。 (⇒ #ジャパンアクションクラブ (JAC)#演劇

1973年の『仁義なき戦い 広島死闘篇』では主役に抜てきされながら、東映の意向でクランクイン直前、大友勝利役に代えられたものの、凶暴・凶悪な大友を全力で演じ、シリーズを通じて、主人公をしのぐほどの強烈な印象を残す[44]。大友はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[44][61][65][66]、これ以降、他のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[67]。 (⇒ #ヤクザ映画

『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘モチーフとした『ボディガード牙シリーズ』の撮影に入り、『殺人拳シリーズ』と次々主演作がクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[68]。これ以降は格闘をメインとした作品に続けざま主演していくが、極真カラテを修行して、黒帯を允許された技量が生かされることとなる[17]。 (⇒ #空手道

Sonny Chiba

『ボディガード牙シリーズ[69]』(1973年)は日本だけにとどまらず、欧米でもヒットし、ブームになる先駆けの作品となった[27]。これを皮切りに、『殺人拳シリーズ[26]』(1974年 - 1976年)、『地獄拳シリーズ[26]』(1974年)、『少林寺拳法』(1975年)、『けんか空手シリーズ[70]』(1975年 - 1977年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)と、前後して『やくざ刑事シリーズ[71]』(1970年 - 1971年)、『狼やくざシリーズ[69][72]』(1971年 - 1972年)、『麻薬売春Gメンシリーズ[69]』(1972年)や、小説ウルフガイ 燃えろ狼男』(1975年)と劇画ドーベルマン刑事』『ゴルゴ13 九竜の首[30]』(1977年)の映画化なども含め、数々の作品に主演。『キイハンター』と同様のスタントに、空手道拳法器械体操が加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した[15][26][29][30][69][70][71][72][73][74]。 (⇒ #アクション映画#格闘映画

とりわけ1974年に主演した『激突! 殺人拳』から始まる『殺人拳シリーズ』は国内のみならず、海外でも『The Street Fighter』のタイトルで公開され[17]アメリカ合衆国では日本映画として初めて興行収入100万ドル以上を記録[6]。この成功は同国で最も権威のある総合情報週刊誌『バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)』の12月18日付にも掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている[27][75][76]。この頃から国際的にSonny Chiba(サニー ちば)という名前で認知されることとなり[12][13][17][26][注釈 4]、主演・出演するカラテをメインにした格闘映画は続々と世界的に大ヒットした[18][77][78][79][80]。海外でも著名人のファンは多い[17][26][27][81][82][83][84][85][86]。 (⇒ #格闘映画#ファン(海外)

テレビ映画では『キイハンター』以降、『ザ・ボディガード』(1974年)、『ザ★ゴリラ7』『燃える捜査網』(1975年)『大非常線』(1976年)とアクション作品に主演。この頃、カリフォルニア州に聳えるマンモスマウンテンバックカントリースキーで滑走しており、その姿は1974年5月6日ドキュメンタリー『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』(東京12ch)や6月6日の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている[注釈 9]。前後して若手の育成に追われる日々となったが、1976年の『沖縄やくざ戦争』では京都市民映画祭の主演男優賞を受賞した。

1977年4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦[15][88][89]。180cm以上あるネグロイドアメリカ東海岸空手チャンピオンと戦い、二段蹴りKO勝ちを収めた[15][89][90][91][92][93]。 (⇒ #2022年#極真カラテ#空手道

ジャンルを越えた活躍

名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍していたが[15][30][73][74]1978年から本格的に時代劇へ進出。主演した『柳生一族の陰謀』は興行収入30億円以上の記録的な大ヒットをした[94][95][96][97]1979年第2回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞。柳生但馬守宗矩若山富三郎)・宮本武蔵緒形拳)と華麗で凄みのある一騎討ちを披露した主演作『魔界転生』(1981年)は観客動員数200万人・配給収入10.5億円を超し[98][99]、『赤穂城断絶』(1978年)、『闇の狩人』(1979年)、『里見八犬伝』(1983年)、『必殺4 恨みはらします』(1987年)などにも出演している。

特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、『柳生あばれ旅シリーズ』(1980年 - 1983年)の柳生十兵衛三厳[100][101][102][103][104]、傑作と評価されている『影の軍団シリーズ[105]』(1980年 - 1985年)の服部半蔵[106][107]十八番である[100][101][102][103][104][106][107]。 (⇒ #時代劇

1979年には芸能生活20周年記念作品である『戦国自衛隊』で[108]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務し[18]配給収入で13.5億円の大ヒットを記録[109]。その演出が評価され、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。1981年の主演映画『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は自ら企画し[110]、『忍者武芸帖 百地三太夫』(1980年)と『吼えろ鉄拳』(1981年)で出演とアクション監督を兼務。1989年の『将軍家光の乱心 激突』でも出演とアクション監督を兼ね、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。 (⇒ #アクション映画

1981年から演劇にも進出し、『ゆかいな海賊大冒険[111]』(1982年 - 1984年)、『酔いどれ公爵』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、JACミュージカルとして定期的に公演した。新宿コマ劇場の観客動員数では、3年間にわたって満員御礼となる記録的な成功を収めている[111]。 (⇒ #ジャパンアクションクラブ (JAC)#演劇

並行して1970年代から1980年代にかけ、『七色とんがらし』(1976年)や『十字路』(1978年)、『深夜にようこそ』(1986年)、『夢に見た日々』(1989年)の人間ドラマにも主演[112][113]。1982年には楽曲誓い(JACのテーマ)」を作詞、1985年には10年ぶりに歌手としてリリースした「曠野」の作曲も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・作詞家作曲家など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。 (⇒ #音楽#人間ドラマ

海外進出

ハワイ国際映画祭2005年

1966年から1970年代に数々の日本と諸外国との合作作品に主演し(⇒ #アクションスター#Sonny Chiba)、1981年は『武士道ブレード』(米合作)に出演。1970年代半ばにはフランシス・フォード・コッポラが「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映へオファーしていたものの[70]岡田茂が断ったことで[32]、「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と関係者内で認識されていた[32]。しかしハリウッドへの思いは募り[27]、水面下のアピールや主演映画の評判などで[32]、海外進出を決意[27]1990年頃からアメリカ映画の出演依頼が届き始めていた[32]。折しもロサンゼルスでは『激突! 殺人拳』(1974年)、『子連れ殺人拳』(1976年)など、14本の主演作がリバイバル興行されていた[114]。 (⇒ #格闘映画

1991年ジャパンアクションクラブ (JAC) の売却を経て、1992年にアメリカ映画『エイセス / 大空の誓い』に出演[27]。これを機に拠点をロサンゼルスへ移し[27]アメリカ合衆国でも活動をするようになり、グリーンカードも取得した[37][115]。日本未公開作品もあるが[27]、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている[16][116]。 (⇒ #外国作品

1998年に出演した『風雲 ストームライダーズ』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。原作のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回香港電影金像奨では、外国人として初めて優秀主演男優賞にもノミネートされた。2001年には台湾でも連続ドラマ化された。 (⇒ #外国作品

2003年、友人でもあるクエンティン・タランティーノが監督した『キル・ビル』シリーズでは出演と、ユマ・サーマンルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[27][117]第30回サターン賞では『キル・ビル』で助演男優賞にノミネートされた。 (⇒ #外国作品

2005年10月29日に開催されたハワイ国際映画祭では、これまでの功績を讃えた“MAVERICK AWARD”を受賞した[27][118]

「健康大使」任命時(2007年)。右は舛添要一

2007年英国放送協会製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリーの『Japanorama』に出演。「Densetsu (Legends)」(伝説)をテーマにした回で取り上げられ、4月9日に放送された。同年の『風林火山 (NHK大河ドラマ)』に板垣信方役で出演。 11月には海外通称としていたJJ Sonny Chiba(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになった[14][注釈 4]11月26日には厚生労働省から「健康大使」にも任命されている[119]2008年10月から2009年3月まで京都造形芸術大学教授を務めた[120]

2010年代

2010年10月22日には東京グランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとはアントニオ猪木池谷幸雄石田純一市川亀治郎今井雅之内野聖陽梅宮辰夫岡崎二朗ガッツ石松川地民夫神取忍樹木希林北の湖敏満京本政樹具志堅用高郷田勇三小林幸子コロッケ高橋英樹竹本直一田中好子谷村新司津川雅彦十朱幸代夏八木勲白竜張本勲布施明風吹ジュン松井章圭松坂慶子美川憲一三田佳子やまさき十三山本KID徳郁横峯良郎ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された[121][122][123][124][125][126][127]。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・真瀬樹里は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ[125]芸能界にまだ入っていなかった長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福している。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビ映画・ドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と殺陣、真剣佑・郷敦とは空手道の演武でと杉板の試割りを家族皆で披露[121][122][123][124][125][126][127]勝野洋小堺一機夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏北島三郎関根勤高岡早紀高橋和也デヴィ・スカルノ南部虎弾ビリー・ブランクス堀田眞三魔裟斗松木安太郎ら、多数の芸能人を含む、各界から約600人がお祝いに集った[121][122][123][124][125][126][127]。「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したい[121][122][123][124][125][126][127]」と気を引き締めつつ、感謝の意を表している。 (⇒ #最期#人柄#家族

2011年以降、芸名を日本のみ千葉 真一、海外ではJJ Sonny Chibaとしている[8][37][注釈 4]。同年9月29日から10月2日にアジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「SINGAFEST 2011」(ビッグフット・エンターテインメント主催)がロサンゼルス・ウエストウッドビッグフット・クレスト・シアターにて開催され、LIFETIME ACHIEVEMENT AWARDを受賞[128]。代表作の一つである『魔界転生』が上映され[77][128]、授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせている[128]。11月、徳島県鳴門市で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした[129]。 (⇒ #最期#外国作品#家族

2013年3月10日、日本体育大学から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学体育学部体育学科卒業」となり、学校教育法第104条および学位規則第2条の規定に従って「学士(体育学)」の学位が与えられた[注釈 6]。 (⇒ #体操界・日体大#器械体操

2014年の『おわこんTV』に主演し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を[130]、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた[130][131]。同ドラマは文化庁芸術祭参加作品となっている[132]

2016年4月14日に勃発した熊本地震では、母の故郷を憂い[2][133]オスマン・サンコンと一緒に被災地で炊き出しをした[133][134][135]。同年8月21日、千葉市の「第41回 親子三代夏祭り」で、千葉氏中興の祖である千葉常胤に扮して武者行列を務めた[136][137]。 (⇒ #親交の有った芸能人

2019年12月19日、千葉市の健康大使に任命された[137][138]。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった[137][138]。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた[138]。 (⇒ #家族

晩年

2020年、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、文化庁長官表彰をされた[139][140][141]。前年に芸能生活60周年を迎えており、これまでの歩みを振り返りながら、近況や家族のことと併せて、「私にはあんまり似合わない賞をいただいちゃって…。これからはこれに恥じないよう、しっかり努力して生きていきたい」と笑顔を見せた[139][140][141]。 (⇒ #最期

2021年6月、個人事務所「ルイアンドリーブス」を[142]、「エム&リーヴス」へ設立し直した[143]。子供たちに自身の企画やアイデアを受け継いでもらう願いと「いまのうちにきちんとしておきたい」という思いからである[143]。千葉が代表で新田真剣佑は取締役となり、それまで複数あった会社の事業を統一し、全著作権を「エム&リーヴス」が引き継ぐと決めた[143][注釈 10]。「膝・足が硬直するなど、昔と比べて身体の自由が利かなくなり、日課のジョギングも思うようにできなくなっていた。一昨年末頃から『もう長くない』と漏らし、断捨離を始めていた」と傍らにいた愛弟子の西田真吾は証言し[143]、自身も「60代までは、まだまだ若者に負けないくらいのスピードができていた。しかし、今ははっきりと肉体が衰えていることを自覚している。気持ちとして、まだまだ演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」と吐露していた[145]。 (⇒ #家族

スティーブン・セガールとダブル主演での映画や[146]ジェシー・ベンチュラウェズリー・スナイプスと共演するハリウッド映画も撮影予定であったが[147]、コロナウイルスのパンデミックにより撮影が延期になっていた[146][147]

最期

事業の統一から2か月過ぎた2021年8月19日17時26分、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) による肺炎のため、千葉県木更津市君津中央病院で死去した[4]。82歳没[59][37][148]。折しもCOVID-19の第5波で感染爆発している日本は[149]、同月6日に感染者が100万人を超えており[150]、医療体制が逼迫・確保できていない真っ只中に失命した[149][151]。自らの意思で、COVID-19ワクチンを接種していなかった[59][152]

7月末に感染[153]咳嗽などの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた[37]。しかし8月4日に38.8度の熱を発し[154]PCR検査の数値も悪く[155]、肺炎が悪化[155]。救急車で搬送され[37]、8日に入院した[37][155]。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変[37][153]。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った[59][37][153][155]。新田真剣佑はハリウッド映画の撮影でアメリカ合衆国に滞在しており[156][157][158]、真瀬樹里と眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも[152][155]、3人は父親の最期を看取ることができなかった[152][155][157]。 (⇒ #家族

緊急事態宣言中のため、通夜は行われていない[33][37][155][159]。翌20日、眞栄田郷敦を喪主とし[160][161]葬儀が営まれた[162]。人数が制限されていたため[160]、親戚5人のみが参列[162]荼毘に付され[154][163]、郷敦と前夫人が遺骨を拾った[162]。 (⇒ #家族

長女・真瀬樹里は「一報を受け、仕事後に駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず…。しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません。ただただ悔しいです…。天国から両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います。父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した[23][152][162][164][165][166]

長男・新田真剣佑はインスタグラムにて、ローソクが立てられたケーキを前に、幸せそうに笑う千葉と微笑む幼少期の真剣佑や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の真剣佑の姿が収められている2ショットを公開し、「No matter where I am, you'll always be in my heart.(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます)Love you so much Dad.(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った[21][156][158][162][165][167][168][169]

次男・眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した[21][155][161][165]

2年前の2019年に世阿弥の著作より格言を抜粋し、樹里には『花鏡』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『風姿花伝』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして娘・息子たちへ授けている[145][170]。 (⇒ #晩年#体操界・日体大#家族

追悼

国内外の各界から追悼が寄せられた[34][171][172]

追悼(国内)

芸能界

共演者

白昼の死角』と『伊賀忍法帖』で共演している中尾彬千葉県立木更津第一高校の後輩で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。3歳年上なので同時期に通わず、入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、バレーボール部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った[173]。「芸能界に転身しても器械体操の指導で母校へ通い続け、当時珍しかったジーンズを履き、慎太郎カットにしていた」と在りし日の姿や、中尾も芸能界に入ると「おお、頑張れよ」「俺の映画見てる?」と親しく声をかけてくれた気さくな人柄、夢を語る様を振り返っている[173]。「ワクチンも率先して受けるタイプ」と中尾は接種していないことを訝しがりながら、「映画スター。今時、ああいう夢を語れる人が減っちゃったよなあ」と寂しそうだった[173] 。 (⇒ #交友(国内)

『キイハンター』、『影の軍団シリーズ』、『柳生あばれ旅』などにゲスト出演している東映ニューフェイスの後輩・堀田眞三は、ツイッターで一緒に撮った写真を掲載し、「千葉真一先輩の訃報 信じられないが あの日 あの時無限様々な想いがよぎる 謹んでご冥福をお祈りします 合掌」とつづっている[174][175]

11歳の時、共演している小林幸子インスタグラムにて、「初めて出会ったのは、私にとって初出演だった『くらやみ五段』。デビューしてまもない私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒にキャンプファイヤーしたり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉真一さんご自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した[176][177][178]

倉田保昭は訃報を聞き、「ショックで寂しかった」と語っている[179]東映演技研修所に一期生で通っていた倉田にとって、7歳上で既にスターとして活躍していた違いもあり、「『キイハンター』で特に意識し、“ああなりたい”と思うような憧れの先輩でしたね」と回想した[179]。1970年から香港映画に活動の場を移した倉田は、1974年に“和製ドラゴン”として凱旋帰国後、『直撃! 地獄拳』に出演[179]。同作では直接手合わせするシーンは無く、あまり話す機会はなかったものの、『バーディー大作戦』『Gメン'75』に出演していた時、近藤照男から「千葉真一ならこうだ」「千葉ならこうした」と倉田を発奮させるかのように幾度となく話をされ、更に意識するようになっていた[179]。『必殺女拳士』でも共演するが同じシーンは無く、ようやく対面で演技をしたのは『服部半蔵 影の軍団』第2話「闇に潜む牝豹」[179]。終盤に決闘するシーンもあったが、『影の軍団シリーズ』のレギュラーを断っていたので、倉田はきっちり共演できていないと気持ちに駆られていた[179]。そのような思いから、倉田が製作する『マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝』に出演してもらえるよう、自ら頼んでいる[179]。「当時、日本のアクション映画は若手が育っていなかったので、千葉さんと私がぶつかる姿を若手に教材として見せたい」「3度ほど、二人きりで10時間以上お話をして ようやく千葉さんはOKしてくれた」「千葉さんとの最初のアクションを撮影する日には、ジャパンアクションクラブ (JAC) と倉田アクションクラブの門下生が大勢、セットへ見学に来たのが驚きだった」と振り返った[179]。撮影の合間に「作りたい映画を、何時間も語り合ったことが思い出深い」と語る倉田は、同作で共演以降、ほとんど会う機会も無く、「いつも私の片思いでした」と残念がっている[179]。倉田は千葉の出演作では「『赤穂城断絶』が特に印象に残っている」と評し、「何人ものスターを作り上げ、息子さん二人(新田真剣佑と眞栄田郷敦)もスターになりつつある。その情熱は素晴らしいし、大変な方だと思います。亡くなられた時に思い出したのは、千葉さんと私が立ち回りで闘ったこと。私たちの時代、特に私は先輩がいらっしゃったからガンバレたし、目標としていつも背中を追い求めてきました。良い時代を過ごさせていただき、ありがとうございました」と追悼した[179]

影の軍団III』と『写真甲子園 0.5秒の夏』で共演した秋野暢子は「千葉真一さん……残念です」とブログで書き始め、「若い頃、東映スタジオで殺陣を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と哀惜した[171][172][180][181]

20代のころに『織田信長』で共演した野村真美は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ[182]

源義経』で共演した東山紀之は、悲報に「20代のころに共演させていただきましたが、千葉真一さんが時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方なんです。今、世界中の映画で行われているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになったものなので、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した[183][184]。千葉の弟子・真田広之メールで連絡し、「真田さんは千葉さんという父親を亡くした。これは自然の摂理で、しょうがないことなんですが、僕らはその教えを次の世代に伝えていくっていうのが、これからますます大事になるねっていうやり取りをさせていただきました」と誓い合ったことを明かしている[183][184]

寺子屋ゆめ指南』で父娘役を演じた西田尚美は「千葉真一さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した[34][185]。この時代劇は千葉と真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで。なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、樹里、新田真剣佑、眞栄田郷敦の写真を添えている[34][185]

悪名』で共演した的場浩司はオフィシャルブログで「ため息。笑顔が似合う気さくで偉大な先輩が逝かれた。“千葉真一さん”。偶然にも前回の写真は、千葉さんと初めて共演させて頂いた『悪名』のもの。京都のロケ現場で全身からオーラを放つ千葉さんに、緊張しながら御挨拶させて頂いた場面を思い出しました。優しい笑顔が印象に残っています。その後も御会いする度に色んなお話しを聞かせてくれました。千葉さんの御冥福を御祈り致します。朝からため息しか出ないよ」と沈痛の思いをつづった[171][172][186]

柳生十兵衛七番勝負』で共演した村上弘明は、世界的アクションスターとして活躍してきた様を「アクション・スタントにアクロバットを取り入れ、時代劇・現代劇を問わず、魅せる演技を創り上げた人で、旧来の殺陣に変革をもたらした[187]」と敬意を表した[188]。「決闘ではその一振りに鍛錬を重ねた荘厳さが感じられ、たいへん充実した立ち合いになったと思います。芝居に対するほとばしる情熱がまるで純粋な子供のようで、それがとても印象的でした[187][189]」と回想。その数年後に『柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い』のリハーサル室に現れ[注釈 11]、村上に「やってるねー!相談事があったら、いつでも連絡して。待ってるからさ[187]」と名刺を渡し、立ち去ったという[188]。天国の千葉真一へ村上は「とても残念です。ご冥福をお祈りします[187]」と追悼した[188]

JAC OB OG

創設したジャパンアクションクラブ (JAC) からは、愛弟子たちが追悼コメントを捧げた。

金田治は「千葉真一さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、JAC の合宿、番組の企画でアメリカのアクション映画のロケ地を、千葉さんと二人で巡ったりなどのほうが印象に残っている。千葉さんの功績は、アクションの専門職を作ったこと。『自分だけが凄いアクションができてもダメだ』と言い、スタントマンが冷遇されていたなか、日本のアクションを変え、アメリカ映画に負けないスタントが日本でもできるというポリシーを持って続けてきた。僕は千葉さんが考えていたこと、やりたいことを今も自分なりに続けている。千葉さんがいなかったら僕はこの道に入っていないかもしれないし、アクションの仕事で飯を食えていないかもしれない。今の自分は存在していなかった[192]」と回想し、“日本アクション界の偉大な父”の冥福を祈った[192]

志穂美悦子はブログで「見上げる空に」と題し[169]、「それは、あまりに突然で、言葉にならない[169]」と綴るのが精一杯ながら[189]、「でもJACイズムは生きている。それぞれの場所で生きている[169]」と恩師の死を悼み、JACへの思いを記した[169][189]

指導を受けてきた真田広之は[189]、「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と悼んだ[152][166][189]

伊原剛志はツイッターで、「千葉真一さん!40年前、18歳でJACに入って、目をかけて貰い『影の軍団IV』『コータローまかりとおる!』に抜擢してくれた。二人きりになると優しく、京都で良く一緒に走ったりトレーニングもした[34][189]」と思い出を回顧[34]。「俺が役者であるキッカケになった人だ!有難う御座いました。心からご冥福をお祈りします[34][189]」と人生に大きな影響を与えた名優をしのんでいる[34]

親交の有った芸能人

千葉を敬愛する芸能関係者は多く[34]、親交していた芸能人も各々追悼している。

池畑慎之介はブログで偉大な名優との思い出として[34]、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの。ピー(池畑)が16歳。千葉真一さんが29歳。野際陽子さんが30代前半。みんな若かった[193]」と3ショットを公開[34][193]。しみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌[193]」と哀悼した[34][171][194]

オスマン・サンコンは日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた[134][135]。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、アフリカのことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創ったJAC (JAPAN ACTION CLUB) の顧問に令和4年4月、就任している[135]。 (⇒ #2010年代

空手道を通じ、交流があった長嶋一茂は「本当に残念」と切り出し、「千葉さんは僕が傾倒する空手団体の門下生で、四段を允許されているし、トーナメントにも出ている。それぐらい凄い方で、小中学校時代には千葉さんの強さについて話を聞いていた」と振り返った[195]。2019年に開催された空手の世界大会では「お会いして。黒づくめのスーツでお洒落なハットを被って、『一茂くん』と来てくれて。本当に格好良くて、ほとんどしゃべれなかったが、こういう年の取り方ができたらいいなって。憧れの方だった」とも語った[195][196]。「生き方や生きざまでの判断・決断だったと思うので、ワクチンを打っていれば…と悔やまれるが、打たなかった千葉さん、変な言い方ですけど、格好良かったなっていう風に思う。ただ残念であることは間違いないです」と偲んでいる[195][196]。 (⇒ #極真カラテ

体操界・日体大

1964年東京オリンピックの体操競技で女子団体銅メダルを獲得し、日本体育大学で共に練習に励んだ千葉吟子は突然の訃報に、「選手としての実力は相当なものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。当時、同期のみんなは彼が入学した時からオリンピック選手になれると思っていた」と振り返り、1960年ローマオリンピックの体操競技にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごくハンサムで、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想[197]。「とにかく残念。新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) が終わったら、同期会をやろうって言っていたのに・・・。とても寂しいです」としんみり語った[197]。 (⇒ #オリンピックを目指して#プロレス界#器械体操

日本体育大学の理事長を務める松浪健四郎は、1か月前に話したばかりだったので「残念だね・・・」と絶句した[198]。2019年に芸能生活60周年パーティーが催された時、日体大の伝統応援“エッサッサ”を、80歳で現役学生と共に白いパンツ一丁でやり通した姿に、松浪は「あれはきつくて、でも引き締まった美しい肉体で見事なエッサッサを見せてくれた」と、衰えぬ身体に驚いている[198]。同大学の特別卒業第1号に認定されたときは「すごく喜んでくれて、ずっと中退が心残りだったと思う。五輪壮行会にも二つ返事で駆けつけてくれた」と母校愛がとても強く、スターを育成したい気持ちから「アクションスター学科を作ってほしい」といつも話していたと回想し、哀悼の意を表した[198]。 (⇒ #2010年代#最期#2022年#プロレス界

格闘技界

極真カラテ

山崎照朝は自身の格闘技コラム“撃戦記”にて、「訃報には驚いた。暗いニュースだった」と嘆き、「千葉さんは極真会館の前身・大山道場に入門しており、私の大先輩。俳優になる前は器械体操の選手として、五輪を目指すほどの実力を持っていた。私が大学生の頃、稽古でご一緒したこともある。嗜むスポーツは多彩で、アクションスターとして格好いい存在だった」と、その経歴・印象や在りし日の思い出を振り返りながら、追悼を寄せている[199]

松井章奎極真会館 松井派の公式サイトで「千葉真一氏の訃報に接し謹んで哀悼の意を表します」と声明を出した[93][200]。大山道場で修行を始め、『けんか空手シリーズ』の主演、1977年ハワイ州で開催された極真日本代表 vs ハワイ代表の試合に参戦[93]ジャパンアクションクラブを率いて第3回全世界空手道選手権大会でアクションの演武、松井体制では総本部相談役として大会に出席するとファンにサインをねだられるなど[93]、極真を世に広めた大きな功労を紹介・感謝し、冥福を祈っている[93][200]

(⇒ #Sonny Chiba#2022年#親交の有った芸能人#空手道

プロレス界

船木誠勝は「千葉真一さんがお亡くなりになられました。『新 影の軍団シリーズ』の撮影時に大変お世話になりました。本当にありがとうございます。心より御冥福をお祈り致します」とオフィシャルブログに綴った[201]。「撮影でご一緒する機会が多く、千葉さんは台詞を大きな紙に書き、台本の代わりに持ち歩いていた。私がYouTubeの脚本を書いているのも、あの時の千葉さんが頭の片隅にあるんでしょうね」と回想しつつ、大スターへ哀悼の意を表している[202]

永田裕志は「日本体育大学の偉大な大先輩で、何度かお会いさせて頂きました。いつも優しい言葉をかけて頂きました。ご冥福をお祈りします」とTwitterでお悔やみの言葉を寄せた[203]。同大学の先輩に紹介されて知り合った永田は、「なんてご挨拶したらいいか分からなくて、ひたすら『新日本プロレスの永田裕志です』と自己紹介した。紳士というか、偉ぶることなく優しい言葉で接してくれて、いたく感動したのを覚えている」、母校で催された2016年リオデジャネイロオリンピックの代表になった選手の壮行会では「敬語でお話され、こちらが申し訳なく思った」、アントニオ猪木藤原喜明らが参加した会合でも「優しく声をかけてもらったことが忘れられない」、「かっこいい方だったなあ。アクションスターの先駆けのような存在だったし。心よりお悔やみ申し上げます」と振り返り、しんみりと悼んでいる[204]。 (⇒ #体操界・日体大

追悼(海外)

アメリカ合衆国では、『バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)』や『ハリウッド・リポーター』といった業界誌はもちろん、『ニューヨーク・タイムズ』や『ロサンゼルス・タイムズ』、『ワシントン・ポスト』といったアメリカの主要一般紙でもその死が報じられた[205]。映画にしてもテレビドラマにしても自国製の作品のみで十分に調えて供給できるアメリカでは、外国人俳優に対する一般人の関心が決して高くないことを踏まえると、サニー千葉は例外的存在だったと言える[205]。各媒体とも新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) による合併症で亡くなったことから始まり、生い立ちや俳優としての経歴を紹介し、欧米で知名度を一気に上げた主演映画『激突! 殺人拳』に言及していた[205]

アカデミー賞公式Twitterは千葉の訃報に触れ、追悼メッセージを発表した[206][207]

イギリスインデペンデントは「『キル・ビル』などで知られる日本の有名なベテランスターは、新型コロナが原因で死去した」と速報し、フランスBFM TV は「彼は絶望の危機に瀕している日本映画の真の伝説」と評し、世界中の千葉作品を愛したファンたちも、SNS などで「RIP(安らかに眠れ)」とメッセージを投稿した[208]

没後

2021年

数々の代表作を放送、パッケージ販売、リバイバル上映など、追悼企画としてそれぞれ催された。

スカパー! は死去翌日の8月20日、テレビ映画キイハンター』『現代鬼婆考 殺愛』のほか、映画激突! 殺人拳』『やくざ刑事シリーズ』『麻薬売春Gメンシリーズ』『あゝ同期の桜』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『いつかギラギラする日』、時代劇赤穂城断絶』『太閤記』『徳川家康』など、主演・出演した作品を放送すると発表した[209]BSテレビ東京は24日にアメリカ映画『エイセス / 大空の誓い』を29日21時から追悼放送するとアナウンス[210][211]同局プロデューサーは「敬老の日に、世界の名優たちと同列に活躍する千葉真一さんへリスペクトを込めて放映する準備をしていたが、突然の訃報により急遽追悼放送になってしまった…。(自身が)昭和の映画少年として、千葉さんが出演する数々の作品から影響を受けたものは計り知れず、その勇姿を心に刻んでほしい」とコメントを寄せている[210][211]。地元のチバテレは主演・アクション監督の映画『戦国自衛隊』を「千葉真一追悼番組」として10月10日に放送し[212]東映チャンネルは「映画界最強の男 千葉真一特集」 と銘打ち、11月は『魔界転生』『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』『『ゴルゴ13 九竜の首』『けんか空手 極真拳』『けんか空手 極真無頼拳』『やくざ刑事 俺たちに墓はない』、12月は『柳生一族の陰謀』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『狼やくざ 殺しは俺がやる』『激突! 殺人拳』『殺人拳2』『警視庁物語 不在証明』、翌年1月は『カミカゼ野郎 真昼の決斗』『直撃! 地獄拳』『日本暗殺秘録』『忍者武芸帖 百地三太夫』『狼やくざ 葬いは俺が出す』『逆襲! 殺人拳』、翌年2月は『直撃地獄拳 大逆転』『少林寺拳法』『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』『空手バカ一代』と、4か月間に代表作24本を特集放映した[213]時代劇専門チャンネルは「ありがとう!千葉真一〜ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター〜」と題して11月に『服部半蔵 影の軍団』と12月に『柳生一族の陰謀』を各々全話ラインナップし、『里見八犬伝』『伊賀忍法帖』『赤穂城断絶』の映画と併せて放送した[214]

東映ビデオは9月10日に代表作の『逆襲! 殺人拳』と『子連れ殺人拳』を、同年12月8日に初DVD化して販売することを発表し[215]、販売した[216]

新文芸坐では10月2日に『ボディガード牙』『激突! 殺人拳』『直撃地獄拳 大逆転』『子連れ殺人拳』のオールナイト上映会が[215]、同月20日から30日には同所で“六つの黒帯を持つ男 世界のアクションスター 追悼・千葉真一”と題して、『直撃地獄拳 大逆転』『激突! 殺人拳』『けんか空手 極真拳』『少林寺拳法』『脱走遊戯』『ゴルゴ13 九竜の首』『沖縄やくざ戦争』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『柳生一族の陰謀』『魔界転生』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』をラインナップし、特集上映会が開催された[217]

2022年

誕生日の1月22日、ジャパンアクションクラブ (JAC) 出身の栗原敏・関根大学・若山騎一郎らを発起人とした「お別れの会 〜さらば!千葉真一〜」が東京都港区増上寺・光摂殿で営まれた[218][219][220]。『戦国自衛隊』のオフショットとして撮影された写真が遺影として飾られ、足元には同作で使用された日本刀とヘルメットが添えられた[218]。祭壇は生前に描いた油絵をもとにして約4000本の菊やキキョウを使って白い富士山をデザインされた[221]。BGMとしてお気に入りだった「ララバイ・オブ・ユー / LULLABY OF YOU」などが流された。愛用の空手着や主演を務めた時代劇『柳生十兵衛』の眼帯、刀など私物から撮影で使用された小道具まで幅広く展示された[222]。長男の新田真剣佑と次男の眞栄田郷敦は欠席し、手紙で連名のコメントを寄せた[218]。新型コロナウイルスの感染対策を徹底した上で、午前の一般の部にファンが、夕方から「共に闘った戦友達のお見送り」として関係者が、合わせて約500人が参列した[223]

2月20日、沖縄県那覇市ぶんかテンブス館にて、沖縄映画研究会は「沖縄への視角 千葉真一主演作を手がかりとして」と題し、第10回研究発表会をオンライン開催し、主演作や人柄を振り返った[36]。沖縄を舞台・題材にした千葉主演作品には「沖縄と本土の深い溝を描かれている」と同会代表の世良利和は指摘し、昭和51年に国内公開された『脱走遊戯』、『沖縄やくざ戦争』などを紹介[36]。世良は「他の役者も沖縄のやくざを演じているが、千葉さんは別格。うちなーぐちも話し、三線にあわせて空手演武もやって見せる、堂々たる主演作だ」と評した[36]。このほかには台湾から国立政治大学非常勤講師李政亮による発表や、映画監督の當間早志とNPO法人・シネマラボ突貫小僧代表の平良竜次は「千葉さんは演技や役作り、アクションで創意工夫をする方だった。役者だけでなく、作り手側の人でもあった」と言及[36]。併せて平成28年に収録した千葉のインタビュー動画を初上映し、千葉と中島貞夫のインタビュー動画も流されている[36]

3月27日に開催された第94回アカデミー賞では、授賞式恒例の追悼コーナーであるイン・メモリアム英語版にて、「SONNY CHIBA ACTOR MARTIAL ARTIST」と紹介され、俳優だけでなく、格闘家としても、その偉業をたたえられた[224][225][226]

8月17日、真瀬樹里を喪主として「千葉真一さんを偲ぶ会」がリーガロイヤルホテル東京で催された[227][228][229]。発起人は若泉久朗(KADOKAWA執行役員)、松浪健四郎熊谷俊人、倉田保昭、中島貞夫、金子修介北村龍平深作健太、谷隼人、真田広之、兵頭慶爾(サンライズジャパン代表取締役)、金田治、西本良治郎(ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役副社長)、鈴木哲也(アストライア代表)[230]。主催:アストライア、協力:ジャパンアクションエンタープライズ、東映エージエンシー[230]。もともとは1月22日に開催する予定だったが、オミクロン株の感染拡大で首都圏にまん延防止等重点措置が敷かれたので、延期されていた[231][232][233][234]。白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇には真瀬が選んだ写真と、出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた[235]。午後1時から関係者の部、午後3時からジャパンアクションクラブ関係者の部では約100人が参列し、午後5時から一般の部の3部に約50人が来場し、それぞれ献花を行った[236][237]。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ[237]別所哲也、谷隼人、デヴィ・スカルノオスマン・サンコン錦野旦、松浪健四郎、金子修介、河崎実ら、計約250人が出席した[236][238]北島三郎三田佳子、志穂美悦子、明石家さんま関根勤小堺一機坂上忍、伊原剛志らより、花が届けられた[236]

8月19日、大願寺で一周忌法要が、新田真剣佑と眞栄田郷敦を願主にして営まれた[239]。真剣佑と郷敦は仕事で欠席したが、連名で「またこうして故人の思いを皆さまと共に分かち合い、新たな絆が生まれました」とメッセージを寄せた[239]。祭壇には主演映画『魔界転生』(1981年)で務めた柳生十兵衛役の写真などが遺影として飾られ、大村崑山田隆夫、若山騎一郎ら約100人が参列した[239]

2023年

84回目の誕生日となる1月22日[240][241]、新田真剣佑と眞栄田郷敦は一緒にそれぞれの結婚を発表した[240][241][242][243][244][245]。真剣佑と郷敦は「父の誕生日である1月22日に揃って発表しよう」と事前に決めていたので[240][241][242][243][245]、兄弟の結束の強さを示す格好となった[244]。生前、真剣佑と郷敦から妻となる女性たちを紹介され、食事を共にしており、息子たちの相手を気に入っていたことから、彼らの結婚を楽しみにしていた[240]。 (⇒ #家族

事績

変身ヒーロー

宇宙快速船』にて、横蹴り裏拳を同時に繰り出す。

デビュー作は1960年1月7日から放送された『新 七色仮面』で、次の『アラーの使者』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る[26]。『新 七色仮面』は『七色仮面』から引き継がれた作品で、『七色仮面』では蘭光太郎を波島進、七色仮面をスーツアクターが分担して演じていた[246]。波島は古典的な仮面ヒーローの王道を行ったが、千葉はスーツアクターも兼務して、器械体操を活かしたアクションをふんだんに取り入れ、新しい七色仮面を編み出した[247][248]。その演技・スタント擬斗は、後に製作されていく変身ヒーローを題材とした特撮作品に、大きな影響を与えている[247][248]。『アラーの使者』も児童向け活劇だが、アクションは本格的で[249]、翌年の主演映画『宇宙快速船』のアクションヒーローに繋がっていく[250]。 (⇒ #アクションスター

アクション映画

風来坊探偵 岬を渡る黒い風』にて、ウィンチェスターライフルを手にする。中央は曽根晴美

1961年に深作欣二の監督デビュー作『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演。危ないシーンはスタントマンに任せるのが主流な時代に、「吹き替えせずにできる」とスタッフへ言ったので、「さすが日体大だけに凄いことをやる」と評された[55]。深作は文芸作品よりアクションものを好み「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので[注釈 12]、第二作『風来坊探偵 岬を渡る黒い風』でも千葉を主演に据え、更に危険な吹き替え無しのスタントを演じさせた[251]ニュー東映のホープとして主演した『ファンキーハットの快男児シリーズ』では[252]カーチェイス、左右に開脚して2人の敵を同時に倒す跳び蹴り器械体操で培った筋骨隆々な肉体美を大車輪で披露している[15][31]。こののち千葉と深作は17の映画でコンビを組み、ヒットを連発していく[32]。 (⇒ #キイハンター

深作欣二の評価とは対照的に高倉健から「アクションスターにはアクションしかできないという評価もあるから、そのイメージを世間に持たれないほうがいい」とアドバイスされ、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた[251]。宣伝担当の福永邦昭は「器械体操で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、東映が彼を生かしきれなかった[71]」と振り返っており、それでも東映は映画・テレビ映画とジャンルを問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる[29]。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した[253]。 (⇒ #格闘映画

1966年の『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(合作)は台湾ロケーション撮影され、離陸する軽飛行機の翼に飛びつき乗り込むスタントをした[15][254]。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている[255]。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが[254]、『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして傷害保険生命保険を契約[255]。1970年の『やくざ刑事シリーズ』では、クランクイン前に約1億円の保険に加入した[256]。同シリーズは後の作品にも影響を与えており、1999年のアメリカ映画マトリックス』でキアヌ・リーブス扮する主人公が片手側転しながらマシンガンを連射するシーンは、第1作の『やくざ刑事』で千葉が右手で拳銃を撃ちながら、片手で側転するスタントが原型となっている[257]。 (⇒ #キイハンター#格闘映画#ファン

芸能生活20周年記念作品である『戦国自衛隊』(1979年)で[108]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務した[18]時速100kmで飛ぶヘリコプターロープ1本でぶら下がり、乗馬では同年の『闇の狩人』に続き、地面にあるを左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前のハイスピードカメラを足に括りつけて撮影し[29]、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど[258][注釈 13]、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行はスタッフをとても心配させた[29]の脇腹に隠れての乗馬は、テレビ時代劇『柳生一族の陰謀』第27話「美女と野獣」で千葉が、既に演じていたものをジャパンアクションクラブ (JAC) のメンバーに再現させ、『戦略大作戦』を意識して演出をした[26]、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。

東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演作『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は、フランス映画冒険者たち』をオマージュした作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた[110]。前年の『忍者武芸帖 百地三太夫』ではワイヤーアクションを初めて取り入れ、『吼えろ鉄拳』と同様に俳優とアクション監督を兼ね、『燃える勇者』ではアクション監修に携わった。1989年の『将軍家光の乱心 激突』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。

これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『Ready camera. Action!』と声がかかる。“アクション”は本来『あらゆる演技』を意味するものだけど[259]、『体が動くからアクション俳優をやれ』と要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた[259][260]」と複雑な心情を吐露している。 (⇒ #アクションスター#ジャンルを越えた活躍

音楽

1963年に「男一匹生きるなら」で歌手デビュー1967年には“千葉真一とザ・サタンズ”を結成した[57][58]。自身はグループ・サウンズのリーダー[58]、メンバーにはドラマー兼ライブの司会者で潮健児、もう1人のドラムサイドギターベースギター電子オルガンリードギターの5人は高校の後輩である[58]。バンド名の由来は漫画『悪魔くん』が好きな千葉が名付けたもの[254]。主な楽曲には1968年の「女の片えくぼ」があり、同年5月11日に放送された『キイハンター』第6話「影のメロディー」では、風間洋介(千葉)と谷口ユミ(大川栄子)がゴーゴー喫茶で踊るシーンの劇伴に流され、ザ・サタンズもバックバンドのメンバーとして出演している。このほか映画やドラマの主題歌も歌い、作詞・作曲も手掛けた。 (⇒ #アクションスター#ジャンルを越えた活躍#キイハンター#ディスコグラフィ

キイハンター

キイハンター』(1968年 - 1973年)は、瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた[60][261]。山頂駅を出発したを行き来するロープウェイワイヤを投げてぶら下がってからよじ登り、走行する列車バスに飛び降りて屋根で敵と格闘、自動車から並走する軽飛行機に飛び移る、雪渓から回転しながら転落、滑落しそうなの前で格闘など、数々のスタントを演じているがケガも絶えず、大きなものでは左足首骨折や日本刀を斬られたこともある[255][262][263][264]。 (⇒ #アクション映画

本作の脚本は映画に比べるとアクションが詳細に指定されていなかったので、千葉は良いものを作りたい一心で積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった[253]。しかし視聴率が上がっていき、千葉のアイデアはどんどん採用されていくこととなる[253]。国内では1969年(昭和44年)の近代映画10月号臨時増刊では『千葉真一特集号』を刊行され、週刊マーガレットでは同年のNo.17から『千葉真一物語』が連載されるなど、人気はさらに上昇していった[15][60]海外でもオンエアされ、ブルース・リーは千葉の大ファンとなり[71]、その活躍に深い興味を示して共演の申し入れをしてきたが[15]、リーの突然の死により実現しなかった[15][71]。千葉のアクションやスタントを観てから熱狂的なファンとなったジャッキー・チェンは、千葉のようなアクションスターになる夢を抱いていた[265]。 (⇒ #ファン(海外)

香港タイ王国で『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1973年)、『激殺! 邪道拳』『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年)、『HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅』『地雷原 A mine field.』(1992年)など、千葉の主演監督作品がロケーション撮影された際には現地で大歓迎されている。中島貞夫は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社からの資本参加を得てロケができた理由の一つに、『キイハンター』が当地で放送されており、千葉の人気が高かったことを挙げている[266]。 (⇒ #ファン

共演者の野際陽子は「ともかく熱意が凄くて、ケガすると普通はビビるのがそれ位以上のことに挑戦して成功する“怖いもの知らず”。でもサボテンだけは怖いんですって[254]」と証言している。千葉に比べると役者として駆け出しだった野際だが、放映し始めた頃のギャラは多くの映画に主演経験のある千葉より高かったので、「追い越してやる」と奮起させてくれる間柄でもあった[注釈 14]

谷隼人は「千葉さんは『キイハンター』で身体障害者のファンが増えた。“あなたのアクションは私たちの夢です”と言われ、自分のアクションが希望を与えるならと一層刺激を受けていた。彼らの施設にも寄付をしていた[254]」、

大川栄子は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる[268]」と言っている。 (⇒ #音楽

宮内洋は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた[269]。『仮面ライダーV3』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『仮面ライダー』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている[269]。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ[270]」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。 (⇒ #アクションスター

1969年、『キイハンター』を休んで映画日本暗殺秘録』に主演TBSやファンから復帰の要望が高まっていたが[63]、風間洋介のイメージから脱皮しようと同作に賭ける思いはとても強かった[63]。中島貞夫と打ち合わせしながら小沼正を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された[63]。同作で京都市民映画祭の主演男優賞を受賞し、これが「様々な作品に出演していくためにも。『キイハンター』を卒業しよう[63]」と決意することとなる。降板をボス役の丹波哲郎に申し入れ[60][261]、丹波と東映は続けたかったが[261]、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉[60][261]。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している[261]

ジャパンアクションクラブ (JAC)

1970年、アクション・擬斗を演じる相手やスタントマンの不足に悩み[注釈 8]アメリカ映画で活躍するような俳優・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブ (JAC) を設立。結成式には若山富三郎が駆けつけてお祝いをしていた[271]。主な門下生には春田純一金田治西本良治郎山岡淳二大葉健二高橋利道栗原敏井上誠吾志穂美悦子真田広之甲斐将馬関根大学稲田龍雄・斉藤一之・黒崎輝崎津隆介山田一善山本亨渡洋史高木淳也伊原剛志堤真一真矢武土家歩村松美香山口祥行らがおり、俳優・アクション監督・スタントマン・スーツアクターで活躍する人材を輩出[32]。指導者には千葉真一自身のほか、日本体育大学OBがアクション・スタントの為のトレーニング[272]石橋雅史空手道をそれぞれ教えていた[273]。 (⇒ #空手道

千葉真一の親友・夏八木勲[190][274]桜木健一[275]、ら所属していない俳優も練習に通っていた[190][274][275]。共に格闘映画を製作してきた橋本新一(脚本家・助監督)は「東映大部屋俳優だけでは千葉真一との擬斗を活かせることができなかったから、JACを作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している[276]

トップスターでありながら、志穂美悦子の『女必殺拳』、真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫』『吼えろ鉄拳』『伊賀忍法帖』、大葉健二の『宇宙刑事ギャバン』、黒崎輝の『伊賀野カバ丸』『コータローまかりとおる』、村松美香の『旅少女』など、教え子たちの主演作品に助演として出演することも多い[277]。共に格闘映画を製作してきた橋本新一(脚本家・助監督)は「東映大部屋俳優だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、JAC を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している[278]

30代前半でJAC創設を経て育成を続け、志穂美悦子の『女必殺拳』、真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫』『吼えろ鉄拳』『伊賀忍法帖』、大葉健二の『宇宙刑事ギャバン』、黒崎輝の『伊賀野カバ丸』『コータローまかりとおる』、村松美香の『旅少女』など、教え子たちの主演作品に助演[19]。自身がトップスターでありながら、後進の活躍に華を添える姿勢は、当時の映画スターでは珍しいことであった[19]。 (⇒ #転機#演劇#ファン(国内)

ヤクザ映画

1966年から始まった任侠映画子守唄シリーズ』をヒットさせていたが[71]、1973年の映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』がイメージを一新することとなる。

配役は予科練出身のヤクザ・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった[61][62][279]。しかし狂犬のようなヤクザ・大友勝利を演じることが決まっていた北大路欣也が「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい」と言い出したことから、プロデューサー日下部五朗と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼してきた[61][62][279]。『日本暗殺秘録』に続いて『広島死闘篇』の脚本を執筆した笠原和夫は、小沼正の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に、山中を演じさせよう」とキャスティングしていた[279]。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示した[279]。ほどなくして深作欣二が会議で唯一「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる」と主張していたことを知り、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考し、「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と交代を了承した[61][62][279]。この時、中島貞夫も「大友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんはサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している[280]。北大路に役を譲ったのはこれが初めてでなく、1963年の映画『海軍』に続いて二度目であった[注釈 15]

ブロマイドの売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが[60][61][62][65][281]、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した[62][282]。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[61][65][66]、後のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[67]。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり[26][61][62][260]俳優座養成所1期生で千葉と何度か共演している岩崎加根子などからも絶賛され[283]、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている[61][62]。大友勝利は人気キャラクターだけあって主人公にした企画が出され[61]、『仁義なき戦い 頂上作戦』にも大友で出演する予定だったが[284]、『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘映画にクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[68]。 (⇒ #転機

多くのヤクザ映画を手掛けてきた俊藤浩滋は「役者でいうと高倉健タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している[285]

格闘映画

1963年から始まる『柔道一代シリーズ』に主演したのが最初の格闘映画で、第二作『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)の乱闘シーンで骨折してしまった[255][注釈 8]。1963年11月には主演映画『空手風雲録』に備え、空手道場跳び蹴りを繰り出す姿が残されている[286]。 (⇒ #極真カラテ#アクション映画#空手道

Sonny Chibaサイン

1973年の『ボディガード牙シリーズ』で、10年ぶりに格闘映画へカムバック。翌年の『激突! 殺人拳』は、ヤクザ映画が下火になっていた東映にとって、久々の大ヒットを飛ばす作品となった[26][287]アメリカ合衆国ヨーロッパオーストラリアカナダの映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた[75]。なかでもアメリカのニュー・ライン・シネマは当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「ブルース・リー以上だ。素晴らしい[75]」と評して興行権を買い取り、『The Street Fighter』とタイトルをつけ、千葉をSonny Chiba(サニー ちば)とネーミング[11][12][13][26][注釈 4]

1974年11月12日から主にアメリカ中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表作となった[26][75][76]。アメリカで最も権威のある総合情報週刊誌「Variety」の12月18日付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている[75][76]。大ヒットした要因として「リーの舞踊劇的な功夫と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある」「器械体操を利用した、トランジスター的器用さが面白い」と評されており[75]、計四作の『殺人拳シリーズ』として封切りされた[288]忍者の末裔に扮した同年の主演作『直撃! 地獄拳』は、千葉のスピードあるアクションと石井輝男のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品で、1974年度に4億1700万円の配給収入を上げ、同年度の日本映画配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『The Executioner』というタイトルで1999年現在、10万本以上のビデオが売れている[289]。 (⇒ #Sonny Chiba#海外進出#空手道

海外ではマーシャルアーツの大スターである"Sonny Chiba"の熱狂的な人気は根強く[80][注釈 16]キアヌ・リーブス[84]クエンティン・タランティーノリュ・スンワン[86]、らの著名人の熱烈なファンがおり、谷川貞治は「千葉さんの映画のおかげで格闘技人口がかなり増え、格闘技界の宝だ[290]」と述べている。 (⇒ #ファン(海外)

岡田茂は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている[70]ショウ・ブラザーズが千葉真一の空手映画を購入してシンガポールでも大ヒット[291]東南アジア映画祭ジャカルタへ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた[291]。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ[292]。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな[292]」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃フランシス・フォード・コッポラは「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映へオファーし[70]、千葉も「海外で勝負させてください」と岡田に懇望したが[293]、「まだその時期ではない」と認められなかった[32]。 (⇒ #海外進出

けんか空手シリーズ』や『子連れ殺人拳』で千葉とタッグを組んだ山口和彦は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分がアクション映画を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している[294]。 (⇒ #Sonny Chiba#空手道

人間ドラマ

アクションスターとして大画面をいっぱいに暴れまわっていた同時期、アクション・格闘・スタントを主としない対照的な作品に主演をし、静の演技を見せ、主戦場のアクション映画・アクションドラマで魅せる姿とは対照的であった[112][113]

1976年のドラマ『七色とんがらし』を皮切りに、1978年には鎌田敏夫脚本の『十字路』に主演し、不器用ながら朴訥な男を演じていた[112][113]

インタビュー番組を視聴した山田太一は、(千葉真一に)だけでない一面を感じ取り、主演ドラマを書き下ろしたのが、1986年の『深夜にようこそ』である[113]。サラリーマンの悲哀を感じさせる中年を丁寧に演じ、長ゼリフを淡々と、しかし静かに感情を込めながら、発していた[113]。その3年後にも山田とタッグを組み、主演したのが『夢に見た日々』で、挫折を引きずり続ける男に扮し、真実味を与えていた[113]

いずれもキャリアを積んだ千葉真一の役者としての成熟を感じさせる人間ドラマである[113]。 (⇒ #ジャンルを越えた活躍

時代劇

1978年から本格的に時代劇へ進出するが、1963年の『八州遊侠伝 男の盃』以来であった。木刀殺陣の練習を1日8時間行い臨み、主演映画柳生一族の陰謀』では20mからへ飛び込むスタントをした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで深作欣二へ提出した企画がベースになっている[67][295][296][297][298]。深作は従来の時代劇でなく、もっとテンポのあるアクション時代劇を作りたかったので、その期待に応えられる俳優は千葉真一、ただ一人しかないと見定めていた[299]2012年ハリウッド映画アベンジャーズ』のサミュエル・L・ジャクソンが、扮した役柄は千葉の柳生十兵衛を参考としているなど、後世の作品にも影響を与え、根強い人気がある[82][300]。しかし十兵衛で長時間、左目に眼帯をしていたため千葉の右目は酷使され、視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた[301]。 (⇒ #ジャンルを越えた活躍#ファン

千葉真一演ずる剣豪・忍者は、空手器械体操の技を取り入れたアクロバティックな殺陣で、人気を得ている[106][107][302]。その身体能力を活かしたド迫力の殺陣を時代劇の芝居に持ち込み、これまで表現できなかったアクロバティックな動きが、時代劇の殺陣で観れるようになった[303]。時代劇の表現が定形化し、大人しくなっていく中で、新たな可能性を追求・挑戦し続けたスターである[303]

2007年の『風林火山』を「いままで大河ドラマに不思議と縁が無く、ようやく(出演のオファーが)来たかと思った」と語っており[304]、共演した内野聖陽

思い出に残るシーンは、それはもちろん千葉真一さんとの殺陣でしょうね。僕も殺陣が非常に好きで普段から稽古しているんですが、千葉さんといえば世界的にも有名でアクションも凄いじゃないですか。そういう方と殺陣ができるのが、うれしくてしょうがなかった。千葉さんは「どっからでもかかっていらっしゃい」という感じで、どっしりと構えている。僕もこの大きな胸を借りて、思いっきりやってやれという感じで、やらせていただきました。千葉さんはすごく情熱的な方で、収録が終わっても若い人を集めて酒を飲みながら、演技について語っているんですよ。その仲間に僕も入れていただいて、電気が消えて「早く出て行ってください」と言われても、ひたすら飲んで語っていました(笑)。殺陣の極意をいろいろ聞かせていただいて、楽しかったですね。視聴者の方にはお教えできないテクニックも教わって、いろんな意味で勉強になりました(笑)。[305]

と語っている。

市川猿之助は『風林火山』がテレビドラマ初出演だったが、「現場がよかった。千葉真一さんは僕に付きっきりで、映像のことを教えてくれた」と撮影時の様子を振り返っている[306]

演劇

1980年代、定期的にJACミュージカルを公演し、成功を収めていた[111]大地真央少年隊も観劇に来場しており、宝塚歌劇団を退団したばかりの大地は今後どういう方向性で行けば迷っていた頃で、「千葉さんにどうしてもご挨拶をしたい」と要望し、楽屋を訪ねて「刺激を受けました」と伝えている[307]。(⇒ #ジャンルを越えた活躍

JACの設立当初は吹き替えせずにアクションを演じられる俳優スタントマンを育成する場だったが、ウエスト・サイド物語に感動して「いつかはミュージカルをやりたい」という夢を抱いていた[308]、「肉体は俳優の言葉」というポリシーに「五体で喜怒哀楽を表現する」を加えて生徒を育てていく[260]、「役者を育てるにはミュージカルが一番だと気づいた[26]」、などミュージカル公演は悲願のひとつであった。高平哲郎1980年代後半からミュージカルやショー関係の舞台が多くなってきたときに、「脇を固めてくれるダンサーや役者は、ほとんどがJAC出身者か劇団四季の退団者だった」と述べている[26]。(⇒ #転機#ジャパンアクションクラブ (JAC)

外国作品

ギャラクシーコン・ローリーのイベントで『キル・ビル』のザ・ブライドモデルの刀を構える(2019年)。
The Lonely Shepherd · Zamfir - Kill Bill Vol. 1 Original Soundtrack - YouTube

1966年以降、日本と外国の合作映画や海外資本の作品に主演し始め、1973年から主演し始めた格闘映画が国内外でヒットし始めると、アメリカらオファーが来たものの、東映の反対により進まなかったが、1990年代初頭に『エイセス / 大空の誓い』皮切りに、外国作品に出演し出した[309]

ハリウッド映画だけでなく、他の外国作品にも出演しており、香港映画では『風雲 ストームライダーズ』が代表作である。

2003年、クエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』では“百代目 服部半蔵”として出演と、ユマ・サーマンルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[117]。サーマンは「Sonny(サニー)は大好きよ。私にとって彼は大スターだし、偉大な俳優だと思う[310]」と、一方のリューは「Sonnyは本当にいろいろなことを教えてくれた[311]」と、それぞれ語っている。

後輩の松方弘樹は千葉が海外で活躍している要因を

むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう一つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。ハリウッドにポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格とこの交友関係の広さなんでしょうね。[32]

と評している。

人物

器械体操

鉄棒大車輪をする(日本体育大学にて、1961年)。

君津市君津中学校へ進学すると、千葉の進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う[38]。松本は千葉を陸上競技バレーボール野球投手で4番打者[45])など、複数の大会に出場させていた[38]。この頃ヘルシンキオリンピックが開催され、日本勢が体操競技でメダルを獲得したことにより、体操競技の一大ブームが発生する[312]。松本はその時勢に乗り、千葉を「体操部を創るから部員になれ」と勧誘したので、運動部を掛け持ちしながら練習し始める日々となった[312]。勧められての体操競技だったが、やがてオリンピック日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[15][29]、松本に相談すると「体操するなら木更津一高へ行け」とアドバイスされた[312]。進学校のため躊躇していると松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配し、その甲斐有って合格[312]。入学後は体操競技に専念し、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[15][39]

1957年日本体育大学体育学部体育学科へ進学[40][41][42][43]。同級生には東京オリンピック跳馬金メダリスト山下治広がおり、ヘルシンキオリンピックの跳馬銀メダリスト竹本正男に指導を受けた[15][40]。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、独力で通学することが条件だったので、学費を稼ぐために時給が高い土工や引越しのアルバイトを、身体鍛錬も兼ねて並行していた[313]。大学2年生の夏[注釈 5]、跳馬を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう[40][41][45][46]。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し、医者から「1週間運動禁止」と宣告された[41][43]。1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となる[40][41][43]。山下はその実力を「日本の体操選手が不得意にしているあん馬が彼は得意だった。でも大学二年の秋[注釈 5]、跳馬の練習中に着地を失敗してアキレス腱と腰を痛めてしまって…。あのまま体操を続けていれば、間違いなく東京オリンピックでメダルを獲得できたのに惜しかった」と評し、才能を惜しんでいる[313]。 (⇒ #オリンピックを目指して#2010年代#体操界・日体大

空手道

東映に入る前から大山道場に通っており、きっかけは大学生の時に大山倍達を知っている韓国人から紹介を受けて入門した[89][314]。主演格闘作品で、幾度となく敵役を演じていた石橋雅史は、極真カラテ先輩にあたる[314][315]。大山は「学生時分から千葉は道場へ通ってきており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないまでも、門下生の序列でいうと相当古い方になるんだよ[316]」と語っており、大山と組手もしている[92]

名誉段位ではなく、一般門下生と同様に昇段審査を受けており、昭和40年10月15日黒帯初段)を允許[317]山崎照朝は「本部道場によく来られ。大学生だった私は稽古でご一緒したこともある[199]」と述べている。


昭和52年2月3日に弐段を越えて飛び段で参段[318]昭和59年1月20日に四段へ昇段した[28]。 (⇒ #極真カラテ#格闘映画


1977年3月16日に空手道による真剣勝負をすることが発表され[319]、4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦した[15][88]。他の日本代表メンバーには大石代悟二宮城光東孝中村誠などがおり[注釈 17]、対戦相手は「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180cm以上あるネグロイドであった[90][91]。通常の空手技の他に、跳び右後ろ回し蹴り胴回し回転蹴りの元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して、第2ラウンドに二段蹴りKO勝ちを収めた[15][89][90][91][92]。結果的に同年5月14日に国内で封切り公開された『空手バカ一代』の宣伝にもなった。大山倍達は「千葉真一の空手映画欧米で非常なブームとなっており、本職の空手家らの『Sonny Chiba(サニー ちば)の空手は本物』という批評が聞かれていた。極真カラテの黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合に出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている[320]。 (⇒ #Sonny Chiba#2022年

1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では志穂美悦子真田広之ジャパンアクションクラブ (JAC) メンバーを率い、演武テレビのゲスト解説をした。同年8月、極真会館ブラジル支部長・磯部清次の招待により、志穂美・真田・大葉健二を連れてサンパウロへ行き、25日 - 26日に開催された第1回・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った[321]。 (⇒ #極真カラテ

日本・アメリカ東南アジア世界各国で後進の育成・空手道の普及に活動しており、毎年10月には旧武徳殿がある京都市武道センターで少年少女オープン空手道選手権大会「千葉真一総裁杯」を催している。『新 影の軍団シリーズ』で共演した高野八誠は「最終章のラストシーンで千葉さんと殺陣をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴りを見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めてビックリさせてもらいました[322]」と、当時66歳の千葉について語っている。 (⇒ #格闘映画

ファン

ファン(国内)

日本では秋山幸二[300]いしだあゆみ[323]今井雅之[324][325]小倉久寛[326]尾崎将司[327]竹中直人[328]吉川晃司[329][330]関根勤[26]園子温[331]高平哲郎[26]吉本真由美[332]、などのファンがいる。

秋山幸二は「あなたにとってサムライとは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評した[300]、いしだあゆみは雑誌の表紙撮影で対面したときに「わたし、千葉さんの大ファンなんです」と伝えており[323]テレビドラマ雪の朝に』(1987年)にて、いしだは千葉の恋人役で念願の共演を果たし、映画闇の狩人』(1979年)や千葉主演のテレビドラマ『おわこんTV』(2014年)でも共演した。今井雅之は子供の頃、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶときには、千葉に扮するほどの熱狂的なファンである[324][325][333]。 (⇒ #2010年代#キイハンター#時代劇

小倉久寛はアクションヒーローを聞かれ、「千葉真一さんです」と回答[326]。尾崎将司は千葉の『影の軍団シリーズ』を好み、千葉演ずる主人公が敵を倒す前に唱える“天魔覆滅”を“無”と解釈し、「パターの前に“天魔覆滅”と発して打つとリズムが出ていい」と語っている[327]。吉川晃司は「(千葉を)憧れのヒーロー」と答え[329][330]、竹中直人はアクション作品の憧憬として、心に残るアクションスターに千葉を挙げている[328]。吉本真由美は、千葉が主演映画『魔界転生』のプロモーションで『2時のワイドショー』に出演した際、司会の奥田博之から「この吉本くんは大変、千葉さんのファンでしてね。(前日から)眠られない、眠られないと。自分が好きな俳優さんが来られると、この人(吉本)はものを言わなくなってしまうんですよ」と紹介されている[332]。 (⇒ #アクション映画#キイハンター#格闘映画#時代劇

ジャパンアクションクラブ (JAC) に1980年代初期までに入団したメンバーのほとんどが千葉の勇姿に憧れた者ばかりで、春田純一[334]大葉健二[335]志穂美悦子[336][337][338]関根大学[339]山田一善[340]渡洋史[341]、などがいる。 (⇒ #ジャパンアクションクラブ (JAC)

ファン(海外)

日本国外の熱烈なファンにはキアヌ・リーブス[84][85]クエンティン・タランティーノ[83][289]サミュエル・L・ジャクソン[81][82][342]ジャッキー・チェン[265]ジャレッド・フェルナンデス[343]ジョナサン・ノーラン[344][345]ブルース・リー[71]マイク・タイソン[346]リュ・スンワン[86]インドネシア格闘家俳優ヤヤン・ルヒアン[79]、らがおり、世界の映画人・著名人に影響を与えている。

キアヌ・リーブスは「僕はSonny Chibaの映画とともに育ったようなものなんだ[84]」、「『The Street Fighter』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用のカンフーならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる[85]」と語り、リーブスの主演映画『ジョン・ウィック』のプロモーションで来日した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、"Oh my god!"を連発、固い握手を交わし、「ハジメマシテ、マエストロ(巨匠)!」と低頭して挨拶[85]。「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、リーブスは終始嬉しそうに大はしゃぎしていた[85]

クエンティン・タランティーノはアメリカ映画トゥルー・ロマンス』で主人公が『激突! 殺人拳』を映画館で観て、部屋には『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のポスターを貼るなど、千葉の熱狂的ファンである主人公を描いている。サミュエル・L・ジャクソンは初めて千葉に会った時、直立不動で「サインをください」と頼んでいた[342]。千葉が『パルプ・フィクション』の撮影現場を訪問した際、いつもは自信満々で堂々としているジャクソンも、このときばかり緊張を隠せなかった[347]

ジャッキー・チェンはスターとして認められだした頃に東映京都撮影所へ出向き、千葉を表敬訪問して念願であった対面を実現した[265]。ジョナサン・ノーランは「千葉真一の作品を見て育った」と答え[344][345]広島東洋カープ投手映画プロデューサー転身の夢があるジャレッド・フェルナンデスは「中学時代から、Sonny Chibaの映画をよく見ていた。いい映画を作って彼を呼びたい」と言っている[343]。ブルース・リーは『キイハンター』で千葉を知っており[15]、大ファンとなったリーは[71]、共演をオファーしていた[15]

マイク・タイソンは1990年に試合で来日した際、練習の合間に飯田橋レンタルビデオショップへ行き、「シンイチ・チバ(千葉真一)の映画はどれ?」と同行した日刊スポーツの記者・首藤正徳に尋ね、上機嫌で計10本を借りて、ホテルへ戻ったが、首藤は「(タイソンは)連日の不調ぶりがウソのように明るかった」と述べている[346]。リュ・スンワンは『キネマ旬報』の2015年12月下旬号で対談した際、千葉から『仁義なき戦い 広島死闘篇』のDVDにサインをしてもらい、「今日はDVDを持って来られなかったのですが、千葉さんの『激突! 殺人拳』が本当に好きなんです。僕があまりにも見ているので、うちの子供たちもテーマ曲を口ずさむことができる。お会いできて光栄です」と喜びを語っている[86]。ヤヤン・ルヒアンは映画『ザ・レイド』のプロモーション2012年に来日した際、「千葉さんのアクションは本当に勉強になります」と日本が誇る世界のアクションスターに敬意を表した[79]。(⇒ #キイハンター#格闘映画#時代劇#外国作品

交友

交友(国内)

深作欣二高倉健大山倍達を「人生で最も影響を受けた特別な存在で最も敬愛する人物[89][348]」と語り、尊敬する俳優に「ジェームズ・ディーンジャン=ポール・ベルモンド、高倉健、若山富三郎ゲイリー・クーパー[349]」、「親友夏八木勲[190][191]」を挙げている。

1967年映画あゝ同期の桜』で知己を得て以来、最も共演が多い夏八木勲は千葉を[190][191]

新人で京都にきたばかりで挨拶の仕方も知らなく、そんな僕を千葉ちゃんがいろいろと面倒みてくれた。「何も知らない奴だから、あまりいじめないでくれよ」と周囲に言ってくれたんです。お陰で見知らぬ京都でかなり過ごしやすくなったので、本当に感謝しています。千葉ちゃんのそういう性格はもちろんだけど、あそこまで自分の肉体を意のままに操れるよう、鍛えていたことに僕はビックリしてね。千葉ちゃんから「JACでアクションの練習をしているから、なっちゃんも暇があったら来てみない?」って誘われたので、時間がある時は練習場に行って、紛れて一緒に鍛えたりしていました。[190]

と評しており、千葉と夏八木を知る関係者も「夏八木さんの口からは、千葉さんを絶賛する言葉しか聞いたことがない。千葉さんも夏八木さんを『僕の人生の中で最高の俳優』と認めていて、事あるごとに仕事に誘っていた。互いによき理解者で、尊敬し合えるかけがえのない友だった」と証言している[191]

深作欣二は「ともかく熱心だった。特にアクションシーンになると、自分からアイデアを出して急にイキイキしてくる。スティーブ・マックイーンみたいになりたいというのが口癖だった[350]」、東映ニューフェイスの先輩でもある高倉健は「お互いに無口なところが妙に気が合ってね。普通なら男同士、酒でも飲んで語り合うもんだが、酒を飲めない俺に気を使ってか、喫茶店でコーヒーを飲んだりメシを食いに行ったりで、内気な恋人同士のデートみたいだった。それでも楽しいんだなあ[53]」、同期の亀石征一郎は「方言が抜けないから研修が終わっても、一人で発音の練習をしていたのが印象的だった[53]」と語る。

デビュー当時から相談に乗っていた潮健児は「東京オリンピックのあった昭和39年(1964年)前後に一番悩んでいた。日本体育大学の友人はオリンピックで名を上げ、『網走番外地』で高倉健さんがスターになった。映画をやめたいと漏らしていた[268]」と苦悩する様子を、鶴田浩二は「融通の利かないところが損しているな。絶対に弁解しないから、誤解されやすい[268]」と、それぞれ慮っている。

中尾彬千葉県立木更津第一高等学校の後輩で、「前田さん(千葉の本名)」と挨拶する[351]。日体大に在学していた千葉が教育実習で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係でもあったが、理由もなく反抗して授業をよくサボっていた[351]。芸能界で再会したときに、中尾は非礼を陳謝[351]。中尾の出演ドラマ『二人の刑事』(TBS)を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭する間柄である[351]。 (⇒ #共演者

特別後援者としてピラニア軍団に関わっており、軍団の結成式が1975年大阪市御堂会館で催され、深作欣二・渡瀬恒彦と共に立会った[352]。千葉は舞台へ上がらず、カメラ片手に客席からメンバーに声をかけて裏方に徹し、場を盛り上げていた。そんな千葉に川谷拓三は感謝し「ワシ、生まれて初めてこんな派手なスポットライトを浴びましたわ。ホンマおおきに!」と号泣していた[352]

交友(海外)

友人であるサミュエル・L・ジャクソン[82]クエンティン・タランティーノのほかには[83]スティーヴン・セガール[342]デニス・ヘイスバート映画プロデューサーデスティン・パフ[353]、らと親交がある[82][83][342][353]。セガールは流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと頻繁に連絡してきており[342]、パフは「Sonny Chiba(サニー ちば)のような伝説の俳優と組めるなんて、これ以上の幸せはない[353]」と語っている。(⇒ #格闘映画#ファン

人柄

スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である[29]」と評し、娘の真瀬樹里は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一。パパは私の誇り[125]」と話している。高平哲郎は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた。思わず『高平です。ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた。2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う[26]」と記している。

日刊スポーツの記者は「圧倒的な存在感をオーラと呼ぶが、それを感じた[32]」、東映ニューフェイスの後輩である堀田眞三は「かつて大流行した『カッコいい!千葉ちゃん!』の言葉通り、“カッコよさ”の象徴だった[354]。国中を席巻したカリスマであり、正真正銘の映画スターとして、醸し出す雰囲気や存在感が全然違う[354]。共演俳優や東映の後輩らも、威厳とパワフルで圧倒されるけど明るくて格好良いと言ってるし、滲み出る男を感じさせてくれる[355][356][357]」、サミュエル・L・ジャクソンは「タフガイを演じる時には、いつも千葉さんの演技を参考にさせてもらっているんだ。カリスマ的な存在感のある、最高にクールな俳優だと思うよ[82]」、あさ美は「かっこよすぎだし、オーラがすごいし、魅入っちゃった[358]」、大木凡人は「とにかくカッコ良く情熱をもったスターです[359]」、小泉孝太郎は「撮影現場に入られただけで、見えていないのにそれと分かる雰囲気を感じるくらい、ものすごい存在感でした。何かに例えるならば、サッカーコートジボワール代表ディディエ・ドログバのような。千葉さんが画面の前にお立ちになると、一気に何かが激変します[360][注釈 18]」など、異口同音に「(千葉さんには)オーラやカリスマ性がある」と証言している。

真樹日佐夫は「とても折り目正しいところに、淡い好感をおぼえた[361]」、「ニューヨークで酒を酌み交わした時[注釈 19]、いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった[362]」と述べ、平松伸二は自身の漫画が映画化されたときに、『ドーベルマン刑事』の撮影現場を訪れて主人公の加納錠治を演ずる千葉真一と会っており、「まさかこんな若い人(平松)が漫画を描いているとはねえ~!」「ホンネを言えば、ボクとかより松田優作くんなんかの方が加納にあってると思ってるんじゃないのかなァ!!」と笑いながら話しかけられ、「図星だった!千葉さんは正直で気さくないい人だった」と回想している[363]

戸田菜穂1990年の『第15回 ホリプロタレントスカウトキャラバン』で、約3万4千人の応募者のなかからグランプリに選ばれるが、発表の直前に後ろで控えていると、審査員の1人だった千葉に「いつか共演しましょうね」と声をかけられ、「え、もしかして?!」と嬉しさや驚きを飲み込んだのが「芸能界での一番最初の思い出」と振り返っている[364]

好尚

趣味

高校在学中からハリウッド映画のファンで、アラン・ラッドの『シェーン』やゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』など、西部劇アメリカ映画を夢中で観ていた[39]水彩画[56]。日記をつけている[57]。愛車は日産・ブルーバードフォード、白のフォルクスワーゲン1200(1963年型)セダンに乗り始め[365]スポーツカーではマツダ・コスモスポーツ(白)フォード・マスタング・Mach1[366]マーキュリー・クーガーへ乗り継いだ。トヨタ・カリーナのCMに出演した頃、トヨタよりカリーナの新車を毎年提供されていたので1年間乗った後、志穂美悦子真田広之ジャパンアクションクラブ (JAC) のメンバーに譲っていた。

健康法

健康法は一日一食を心掛け[138]、水素サプリメントを飲んでいた[367][368][369]

思考

フリーメイソンリーの会員である」と『週刊文春』の2021年1月14日号で記事になり、「友達やまわりに何人もいたんで、いろいろと興味津々、探索しているところ」と取材に答えた[370]。2022年8月19日付の『デイリー新潮』によると、日蓮正宗に帰依し、2019年3月11日付の御授戒と同年12月20日付の御本尊下付願があると配信された[371]

家族

福岡県福岡市博多区雑餉隈で二男三女の長男(第二子)として生誕[2]。父親は大刀洗町に在った陸軍飛行戦隊に所属する軍人で、母親は熊本県出身で学生時代に陸上競技をしていた[2]零式二号艦上戦闘機などのテストパイロットを務めていた父親は、初めて建造された空母へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった[5]。4歳の時、父親が千葉県木更津市へ異動となったため、家族で千葉県君津市へ転居した[3]終戦後、軍が解体され、父親は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった[5]。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた[313]。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、以外は不自由せずにいろいろな食物を食べることができ、自分の土台となった」と述懐している[372]。父親は芸能界入りを猛烈に反対して勘当していたが[49]、作品を観てからは考えを変え[373]、その後は観るのを楽しんでいる[313]1971年初めには地元の君津市に実家を新築して親孝行をした[374]。 (⇒ #オリンピックを目指して

弟の矢吹二朗が中学生になると東京都へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、千葉はコッペパンに水という日々もあった[313]。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買ったテープレコーダーが無くなったのは、きっと質屋へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る[313]

キイハンター』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と[375]、日本に居たい野際の意志不一致から[375]1994年に離婚。記者会見を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とは『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山 (NHK大河ドラマ)』で共演し、複数のトーク番組へ一緒に出演している。1996年に28歳年下の一般女性と再婚。長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住していた[32][123][124][126]2015年に一般女性と離婚したが[376]、その女性とは真剣佑・郷敦ともども良好な関係を続けていた[37]。 (⇒ #2010年代#最期#2023年

受賞

☆ノミネートを含む。

千葉真一とジャパンアクションクラブによる、日本映画のアクション技への貢献に対して)
映画への貢献を称える特別賞
日本映画の発展に貢献した俳優
  • OKINAWA シネマ&ミュージックアワード - 映画部門功労賞(2006年)
「おきなわシネマ&ミュージックフェスタ2006」にて、映画の発展に貢献したクリエイターとして表彰
MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chibaを表彰

出演

映画

国内映画

☆太字は主演スタッフ兼務作品。諸外国との合作映画は#海外映画を参照。社名のない作品は東映

宇宙快速船』のポスター

海外映画

☆太字は主演スタッフ兼務作品で、日本との合作映画も含む。

映画「爆裂都市」千葉真一と松下順一
2003年、『爆裂都市 / Explosive City』の撮影に関する千葉真一と松下順一との打ち合わせ風景

テレビ

テレビ映画(国内)

☆太字は主演スタッフ兼務作品。

テレビドラマ(国内)

海外ドラマ

ドキュメンタリー

情報

紀行旅番組
情報ワイド番組
ニュース教養番組

演劇

☆太字は主演スタッフ兼務作品。

Vシネマ

☆海外で公開された作品、シリーズに映画とOV両方がある作品は#映画を参照。

ライブ

声優

レコード
ラジオドラマ
語り手

肖像

小説
レコードジャケット

CM

監督・演出・監修

☆出演兼務の作品は#出演を参照。

映画
演劇
商品

音楽

☆太字は作曲兼務。声の出演は#声優を、写真のみの出演は#肖像を、それぞれ参照。

シングル
アルバム(オムニバス含む)
作詞
エグゼクティブ・プロデューサー

著書

  • 千葉真一『千葉ちゃんのスポーツ特訓』(初版)KOUSAIDO BOOKS、1977年5月25日。ASIN B000J8VCIMNCID BA71724274 
  • 千葉真一『千葉真一 改め 和千永倫道』(初版第1刷)山と渓谷社、2008年5月5日。ISBN 4635340228OCLC 227283266 
  • 千葉真一『千葉流 サムライへの道』(初版第1刷)ぶんか社、2010年9月20日。ISBN 4821142694OCLC 662404923 
  • 千葉真一『DVD BOOK 千葉真一のキッズアクション入門』(第1版第1刷)ベースボールマガジン社、2014年8月1日。ISBN 4583107390OCLC 889958889  ※監修
  • 千葉真一『侍役者道 〜我が息子たちへ〜』米谷紳之介(第1刷)、双葉社、2021年12月25日。ISBN 4575316849OCLC 1289471537 

参考文献

※異なる頁を複数参照をしている文献のみ。発表年順。

脚注

注釈

  1. ^ 母は野際陽子
  2. ^ a b 母は一般人。
  3. ^ a b 1969年近代映画の『千葉真一特集号』では東映東京撮影所の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介しているが[9]、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を千葉、名前はオレの名前をとって真一にしろ』と言われた」と述べている[10]
  4. ^ a b c d e ニュー・ライン・シネマアメリカ合衆国で『激突! 殺人拳』を『The Street Fighter』のタイトルで封切公開した際に、社長のロバート・シェイが命名した[11][12]。それが他国に広まり、世界での通称となったが、英語圏Sonny(サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を欧米風に訳した。その後、JJ Sonny Chibaと改名したが、JJJustice Japan(正義の日本)の略である[12][13][14]
  5. ^ a b c 出典により、夏または秋としている。
  6. ^ a b c 日本体育大学は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、2013年3月10日卒業を認定[40][41][42][46][47]。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた[41][48]
  7. ^ 1970年から放送されていたトヨタ・カリーナCMでも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。
  8. ^ a b c 自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりにスタントを演じてきたので[64]吹き替えができる人材の不足を憂いていた。
  9. ^ ザ★ゴリラ7』のオープニングクレジットでも滑走している姿は全話流されており、それぞれのDVD-BOXで視聴できる。この滑走は合同酒精「ワリッカ」のCMで採用され、1979年の『バトルフィーバーJ』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている[87]
  10. ^ これまでは個人事務所「ルイアンドリーブス」と[142]アストライア[144]、窓口となっていた[142][144]。今回の再編で「エム&リーヴス」に事業を統一することが同社議事録にも記されており、千葉は直筆署名をしている[143]。社名の「エム」は真剣佑のイニシャル「M」が由来で、ゆくゆくは眞栄田郷敦も合流する構想があった[143]
  11. ^ 同時期に千葉真一は『風林火山 (NHK大河ドラマ)』に出演しており、それぞれNHK総合制作の作品である。『柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い』には千葉の親友・夏八木勲も出ている[190][191]
  12. ^ 2013年現在、千葉真一自身は座右の銘を「肉体は永遠の言葉である」としている[41][48]
  13. ^ 当時のハイスピードカメラは今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。
  14. ^ 2年後にギャラは千葉のほうが上になった[267]
  15. ^ 北大路欣也は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた市川右太衛門の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた[67]
  16. ^ 特にアメリカ州[18][77]ヨーロッパ[18][77]東南アジア[79]香港など[78]
  17. ^ 大石代悟二宮城光はケガのため、対抗戦を欠場した[320]
  18. ^ テレビドラマおわこんTV』の発表会見で小泉は、2014年6月14日サッカーW杯・日本 vs コートジボワールに交代出場して試合の流れを変えたドログバに、千葉をなぞらえた[360]
  19. ^ 千葉真一は映画の撮影で、真樹日佐夫梶原一騎と共に極真会館の北米支部長会議に出席する大山倍達の随行で、それぞれニューヨークを訪れていた[362]
  20. ^ a b 柳生十兵衛光厳の「光厳」だが、「三厳」ではなく「光厳」とパンフレット魔界転生』の登場人物・キャスト一覧に表記されているため、当該記事もこれに則った[377][378]
  21. ^ 作詞森和夫作曲木内紀九生編曲橘場清、規格:ソノシート、規格品番:KX-1009。
  22. ^ 規格:ソノシート。
  23. ^ a b 千葉真一と下沢広之名義だが、下沢はセリフのみ。
  24. ^ 作詞:高田そうか、作曲:北村得夫、編曲:小町昭、規格:EP、規格品番:BS-818。
  25. ^ 作詞:山北由希夫、作曲・編曲:小町昭。
  26. ^ 作詞:風間陽介、作曲・編曲:北村得夫、規格:EP、規格品番:BS-1203。
  27. ^ 作詞:名村宏、作曲:江口浩司、編曲:森岡賢一郎
  28. ^ 作詞:及川恒平、作曲:小室等、編曲:寺島尚彦、規格:EP、規格品番:BS-1581。
  29. ^ 作詞:太田浩児、作曲・編曲:桜庭伸幸

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関連項目

外部リンク