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森下愛子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もりした あいこ
森下 愛子
本名 吉田 佳代(よしだ かよ)
旧姓:竹田)
生年月日 (1958-04-08) 1958年4月8日(66歳)
出生地 東京都武蔵野市
国籍 日本の旗 日本
血液型 AB型
職業 女優
活動期間 1977年 - 1988年
1999年 - 2020年
配偶者 吉田拓郎(1986年 - )
事務所 竹田企画
主な作品
テレビドラマ
うちの子にかぎって…
池袋ウエストゲートパーク
僕の生きる道
純と愛
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森下 愛子(もりした あいこ、1958年昭和33年〉4月8日 - )は、日本女優。本名は吉田 佳代(よしだ かよ、旧姓:竹田(たけだ)[1]東京都武蔵野市出身[2]麹町学園女子高等学校卒業[1]。夫はシンガーソングライター吉田拓郎

身長160cm。B80cm、W58cm、H84cm(1979年3月)[3]

経歴

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両親は佳代が保育児のとき離婚[3]。以降は父と会っていない[3]。母は都市銀行の寮母として働き[3]、佳代は一人っ子[3]、母娘でその寮で育った[3]

高校1年生の時に山手線ホーム[3]スカイコーポレーションの社長にスカウトされ[3]モデルとしてデビュー。芸名は字画に凝っていた母が付けた[3]CMタレントなどで活動[1]

1977年に『地獄の天使 紅い爆音』(東映)でデビュー。

1978年に出演した『サード』で体当たりの演技を見せた注目を浴びる[3]

1986年に吉田と結婚。その後は体調を崩し、1988年から芸能活動を一時休止。

1999年に『美しい人』で復帰。2000年以降は宮藤官九郎脚本の作品に常連出演していた。

2003年に吉田が肺癌摘出手術を受けた際には精神的に支えるなど、良好な夫婦関係が報道されている。

2020年4月30日をもって公式ウェブサイトを閉鎖[4]。翌2021年4月9日放送のラジオ番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』で「1年前にリタイアを決断している」と吉田より報告された[5]

人物

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芸名は、3歳の時からバレエをやっていた自身にとって憧れの一人でもあったバレリーナの森下洋子に因んだもの。愛子の名前は字画数の良さから選んだ[6]

出演

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テレビドラマ

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映画

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舞台

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テレビ番組

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CM

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  • サンロード 腕時計(1977年)
  • エーザイ「セロポン」(1977年)
  • サントリー『三十丸』(2008年)
  • ソフトバンク(2019年)

写真集

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  • 篠山紀信 撮影『海へ私へ : 森下愛子写真集』〈写楽館シリーズ ; 2〉、小学館、1981年6月1日。

脚注

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  1. ^ a b c 週刊テレビ番組(東京ポスト)1978年2月10日号 p.48「プロフィール」
  2. ^ 河北新報 1983年8月21日 20面「登場」コーナー
  3. ^ a b c d e f g h i j 「秘話 非行少女映画で注目 森下愛子 母一人娘一人で歩んだ前向き人生に悔いなし 『淋しい時は吐き叫んだ母とケンカをした…』」『週刊明星』1979年3月11日号、集英社、185–187頁。 
  4. ^ ホームページ閉鎖のおしらせ”. 竹田企画. 2020年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月14日閲覧。
  5. ^ “吉田拓郎、妻・森下愛子は1年前から「ドラマ撮影の世界からリタイア」”. デイリースポーツ. (2021年4月14日). https://www.daily.co.jp/gossip/2021/04/14/0014238977.shtml 2021年4月14日閲覧。 
  6. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1984年1月20日号「芸名由来記」55頁
  7. ^ テレビドラマデータベース http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-24649
  8. ^ 空から降る一億の星フジテレビ、2015年9月20日閲覧。
  9. ^ “小泉今日子、満島ひかり、菅野美穂が共演、宮藤官九郎脚本のドラマが10月スタート”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2017年7月26日). https://natalie.mu/eiga/news/242263 2017年7月26日閲覧。 

外部リンク

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