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川口知子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日[1] - 1969年1月19日[2])は、1960年代文学座で活動した、日本新劇女優。テレビ・ドラマや映画にも出演し、1960年には日本映画製作者協会新人賞を受賞した。

経歴

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東京銀座で、両親とも長唄の師匠という家に生まれる[3]

親類の田村秋子に影響を受け、女優を志し、共立女子学園高等部を卒業して俳優座養成所に入った[1][3](川口は、田村秋子の姪とする記述[4]と、従妹とする記述がある[5])。

1959年に俳優座養成所を卒業し、文学座に入って研究生となり、同年9月の公演『黄色と桃色の夕方』で大役に抜擢された[4]

1960年には、映画『赤坂の姉妹より 夜の肌』に、映画初出演にして淡島千景新珠三千代とともに主演し[6][7]、この年の日本映画製作者協会新人賞を受賞した[1]

1961年から1962年にかけては、舞台にはほとんど出演せず、「文学座専属テレビ・タレント」と称されるほどテレビへの出演が多かった[5]。その後も、舞台やテレビドラマに出演し続けた。

1969年1月19日、川口は、自宅で石油ストーブの不完全燃焼による中毒で急死した[2]

フィルモグラフィ

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脚注

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  1. ^ a b c “日本映画製作者協会 本年度新人賞決まる”. 読売新聞・夕刊: p. 5. (1960年11月23日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  2. ^ a b “川口知子さん中毒死/東京”. 読売新聞・朝刊: p. 15. (1969年1月20日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ a b “[お顔拝借]川口知子 銀座で生まれた 威勢のいい現代派”. 読売新聞・夕刊: p. 10. (1962年10月9日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  4. ^ a b “全編にシャンソン 川口知子らに大役 文学座「黄色と桃色の夕方」”. 読売新聞・夕刊: p. 4. (1959年8月4日). "今年俳優座養成所を卒業して文学座研究生になった田村秋子のメイに当る川口知子..."  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  5. ^ a b “[スタート・ライン]=16 川口知子 破るか“少女の壁”(連載)”. 読売新聞・夕刊: p. 8. (1962年7月19日). "「この一年、舞台にはほとんど立たず、雑誌なんかでも文学座専属テレビ・タレントなんて書かれるでしょう。自分で自分がわからなくなるの」と彼女はいう。... いとこにあたる田村秋子の舞台に魅さられて俳優座研究所にはいり..."  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  6. ^ “「赤坂の姉妹」題名で難航 製作と営業が対立 撮影は進んでいるが”. 読売新聞・夕刊: p. 5. (1960年10月4日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  7. ^ 「赤坂の姉妹」より 夜の肌 - 映画.com