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野上龍雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野上 龍雄(のがみ たつお、1928年3月28日 - 2013年7月20日 )は、脚本家東京都出身。

略歴

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1928年(昭和3年)東京府生まれ。父親は最高裁判事[1]。野上は妾腹の芸者の子で、吃音で背も低かった[1]

旧制開成中学松本高等学校文科を経て、東京大学文学部仏文科卒業。松竹助監督試験を二年連続で受け、筆記試験は抜群ながら面接で落とされ、二年目に面接官だった中村登から「去年も君のことが問題になった。吃りでも現場が務まるのかと。だから、来年からもう来てくれるな」と言われた[1]大映脚本家養成所でシナリオ・ライターとなる[1]。大映企画部員だった羽佐間重彰はここからの付き合い[1]。1957年、羽佐間と一緒に京王帝都電鉄が関係していた映画会社「日映」に移籍するが同社は10ヵ月で倒産[1]。羽佐間はニッポン放送に入社するが、野上はインチキプロダクションで助監督をやった後[1]、脚本家に弟子入りし本格的に脚本家デビューした[1]倉本聰テレビ局に紹介したのは野上という[1]。以降、映画、テレビの脚本を多数書き上げた[1]

映画の脚本では東映において時代劇やくざ映画のシナリオを数多く執筆した。野上は「東映のプログラムピクチャーを書いている頃は、ホンが良くなる直しは一度もしたことがない。やったことは短くする直しだった」と言っていたという[1]。テレビでは池波正太郎原作の時代劇『鬼平犯科帳』『剣客商売』の脚本や、長期シリーズとなった朝日放送の『必殺シリーズ』の脚本を多数執筆。劇場版などの長編シリーズも手がけ、同シリーズを支えた重鎮の脚本家としても著名である。実際の遺作は2005年の『男たちの大和/YAMATO』であるが[1][2]、製作サイドと揉めてクレジットから外されている[1][2]

2013年7月20日午後3時10分、老衰のため死去[3]。85歳没。

作風

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  • 組織に利用され裏切られる若きやくざの悲劇『現代やくざ 血桜三兄弟』、孤独に生きる渡世人の悲しみを描いた傑作『木枯らし紋次郎 関わりござんせん』、大西瀧治郎中将を描いた『あゝ決戦航空隊』(笠原和夫、相良俊輔と共同執筆)、三代将軍継嗣問題を巡る徳川家の骨肉の争いを描いた大作『柳生一族の陰謀』(深作欣二、松田寛夫と共同執筆)、山田風太郎の小説を原作として島原の乱で鎮圧されたキリシタン民衆の怨念を報いんとする男の執念と彼に立ちはだかる剣豪との対決を描いた『魔界転生』(深作欣二、石川孝人と共同執筆)と、野上作品の題材は多岐に渡る。
  • 心理描写が繊細、そして、熱い感情の表現が強烈で見る者の心に緊張感を与える迫力がある。『柳生一族の陰謀』(1978年)のラストのどんでん返しにおいて、予期せぬ事態に動転し錯乱状態に陥った主人公柳生宗矩萬屋錦之介)が絶叫する「夢でござる」という台詞は流行語にもなった。
  • 必殺シリーズ』では、虐げられて生きる存在の悲しみや怨念を描いた作品において数多くの傑作を発表している。

映画脚本作品

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テレビ脚本作品(一部)

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二代目中村鴈治郎、「必殺シリーズ」最後の出演作品

その他の脚本作品

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参考文献

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  • 『日本映画作家全史 下』(1978年) 教養文庫
  • 『講座 日本映画』(全八巻)(1985年-1988年) 岩波書店
  • 『必殺15年の歩み』(1988年) 放送映画出版
  • 『日本映画テレビ 監督全集』(1988年) キネマ旬報社
  • 『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫』(2002年) 太田出版

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m “野上龍雄、追悼 『畏友逝く』』 文・羽佐間重彰/野上龍雄、追悼 『野上さんのこと』 文・織田明(松竹プロデューサー)/野上龍雄、追悼 『野上さんのこと』 文・角谷優/野上龍雄、追悼 『エンターテインメントとは一番低い者の目線で物語を見ていくことなんだと野上さんが教えてくれた』 文・井上淳一”. 映画芸術」2013年秋 第445号 発行:編集プロダクション映芸 88–94頁。 
  2. ^ a b 佐藤純彌 著、野村正昭、増當竜也 編『映画監督 佐藤純彌 映画よ憤怒の河を渉れ』DU BOOKS/ディスクユニオン、2018年、407-410頁。ISBN 978-4-86647-076-4 
  3. ^ 脚本家の野上龍雄さん死去 南極物語や必殺シリーズ朝日新聞2013年9月5日閲覧

外部リンク

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