コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大西十寸男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大西俊夫から転送)
大西 十寸男
おおにし としお
生年月日 (1896-08-18) 1896年8月18日
出生地 三重県飯南郡花岡村(現:松阪市
没年月日 (1947-07-29) 1947年7月29日(50歳没)
出身校 早稲田大学政経学科
前職 日本農民組合書記長
所属政党 無所属懇談会

日本の旗 参議院議員
選挙区 全国区
当選回数 1回
在任期間 1947年5月3日 - 1947年7月29日
テンプレートを表示

大西 十寸男(おおにし としお、俊夫とも、1896年(明治29年[1]8月18日[2] - 1947年(昭和22年)7月29日[1])は、日本政治家農民運動家参議院議員(無所属懇談会、1期)。

経歴

[編集]

三重県飯南郡花岡村(現:松阪市)生まれ[1][注 1]早稲田大学建設者同盟に加わり、卒業後の1922年(大正11年)に日本農民組合関東同盟を組織。翌年には日農総本部書記となり、1927年(昭和2年)に日本共産党に入党[3]三・一五事件四・一六事件で検挙された後に共産党から離党し、全国農民組合総本部書記を歴任。一方で労農派の立場から農民運動や左翼運動を指導し、人民戦線事件で検挙された[3]

戦後、日本農民組合の再建に関わり、1947年(昭和22年)2月には同会書記長になる[1]。同年4月の第1回参議院議員通常選挙全国区より出馬し110621票を獲得し当選(補欠、任期3年)[1][4]。だが当選から約3ヶ月後の7月29日午後6時50分、東京帝国大学医学部の大槻外科にて逝去[1]。選挙前より病魔に侵されていたが主治医の忠告を受ける中それを退け選挙活動や登院をしていたという[1]。翌月1日の哀悼演説楠見義男が読み上げた[1]

出典

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『20世紀日本人名事典 あ-せ』507頁では、東京市浅草区花川戸(現東京都台東区)。

出典

[編集]

参考文献

[編集]
  • 『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。