「国鉄タキ2100形貨車」の版間の差分
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2020年6月29日 (月) 13:59時点における版
国鉄タキ2100形貨車 | |
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タキ2100形 (鳥居本) | |
基本情報 | |
車種 | タンク車 |
運用者 |
日本国有鉄道 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所有者 | ゼネラル物産、出光興産、日本石油、三菱石油、日本石油運送→日本石油輸送、日本漁網船具、シェル石油、歴世砿油、丸善海運、昭和石油、アジア石油、日本陸運産業 |
製造所 | 飯野重工業、川崎車輛、富士重工業、日立製作所、新潟鐵工所、帝國車輛工業、汽車製造、東急車輛製造、三菱重工業 |
製造年 | 1951年(昭和26年) - 1971年(昭和46年) |
製造数 | 649両 |
種車 | タキ3000形 |
改造数 | 33両 |
消滅 | 2002年(平成14年) |
常備駅 | 浮島町駅、汐見町駅、前川駅他 |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
専用種別 | 石油類(除ガソリン) |
化成品分類番号 | 燃31 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 12,400 mm |
全幅 | 2,518 mm |
全高 | 3,826 mm |
タンク材質 | 普通鋼(一般構造用圧延鋼材) |
荷重 | 30 t |
実容積 | 33.7 m3 - 37.5 m3 |
自重 | 11.5 t - 18.8 t |
換算両数 積車 | 4.5 |
換算両数 空車 | 2.0 |
台車 | TR41C |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 1,650 mm |
台車中心間距離 | 7,900 mm |
最高速度 | 75 km/h |
国鉄タキ2100形貨車(こくてつタキ2100がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した私有貨車(タンク車)である。
概要
本形式は、石油類(除ガソリン)専用の30t 積タンク車として1951年(昭和26年)12月26日から1971年(昭和46年)12月8日にかけて682両(タキ2100 - タキ2499、タキ12100 - タキ12197、タキ22100 - タキ22247、タキ22300 - タキ22332、タキ32100 - タキ32102)が飯野重工業、川崎車輛、富士重工業、日立製作所、新潟鐵工所、帝國車輛工業、汽車製造、東急車輛製造、三菱重工業の9社にて製作された。この内タキ22300 - タキ22332はタキ3000形からの専用種別変更(ガソリン→石油類)改造編入車である[1]。
本形式の他に石油類を専用種別とする貨車はタ600形(270両)、タサ1形(208両)、タキ1500形(902両)、タキ9800形(496両)、タキ45000形(589両)等実に33形式が存在した。
1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「燃31」(燃焼性の物質、引火性液体、 危険性度合2(中))が標記された。
落成時の所有者はゼネラル物産、出光興産、日本石油、三菱石油、日本石油運送(その後日本石油輸送へ社名変更)、日本漁網船具、シェル石油、歴世砿油、丸善海運、昭和石油、アジア石油、日本陸運産業の12社であった。
タンク体は、普通鋼(一般構造用圧延鋼材、SS41現在のSS400)製で車端部のタンク鏡板には点検用ハッチと、荷役のための加熱管を装備している[1](一部の車両は断熱材を巻き、キセ(外板)を装備した)。荷役方式はタンク上部のマンホール又は液出入管からの上入れ、液出管と空気管使用による下出し方式である[1]。
その後本形式より多数の車が種車となり他形式へ改造された。
車体色は黒色、寸法関係は全長は12,400mm、全幅は2,518mm、全高は3,826mm、軸距は7,900mm、実容積は33.7m3 - 37.5m3、自重は11.5t - 18.8t、換算両数は積車4.5、空車2.0であり、台車はベッテンドルフ式のTR41Cである。
1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には143両の車籍がJR貨物に継承された[2]。1995年(平成7年)度末時点では1両が現存していたが[1]、最後まで在籍した1両(タキ12195)が2002年(平成14年)3月に廃車となり同時に形式消滅となった[3]。
参考文献
- 吉岡心平 『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑(復刻増補)』 2008年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-0583-3
- 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)
脚注
- ^ a b c d 吉岡心平 『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑(復刻増補)』 2008年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-0583-3 p.64
- ^ 吉岡心平 『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑(復刻増補)』 2008年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-0583-3 p.362
- ^ 吉岡心平 『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑(復刻増補)』 2008年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-0583-3 p.365