斎藤昇
斎藤 昇 さいとう のぼる | |
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生年月日 | 1903年1月28日 |
出生地 | 日本 三重県阿山郡東柘植村(現・伊賀市) |
没年月日 | 1972年9月8日(69歳没) |
出身校 |
東京帝国大学農学部農学科 東京帝国大学法学部政治学科 |
所属政党 | 自由民主党(佐藤派) |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
子女 | 次男・斎藤十朗(元参議院議員) |
第46・48代 厚生大臣 | |
内閣 |
第2次佐藤第2次改造内閣 第3次佐藤改造内閣 |
在任期間 |
1968年11月30日 - 1970年1月4日 1971年7月5日 - 1972年7月7日 |
第28代 運輸大臣 | |
内閣 | 第2次池田第1次改造内閣 |
在任期間 | 1961年7月18日 - 1962年7月18日 |
選挙区 | 三重県地方区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1955年8月7日 - 1972年9月8日 |
斎藤 昇 さいとう のぼる | |
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生年月日 | 1903年1月28日 |
出生地 | 日本 三重県阿山郡東柘植村(現・伊賀市) |
没年月日 | 1972年9月8日(69歳没) |
初代 警察庁長官 | |
在任期間 | 1954年7月1日 - 1955年7月1日 |
在任期間 | 1948年3月 - 1954年 |
第60代 警視総監 | |
在任期間 | 1947年10月20日 - 1948年3月7日 |
在任期間 | 1947年2月4日 - 1947年6月9日 |
官選第41代 山梨県知事 | |
在任期間 | 1946年1月15日 - 1947年2月4日 |
齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28日 - 1972年〈昭和47年〉9月8日[1])は、日本の内務官僚、政治家。位階は正三位。
運輸大臣、厚生大臣、警察庁長官を務めた。参議院議長を務めた斎藤十朗は子息。
経歴
[編集]三重県阿山郡東柘植村(現在・伊賀市)出身。父・角蔵、母・のぶへの長男として生まれる。
1925年(大正14年)に東京帝大農学部農学科を卒業し[1]、1926年(大正15年)高等試験に合格した[2]。1927年(昭和2年)、内務省に入省した[1]。1928年(昭和3年)に東京帝大法学部政治学科を卒業する[1]。地方局属[3]、地方局行政課長、大臣官房文書課長、防空総本部総務局長等を歴任した[4]。
終戦間もない1946年(昭和21年)1月15日に山梨県知事に就任。1947年(昭和22年)2月には内務次官として本省へ戻る。その後、1947年(昭和22年)10月に警視総監(警視庁 (内務省)としては最後の総監)、1948年(昭和23年)3月には旧警察法施行と同時に国家地方警察本部長官に就任、新警察法を作り、戦後警察の基礎を築く[1]。1951年(昭和26年)、不正入出国に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された[5]。
1954年(昭和29年)7月、新警察法施行・警察庁発足時に初代の警察庁長官に就任し、効率化・民主化・政治的中立性という柱を掲げて戦後警察制度の推移する中で現行制度を確立する[6]。昭和30年(1955年)7月に退官[1]。
1955年(昭和30年)8月、三重県選挙区の参議院補欠選挙で初当選。以後3期当選。自由民主党では佐藤栄作派に属し、1961年(昭和36年)7月に第2次池田第1次改造内閣の運輸大臣として初入閣[1]。1968年(昭和43年)11月に第2次佐藤第2次改造内閣の厚生大臣に就任。1970年(昭和45年)1月に退任するが、1971年(昭和46年)7月の第3次佐藤改造内閣発足で再び厚生大臣に就任した[1]。
1972年(昭和47年)9月8日に死去。正三位勲一等旭日大綬章。1958年(昭和33年)7月から死去するまで三重県遺族会の会長も務めた。
人物像
[編集]家族・親族
[編集]斎藤家
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j “斎藤 昇(サイトウ ノボル)とは”. コトバンク. 2019年12月29日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録. 第13版』(昭和16年)上サ八〇
- ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、260頁
- ^ “斎藤昇”. www.ndl.go.jp. 近代日本人の肖像. 国立国会図書館. 2019年12月29日閲覧。
- ^ 第10回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第12号 昭和26年5月26日
- ^ 後藤田正晴 (1991). 支える動かす. 日本経済新聞. p. 74
- ^ a b c d 『第二十一版 人事興信録 上』(昭和36年)さ七四
公職 | ||
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先代 園田直 内田常雄 |
厚生大臣 第46代:1968年 - 1970年 第48代:1971年 - 1972年 |
次代 内田常雄 塩見俊二 |
先代 木暮武太夫 |
運輸大臣 第28代:1961年 - 1962年 |
次代 綾部健太郎 |
先代 谷川昇 |
山梨県知事 官選第41代:1946年 - 1947年 |
次代 吉江勝保 |
議会 | ||
先代 高橋進太郎 |
参議院議院運営委員長 1960年 - 1961年 |
次代 宮澤喜一 |
官職 | ||
先代 新設 |
警察庁長官 初代:1954年 - 1955年 |
次代 石井榮三 |
先代 (新設) |
国家地方警察本部長官 初代: 1948年 - 1954年 |
次代 (廃止) |
先代 門叶宗雄 |
警視総監 第60代:1946年 - 1947年 |
次代 田中栄一 |
先代 飯沼一省 |
内務次官 第55代:1947年 |
次代 鈴木幹雄 |
その他の役職 | ||
先代 淵田五郎 |
三重県遺族会会長 第5代:1958年 - 1972年 |
次代 田村元 |