多湖實夫
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多湖 實夫(たご じつお[1]、1898年(明治31年)6月16日[2] - 1985年(昭和60年)5月11日[1])は、日本の内務官僚、実業家。官選山梨県知事、学校法人愛知医科大学理事長、ワシントンホテル社長。
経歴
[編集]三重県員弁郡笠田村(現いなべ市)出身[1]。多湖實の長男として生まれる[2]。愛知県立第一中学校、第八高等学校を卒業[1]。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し東京府属となる[2][3]。
以後、内務省社会局勤務、奈良県理事官、内務省社会局事務官・保険部勤務、静岡県書記官・経済部長、第16回国際労働会議出席(1932年ジュネーヴ開催、政府側顧問)、東京府学務部長、宮城県書記官・総務部長[4]、大阪府総務部長などを歴任[2]。
1942年(昭和17年)7月7日、山梨県知事に就任。学童疎開の受け入れ、戦時下の対応などに尽力。1945年(昭和20年)4月21日に知事を退任[2]。同年に退官し、戦後、公職追放となった[3]。
戦後は、名古屋国際ホテル社長、ワシントンホテル社長、学校法人愛知医科大学理事長などを務めた[1]。
家族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 日外アソシエーツ編『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。