前田穣 (参議院議員)
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前田 穣(まえだ みのる、1887年(明治20年)10月15日[1] – 1955年(昭和30年)6月28日[2])は、大正から昭和期の鉄道官僚、実業家、政治家。参議院議員(1期)。
経歴
[編集]三重県四日市出身[2][3][4]。第五高等学校を経て[5]、1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学を卒業[2][3][5]。鉄道院(のち鉄道省)に入り神戸鉄道管理局書記に任官[5]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[5]。
以後、大阪鉄道局課長、門司鉄道局課長、運輸局総務課長、大臣官房人事課長、大阪鉄道局長、仙台鉄道局長、鉄道省運輸局長などを歴任[2][3]。1934年(昭和9年)8月、同省監督局長に就任し、1937年(昭和12年)7月まで在任して退官した[2][6]。
その後、阪和電鉄監査役、南海電鉄常任監査役、都市計画三重地方委員、三重県労働調停委員、三重交通社長、ユネスコ三重協力会会長、三重県経営者協会会長、同県社会福祉協議会会長などを務めた[2][3]。
1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に三重県地方区から無所属で出馬し、保守系の支持と三重交通労働組合の支援を受けて当選した[2][7][8]。緑風会に所属し、参議院運輸委員長などを務めた[2][3]が、在任中に三重県伊勢市で死去した[3][4]。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲三等からの昇叙)[9]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『読売年鑑 昭和28年版』読売新聞社、1952年。
- 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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