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[[1973年東京都議会議員選挙]]では、田辺を誹謗中傷する偽物の[[自由新報]](自民党機関誌)が出回る事件も発生した<ref>「ニセ自由新報配る 自民二候補を中傷」『朝日新聞』昭和48年(1973年)7月14日朝刊、13版、23面</ref>が妨害にも屈せずに当選を重ねていった。 |
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[[1986年]][[第14回参議院議員通常選挙]]で[[東京都選挙区]]から[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]公認・[[木曜クラブ]]新人候補(田辺の後援会会長を務めていた[[金丸信]][[自民党幹事長|幹事長]]が属していた)として出馬し初当選。同じ選挙区では、[[政策科学研究所 |
[[1986年]][[第14回参議院議員通常選挙]]で[[東京都選挙区]]から[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]公認・[[木曜クラブ]]新人候補(田辺の後援会会長を務めていた[[金丸信]][[自民党幹事長|幹事長]]が属していた)として出馬し初当選。同じ選挙区では、[[政策科学研究所|中曽根派]]所属の新人・[[小野清子]]も初当選を果たしている。木曜クラブ分裂後は[[平成研究会|経世会]]へ移籍した。 |
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[[第1次海部内閣]]では[[法務省|法務]][[政務次官]]を務めた。 |
[[第1次海部内閣]]では[[法務省|法務]][[政務次官]]を務めた。 |
2023年1月9日 (月) 23:27時点における版
田辺哲夫 たなべ てつお | |
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生年月日 | 1929年3月9日 |
出生地 | 山梨県 |
没年月日 | 1995年8月8日(66歳没) |
出身校 | 中央大学法学部法律学科卒業 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | 自由民主党 |
選挙区 |
(東京都選挙区→) 比例区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1986年7月8日 - 1995年8月8日 |
第29代東京都議会議長 | |
在任期間 | 1983年9月 - 1985年7月 |
選挙区 | 新宿区選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1973年7月23日 - 1986年6月17日 |
田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995年8月8日)は、日本の法律家、政治家。弁護士、元参議院議員(2期)。
来歴・人物
山梨県出身。1954年中央大学法学部法律学科卒業し、1955年26歳で司法試験合格。司法修習10期経て、1958年弁護士に。
その後、政界への進出を志し新宿区議、新宿選出都議[1]、都議会議長を務めた[2]。 1973年東京都議会議員選挙では、田辺を誹謗中傷する偽物の自由新報(自民党機関誌)が出回る事件も発生した[3]が妨害にも屈せずに当選を重ねていった。
1986年第14回参議院議員通常選挙で東京都選挙区から自由民主党公認・木曜クラブ新人候補(田辺の後援会会長を務めていた金丸信幹事長が属していた)として出馬し初当選。同じ選挙区では、中曽根派所属の新人・小野清子も初当選を果たしている。木曜クラブ分裂後は経世会へ移籍した。
1991年東京都知事選挙において自民党都連や都議団の推す現職鈴木俊一ではなく、小沢一郎自民党幹事長主導で擁立した磯村尚徳を支援。そのため都議団と軋轢が生じ1992年第16回参議院議員通常選挙では比例区での出馬となり、再選。
2期目在職中に死去。田辺の死去に伴い、山東昭子が繰り上げ当選した。
脚注
- ^ “歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年4月27日閲覧。
- ^ “歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年4月27日閲覧。
- ^ 「ニセ自由新報配る 自民二候補を中傷」『朝日新聞』昭和48年(1973年)7月14日朝刊、13版、23面
関連項目
議会 | ||
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先代 向山一人 |
参議院労働委員長 1992年 - 1993年 |
次代 石川弘 |